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メッセージ - 講解説教(旧約)カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:実際に祝福される者とは(創世記48:8-22):右クリックで保存

『ところで、イスラエルはヨセフの子らを見て言った、「これはだれですか」。ヨセフは父に言った、「神がここでわたしにくださった子どもです」。父は言った、「彼らをわたしの所に連れてきて、わたしに祝福させてください」。』(創世記48:8)
ヨセフとしては、長男マナセに、より大きな祝福を与えたいがため、マナセを父の右手側に連れて来たのだが、父は意外な行動を取った。

『すると、イスラエルは右の手を伸べて弟エフライムの頭に置き、左の手をマナセの頭に置いた。マナセは長子であるが、ことさらそのように手を置いたのである。』(創世記48:14)
なんと父は、わざわざ手を交差させて、長男マナセを左手で祝福し、次男エフライムを右手で祝福した。
右手は力や権力をあらわすため、普通なら長男を右手で祝福するものだが、イスラエルは意図的にそのようにしたのだ。

『そしてヨセフは父に言った、「父よ、そうではありません。こちらが長子です。その頭に右の手を置いてください」。父は拒んで言った、「わかっている。子よ、わたしにはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろう」。』(創世記48:18)

イスラエルの父・イサクも、老齢で目がかすんだ時、彼が愛した子エサウを祝福しようとしたが、彼が祝福を受けて欲しいと願った子の祝福は、弟ヤコブによって奪われてしまった。
ヤコブもまた老齢となり、目がかすみ、死を前にして子を祝福したが、彼が望んだ通りに、エフライムがその後祝福されていったかというと、そうでもなかった。

民数記には、1章と26章にて2回の人口調査が行われたことが記されているが、第一回目の人口調査では、マナセ部族は32200人、エフライム部族は40500人で、ヤコブの祝福どおり、エフライムのほうが多かった。
しかし、2回目の人口調査(26章)では逆転し、マナセ部族は52700人、エフライム部族は32500人。
エフライム部族の数は、12部族中、ワースト2位になってしまう程、荒野で減ってしまった。

エレミヤ書を見ると、エフライムは早い時代に主に背き、懲らしめを受け、恥じて後悔い改め、その後、主の憐れみを受けたようだ。

『わたしは、エフライムが嘆いているのを確かに聞いた。『あなたが私を懲らしめられたので、くびきに慣れない子牛のように、私は懲らしめを受けました。私を帰らせてください。そうすれば、帰ります。主よ。あなたは私の神だからです。私は、そむいたあとで、悔い、悟って後、ももを打ちました。私は恥を見、はずかしめを受けました。私の若いころのそしりを負っているからです。』と。
エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。――主の御告げ。――』(エレミヤ31:18)

必ずしも、父が願った人が、祝福されるとは限らない。
また、聖書では、長男が衰え、末っ子が栄える、というパターンが多いが、だからといって、長男は宿命的に祝福を受けられない、とは限らないし、末っ子なら自動的に祝福されるわけでもない。

元々、イスラエルの長男はルベンだが、彼は奔放過ぎた行動の故にその権は剥奪され、父はヨセフに長子の権を与えたが、実際は、兄弟達の長となり王達が生まれたのは、ユダ族だった。
『イスラエルの長子ルベンの子らは次のとおりである。――ルベンは長子であったが父の床を汚したので、長子の権はイスラエルの子ヨセフの子らに与えられた。それで長子の権による系図にしるされていない。またユダは兄弟たちにまさる者となり、その中から君たる者がでたが長子の権はヨセフのものとなったのである。――』(1歴代5:1-2)

結局のところ、その人が実際に祝福されるかどうかは、祝福を受けた後、どのような信仰で歩み、どのような行いを積み重ねて行くかにかかっているのだ。

礼拝説教メッセージ音声:エジプトではなくカナン、世ではなく天(創世記47:27-48:7):右クリックで保存

『さてイスラエルはエジプトの国でゴセンの地に住み、そこで財産を得、子を生み、大いにふえた。』(創世記47:27)
イスラエル全家は、ゴシェンの地にてヨセフに養われ、この一族はそこで大いに栄え、増えて行った。
イスラエルの息子・娘達が生んだ孫やひ孫も数を増していき、愛する息子ヨセフもここエジプトで盤石の地位にいる。

