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メッセージ - 講解説教(旧約)カテゴリのエントリ

ダビデと共に神の国を建て上げた主の軍の勇士たち(1歴代誌11:1-9)
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11:10 ダビデの勇士のおもなものは次のとおりである。彼らはイスラエルのすべての人とともにダビデに力をそえて国を得させ、主がイスラエルについて言われた言葉にしたがって、彼を王とした人々である。

以降、記される人々は「三勇士」と呼ばれ、また「あの三十人」と呼ばれる勇士たちであり、彼らはダビデの王権を確立させ、神の国であるイスラエルのために多大な貢献をした人達である。
彼らは、単に武功を立てたとか、単に力強く武芸に秀でたという事よりも、イスラエルの主君であるダビデをいかに愛し、そしてまことの主君である「主がイスラエルについて言われた言葉にしたがって」いる事が、評価された者達である。(10節)

11:11 ダビデの勇士の数は次のとおりである。すなわち三人の長であるハクモニびとの子ヤショベアム、彼はやりをふるって三百人に向かい、一度にこれを殺した者である。
11:12 彼の次はアホアびとドドの子エレアザルで、三勇士のひとりである。
11:13 彼はダビデとともにパスダミムにいたが、ペリシテびとがそこに集まって来て戦った。そこに一面に大麦のはえた地所があった。民はペリシテびとの前から逃げた。
11:14 しかし彼は地所の中に立ってこれを防ぎ、ペリシテびとを殺した。そして主は大いなる勝利を与えて彼らを救われた。

このような武芸に秀でた様は確かに目を見張るが、大切な事は「主は大いなる勝利を与えて彼らを救われた」という事である。
彼らのような者が、ダビデ・ソロモンの時代以降にいたなら、確実にその武功と名前が載せられたであろう。
なぜダビデの時代に、このような勇士たちが現れる事が頻発したか。それは、主に従う心が熱い時代だったからであろう。それで主は、彼らに力と勝利を与えられたのだ。詩篇に記されているとおりである。

詩篇18:32 この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。
18:33 彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。
18:34 戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。

そして、この三勇士は以下のいのちがけの誠実をダビデ王に示した。

11:15 三十人の長たちのうちの三人は下っていってアドラムのほらあなの岩の所にいるダビデのもとへ行った。時にペリシテびとの軍勢はレパイムの谷に陣を取っていた。
11:16 その時ダビデは要害におり、ペリシテびとの先陣はベツレヘムにあったが、
11:17 ダビデはせつに望んで、「だれかベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をわたしに飲ませてくれるとよいのだが」と言った。
11:18 そこでその三人はペリシテびとの陣を突き通って、ベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をくみ取って、ダビデのもとに携えて来た。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを主の前に注いで、
11:19 言った、「わが神よ、わたしは断じてこれをいたしません。命をかけて行ったこの人たちの血をどうしてわたしは飲むことができましょう。彼らは命をかけてこの水をとって来たのです」。それゆえ、ダビデはこの水を飲もうとはしなかった。三勇士はこのことをおこなった。

ダビデ王は、いのちがけで汲んできてくれたこの水を、一滴も飲まず、主に捧げた。
いのちがけで戦う理由は、主のためであって、ダビデひとりのためではないからだ。それが、ダビデ王のみならず、この三人に徹底されていたからこそ、彼らは三勇士として栄誉を残したのだろう。

11:20 ヨアブの兄弟アビシャイは三十人の長であった。彼はやりをふるって三百人に立ち向かい、これを殺して三人のほかに名を得た。
11:21 彼は三十人のうち、最も尊ばれた者で、彼らのかしらとなった。しかし、かの三人には及ばなかった。
11:22 エホヤダの子ベナヤは、カブジエル出身の勇士であって、多くのてがらを立てた。彼はモアブのアリエルのふたりの子を撃ち殺した。彼はまた雪の日に下っていって、穴の中でししを撃ち殺した。
11:23 彼はまた身のたけ五キュビトばかりのエジプトびとを撃ち殺した。そのエジプトびとは手に機の巻棒ほどのやりを持っていたが、ベナヤはつえをとって彼の所へ下って行き、エジプトびとの手から、やりをもぎとり、そのやりをもって彼を殺した。
11:24 エホヤダの子ベナヤは、これらの事を行って三勇士のほかに名を得た。
11:25 彼は三十人のうちに有名であったが、かの三人には及ばなかった。ダビデは彼を侍衛の長とした。

ここでヨアブの兄弟アビシャイと、後にヨアブに代わる軍団長になったエホヤダの子ベナヤの名が連ねている。
ベナヤは祭司エホヤダの子で、ヨアブの元では、外国の雇用兵の長であったが、後に王権がソロモンの代になると、彼は、ソロモンの命によってヨアブを殺し、ヨアブに代わって軍団長の座に着く事になる。
ダビデの時代、軍事的な面でもっとも活躍した人といえば、間違いなく、ヨアブであろう。しかし、彼の名は、3勇士にも30勇士にも登録されていないのだ。
この「登録されていない」事は、注目すべきである。

ヨアブは、ダビデに対して度々の命令違反を犯し、ダビデを軽んじていたばかりでなく、後のダビデの後継者争いでアドニヤのほうを支持してたため、ソロモン王の指示により、エホヤダの子ベナヤの手で殺される事になってしまう。(1列王記2:29−35)
確かにダビデの時代、軍事的な面で最も功績を上げたかもしれないが、どんなに活躍しても、主君を軽んじ、不従順を重ね、主の御旨でないなら、特別な地位から降ろされ、抹殺され、王国の勇士達のリストから除外されてしまうのだ。

11:26 軍団のうちの勇士はヨアブの兄弟アサヘル。ベツレヘム出身のドドの子エルハナン。
・・・
11:41 ヘテびとウリヤ。アハライの子ザバデ。
11:42 ルベンびとシザの子アデナ。彼はルベンびとの長であって、三十人を率いた。

26節から47節までに勇士たちの名が書き記されているが、30以上の名前がある。
おそらくダビデの治世中、ヨアブの兄弟アサエルやヘテ人ウリヤのように、途中戦死してしまった所を、補充して行った人達の名前も、加えられたのだろう。

ヘテ人ウリヤは、ダビデの姦淫と殺人の罪の犠牲になってしまった。ダビデとしては、彼の名が記録されるのは恥ずかしかったであろうが、彼は30勇士のひとりとして記録されている。
もし、このリストが、ダビデの栄光のためのリストであるなら、ウリヤは除外され、ヨアブは残ったかもしれない。
しかしあいにく、このリストはダビデ王の栄誉のためではなく、主の御国を建て上げるために貢献した人達のリストである。

