• カテゴリ 講解説教(旧約) の最新配信
  • RSS
  • RDF
  • ATOM

メッセージ - 講解説教(旧約)カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:救いの箱舟(創世記6:9-16):右クリックで保存
韓国語通訳有

神は罪深い人間に対して憐れみを示され、人間が悔い改めて、義に立ち返るのを、実に何千年も忍耐して待っておられたが、地は暴虐で満ち、全て肉なるものは、その道を乱し(12節)、ついに、ノアとその家族以外は全て、神の前に堕落してしまった。
それ故、神はこの不信心な世代を滅ぼす事にされた。
神の子達と人とが結婚し、在るべき道を乱す時、いよいよ滅びが近いのである。

「神は昔の人々を容赦しないで、不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち八人を保護なさったのです。」(2ペテロ2:5)
ノアたちは3人の子を産んで後、神から箱舟を造るよう指示され、およそ100年の間、人々に義を説いて来たが、結局、箱舟を通して救われたのは、ノアの家族だけだった。
ノアの家族が宣べ伝えても、誰も立ち返る者はいなかった、という事である。

「あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタール(油)を塗りなさい。」(14節)
この箱舟は、私達の救いを予表している。
ゴフェルの木は、油分の多い木で、油は聖霊を表し、また、木は十字架を表す。
箱舟には部屋がたくさんあり、部屋の内も外も、木のやに(油)が塗られている。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(ヨハネ14:1-3)

ノアがゴフェルの木で箱舟を造り、その中に部屋を沢山用意し、ノアが動物たちをそこへ導いたように、主も、十字架の木によって天において私達が住むべき場所を沢山用意して下さり、主が私達をそこへ導いて下さるのである。
そして、ノアの時代は箱舟にしか救いはなかったように、今、救いは主イエスキリストにしかないのだ。

「箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。」(16節)

この救いの箱舟の中には、窓は上にしか向けられていない。
救いに入れられた私たちが見るべきは、滅びゆく世界ではなく、横にいる人間の罪ではなく、ただ天のみを見るべきであり、この天窓から、主のあらゆる恵みと祝福が注がれていくのである。

また、船は三階構成で、三位一体の神から、それぞれ救いの門が開かれているのである。
この門は、ノアが宣べ伝えている間は、いつでも開かれていたが、ある日ある時ある時間になると、神が自らその扉を閉め(7:16)、そうなってしまったらもはや、誰も救いには入れないのだ。

礼拝説教メッセージ音声:神の後悔(創世記6:1-8):右クリックで保存
韓国語通訳有

神は、人が罪を犯したらすぐに滅ぼすことはせず、戒めと憐れみを与え、人が悔い改める事を意思によって選択し、行動するのを待っておられる。
しかしカインの子孫は、その憐れみの機会を悔い改めには用いず、やられたら何倍にもして仕返しするという価値観の元、結束して暴虐の子孫を増やして行くだけだった。

この時代、主の御名を呼び求めるセツの子孫も増え広がっていったが、「神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。」(2節)
「神の子ら」という言葉は、御使いを指して言う事もあるし、神に従う者たちを指して言う事もあるが、一つ、ここから分かる事は、私達キリスト者を含む「神の子ら」が、人の娘が美しいからと好き勝手に選んで妻にしてしまうと、良くない事が起こる、という事だ。
その結果、神の霊はその人にはとどまらなくなり、単に肉に過ぎなくなくなり、齢も縮められてしまう。(3節)

神の子が、人の娘と結婚した結果、生まれるのは、ネフィリムという巨人、力強い勇士、名のあるものである。
人の価値観では、より強い、よい大きい、より名のある、より美しいのは、望ましい事であるが、神から離れたそのような価値観において、それらを追求する結果、引き起こされるのは、人の悪が増大する事、人の心に思い量る事はいつも悪いことに傾く事である。
その結果、この世代はノア以外は神の目に適わぬほどにまで、全員が堕落してしまった。

神は地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。(6節)
『主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」』(7節)
せっかく自らの手で造った人なのに、神はなぜ、人を創造した事を後悔し、拭い去ろうと言うまでになってしまったのだろうか。