もはや十分に生き、この世界で思い残す事は無い、とも思えるようなイスラエルであるが、彼の心には焦燥させられるものがあり、ヨセフを呼び寄せて、ある事を誓わせた。
『もしわたしがあなたの前に恵みを得るなら、どうか手をわたしのももの下に入れて誓い、親切と誠実とをもってわたしを取り扱ってください。どうかわたしをエジプトには葬らないでください。』(創世記47:29)

手を腿の間に入れての誓いは、最も厳粛な誓いで、かつてアブラハムも、イサクの嫁探しの時、しもべに誓わせた。(創世記24:2)
この厳粛な誓いをさせた、イスラエルにとっての最重要事項とは、彼をエジプトには葬らせない事。
彼が眠りについたなら、先祖達の墓に葬ってもうらう事である。

イスラエルはエジプトで増え、ヨセフもエジプトで地位を得たのに、彼らの思いは、富と権力の頂点を取ったエジプトには、無かった。
彼らにはエジプトの栄華は一切眼中に無く、思いはいつも神に向けられ、心の置所はいつも、神が示された地・カナンにあった。

イスラエルは死期が近いと悟った時、彼の信仰の原点であり、神が初めて彼と出会ったルズ(ベテル)で語られた事を、ヨセフに話した。
『わたしはおまえに多くの子を得させ、おまえをふやし、おまえを多くの国民としよう。また、この地をおまえの後の子孫に与えて永久の所有とさせる。』(創世記48:4)
あの時神が言われた通り、今やイスラエルはまさにここエジプトで、数多く増えようとしている。
しかし、神があの時言われた「この地」とはエジプトではない。カナンである。

『エジプトにいるあなたの所にわたしが来る前に、エジプトの国で生れたあなたのふたりの子はいまわたしの子とします。すなわちエフライムとマナセとはルベンとシメオンと同じようにわたしの子とします。』(5節)
エフライムとマナセをイスラエルの直接の子とするという事は、彼らを「イスラエル12部族」として、カナンに相続地を得る権利を与える事を意味する。

イスラエルは、エジプトで満ち足りて大往生しようとしているのに、ヨセフとの会話では、エジプトの栄光は全くもって話題になっておらず、あたかも、これからカナンで歴史の続きが始まるような話しぶりである。
彼の思いはエジプトには一切無く、地上の富や栄光にも無く、ただカナンに、神が示された約束の地にあった。
私達も、思いは地上に向けるのではなく、天に向けるべきである。

『自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。』(マタイ6:19)

『こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。』(コロサイ3:1-3)

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
城壁を立て直せ(ネヘミヤ1章):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:憐れみ深い政策がもたらすもの(創世記47:13-26):右クリックで保存

世界的な飢饉の時、ヨセフは最初は銀で食料を売っていたが、銀が底をついてしまった人には家畜で物々交換し、それも底をついてしまった人には、その人の農地を引き取って、食料を与える事とした。
そうして得た銀や家畜、土地をパロに収めたので、パロの家はますます豊かになり、必然的に土地も家畜もこの時国有化された。

ヨセフの政策は、とても憐れみ深い。
『収穫の時は、その五分の一をパロに納め、五分の四を自分のものとして田畑の種とし、自分と家族の食糧とし、また子供の食糧としなさい」。』(創世記47:24)
つまり、税率20%の小作農である。
日本の平均的な家庭、年収430万円世帯の税率は、所得税と住民税を合わせると約30%であり、法人税は40%である。(2009年時点)
現代日本と比べても、ヨセフの政策が民にやさしかった事が分かる。

『彼らは言った、「あなたはわれわれの命をお救いくださった。どうかわが主の前に恵みを得させてください。われわれはパロの奴隷になりましょう」。』(創世記47:25)
普通なら、飢饉になると人々は暴動を起こし、政府転覆を狙うのが歴史の常だが、ヨセフ治世のエジプトはその逆で、人々は自ら奴隷になろうと進み出るのである。
それ程ヨセフの政策は優れ、人々の支持を得、その後この税率がずっとエジプトで続いた。(26節)
ヨセフはなぜそんなに優れた政策が出来たのか。それは、神から知恵を頂いていたからである。

ヨセフの行動はまさしく、イザヤ58章そのものである。

『わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて/虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え/さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/同胞に助けを惜しまないこと。
そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で/あなたの傷は速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し/主の栄光があなたのしんがりを守る。』(イザヤ58:6-7)
人は祝福を頂きたくて断食を行うが、主の喜ばれる断食とは、これである。