私達も、まことのダビデであるキリストに従順し、主が与えて下さるこの霊的武具をよく駆使し、悪しき者に対抗し、よく戦うべきなのだ。
主君を軽んじ、従順しないで、身勝手な王を立てるなら、いかに「出来る人」であったとしても、ヨアブのように立場を追われ、除外されてしまう。
次のように書かれているからである。

2テモテ2:1 そこで、わたしの子よ。あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい。
2:2 そして、あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、ゆだねなさい。
2:3 キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。
2:4 兵役に服している者は、日常生活の事に煩わされてはいない。ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める。
2:5 また、競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ、栄冠は得られない。
2:6 労苦をする農夫が、だれよりも先に、生産物の分配にあずかるべきである。
2:7 わたしの言うことを、よく考えてみなさい。主は、それを十分に理解する力をあなたに賜わるであろう。
2:8 ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。

ダビデ、王となり、エルサレムを居住とする(1歴代誌11:1-9)
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前回はイスラエル初代の王サウルについてだったが、サウルは主の前に悪く歩んだゆえに、王権から退けられてしまい、主は、王権をダビデに回した。
以降、歴代誌は、ダビデ王家がいかにイスラエルを統治して行くようになったのかという内容と、彼が基礎を築いた神殿礼拝の詳細な成り立ちへと入っていく。

王の中の王として、現代も多くの人達に尊敬されているダビデ。彼はなぜ、神と人とに愛され、そこまで偉大な王となる事ができたのか。
ダビデとサウルの違いは、実は、そんなに多くない。むしろ、わずかである。
ダビデは、事あるごとに主に主に求め、罪を指摘された時は、間髪を入れず悔い改め、すぐ主に立ち返る性質だった。
それに引き換えサウルは、主のことばを守らず、主に求める事をしなかった。(1歴代誌10:13-14)
そして、罪を犯した時、言い訳をしたり、他人のせいにしたりし、結局自分は悪く無いというスタンスを変えなかった。

ダビデとサウルの違いはシンプルである。すなわち、日頃主に依り頼むか、頼まないか。そして罪を指摘された時、すぐに悔い改めるか、悔い改めないか。
それはシンプルであるが、実に、永遠の明暗を分ける。

11:1 ここにイスラエルの人は皆ヘブロンにいるダビデのもとに集まって来て言った、「われわれは、あなたの骨肉です。
11:2 先にサウルが王であった時にも、あなたはイスラエルを率いて出入りされました。そしてあなたの神、主はあなたに『あなたはわが民イスラエルを牧する者となり、わが民イスラエルの君となるであろう』と言われました」。
11:3 このようにイスラエルの長老が皆ヘブロンにいる王のもとに来たので、ダビデはヘブロンで主の前に彼らと契約を結んだ。そして彼らは、サムエルによって語られた主の言葉に従ってダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。

彼が王となった成り立ちは、自分のはかりごとや力に一切依らず、ただ、主の約束を信じて待つ姿勢を貫いた結果、「半自動的に」王とされた。
「自動」ではなく「半自動」である。
ダビデが自ら積極的に行動した事といえば、サウルが死んだ時、ペリシテの地からヘブロンへと移った事くらいで、それについても主に御心を伺い、主のゴーサインがあってから行動した。
サウルが死んだ時、彼はさっさとイスラエルに入って王を名乗る事をせず、サウルの死に対して「追悼の意」を内外に表明し、哀歌をつくった。
ヤベシ・ギレアデの人々がサウル家にした忠誠の行為が伝えられた時、それに対する賞賛の見解を「表明」する事も、忘れなかった。

サウル家の事実上の支配者であり将軍であるアブネルを、ダビデの部下のヨアブが卑劣な手で殺害した時、自分は一切関わりが無かった事を表明し、卑劣な手を用いたヨアブへの非難をし、アブネルのために追悼の歌を作り、人々に歌わせたばかりでなく、断食して悲しんだ。
サウル王家の生き残りであるイシュ・ボシェテが、不当な者の手によって殺害された事に対しても、『彼らを殺し、その手足を切り離し、ヘブロンの池のほとりで木に掛けた。人々はイシボセテの首を持って行って、ヘブロンにあるアブネルの墓に葬った。』(2サムエル記4:12)
ダビデは、アブネルにしたのと同じく、イシボセテをヘブロンに葬って敬意を表し、ここにおいても、神と人との前に義と平和を表明した。

このように、ダビデは王になろうとして自分から進んで行動する事は一切なく、ただ、ダビデが計り知れぬ所で、周りの状況が自動的に動いて行くのだが、その、動いた状況に対してダビデは何らかの表明をする、という事を繰り返して行く内に、「半自動的」に、彼は王となって行った。
祝福は「自動」ではない。私達も、何か物事が起きるならば、それに対し、言葉でもって、内外にいのちの立場に立った「表明」をして行かなくてはならないのだ。

ダビデがイスラエルの王になった出来事は、イスラエルの歴史でも重要な出来事、だが、もう一つの重要な出来事は、エルサレムという都にダビデが入り、そこをイスラエルの王の町とした事である。

11:4 ダビデとすべてのイスラエルはエルサレムへ行った。エルサレムはすなわちエブスであって、そこにはその地の住民であるエブスびとがいた。

ダビデが入る前、エルサレムは「エブス」という町で、エブス人が住んでいた。
ヨシュアの時代、そこはベニヤミン族のものとして割り当てられていたが(ヨシュア18:21-28)、ベニヤミン人はそこを自分のものとせず、ずっと放置してエブスが住むままにしていた。

この都の成り立ちは、私達・キリスト者の成り立ちと、よく共通している。

エルサレムが最初に聖書に登場するのはアブラハムの時代である。
『その時、「サレム(平和)」の王メルキゼデク(義の王)はパンとぶどう酒とを持ってきた。彼はいと高き神の祭司である。彼はアブラムを祝福して言った・・・。』(創世記14:18-20)
この「サレム」が、エルサレムの初期の名である。
そして、そこを支配していた王は、あのアブラハムを祝福した偉大な祭司・義の王であるメルキゼデクだった。
しかし、いつしかエブスという邪悪なカナン人が、この都を占拠し、支配するようになってしまった。