もし皆さんの顔写真が悪用され、皆さんの顔によって暴力や不品行が行われているコラージュ画像や動画などが大量に出回ったとしたら、そんな画像や動画を直視していられるだろうか。
神は人を創造された時、神に似るように、神のかたちに創造され、天地万物の全てが整って、その中にご自身の似姿である人間が収まった時、はなはだ良かった、と喜ばれた。
その、神の似姿として、良い行いをするために造られたはずの人が、暴力や不品行に満ち、創造された良き物を破壊し始める事は、神にとってどれほど残念で悲しむべき事だったろう。

「しかし、ノアは主の好意を得た。」(8節)
全被造物は、ノアの故に、滅ぼし尽くされなかった、と言っても過言ではない。
もし一人の義人が、その町に、その国に、その世界、その宇宙に一人でもいるなら、神はそれを滅ぼすことを、なさらない。

ノアの名前は慰め、新しい希望という意味である。
ノアがその世界にとって慰めとなり、滅ぼさない事の原因となったように、私達も信仰によって、その地域、その国にとって慰めとなれるし、新しい希望となる事が出来るのだ。
ノアが信仰によって、古い世界から新しい世界へと生きのびたように、私達も、信仰によって来るべき世へと移行して、御国を継ぐ事が出来るのである。

礼拝説教メッセージ音声:系図に秘められた福音(創世記5:1-32):右クリックで保存
韓国語通訳有

創世記5章は、アダムの子セツ以降、人類が一旦滅びるノアの時代までの系図である。
人名にはそれぞれ意味があるが、面白い事に、アダム系図の名前の意味を順に列挙して行くと、ある意味が浮かび上がって来る。

アダムは「人、土」という意味があり、セツは「約束の、授けられた、定着した」という意味で、エノシュは「脆い、致命的、悲惨」、ケナンは「悲しみ、哀歌」、
マハラルエルはマハラル「祝福」とエル「神」の合成で、「祝福の神」という意味、エレデは「降りてくる」、エノクは「教える、始まる、ささげる」、
メトシェラは「彼が死ぬ時、何かが起きる」、レメクは「嘆き、悲しみ」、ノアは「慰め、新しい希望」という意味である。
これらの名前をつなげると、次のようになる。

「人は、定着した(約束された)。脆さ、致命的、悲惨、悲しみが。祝福の神は、降りてきて、捧げた(教えた)。彼が死ぬ時、次の事が起きた。嘆き悲しみは、慰められた(新しい希望となった。)。」

これは、キリストを如実に表していないだろうか。
系図の中には他にも、福音がちりばめられているのを見る。

「エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。・・・エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。」(創世記5:22-24)
エノクは信仰によって神と共に歩み、死を経験しないよう天に移された(ヘブル11:5)が、エノクは、信仰によって永遠の死から免れる、現代の私達の雛形である。

また、エノクはカイン系列の不信心な者たちに預言した。
『アダムから数えて七代目に当たるエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られる。それは、すべての人を裁くため、また不信心な生き方をした者たちのすべての不信心な行い、および、不信心な罪人が主に対して口にしたすべての暴言について皆を責めるためである。」』(ユダ14,15節)

彼は、邪悪な世代に対し、やがて主が来られて全ての人を裁かれる事を公に言った。
私達もまた、世に対して福音を伝え、義と裁きと救いについて伝えるべきである。

エノクは自分の子の名にメトシェラ(彼が死ぬ時、何かが起こる)と名付けたが、実際、メトシェラが死んだ年に、洪水が起こった。
(メトシェラが187歳になったとき、レメクを産み、レメクが182歳になった時ノアが生まれた。この時、メトシェラは187+182=369歳。
ノアが600歳の時に大洪水が起こり(7:6)、この時メトシェラは369+600=969歳、5章27節の彼の死んだ歳と一致している。)
メトシェラ自身の名前は、そのまま預言だったのである。

神は、前触れもなく突然裁きを起こすことはなさらない。
必ず預言の御言葉を人々に示し、そのとおりに事を行われるお方である。
私達もエノクやノアのように、邪悪な時代にあって御言葉を世に示し、伝え、信仰にあって生きていくのである。

このノアの時代に一旦人類は滅びたのだが、ノアは神とともに歩んだ信仰によって、滅び去る世から、次の新しい改まった世へと生きながらえた。
私達も、信仰によって次の世へと生き長らえるのである。

礼拝説教メッセージ:カインの子孫と神を呼ぶ子孫(創世記4:8-16)