ヨセフは、食料が無くて困った人の足元を見て税率を跳ね上げたり、貧しい者をそのまま飢え死にさせるような事はせず、憐れんでやったからこそ主に喜ばれ、彼の行いは光のように輝き、正義が常に彼を先導し、主の栄光が、彼のしんがりを守ったのだ。

『あなたが呼べば主は答え/あなたが叫べば/「わたしはここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと/呪いの言葉をはくことを/あなたの中から取り去るなら、飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中に輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる。』(同9-10節)

ヨセフは、彼の兄弟や、ポティファルの妻など、指をさして訴えたり呪いの言葉を吐いたりしても良さそうな人達はいたが、決してそのような事はせず、むしろ、苦しんでいる兄弟達に心を配り、彼らを憐れみ、彼らの願いを叶えてやる素養があったからこそ、ヨセフが無実だった事も彼の良い性質も明らかにされ、真昼のように輝いたのだ。

『主は常にあなたを導き/焼けつく地であなたの渇きをいやし/骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。人々はあなたの古い廃虚を築き直し/あなたは代々の礎を据え直す。人はあなたを「城壁の破れを直す者」と呼び/「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ぶ。』(同11-12節)

もし私達もそのようになりたいのであれば、すなわち、主にいつも導かれ、焼けつく地で渇きがいやされ、骨に力が与えられたいのであれば、また、潤された園のように、水の枯れない泉のようになりたいのであれば、
あるいは、「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ばれたいのであれば、私達もヨセフのように、うしろ指を指す事や、兄弟姉妹を訴える言葉を口から捨て去り、苦しんでいる兄弟姉妹達に心を配り、彼らの願いを叶えてやるべきである。

ヨセフは神から示された事をしっかり受け止め、来るべき飢饉に備えて穀物をひたすら備蓄した。
私達にも、霊的な飢饉が来ることが聖書に示されているのだから、いや、既に到来しているのだから、今、霊的な食物である御言葉をたっぷりとイエス様からいただいて、蓄えるべきである。
私達が御言葉をしっかり蓄えておくなら、やがて霊に飢えた人々が土地や家畜を携えて全世界から集まり、私達に蓄えられた御言葉を慕い求めて来るのである。

礼拝説教メッセージ音声:短く不幸せだった百三十年(創世記47:1-12):右クリックで保存

『パロはヨセフの兄弟たちに言った、「あなたがたの職業は何か」。彼らはパロに言った、「しもべらは羊を飼う者です。われわれも、われわれの先祖もそうです」。』(創世記47:3)
兄弟達はヨセフ忠告どおり、自分達が羊飼いである事を正直に伝えた。
羊飼いはエジプト人の忌み嫌う職業であるため、これでイスラエルはエジプト人から隔離されて生活する事となり、その後430年間、イスラエルの民族的・宗教的純潔が保たれた。

『そこでヨセフは父ヤコブを導いてパロの前に立たせた。ヤコブはパロを祝福(barak)した。』(創世記47:7)
ここの祝福(barak)という言葉は、神がアダムやノア、アブラハムに「生めよ、増えよ、地に満ちよ」と祝福した時にも用いられた言葉である。(創世記1:22,28、9:1、12:2-3)

時の世界のスーパーパワーであるエジプトの王パロと、カナンに寄留中の70人の遊牧民の長ヤコブ。
パロの方が圧倒的に権威が上であるかのように見えるが、小なる者が、大なる者から祝福をいただくのである。(ヘブル7:7)
つまり、外見上はパロの方が上に見えても、真理の上ではヤコブのほうがパロより圧倒的に上であり、事実、永遠の書物である聖書には、ヤコブは遥かに栄誉ある者として記されている。

主イエスに服従する者は、全能の神から権威を与えられる。
神から権威を付与された権威者は、ポンテオ・ピラトの前のイエスのように、外見的には大した権威を帯びているようには見えないものであるが、主イエスに従う者は、汚れた霊を追い出すけんい、あらゆる病気やわずらいをいやす権威を与えられ(マタイ10:1)、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けられ(ルカ10:19)、後には、諸国の民を支配する権威を授けられる。(黙示録2:26)