「エブス」の名の意味は「踏み潰す」、「エルサレム」の名の意味は「平和という土台」である。
元々は義の王が支配していた「平和の土台」という都は、やがて、「踏み潰す」者たちに占拠されてしまった。

人もまた、元々は神の似姿として創造され、永遠に、神と共に平和に生きるはずだったが、人はいつしか、邪悪な者に踏みにじられてしまった。
人を不当に踏みにじった者はサタンである。それ以来、人の内側は不法で満ち溢れ、罪によって占拠されてしまった。

時代が降り、ヨシュアの時代、「エブス」となっていたエルサレムの町は、ヨシュアのくじによって、ベニヤミンの地とされたが、ベニヤミン族はその町をずっと放置したままにした。
一時、ユダ族がその町を攻め取ったものの(士師記1:8)、その後もエブス人が住み続けていた、という事は、ベニヤミンはせっかく邪悪な者どもをユダ族に追い払ってもらったのに、そこを神の民で満たす事をせず、空き家のままに放置したのだろう。
それで再びエブス人が来て住むようになって、以前よりももっと攻め落としづらくなってしまった。

同じように、悪しきものが追い出されても、そこを良きもので満たしていないなら、後に、もっとたちの悪い七つの悪霊が来て住みつくようになってしまい、以前よりももっと悪い状態になってしまうのだ。(マタイ12:43-45)

この、長らく続いた邪悪な者による占拠状態から、ようやくエルサレムを救ったのが、ダビデだった。

11:5 エブスの住民はダビデに言った、「あなたはここにはいってはならない」。しかし、ダビデはシオンの要害を取った。これがすなわちダビデの町である。
11:6 この時ダビデは言った、「だれでも第一にエブスびとを撃つ者を、かしらとし、将とする」。ゼルヤの子ヨアブが第一にのぼっていったので、かしらとなった。
11:7 そしてダビデがその要害に住んだので人々はこれをダビデの町と名づけた。
11:8 ダビデはまたその町の周囲すなわちミロから四方に石がきを築き、ヨアブは町のほかの部分を繕った。

偉大な王・ダビデがエルサレムに介入して入り、邪悪な者達をなぎ払い、神の民が住む都とした。
こうしてこの都は、偉大な王・ダビデが名を置く所となり、さらに強固に建て直され、やがては、聖なる神殿がその中に構築されて行く。

私達キリスト者も、同じ事を経験している。
罪の奴隷状態として、邪悪な感情や思いの占拠状態であったこの心と身体に、まことのダビデであるイエス様が介入して入って来られ、罪や汚れをなぎ払い、神のものとして、私達を邪悪な者サタンから分捕り返して下さった。
さらには、私達を聖霊の住まわれる宮とされ、偉大な王・イエス・キリストが住まわれる「神殿」とされた。
『あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。』(1コリント3:16)

エルサレムは今なお、不純なものが混在している状態であるが、将来、主の時に必ず完全で純粋なものへとつくり変えられる。
『また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。』(黙示録21:2)
その時、エルサレムは完全で清いものとなり、キリストの花嫁として、永遠にキリストのものとされる。

エルサレムがまだその途上であるように、今、私達も完成される途上にある。
私達のこの肢体には、相変わらず罪と義が混在状態になっていて、この身体を着ている間、しばし、うめかなくてはならないが、しかし私達がまことのダビデであるキリストを王として迎え入れる時、私達はこの地上の束縛から解放され、天に属するものとして、聖なる栄光の歩みをして行く事が出来、そして、来るべきキリストの花嫁として、ますます整えられて行くのである。

イザヤ書 講解説教メッセージ
「ヘプシバー(わが喜びは彼女にあり)」かつ「ビュラー(主人に所有された者)」:(イザヤ62:1-5)
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主に従わない者に振りかかる呪いのケーススタディ:サウル(1歴代誌10:1-14)
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歴代誌は10章以降、人の名前の羅列という形での「系図」は終わり、イスラエルの歴代の王の歴史となって行く。

歴代誌だけを読む人にとっては、10章で唐突に舞台もストーリーも変わるので、驚くかもしれないが、結局、歴代誌全体の根底は「系図」である。
人が生まれ、その人生の中で主に対して何かしらの事を為し、やがて死んで、その子どもたちが主に対し何かしらの事をして行く。
10章以降も、その繰り返しである事には変わりはなく、主に対して誠実に歩んだ人は祝福を受け継ぎ、不誠実に歩んだ人は呪われる所に、例外は一切無い。
神の民の「系図」は今なお続いており、それは現代の私達も、その中に含まれている。
歴代誌はヘブライ語ではディブレー・ハッヤーミーム、「日々の出来事」ユダヤ人の「日々の出来事」であると同時に、私達にも「日々の出来事」なのだ。

この10章は、主に対して不誠実に歩んだ一人の男・サウルの、呪われた最後が記されおり、ダビデ家へと王権が移っていく事の前奏が記されている。

10:1 さてペリシテびとはイスラエルと戦ったが、イスラエルの人々がペリシテびとの前から逃げ、ギルボア山で殺されて倒れたので、
10:2 ペリシテびとはサウルとその子たちのあとを追い、サウルの子ヨナタン、アビナダブおよびマルキシュアを殺した。

9章最後に、サウルへと続くベニヤミンの系図があったが、そのサウルの子たちのうち、エシュ・バアル(サムエル記:イシュ・ボシェテ)以外は、全て殺されてしまった。
そのイシュ・ボシェテも、ダビデのご機嫌伺いをしようとする者達の手によって殺されてしまう。
それは、サウルは主を捨てて悪を行ったからである。
申命記28:20 主は、あなたのなすすべての手のわざに、のろいと恐慌と懲らしめとを送り、ついにあなたは根絶やしにされて、すみやかに滅びてしまう。これはわたしを捨てて、あなたが悪を行なったからである。

10:3 戦いは激しくサウルにおし迫り、射手の者どもがついにサウルを見つけたので、彼は射手の者どもに傷を負わされた。
10:4 そこでサウルはその武器を執る者に言った、「つるぎを抜き、それをもってわたしを刺せ。さもないと、これらの割礼なき者が来て、わたしをはずかしめるであろう」。しかしその武器を執る者がいたく恐れて聞きいれなかったので、サウルはつるぎをとってその上に伏した。
10:5 武器を執る者はサウルの死んだのを見て、自分もまたつるぎの上に伏して死んだ。
10:6 こうしてサウルと三人の子らおよびその家族は皆ともに死んだ。