※ 本日の録音は不備がありましたため、テキスト配信のみとなります。

神はカインの乞い願う憐れみに応え、だれもカインを撃つことのないようにと、しるしを付けて下さった。
彼はその施してくださった憐れみの故に悔い改め、へりくだって生きるべきであったが、そうではなかったようである。

彼は主の前から去って、町(城)を建てて住み、子や孫、ひ孫、玄孫、来孫を生んで行った。(17,18節)
カインの来孫にあたるレメクは、二人の妻をめとり、家畜を飼う者の先祖・ヤバル、笛と竪琴を巧みに奏する者の先祖・ユバル、青銅と鉄のあらゆる用具の鍛治屋の先祖・トバル・カインを産んだ。
地が呪われ、農耕をする事はできなくなったカインは、代わりに、町を立てて集まり、畜産や芸術、技術などの文明を発達させ、神に頼るのではなく、結束して自らの力に頼って生きるようになった。
しかし、それは主から離れた生活、神なき文明であり、代を下るごとにその暴虐さは増して行く。

カインの子孫がどのような価値観であるのか、レメクの言葉から見る事が出来る。
『レメクは妻に言った。「アダとツィラよ、わが声を聞け。レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。わたしは傷の報いに男を殺し/打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍なら/レメクのためには七十七倍。」』(創世記4:23-24)
カインは、やられたら七倍の復讐だったが、レメクの代ではそれが七十七倍に増加しており、少しでもやられたら相手を殺した事を妻たちに、しかも、誇らしげに自慢している。
このように、やられたら何倍にもして返す生き方、相集い、文明を発達させる生き方を続けて行くと、地は堕落し、暴虐に満ちて行き、神が心痛めるまでになるのである。(6章)

神はなぜカインを生かしておいたのか。それは、憐れみである。
人は、すぐにでも滅ぼせば良かったのに、と思うかもしれないが、もし神がそうだとしたら人は誰も残っていなかっただろう。

しかし神は、主に従う子孫も備えて下さる。
「セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。」(26節)
アダムに再び子が生まれた。
その子はセト、セトの子はエノシュで、このエノシュの代から、主の御名を呼ぶようになっていった。
バアルにひざをかがめない七千人のように(1列王19:18)、世の中がいかに不信仰に満ちようとも、主は、主の残された民を、備えておられるのである。

人はカインの子孫になりたがる。
しかし、私たち主に呼び出された者達は、主の御名を呼ぶ事をやめてはならない。

礼拝説教メッセージ音声:カインの性質(創世記4:8-16):右クリックで保存
韓国語通訳有

神こそ主であり、敬われるべきお方である。
それなのにカインは、自分流の礼拝方法が受け入れられないと怒り、神にたしなめられそれでも悔い改める事をせず、彼はアベルを野に連れて行き、殺してしまった。

人類史上初の「死」は、血の繋がった兄の手による殺人であり、その動機は、神への捧げものに関するねたみであった。
このカインのような性質は、現代を生きる私達の内にも、存在する。
自分流の礼拝を行って、それが神に認められない事を怒り、また、御心に沿った歩みをして祝福されている兄弟姉妹を妬み、憎しみの炎を燃やし、心で殺人を犯すような性質が存在する。

そのような性質は治めるべきである。
すなわち、自分の方法を降ろし、神の方法である御言葉を優先させ、適用させるべきである。
カインはそれをしなかった。
その結果、彼は怒りに身を任せ、弟アベルを殺してしまった。

主はカインのした事をご存知だったが、彼の口で告白させるために、「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」と語りかけたが、カインはまず「知りません」と答えた。
カインの特徴の者は、自分が手を下して動かなくなったアベルを見ても何とも思わず、自分がどんな事をしたのか目にも留めず、全能者の前におそれる事をせず、うそをつく。
そればかりでなく「わたしは弟の番人でしょうか。」と、たてをつく言葉さえ吐いた。

神はそれで「ああそうですか、それじゃ次を当たります」などと退くような方ではないし、侮られるようなお方ではない。
自分の為した結果と、神の前で告白した言葉の報いは、きっちりと、受けるのである。