『パロはヤコブに言った、「あなたの年はいくつか」。ヤコブはパロに言った、「わたしの旅路のとしつきは、百三十年です。わたしのよわいの日はわずかで、ふしあわせで、わたしの先祖たちのよわいの日と旅路の日には及びません」。』(創世記47:8-9)
百三十年という年月は、決してわずかとは言えないが、ヤコブは自分の生きてきた年月はふしあわせに満ち、先祖たちには顔見せできないような日々を送ってきた事を告白した。

彼の父たち、アブラハムやイサクは、自分の思いや願いを、神の御前に手放す人だったのに、ヤコブはその逆で、自分の思い願いを頑として掴んで離さない人だった。
つかみ取ってなんぼという価値観は世の価値観で、それは一見栄えるかのように見えて実は災多く、尻すぼみな生き方である。

彼は生涯のはじめから兄のかかとを掴み、騙し、父イサクをも騙して祝福をつかみとったが、そこには居られなくなってしまった。
彼は伯父ラバンの元で20年搾取され、土地を購入した地で娘は犯され、息子達はその地の男を皆殺して略奪してしまい、また、溺愛したヨセフは兄達によって殺されそうになってエジプトへ売られ、長らく悲嘆の内に過ごす事となった。
彼がようやく自分を主の御前に手放したのは、ベニヤミンをも失おうとしていた時であった。

ヤコブのように、かたくなであればあるほど、打ち砕かれ方はひどいものとなり、手放さない手が固ければ固いほど、打たれる度合いは痛く、長くなってしまう。
ヤコブは白髪頭になるまで、頑なにつかむ生き方を改めなかったが、私達はそこまでなる必要は無い。
自分の願うものを掴む手は、主に速やかに手放し、全ての重荷は主の御前に全て下ろし、人生の早い段階から楽に生きるコツをつかむ皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:栄光にあふれた再会(創世記46:28-34):右クリックで保存

『ヨセフは車を整えて、父イスラエルを迎えるためにゴセンに上り、父に会い、そのくびを抱き、くびをかかえて久しく泣いた。』(創世記46:29)
ヤコブが最後にヨセフを見たのは、22年以上前、シェケムで羊を飼っている兄達の様子を知るために、ヨセフをおつかいに送り出したのが最後で、その時以来の再会である。

その時出ていったヨセフの姿は、父が贈った長服を着ていた。
しかしその長服は血まみれになって返って来て、それ以来、ヨセフは死んだものと思っていた。
それが今、20数年ぶりに会ったヨセフは、高級外車で迎えに来て、亜麻布の宰相服を身につけ、金の首飾りをかけており、パロの指輪をはめていた。

かつて、大切なわが子に、と身につけさせてやった長服やアクセサリーよりも、はるかに優れたものを彼は身に帯びており、かつて、ただ大切にしてかわいがっていたい、と思っていたヨセフだったのに、今や自分が、ただ彼に助けられ、養われる側となっていた。

ヤコブは、かつてヨセフが見た夢、あの太陽と月と十一の星がヨセフを伏し拝んでいる様子を、思い起こした事だろう。
その時、その夢はヤコブの心を害したが、ヨセフは決して好き好んで、その夢をみたのでもないし、好き好んでエジプトの主となったわけでも、夢の通りに兄弟達や父母を養う者となったわけでもなかった。
ただ神が一方的に、イスラエル一族を救うため、予めヨセフを選び、その夢を見させ、予めエジプトへ送っていたのだ。

『時に、”イスラエル”はヨセフに言った、「あなたがなお生きていて、わたしはあなたの顔を見たので今は死んでもよい」。』(創世記46:30)
彼は、地上の祝福を掴み取ろうとする「ヤコブ」の生き方はもはや未練が無くなり、神のご計画が成就した事に満足を見出し、ただ神に支配されるがままの生き方をする「イスラエル」となった。

かつて「ヤコブ」は、世的な祝福を掴んで離さない生き方だったが、それら掴んできたものはやがて無理やり彼の手から引き剥がされて行った。
ラケルが剥がされ、ヨセフが剥がされ、そしてベニヤミンも、という所まで来た。
その時、「子を失わなければならないのなら、失ってもよい」(創世記43:14)と告白し、全てを全能の神の御手に委ねた。
するとヤコブは、ベニヤミンだけでなく、ヨセフをも取り返し、それも、思ってもみなかった程遥かに優れた形になって、彼の元に帰ってきたのだ。