サウルの最後は、矢傷を受けて敵が迫っているのに、介錯をしてもらえず、やむなく、自ら自害するというものだった。

なお、第二サムエル記1章には、サウルは最後の最後、まだ息があるのにひどいけいれんが起こったため、そばにいたアマレクの若者にとどめを刺してもらった、というアマレク人の証言がある。
自刃してもなお死にきれず、最後にアマレク人に止めを刺されたのか、それとも、アマレク人は褒美欲しさに「自分がとどめを刺した」とうそぶいたのか、定かではないが、いずれにせよ、アマレク人がサウルの死に関わったのは確かである。
サウルの死後、彼の王冠と腕輪はアマレク人に盗まれ、ダビデへと渡されてしまった。(2サムエル記1:10)
サウルは、聖絶せよと言われたアマレクを聖絶せずにいて、そのアマレクによって王冠が奪われ、そえれはダビデへと手渡される。実に象徴的だ。

10:7 谷にいたイスラエルの人々は皆彼らの逃げるのを見、またサウルとその子らの死んだのを見て、町々をすてて逃げたので、ペリシテびとが来てそのうちに住んだ。

サウルの周りからは、人々は逃げ離れて行ったが、それは彼から主の御手が離れたからであり、そなったのは、彼自身が主と主の言葉から離れたからだ。
彼は普段から主からの「方向修正せよ」というサインを、ことごとく無視し続けた。彼は預言者を退け、祭司を虐殺し、油注がれたダビデをも殺そうと執拗に追いかけ、ついには預言者にも祭司からも、油注がれた者からもそっぽ向かれ、そして最後には、主が忌み嫌われる口寄せに頼るという、信仰とは程遠い歩みをして、それを止めなかった。
結局彼は、長い信仰生活の間、「主により頼む」という信仰を育まず、ついには、与えられていた長い憐れみの期間を使い尽くしてしまい、リミットが来て、このような悲惨な最後になってしまったのだ。

10:8 あくる日ペリシテびとは殺された者から、はぎ取るために来て、サウルとその子らのギルボア山に倒れているのを見、
10:9 サウルをはいでその首と、よろいかぶとを取り、ペリシテびとの国の四方に人をつかわして、この良き知らせをその偶像と民に告げさせた。
10:10 そしてサウルのよろいかぶとを彼らの神の家に置き、首をダゴンの神殿にくぎづけにした。
10:11 しかしヤベシ・ギレアデの人々は皆ペリシテびとがサウルにしたことを聞いたので、
10:12 勇士たちが皆立ち上がり、サウルのからだとその子らのからだをとって、これをヤベシに持って来て、ヤベシのかしの木の下にその骨を葬り、七日の間、断食した。

ヤベシ・ギレアデは、サウルがまだ若かりし頃、王になった当初、サウルに救ってもらった町である。(1サムエル記11章)
サウルは、最初の信仰の行い故に、そのささやかな報いを受ける事ができた。

10:13 こうしてサウルは主にむかって犯した(ベマーアロ アシェル マーアル)罪のために死んだ。すなわち彼は主の言葉を守らず、また口寄せに問うことをして、
主に問うことをしなかった(リドローシュ・ヴェロ・ダラシュ)。それで主は彼を殺し、その国を移してエッサイの子ダビデに与えられた。

「マアール」と「ダラシュ」がここで繰り返されているが、マーアルは不信の罪、裏切る、不誠実の意味であり、ダラシュは求める・探す・通い続ける事である。
彼は主に信頼せず、主対し不誠実を続け、すなわち、主を裏切った。
そして彼は主を求めず、探さず、通い続けず、かえって、口寄せに解決を探し求めた。
そのように、主に対して不誠実を続けに続けた故、彼は、王から退けられてしまった。

箴言17:11 悪しき者はただ、そむく事のみを求める、それゆえ、彼に向かっては残忍な使者がつかわされる。

私達はこの書から、二通りの道を見る。
優れた王となって行くダビデの道と、御声に従わずに身勝手な自分の道を貫こうとしたサウルの道を。
この章は、身勝手な道を選んだ王の、悲惨な結末で締めくくられている。私達はここから戒めを受け、失敗の道を歩まず、ダビデのように優れた「王」となるろうと務めるべきだ。

御国の系図へと入れられる事を求めつつ読むべき歴代誌の系図(1歴代誌9:1-44)
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9章は、バビロン捕囚後の各部族、特に祭司・レビ族の主だった人々の系図が簡潔に記され、そうして10章以降のイスラエルの王族の歴史へ、すなわち、サウルから始まり、ダビデとその子孫のバビロン捕囚に至るまでの歴史へと続いていく。
9:1は、それを簡潔に記している。

9:1 このようにすべてのイスラエルびとは系図によって数えられた。これらはイスラエルの列王紀にしるされている。ユダはその不信のゆえにバビロンに捕囚となった。
バビロン捕囚後、神の定められた約束の地へ帰還した人達は、少数であった。
70年も異邦の地におり、異邦の価値観、異邦の娯楽に染まった人達はそれぞれの場所に埋まってしまうものだが、その70年の中でも、自分のアイデンティティ、すなわち、神の国の者としてのアイデンティティを保っていた人達が、なお存在した。
その人達は第一に、祭司やレビ人の、御国の奉仕をしていた人達である。

9:2 その領地の町々に最初に住んだものはイスラエルびと、祭司、レビびとおよび宮に仕えるしもべたちであった。

そして、いわゆる一般信徒もエルサレムに戻ってきた。
それは、ユダ族、ベニヤミン族、エフライム族とマナセ族である。
その主だった人の簡潔な系図が3節から9節に記されている。
また、10節から13節には、捕囚から帰ってきた、神殿奉仕をする祭司の、簡潔な系図が記されている。
14節から16節にはレビ人の奉仕者の簡潔な系図が記され、17節以降、ダビデとサムエルが定めた神殿奉仕者の職責が記されている。(9:22)

9:17 門を守るものはシャルム、アックブ、タルモン、アヒマンおよびその兄弟たちで、シャルムはその長であった。
9:18 彼は今日まで東の方にある王の門を守っている。これらはレビの子孫で営の門を守る者である。