カインが流した血は、神に向かって叫んでいる。(4:10)
カインは土を耕す者だったが、その土地はカインにとって呪われたものとなってしまい、もはや彼が耕しても産物を出さない。
不当に流された血も、支払うべきはずなのに支払われていない賃金も、神に向かって叫んでいる。(ヤコブ5:4)
その神への叫びによって、そのような事をした者の仕事は呪われてしまい、そして、義人アベルからザカリヤまで、流されてきた義人たちの血は、心頑なに自分流の考えに凝り固まって、義人を蹂躙する者たちの上に、返ってくるのである。(マタイ23章)

『カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。』(4:13)
この言葉には少しだけ、神様憐れんでください、という意図が見えるが、続く言葉は、これから待ち受けている呪いへの悲嘆とつぶやきに満ちている。
それでも神は、そんな彼の少しばかりの憐れみを乞う願いに応え、憐れみを施してくださり、出会う者がだれも彼を撃つことのないようにと、カインにしるしを付けて下さった。

カインはその憐れみの内にへりくだり、悔い改めるべきであったが、彼はそうではなかった。
次回に詳しく見ていきたい。

礼拝説教メッセージ音声:受け入れられる捧げもの(創世記4:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有

カインはアダムのように土を耕す者となり、アベルは羊を飼う者となった。
ある時彼らは神にささげものをしたが、神はアベルの捧げ物に目を留められ、カインの捧げ物は目に留められなかった。
神はなぜ、そのような差別をしたのだろうか?

忘れてはならない事は、神こそ主であり、敬われるべきお方であるという事だ。
神の御前には、人が身勝手に考え出した礼拝方法を神に押し付けてはならず、神の側が提示された方法に、人が従うべきである。

アベルの捧げ方は、神様がよしとされる方法に則っていた。
神様のよしされる方法、それは、犠牲である。
アダムとエバは、いちじくの葉をつづり合わせて裸を覆うものとしたが、そのような、人間の考え出した取り繕いは、神の目には、何も覆われていないも同じだった。
神様が彼らの裸を覆うためには、動物を犠牲にして皮の衣を作って、彼らに着せてやり、それによって彼らの裸は覆われた。これが神様の方法である。

また、捧げる時の心や思いも大切である。
カインは単に「土の実りを主のもとに献げ物として持って来た」としか書かれていないが、アベルは、彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で持って来た(創世記4:4)と書かれてある。
彼は「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして」神を敬い(申命記6:5)、神に最良のものを捧げたからこそ、神様は目を留められたのだ。

「あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげても/あなたは喜ばれないでしょう。神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。」(詩篇51:16-17)
このように書いてあるからには、たとえアベルがどんな焼き尽くす捧げ物をささげても、彼の心が砕かれていなかったなら、その捧げ物は受け入れられなかったのだろう。

カインの捧げ物が神に認められなかった時、彼は憤り、顔を伏せたが、この結果は明らかに、彼は、自分の我を神よりも高い所に置いている事を示している。
彼に「もし正しく行っていたら、、、」と神は言ったが、彼はつまり、神の前に正しく行っていなかったのだ。

自己流の方法の押し付けを、神は決して受け取らない。
もし私たちが正しく行っていないとしたら、また、思い通りに行かない事で怒りが込み上げてくるとしたら、罪は戸口で私達を慕っている。
その時、私達はそれを治めるべきである。
治めるとは、自分のしたい事、うずく自分のやりたい方法を降ろし、神の方法を優先させ、適合させる事。

もしそれをしなければ、どうなるか。
それは次回詳しく見ていきたい。

礼拝説教メッセージ音声:裸を覆って下さる主(創世記3:20-24):右クリックで保存
韓国語通訳有

『主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」』(創世記3:22)
罪ある人が、永遠に生きないようにされたのは、大きな憐れみである。
罪と呪い、痛みと悲惨に満ちた世の中で、決して死ぬ事が出来ないとしたら、それこそ地獄である。
人の罪は、神の方法によって対処しなくてはならない。

「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。」(創世記3:21)
神は人を裸のままエデンから追い出すような事はせず、まず皮の衣を作って、人の裸を覆って下さり、それから救いのご計画を発動された。
アダムとエバはいちじくの葉で覆い、取り繕ったが、人間の編み出した方法では、神の前に罪や裸を覆う事にはならないし、神の前で良しとされるものではない。