自分で握りしめていたものを、主の御前に手放し、明け渡し、委ねる。そうして、主の元から再び返してもらう。
それが十字架と復活の経験である。
神は、その人が主の元へ手放したもの、主の故に失ったものを復活させ、以前よりも遥かに優れた形で、栄光のいのちを伴った形で、返して下さるのだ。
それはアブラハム、イサク、ヤコブが経験した事であり、私達も経験すべき事なのだ。

ヨセフは父や兄達に助言する。
『もしパロがあなたがたを召して、『あなたがたの職業は何か』と言われたら、『しもべらは幼い時から、ずっと家畜の牧者です。われわれも、われわれの先祖もそうです』と言いなさい。そうすればあなたがたはゴセンの地に住むことができましょう。羊飼はすべて、エジプトびとの忌む者だからです」。』(創世記46:33-34)

なぜわざわざ、エジプト人に嫌われる事を言うようにと、助言したのだろうか。
それは、ヨセフはエジプト人の有様を良く知っており、エジプト人とイスラエルの家が互いに和合し、血が混ざり、宗教が混ざらぬように、と思ったからであろう。
実際そのお陰で、430年後にイスラエル民族がエジプトを脱出する時、エジプト人とユダヤ人ははっきりと区別されており、民族的・宗教的純潔がずっと保たれていた。

兄達も「この国に寄留しようとしてきました」とパロに言い(47:4)、自分達はエジプトに永住するつもりは無い、ただ神が定めた時まで寄留するだけのつもりだと表明した。
私達も、世に対しては寄留者であるとの意識を持つべきである。

『しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。
愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。
異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。』(1ペテロ2:9-12)

礼拝説教メッセージ音声:はじめの七十人(創世記46:1-27):右クリックで保存

イスラエルの子孫が住むべき地はカナンだと神は指定されていたが、ヨセフが言うには、あと5年はききんが続く為、家族も家財道具も全てエジプトに移って住むように、という事だった。
果たして神が約束された土地を、ききんだからと言って離れて良いのだろうか、という迷いが、イスラエルにあったのかもしれない。
しかし神は現れ、その心配を払拭してくれた。

『この時、神は夜の幻のうちにイスラエルに語って言われた、「ヤコブよ、ヤコブよ」。彼は言った、「ここにいます」。神は言われた、「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下るのを恐れてはならない。わたしはあそこであなたを大いなる国民にする。』(創世記46:2-3)
神は、ヤコブ一家がエジプトにくだるのは御心だと、はっきりと教えてくれた。

「わたしはあなたと一緒にエジプトに下り、また必ずあなたを導き上るであろう。ヨセフが手ずからあなたの目を閉じるであろう」。(4節)
このことは、ヤコブはエジプトでヨセフの手の中で死に、死んだ後、約束の地へと戻る事を意味する。

神は、死んだ者の神ではなく、生きた者の神である。
アブラハムもイサクもヤコブも、今は肉体のいのちは死んでいるが、やがて私達信仰者は彼らと共によみがえらされ、共に天の食卓に与かるのだ。

今日の箇所を見ると、イスラエルの70人の子達全ての名前が登場するが、実に色々な場所で、色々な母親から生まれているのがわかる。
しかし、人が誰から、どの場所で生まれて、どの場所で死ぬのか、というのは、永遠の観点から見れば何も重要ではない。
むしろ、どなたにあって生き、どなたにあって死ぬのかが重要である。

アブラハムもイスラエルの12人の子達もメソポタミアで生まれたし、出エジプトの民60万人はエジプトで生まれたし、カナンを征服した世代は、荒野で生まれた。
むしろ、士師記の時代にカナンで生まれた世代が、神に不従順であった。
重要なのは、どなたにあって生き、どなたにあって死ぬのか、である。

『ヤコブと共にエジプトへ行ったすべての者、すなわち彼の身から出た者はヤコブの子らの妻をのぞいて、合わせて六十六人であった。エジプトでヨセフに生れた子がふたりあった。エジプトへ行ったヤコブの家の者は合わせて七十人であった。』(創世記46:26)