門衛や監守人は、聖なる場所を守る者である。
現在で言う警備員であるが、これが重要な奉仕として真っ先に記されているのは、私達もその価値観によって生きるためである。
私たちという生ける神の宮(2コリント6:16)もまた、門をしっかり守るべきである。すなわち、目、耳、口という門を。
世の汚れた価値観によって汚されないようにするために、出入りすることばや情報には常に注意を配るべきなのだ。
バビロン捕囚から帰ってきた彼らは、しっかりガードしてきよい価値観を保ったから、神の定められた相続地に住む幸いにあずかる事が出来た。私達も、しっかりガードするなら、御国の相続地にあずかる事が出来るのだ。

24節以降を見ると、本当に色々な奉仕があった事が分かる。
神殿の財を守る者、門の鍵をもって朝ごとの開け閉めをする者、器物の数を調べて出し入れする者、主への捧げものを管理する者、香料を調合したり、主に捧げるパンを造ったりつかさどったりする者など。

9:33 レビびとの氏族の長であるこれらの者は歌うたう者であって、宮のもろもろの室に住み、ほかの務はしなかった。彼らは日夜自分の務に従ったからである。

私達も現在、主のために諸々の奉仕があるが、それを単なる「作業」としてでなく、永遠のいのちの書に記される尊い奉仕として、日夜、主にお捧げするべきである。

9:35 ギベオンの父エヒエルはギベオンに住んでいた。その妻の名はマアカといった。

35節から44節は、ベニヤミン族の系図となり、8:29-38と重複する内容となる。

それは10章以降、列王記のように、再びイスラエルの王族の歴史となり、それは初代の王、ベニヤミン族のサウルから始まるからであろう。

歴代誌の系図と歴史、それは現代の私達には関係ないと思われがちだが、決してそうではない。
私達も御国の系図へ、いのちの書に名が書き記され、私達がイエス様にあって為したわざが書き記されるために、日々、天の御国を求め、勝ち取っていくよう努力して行くべきであり、この御国の系図の中に入れられる事を、私達も積極的に求めていくべきなのだ。

マタイ11:12 バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。

イザヤ書 講解説教メッセージ
主に祝福された子孫であるとして周りから羨ましがられる人になるには(イザヤ61:4-11)
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ベニヤミン族の系図 - 必ず報われる誠実な者(1歴代誌8:1-40)
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歴代誌の系図で一番の主人公は王族のユダ族、その次に祭司系のレビ族であるが、その次にあたるのは、ベニヤミン族と言える。

8:1 ベニヤミンの生んだ者は長子はベラ、その次はアシベル、第三はアハラ、
8:2 第四はノハ、第五はラパ。

8章は、ベニヤミン族の系図である。
ベニヤミン族はイスラエルの末っ子であるがその子孫は戦いに長けた者が多い。
しかし士師記の時代、ベニヤミン族はその力に傲慢になったのか、ソドムにも劣るような性的にも道徳的にも堕落した者となってしまった記事が、士師記19章以降に記されている。
この堕落してしまったベニヤミン族を取り締まるために他の11部族は戦いを仕掛けるが、イスラエルのほうは甚大な被害を受けながらも、真剣に主の前にへりくだった時にようやく勝利した。
ベニヤミン族のほうは、生き残った男子600人以外は皆殺しにされ、さらに他の11部族はベニヤミン族には娘はめとらせないと誓ってしまい、一時期はベニヤミン族は滅亡の危機に陥ってしまったが、主の憐れみによってなんとか持ち直した。
それら一連の事は、歴代誌には記されていないが、しかしサウル王の時代に至るまでの系図が、いくつかの挿話と共に記されている。

8:33 ネルはキシを生み、キシはサウルを生み、サウルはヨナタン、マルキシュア、アビナダブ、エシバアルを生んだ。

サムエルの時代、人々は主の御心に逆らって王を求め、主は彼らの望み通りに王をたてた。それがサウルである。
サウルの名は「尋ねられる」「面会を求められる」という意味である。
彼は「若くて麗しく、イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はなく、民のだれよりも肩から上、背が高」かった。(1サムエル記9:1)
そればかりでなく、裕福な家出身であり、場の空気をよく読む、思いやりのある人だった。
まさに、人々から「求められる」という名前の通りの者であった。
人を思いやるのは良いことであるが、神よりも人を優先して思いやるとしたら、それは災いの性質であり、それが後の彼にとって罠となってしまう。
彼は二度、主の言葉を覆した行動をした故、彼から王権は取り上げられ、ダビデに移された。

8:34 ヨナタンの子はメリバアルで、メリバアルはミカエルを生んだ。

サウルの子ヨナタンは素晴らしい信仰の持ち主で、ダビデに対しても、そして父に対しても誠実であった。
ただ、滅びの性質を持ったサウルを父に持ってしまった故に、彼は非業の死を遂げた。
ただ、ヨナタンの子メリバアル(サムエル記ではメフィボシェテ)には、ダビデは、ヨナタンのゆえに誠実を尽くした。

サウルには他にも子孫がいたが、サウルが生前した罪のゆえに全員殺されてしまった。
ヨナタンの子メフィボシェテは、その時、うばが彼を抱いて逃げたのだが、逃げる時、彼は落ちて足なえとなってしまったのだった。

ダビデ王の子アブシャロムがダビデ王に反乱を起こし、ダビデ王が都落ちした時、国はダビデにつく者とアブシャロムにつく者とに真っ二つに分かれたが、メフィボシェテはダビデについて行こうとした。
しかし、彼は彼のしもべ・ツィバに陥れられてしまった。ツィバは後にダビデが勢力回復する事を踏んで、この危急の事態を利用し、のし上がろうとしたのだろう。
ダビデはツィバの讒言を真に受けて、メフィボシェテのものはみなあなたのものだ、と、約束してしまった。

しかしアブシャロムが死んだ後、メフィボシェテの真実が発覚する。

『サウルの子メピボセテは下ってきて王を迎えた。彼は王が去った日から安らかに帰る日まで、その足を飾らず、そのひげを整えず、またその着物を洗わなかった。』(2サムエル記19:24)
メフィボシェテは、いつとも知る事の出来ないダビデ達の帰還まで、その足を飾らず(七十人訳による補足:爪も切らず)、ひげも整えず、着物も洗わず、ダビデが苦難を受けている期間、自分自身も、身を悩ませていた。
という事は、彼の爪は、それなりに伸びていただろうし、ひげも、長期間整えていなかった有様であったろうし、着物もそれなりに汚れていた事だろう。
シムイやツィバは、美辞麗句と言葉で下心を隠して来たが、メフィボシェテは、その有様からして、ダビデを心から心配し、帰る日を待ち望んでいた事を、偽りようが無い。