日本で犯罪を犯したら日本の法律に則って対処しなくてはならないように、人の罪の贖いの方法は、神の方法に乗っていなくてはならない。
罪を贖う神の方法は、犠牲である。

「皮」の衣が与えられたからには、何かの動物が犠牲となったはずである。
つまり、人間の裸という無力さを覆い、罪を覆うためには、神の前に犠牲が必要だという事である。
事実、後の時代にキリストは世の罪を取り除くまことの子羊として来られ、自らの尊い血潮という罰金を私たちの代わりに払ってくださり、その裂かれた肉体を私達の罪を覆う衣とし、着せてくださった。

イエス様はたとえ話で、王が婚礼に客を招いた際、礼服を身に着けてこなかった者は外に追い出した話をされた。
婚礼の礼服は王から支給されるものであり、せっかく支給されたものを跳ね除けて、自前の服を身に着けて行くなら、どんな人間であっても外の闇に追い出される。
同様に、神の支給して下さったキリストという贖いの衣を身に着けず、自前のいちじくの葉で取り繕うなら、どんなに善人であっても、天の王国から追い出されてしまうのである。

私達は、ただ与えられた衣を、すなわちキリストを着て、その上ではじめて神の国に入れるのである。

礼拝説教メッセージ音声:アダムへの呪いと、そこからの脱出方法(創世記3:17-19):右クリックで保存
韓国語通訳有

アダムの不従順への報いは、土(アダマ)に関する呪いである。
『神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。』(創世記3:17)
アダムは、全能者の息によって息吹かれ、生きた者とされたと言うのに、その創造者なる神の言葉を退け、自分の肉であり骨であるエバの言う事を採用してしまったため、土地全体が呪われてしまった。

そうして土地は、わざわざ、アダムを苦しめるために、茨とあざみを生えいでさせるようになってしまった。
アダムの違反によって、土地全体が呪われてしまうとは、一体アダムは、どれほど重要な人物なのだろうか。

神は人を、神にかたどり、神に似せ、全ての生物を支配するようにと、その鼻に自らの息吹を入れて、造ってくださった。
つまり人類以外の生物は、人類のために造られた、と言っても過言ではない。
全能者の息吹を宿し、支配する立場として造られているアダムが、その全能者に逆らってしまったからには、それによって全被造物のバランスが崩れてしまい、全被造物はそのためにうめき続けている。

「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。」(ローマ8:19-22)

被造物は、神の子たちのあらわれを、すなわち、全能者の息吹を持った、正当な支配者である第二のアダムに連なる者達を、待ち望んでいるのだ。

私達が神の子となるには、どうしたらよいか?
「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。」(ローマ8:14)
私達が全能者の霊によって導かれるなら神の子であり、全被造物を正しく治める事が出来、また、第一のアダムに入った呪いも、私達には届かなくなるのである。

「肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。」(ローマ 8:13)

アダムがエバという血肉の言う事を聞いて、死とのろいが入ってしまったように、人は、自分が血肉のように大切にして来た価値観や、築き上げて来て血肉のように大切にしている持ち物などを優先してしまうと、死とのろいへと導かれてしまうのだ。
「世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。」(1ヨハネ2:17)

礼拝説教メッセージ音声:蛇と女の子孫(創世記3:14-16):右クリックで保存
韓国語通訳有

神はまず、蛇に対して呪いを定められた。
「お前は、あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で、呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。」(創世記3:14)

サタンは地を行き巡って、ほうぼうを練り歩き、神の前に訴えるべき獲物、食い尽くすべき塵を探しまわっている。(ヨブ1:7)
サタンがヨブを訴えた時、神はヨブを試みる事を許可したが、それによってヨブが誤った事をしてしまったとしても、しっかりと救いの道を備えてくださった。
ヨブは確かに全てを失って酷い目に遭ったが、彼は以前よりも遥かに主を知り、主に近くなり、そして以前よりも2倍も祝福された。

サタンがシモン・ペテロをふるいにかけた時も、主は決して見捨てる事無く、信仰が無くならないよう、あらかじめ執り成しておられた(ルカ22:31-32)し、そして、サタンがエバを唆した時も、主は決して見捨てる事無く、人類に対する救いの道を用意していて下さった。

「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」(創世記3:15)
主の、人類全体を贖うご計画は、この女の子孫(単数形)によって成し遂げられる。
この単数形の女の子孫こそ、主イエスキリストであり、彼によってサタンの頭は砕かれ、その血によって私達の罪に対する罰金は支払われ、再び永遠のいのちへの道が開かれたのだ。