この時代、エジプトに入ったイスラエルの子孫達は、わずか70人だったが、430年後にエジプトから出る時は、成人男子だけでも60万にまで増えていた。
『ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。』(ヘブル11:12)
そのように、イスラエル民族が異国エジプトの地へ移されて増え広がる事は、アブラハムの代から、そのように定められていたのだ。(創世記15:13-15)

主は確かに、死んだも同然の者を生かし、わずかだった者を増え広がらせ、貧しい者を富む者とし、呪いの子を祝福の子へと造り替えて下さる。
しかし、神の目が注がれた民にとって、祝福とのろいは表裏一体であり、どちらに傾くかは、主の御声に聞き従うかどうかにかかっている。

イスラエルは確かに大勝利し、多くの土地を勝ち取ったが、しかし、後の時代の不従順によって、滅亡の危機も幾度も訪れた。
『あなたがたは天の星のように多かったが、あなたの神、主の声に聞き従わなかったから、残る者が少なくなるであろう。』(申命記28:62)
この言葉は、バビロン捕囚の時や、AD73年のユダヤ戦争において、また、近年では第二次世界大戦のホロコーストにおいて、成就した。
主の御声に聞き従う事こそ、祝福の前提条件であり、聞き従わない事は、呪いの前提条件となる。

御言葉にしっかりと服従し、大いに増え広がり、富む者となり、祝福された者となる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:備えられている途方も無い祝福(創世記45:16-28):右クリックで保存

ヨセフの兄弟たちが来た、という知らせは、パロと家臣たちを喜ばせ、パロは喜んでヨセフの兄や父のために便宜を図ってやった。
『わたしはあなたがたに、エジプトの地の良い物を与えます。あなたがたは、この国の最も良いものを食べるでしょう』。』(創世記45:18)

神がヨセフをエジプトへ送った意図は、苦労したヨセフを幸せに報いる、というよりも、大いなる救いをもってイスラエル一家を助け、イスラエルの子孫をその地に増やすためであった。(7節)
すなわち、ききんの時でもイスラエル全家には食事と住む所を整え、それも、パロが「家財に心を引かれてはなりません。エジプト全国の良い物は、あなたがたのものだから」と言う程のVIP待遇で彼らを特別扱いされた。

そのためにこそヨセフは、先にエジプトへ遣わされていたのだ。
キリストの次の言葉の通りである。
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネ14:1-3)

『まためいめいに晴着を与えたが、ベニヤミンには銀三百シケルと晴着五着とを与えた。』(創世記45:22)
かつてヨセフは、袖付きの長服を兄達に剥ぎ取られたが、ヨセフはそんな兄達に、晴れ着を着せてやった。
キリストも十字架上でくじで引かれ、服を全てを剥ぎ取られたが、彼が栄光の御姿で現れる時、新しい白い衣を私達に着せて下さるのだ。

『こうしてヨセフは兄弟たちを送り去らせ、彼らに言った、「途中で争ってはなりません」。』(創世記45:24)
兄達はヨセフと再会して後ずっと、自分達がかつてヨセフにした事を後悔し、父親が死んだ後もずっと彼を恐れ、心苦しい思いを長らくする事となる。
ヨセフとしては、兄がした事は神が忘れさせて下さったが、兄達はずっと良心の呵責に責められる事になったのだ。
私達も兄弟姉妹にした悪い事は、長い間良心の呵責に悩まされる事となり、また、天の御国に入った時、キリストにひどいことをした分が多ければ多いほど、主の御前に立つ時の恥ずかしさも、増し加わってしまうのである。

『彼らはエジプトから上ってカナンの地に入り、父ヤコブのもとへ行って、彼に言った、「ヨセフはなお生きていてエジプト全国のつかさです」。ヤコブは気が遠くなった。彼らの言うことが信じられなかったからである。そこで彼らはヨセフが語った言葉を残らず彼に告げた。父ヤコブはヨセフが自分を乗せるために送った車を見て元気づいた。そしてイスラエルは言った、「満足だ。わが子ヨセフがまだ生きている。わたしは死ぬ前に行って彼を見よう」。』(創世記45:25)

ヨセフを失っていたヤコブは、老い先短い未来に何の喜びも見いだせず、悲しみの内によみに下るとばかり思っていた。
何の望みも持てず失意に沈んで久しかった、そんな父に、喜びの知らせが、それも、途方も無いほど栄光の喜びがおとずれた。
主は、希望の持てない者に、見たことも聞いたこともないような祝福を備えて下さるお方だ。
『まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」』(1コリント2:9)

礼拝説教メッセージ音声:「神が」(創世記45:1-15):右クリックで保存

『そこでヨセフはそばに立っているすべての人の前で、自分を制しきれなくなったので、「人は皆ここから出てください」と呼ばわった。それゆえヨセフが兄弟たちに自分のことを明かした時、ひとりも彼のそばに立っている者はなかった。ヨセフは声をあげて泣いた。エジプトびとはこれを聞き、パロの家もこれを聞いた。』(創世記45:1-2)
ヨセフは、兄達やユダの高貴な趣を身につけた様を見、そして、彼らが父や弟を思いやる愛に満ちた弁明を聞き、もはや我慢ができなくなり、別の部屋にいるエジプト人達にも聞こえるほど大声で泣いた。
そして、いよいよ自分を打ち明けた。
「わたしはヨセフです。父はまだ生きながらえていますか」(3節)

ヨセフの人生をドラマとして見るならば、クライマックスに相当する場面である。
不当な扱いを受け、苦労に苦労を重ね、最底辺に落とされ、最高権力者へと上げられ、かつて彼を虐げていた兄と、大逆転の立場で再会するという数奇な運命。
ドラマ好きな人が好みそうなサクセスストーリーであり、ヨセフのようになりたいと漠然と憧れるキリスト者も多いが、もし、ヨセフのようになりたいのなら、彼が試練を受けていた時機、すなわち、兄に憎まれていた時期や、奴隷の時期、監獄にいたそれぞれの時期に、どなたを主とし、何を口で告白し、どなたを基準に行動したのか、という事に目を留め、それに見習って行動すべきである。

映画やドラマの中にも「神」はよく登場するが、その中で神が演じる役割は、人を面白おかしい運命へと導いたり、あるいは良い人をドラマチックな形で幸せに導き、あるいは悪い人をドラマチックに災いを下らせる、「一役者」のように描かれている。
しかし、あいにく神は、私達の人生をいろどる役者でも、願い事を叶える為の手段でもないし、私達の人生を面白おかしくドラマチックに演出する義理も、神には無い。

神は、全てを支配しておられる全能者、私達の主であり、主従関係において私達は従、神は主である。
そして神は、ひとり子の命を捨てるまでの愛をもって私達を愛し、私達を自由意志のある「子」として扱われ、たとい、私達の罪によって、せっかくの御業を台無しにしてしまっても、全てを益とし、最善へと導いて下さる、憐れみ深いお方なのだ。

『しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。”神は”命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。”神は”、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。』(創世記45:5-7)

結局、全てを導いたのは、”神”である。
ヨセフは、表向き兄の手に陥り、奴隷としてひっ立てられて行った形だったが、実は、そこかしこに神の配剤があったのである。
神は、イスラエルの家全体を救うために、ヨセフを先にエジプトへ遣わし、その一連の役割を果たさせるためにヨセフを宰相へと任じた。
それに対しヨセフは、「父や兄を養う」という、神から与えられた使命を果たす為、宰相としての日々の職務を、忠実に全うしたのだ。

人は、お金持ちになったり権力者になったりする事を目標とし、それが達成したとたん神を忘れ、あるいは神をポイ捨てするような所があるが、私達を権力者にも囚人にも導く事のできるお方をこそ恐れ、愛の故にいのちを差し出して下さったお方をこそ、大切にすべきであり、与えらた祝福は、神が愛しておられる兄弟姉妹を養うために用いるべきである。

ポンテオ・ピラトがイエス様に「わたしには、あなたを許す権威があり、また十字架につける権威がある」と言った時、「あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。」と答えられた。(ヨハネ19:11)
その時、イエス様は誰よりも弱々しく、ピラトが誰よりも強いかのように見えたが、イエス様を低くされたのも、ピラトを高くされたのも、神であり、全ての権威は、上から与えられるものである。

「神のみ名は永遠より永遠に至るまでほむべきかな、知恵と権能とは神のものである。神は時と季節とを変じ、王を廃し、王を立て、知者に知恵を与え、賢者に知識を授けられる。」(ダニエル2:21)
私達はただ、この全能の神にひれ伏し従うのみであり、いのちを差し出す程に私達を愛されたイエスを愛するのみである。

礼拝説教メッセージ音声:宇宙で最も気高く尊い性質(創世記44:18-34):右クリックで保存

兄達は、もし自分達の持ち物の中から杯が見つかったらその者は殺してもかまわない、と約束していたが、いざ、ベニヤミンの袋からそれが見つかってみると、自分達の言った言葉が自分達に刺さる事となった。
イスラエルの民も、律法を「守ります」と約束したけれども守れず、その身に災いを招いてしまったが、イエス様は、そんな罪深い私達の身代わりとなり、神の御前に立って弁護して下さる。
ユダもまた、イエス様のように、ベニヤミンの身代わりとなってヨセフの前に立ち弁護した。

『わが主はしもべらに尋ねて、『父があるか、また弟があるか』と言われたので、われわれはわが主に言いました、『われわれには老齢の父があり、また年寄り子の弟があります。その兄は死んで、同じ母の子で残っているのは、ただこれだけですから父はこれを愛しています』。』(創世記44:19-20)

この時ユダが「あわれんで下さい」「ベニヤミンを赦して下さい」と、同じ言葉で何百回も拝み倒そうとするなら、相手をうんざりさせるだけで何も得られなかっただろう。
ユダはまず、相手を「わが主」、自分達を「しもべ」という主従関係のスタンスを、始終崩さなかった。
そして「わが主は○○と申しました」と、ヨセフが言った言葉を用いて話を展開して行った。

交渉の場面においては、同じ言葉で拝み倒すのは、あまり賢い方法ではない。むしろ、相手が言った言葉を盾に取ると、非常に効果的である。
私達も主に祈る時、同じ言葉で拝み倒すような異邦人がするような方法ではなく、まず、主を主とし、自分は主のしもべとして、主従関係をはっきりさせ、その上で、主の御言葉を盾に取って祈る事が、効果的である。

『われわれはわが主に言いました。『その子供は父を離れることができません。もし父を離れたら父は死ぬでしょう』。しかし、あなたはしもべらに言われました、『末の弟が一緒に下ってこなければ、おまえたちは再びわたしの顔を見ることはできない』。それであなたのしもべである父のもとに上って、わが主の言葉を彼に告げました。』(創世記44:22-24)
ユダは次に、年老いた父がどれほどその子供・ベニヤミンを愛していたか、もしその子に何かあったら、父は死んでしまうほどだと訴えた。

『しもべは父にこの子供の身を請け合って『もしわたしがこの子をあなたのもとに連れ帰らなかったら、わたしは父に対して永久に罪を負いましょう』と言ったのです。』(同32節)
この宰相は自分達と同じ神を恐れる者であるから、愛する父を思って交わした約束という理に適った良きものを、ぞんざいにするような事はするまい、と思ったのだろう。
自分達は確かに宰相との約束はしたが、その前に、自分は父と約束をしており、自分はその子の「保証人」という立場になっている。
だから次の言葉は、有効なのである。

「どうか、しもべをこの子供の代りに、わが主の奴隷としてとどまらせ、この子供を兄弟たちと一緒に上り行かせてください」(33節)

罪を犯していない者が身代わりとなって罪の責を負う「犠牲愛」。
これこそメシヤなるイエス・キリストの性質、宇宙で最も気高く尊い性質である。

かつては、父の見ていない所で気の向くままに悪戯をし、それをヨセフに告げ口されて怒りを燃やし、ヨセフを売り飛ばそうとさえした兄達だったが、今や、彼らは父の見ていない所でも父を心底愛し、ベニヤミンを徹底して弁護する程、大切にしている。
20数年前とは全く逆の性質へ、俗悪な性質だったのが気高く尊い性質へと、変わっていたのだ!
それは、神が介入し、神の訓練の内にこの20数年を送っていたからである。

『すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。
もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、その仕事が焼けてしまえば、損失を被るであろう。しかし彼自身は、火の中をくぐってきた者のようにではあるが、救われるであろう。』(1コリント3:11-15)

彼らはこの20数年の間、父祖アブラハム以来据えられた神の約束の土台の上に、金や銀、宝石など尊いもので、自らを建て上げていたのである。
それだから、試練の火によって、黄金のように高貴で気高いユダの性質が、あらわにされたのである。

私達も、陶器師なる主の御手の内に身を任せるなら、俗悪な器から、尊い事に用いられる器へと、日々、造り変えられて行くのである。

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