ダビデがアブシャロムに追われエルサレムから落ちのびて行った時、ツィバはメフィボシェテについて偽りの報告をし、ダビデはそれを真に受け、真実を確認しない内に「見よ、メピボセテのものはことごとくあなた(ツィバ)のものです」と約束してしまった。
それ以降、ダビデはずっとメフィボシェテについて、良くない印象を抱き続けて来たのだろう。
メフィボシェテが会いに来た時、ダビデの最初の対応は、そっけなかったが(2サムエル記19:25-27)、ダビデは、彼の伸びた爪、乱雑になったひげ、長期間洗わなかった服を見て、彼の言った事こそ真相だった、と知っただったろう。

『わたしの父の全家はわが主、王の前にはみな死んだ人にすぎないのに、あなたはしもべを、あなたの食卓で食事をする人々のうちに置かれました。わたしになんの権利があって、重ねて王に訴えることができましょう」。』(2サムエル記19:28)
メフィボシェテは、自分のひげや服を見てください、などとアピールする事は一切無かった。
ダビデがそれまで自分に尽くしてくれた真実だけでも十分です、どうして尚、何かを訴える事が出来ましょうか、と、一切の判断をダビデにゆだねている。

『王は彼に言った、「あなたはどうしてなおも自分のことを言うのですか。わたしは決めました(原語:既に言っている)。あなたとヂバとはその土地を分けなさい」。』(2サムエル記19:29)

ダビデは既にツィバに約束してしまった。メフィボシェテのものは、ツィバのものだ、と。
事の真相をダビデが知ってから、それを取り消しができなかったのは、もう既に、その方面で諸々の手続きが進んでしまっていたのかもしれない。

足が不自由で、機敏に動けない事を良いことに、ツィバはメフィボシェテを貶め、騙し取るような事をしたが、それでもメフィボシェテは、一切の文句も無しに言う。
『わが主、王が安らかに家に帰られたのですから、彼にそれをみな取らせてください。』(2サムエル記19:30)

ダビデのエルサレム帰還に際し、色々な人々の思惑が交錯する中、一番真実にダビデを思い、待っていたのは、このメフィボシェテだろう。
彼は、彼のしもべの讒言と、ダビデの早まった決断のゆえに、本来自分のものだったものを、半分取られてしまったが、ダビデは彼を憐れみ、守り続けた。(21:7)

人は不完全である。
偽りを見抜けなかったり、偽りの言葉を鵜呑みにして早まった決断をし、尊いものを卑しい者に騙し取られたり、本当に憐れむべき真実な人をぞんざいに扱ってしまったりもする。
体が不自由であったり、言葉達者でなかったり、世渡り上手でない人が、健康体な人や、言葉達者な人や、世渡り上手な人に、出し抜かれてしまう事が多々あるのが、この世であり、また不完全である故に判断を誤ってしまう事もあるが、主は全てをご存知であり、全ての偽りを見抜き、そのさばきは真実である。

メフィボシェテはこの時、報われなかったかのように見えても、彼の子孫は、ベニヤミン族の中で栄えて行った事が、歴代誌の以下に続く系図から明らかである。

8:34 ヨナタンの子はメリバアルで、メリバアル(メフィボシェテ)はミカエルを生んだ。
8:35 ミカの子らはピトン、メレク、タレア、アハズである。
8:36 アハズはエホアダを生み、エホアダはアレメテ、アズマウテ、ジムリを生み、ジムリはモザを生み、
8:37 モザはビネアを生んだ。ビネアの子はラパ、ラパの子はエレアサ、エレアサの子はアゼルである。
8:38 アゼルには六人の子があり、その名はアズリカム、ボケル、イシマエル、シャリヤ、オバデヤ、ハナンで、皆アゼルの子である。
8:39 その兄弟エセクの子らは、長子はウラム、次はエウシ、第三はエリペレテである。
8:40 ウラムの子らは大勇士で、よく弓を射る者であった。彼は多くの子と孫をもち、百五十人もあった。これらは皆ベニヤミンの子孫である。

そうしてヨナタンの子・メフィボシェテの子たちは増え、栄え、ユダ族とともにイスラエルの中で永らえた。
結局、サウル王家は主に対して不誠実な王として衰退して行ったが、信仰において人に対して誠実だったヨナタン・メフィボシェテの子孫は栄え、彼らゆえに、ベニヤミン族は保たれた。
「柔和な人者は幸いである、その人は地を受け継ぐ」の御言葉の通りである。

その他の諸部族の系図 - 祝福を受け継ぐ人と、吐き出されてしまう人(1歴代誌6:48-81)
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第一歴代誌7章は、その他の部族の簡略化された系図や特記事項が記されている。
7章の系図に記されるのは、大勇士であったり、信仰において積極的に進み出る者であったり、あるいは、一方的に幸いを得たような人達である。

7:1 イッサカルの子らはトラ、プワ、ヤシュブ、シムロムの四人。
7:2 トラの子らはウジ、レパヤ、エリエル、ヤマイ、エブサム、サムエル。これは皆トラの子で、その氏族の長である。その子孫の大勇士たる者はダビデの世にはその数二万二千六百人であった。
7:3 ウジの子はイズラヒヤ、イズラヒヤの子らはミカエル、オバデヤ、ヨエル、イシアの五人で、みな長たる者であった。

このイッサカル族で、特に名が記されたのは、大勇士の長達であり、ダビデの時代にその部族から何人の軍隊を擁したか、その人数が記されている。

7:6 ベニヤミンの子らはベラ、ベケル、エデアエルの三人。
7:7 ベラの子らはエヅボン、ウジ、ウジエル、エレモテ、イリの五人で、皆その氏族の長である。その系図によって数えられた大勇士は二万二千三十四人あった。

ベニヤミン族についても、勇士たちの長の名と数が記されている。
さらにベニヤミン族は8章においてサウルに至る系図が詳細に記される。

7:13 ナフタリの子らはヤハジエル、グニ、エゼル、シャルムで皆ビルハの産んだ子である。

ナフタリ族については、わずかこの1節に記されているのみである。
1節でも記されるなら、まだいいかもしれない。ゼブルン族とダン族は、記載さえされていたいのだから。
なぜある部族は詳細に記されるのに、別の部族は1節しか、あるいは全く記されないのか。

この歴代誌全体を流れるテーマは、捕囚後のイスラエルの民がいかに歩むべきかの指標を示すものであり、そこには祝福と呪いがあり、祝福の元は、神を恐れ、神の宮を敬い、礼拝を重んじる事であるが、呪いの元はその逆、神を恐れず、神の宮を軽んじ、礼拝しない事である。
だから、信仰において大いなる事をした者、神の国に貢献した者は載せられ、あるいはその逆に、特に呪われるべき事をした者もまた、載せられている。
だから、この歴代誌における系図が簡略化されてしまった、あるいは全く載せられないという事は、そのどちらでもない、それらの部族は、熱くもなく冷たくもなく、という事だったのかもしれない。

神の国とは、そういう所である。
熱くもなく冷たくもない者は、吐き出されてしまうのである。(黙示録3:16)

7:14 マナセの子らはそのそばめであるスリヤの女の産んだアスリエル。彼女はまたギレアデの父マキルを産んだ。
7:15 マキルはホパムとシュパムの妹マアカという者を妻にめとった。二番目の子はゼロペハデという。ゼロペハデには女の子だけがあった。

マナセ系図で特記されているゼロペハデの女の子たちは、民数記において信仰ある行動を取った。
ツェロフハデには5人の娘がいたが、男の子がいなかった。それで彼女達は、男性の相続者がいないという事で、相続地がもらえなのではと憂慮し、モーセや祭司達、全会衆を前にして、以下の事を主張したのだ。
「わたしたちの父は荒野で死にました。彼は、コラの仲間となって主に逆らった者どもの仲間のうちには加わりませんでした。彼は自分の罪によって死んだのですが、男の子がありませんでした。男の子がないからといって、どうしてわたしたちの父の名がその氏族のうちから削られなければならないのでしょうか。わたしたちの父の兄弟と同じように、わたしたちにも所有地を与えてください。」(民数記27:3-4)

主は、彼女たちの訴えを「もっとも」とされた。なぜなら彼女たちの主張は、御言葉に叶っているからである。(申命記25:6)
主は、御言葉に叶った訴えは、正面から受け止めてくださる。

彼女たちのようなケースは、イスラエルの中には他に多くあっただろう。五人の子供がいる家庭で、五人全員が女の子である確率は、三十二の家庭に一つある。
イスラエルの六十万もの家庭の中で、女の子供しか生まれなかった家庭は、かなりの数あっただろうが、このツェロフハデと娘たちの名が、永遠の書物・聖書に記されたのは、彼女たちは信仰を持って進み出て、主に期待したからであり、その他多くは、期待もせず、勇気をもって訴え出もしなかったのだ。

マタイ11:12 バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。
天の御国は、積極的に奪い取る者のものとなる。だから、「主から頂けない」などと言って泣き寝入りしてはならない。
主はどうせ聞いて下さらない、主は蒔かない所から刈り取りをなさる方だなどと、ねじ曲がった神観を持ってはならない。
期待しない事、ねじまがった神観を持つ事は、罪であり、主はそのような人の持っているものを取り上げ、信仰をもって進み出る人に与えられる。(マタイ25:14-30)

7:20 エフライムの子はシュテラ、その子はベレデ、その子はタハテ、その子はエラダ、その子はタハテ、
7:21 その子はザバデ、その子はシュテラである。エゼルとエレアデはガテの土人らに殺された。これは彼らが下って行ってその家畜を奪おうとしたからである。
7:22 父エフライムが日久しくこのために悲しんだので、その兄弟たちが来て彼を慰めた。
7:23 そののち、エフライムは妻のところにはいった。妻ははらんで男の子を産み、その名をベリアと名づけた。その家に災があったからである。

ベリアは、災の中、という意味がある。
エフライムが悲しみと災の中で生まれた子供をそのように名付けたが、祈りと愛情の中育まれた子は、その子孫に、あの信仰の大勇士、ヌンの子ヨシュアが生まれている。(27節)

7:30 アセルの子らはイムナ、イシワ、エスイ、ベリアおよびその姉妹セラ。
7:31 ベリアの子らはヘベルとマルキエル。マルキエルはビルザヒテの父である。
・・・
7:40 これらは皆アセルの子孫であって、その氏族の長、えりぬきの大勇士、つかさたちのかしらであった。その系図によって数えられた者で、いくさに出てよく戦う者の数は二万六千人であった。

アシェルの名の意味は「幸せ」であり、モーセから最大の祝福を受けている。

申命記33:24 アセルについては言った、/「アセルは他の子らにまさって祝福される。彼はその兄弟たちに愛せられ、/その足を油にひたすことができるように。
33:25 あなたの貫の木は鉄と青銅、/あなたの力はあなたの年と共に続くであろう」。

アシェルは兄弟の喜びとなる。アシェルに会うと、兄弟たちが幸せになり、アシェルが来ると、色々ことがうまくすすむ。
だから、アシェルは幸せになっても、妬みを受けない。
「その足を油にひたすことができるように」これは、物質の祝福である。
カルメル山の後ろの地、レバノンの国境が見える平野で、彼が足踏んだ所全部、油が滴っていた。まさに財の祝福を受けたのだ。
「あなたの貫の木は鉄と青銅」すなわち主がアシェルのかんぬきとなっておられ、彼を害する者は誰も入ってこれない。
「あなたの力はあなたの年と共に続くであろう」、すなわち生涯の間、神の力、神の奇跡が、つきものである。

このアシェルの幸いを手に入れるためのコツが、詩篇1篇である。
詩篇1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人は「さいわい(アシェル)」である。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。

すなわち、「歩まず」「たたず」「座らない」という、3つの「しない」を旨とする人、そして、主の御言葉を昼も夜も口ずさむ人が、アシェルの幸いに入る。

歴代誌7章には、大勇士であったり、信仰において積極的に進み出る者であったり、あるいは、一方的に幸いを得たような人達が、系図に名が記された。
しかし、熱くもなく冷たくもない者は、吐き出されてしまうのである。(黙示録3:16)
私達は、神に対し、御国に対し、御言葉に対して熱く、そして、罪に対し、サタンに対し、悪霊に対しては徹底的に冷たい者であるべきだ。

ヨシュアのように、ツェロフハデの娘達のように、積極的に神の国を勝ち取り、アシェルのように祝福を勝ち取る皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

レビ人に対する割り当ての放牧地群が系図に挿入された理由(1歴代誌6:48-81)
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本日の箇所が、歴代誌系図の他の箇所と違う所は、レビ族に割り当てられた放牧地のリストによって結構な紙面が割かれている所である。
その放牧地の内訳は、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエル全土から、まんべんなく、である。
なぜ、系図ではなくレビ族に与えられた土地のリストが唐突に挿入されているのか。
それは、バビロン捕囚を経験して戻ってきたイスラエルにおいて、霊的に重要な意味を持つからである。

6:48 彼らの兄弟であるレビびとたちは、神の宮の幕屋のもろもろの務に任じられた。
6:49 アロンとその子らは燔祭の壇と香の祭壇の上にささげることをなし、また至聖所のすべてのわざをなし、かつイスラエルのためにあがないをなした。すべて神のしもべモーセの命じたとおりである。

アロンの子孫は祭司の一族として、そしてレビ族はそのサポートとして、イスラエル12部族の中で重要な役割を担っている。
特にアロン直系の大祭司の家系は、至聖所における全イスラエルの贖いのつとめを担っている。
彼らは世の仕事をする事なく、もっぱら神の宮における奉仕が、神によって割り当てられている。

6:50 アロンの子孫は次のとおりである。アロンの子はエレアザル、その子はピネハス、その子はアビシュア、
6:51 その子はブッキ、その子はウジ、その子はゼラヒヤ、
6:52 その子はメラヨテ、その子はアマリヤ、その子はアヒトブ、
6:53 その子はザドク、その子はアヒマアズである。

再びアロンの子孫が、ここに簡潔に記されている。
それはツァドクへ至る系図であり、サムエルの時代に罪を犯したホフニやピネハス、その父のエリの系図ではない。彼らは捧げものの事で罪を犯したため、除外されている。

6:54 アロンの子孫の住む所はその境のうちにある宿営によっていえば次のとおりである。まずコハテびとの氏族がくじによって得たところ、
6:55 すなわち彼らが与えられたところは、ユダの地にあるヘブロンとその周囲の放牧地である。
6:56 ただし、その町の田畑とその村々は、エフンネの子カレブに与えられた。

ヨシュア記に、カレブがヘブロンの山地を45年もあこがれて遂に彼が85歳の時に巨人たちを打ち負かして勝ち取った記事が記されている。
ヘブロンは彼らの先祖アブラハムゆかりの特別な地である。
そこの放牧地がアロンの子孫に割り当てられた。

6:57 そしてアロンの子孫に与えられたものは、のがれの町であるヘブロンおよびリブナとその放牧地、ヤッテルおよびエシテモアとその放牧地、
6:58 ヒレンとその放牧地、デビルとその放牧地、
6:59 アシャンとその放牧地、ベテシメシとその放牧地である。
6:60 またベニヤミンの部族のうちからはゲバとその放牧地、アレメテとその放牧地、アナトテとその放牧地を与えられた。彼らの町は、すべてその氏族のうちに十三あった。

以降、記されている事は、レビ族のそれぞれの子孫に対し、イスラエル12部族から、全国各地からまんべんなく放牧地が割り当てられられている事である。
レビ人が住むための町を、それぞれの部族が提供しなくてはならない事は、民数記35章に定められている。
大きい部族も、小さい部族も、必ず主の奉仕者に捧げるべきであると主は命じており、それは、富めるも貧しきも、必ず、罪のためのいけにえを捧げなくてはならないのと同じである。

レビ族には「相続地」ではなく「割り当て地」が、それも、「農地」ではなく「放牧地」が割り当てられている点に着目すべきである。
彼らは、世の仕事をするのではなく、もっぱら神の宮に関する奉仕をするよう定められており、他のイスラエルの部族が祭司やレビ族を通して主に捧げられる捧げものによって、彼らの生活は成り立っているからだ。

なぜわざわざ系図の記されている中に、レビ人への割り当て地が、詳細に挿入されたのか。
それは、レビ人や祭司は、100%、一般の会衆が主に捧げる捧げ物によって、生活が成り立っており、もし、民が捧げる事を止めてしまうと、レビ人達は主の宮を手放して、自分達の農地に逃げるしかなくなり、神の宮はおろそかにされ、民全体が祝福を受けられなくなってしまう。

ネヘミヤ記13:10 わたしはまたレビびとがその受くべき分を与えられていなかったことを知った。これがためにその務をなすレビびとおよび歌うたう者たちは、おのおの自分の畑に逃げ帰った。
13:11 それでわたしはつかさたちを責めて言った、「なぜ神の宮を捨てさせたのか」。そしてレビびとを招き集めて、その持ち場に復帰させた。
13:12 そこでユダの人々は皆、穀物、ぶどう酒、油の十分の一を倉に携えてきた。

バビロン捕囚から帰ってきた後の時代を生きたネヘミヤは、レビ人がなおざりにされて、「畑」に逃げ帰って、レビ人が世の仕事をしている事を重く受け止め、人々に叱咤し、レビ人に元の奉仕に戻らせた。
これは、現代を生きる私達に重要な示唆を示している。

日本のクリスチャンは、どういうわけか献金をタブー視し、牧師先生の中でも、世の仕事をしなくては生活が成り立たない人も多い。
また、牧師先生の中にも、献金はしなくてもいいんですよ、と、変に気を遣ってしまっている人もいるが、とんでもない。
献金は、人や組織を存続させるカンパではなく、神への捧げものである。
捧げる人には、幸いと祝福が増し加わり、捧げない人は、わずかな刈り取りしか出来ない事は、昔も今も変わりないのだ。
かつてイスラエルは、捧げものをおろそかにし、祭司やレビ人など主の働き人が世の仕事へ逃げてしまい、礼拝が衰退し、国全体が呪いの道へ突き進んで行ってしまったが、現代の私達はそれを戒めとして受け止め、主への捧げものと、主の働き人を助ける事をやめてはならない。

マラキ3:8 人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。
3:9 あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。
3:10 わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。
3:11 わたしは食い滅ぼす者を、あなたがたのためにおさえて、あなたがたの地の産物を、滅ぼさないようにしよう。また、あなたがたのぶどうの木が、その熟する前に、その実を畑に落すことのないようにしようと、万軍の主は言われる。
3:12 こうして万国の人は、あなたがたを祝福された者ととなえるであろう。あなたがたは楽しい地となるからであると、万軍の主は言われる。
 

イザヤ書 講解説教メッセージ
悲しみの代わりに喜びが実る主に植えられた枝(イザヤ61:1-3)
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