「神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」(創世記3:16)
女には、生みの苦しみと男に支配される事が定められたが、「しかし婦人は、信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、子を産むことによって救われます。」(1テモテ2:15)
ここの「子を産む事によって救われる」とは、どういうことか。

黙示録12章に、女と、その女が産みの苦しみを経て産んだ子と、それと敵対する巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者の記述がある。
女が産んだ子は、鉄の杖でもってすべての国民を治める者、すなわちキリストであり、女は太陽(キリスト)をまとい、月と星のしるしを持つ者、すなわち、教会を現すと思われる。

私達教会は、福音伝道によって、キリストのいのちを生んで、増えて、地に満ちて行く者、キリストの花嫁として、キリストを宿し、キリストを生んで行くのである。
「若い者が処女をめとるように/あなたの「子ら(子孫達)」はあなたを「めとり(保護者となり)」、花婿が花嫁を喜ぶように/あなたの神はあなたを喜ばれる。」(イザヤ62:5)

礼拝説教メッセージ音声:目が開け、裸である事を知った(創世記3:7-13):右クリックで保存
韓国語通訳有

善悪の知識の木の実を取って食べたら、必ず死ぬ、と、神は言われていた。
人の構成は、土から作った「肉体」に、神がいのちの息吹「霊」を吹き込み、その結果、生ける「魂」が生成した事を、創世記2:7にて学んだが、この実を食べた時、神の息吹であり、神と交わる機能を持つ「霊」が死んでしまったのだ。
その結果人は、肉体と魂をやりくりして生きなくてはならなくなり、霊に導入されてしまった死が、肉体や魂にも及ぶようになり、結果、やがて死ぬ存在となってしまった。
また、霊が機能を失ってしまった結果、神との愛なる交わりが出来なくなり、人は神を避け、神から逃げるようになってしまったのだ。

「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。」(創世記3:7)

霊が死んでしまった結果、真っ先に起こった事は「目が開け」た事である。
「イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」(ヨハネ9:41)
神に対する目が閉ざされ、神との交わりが除外されてしまった自然、環境、人間関係が、彼らの眼前に「目が開けた」所、それらは彼らに脅威となり、自分達が何も出来ない、裸で、無力な存在である事に気付き、そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて裸を覆った。

この、自分の恥ずかしい部分をいちじくの葉で覆う行為こそ、人類全体が持つ「取り繕い」のはじまりである。
自分の弱さを、裸を覆うために、力を蓄え、知識を蓄え、技術を発展させて自活して生きて行く。これがアダム以来の呪いの生き方である。
この、人間が神から離れて自力で生きて行くための道具としての「いちじくの葉」は、歴史を下るごとに進化して行き、それはやがて身を守る道具や武器となり、知識や学術体系となって、発展して行ったが、結局、神によってしか埋められない霊の空洞も、罪に対しても、死に対しても、どうする事も出来ない。

『アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」』(創世記3:12)
アダムは自分の非を告白せず、あたかも神のほうが悪いかのように、また、妻が悪いかのように、「言い訳」といういちじくの葉で自分の罪を覆い、エバも同様であった。

神に対して実を結ばない「いちじくの葉」という取り繕いだらけの者は、主によって枯らされてしまう。(マタイ21:18-22)
人がいかに主の臨在から逃げ隠れしようと、やがていつか、圧倒的な主の臨在の前に隠れる事が出来ず、 山や岩に向かって、自分に倒れ掛かって覆ってくれ、と叫ぶようになる。(黙示録6:15-17)

ただ主にささげるべきは、砕かれたたましい、悔いた心である。神はそれをさげすまれない。(詩篇51:17)

人は何によって罪と裸を覆っていただくべきか。
『「お前は誰だ」とボアズが言うと、ルツは答えた。「わたしは、あなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のある方です。」』( ルツ記3:9)

私達は、まことのボアズであるキリストに申し上げるべきである。
「わたしはあなたのはしためです。」「あなたの贖いの衣でわたしを覆ってください。」「あなたは、罪と死から、いのちへと買い取って下さる方です。」と。

メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
Twitter
このページを紹介!

 
 
 
礼拝週報
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2016/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

天声モバイルサイト!

検索
Copyright ©横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2010 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest