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メッセージ - 講解説教(旧約)カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:サタンの誘惑の方法(創世記3:1-5):右クリックで保存
(韓国語通訳有)

「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。」(創世記3:1)
この蛇こそ、天から投げ落とされた、全人類を惑わす者、すなわち悪魔とかサタンとか呼ばれる、あの古い蛇(黙示録12:9)である。

サタンのやり口は、まず御言葉に不純物を混ぜ、心に不安の波紋を起こさせる所から始まる。
『蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。』(創世記3:1)
神が言われたのは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい、 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない、だったが、サタンは、神様から与えられている全ての良き祝福には全く言及せず、たった一つのしてはならない事にクローズアップさせ、あたかも神は我々に大きな制限を課しているかのような錯覚を、吹き込ませる。

エバはその掻き乱し攻撃に、まんまと乗ってしまった。
エバは「園にある木の実を食べてよいのです」と答えて、「どの木からでも」「思いのまま」を省いてしまい、神様からのあらゆる良き恵みを、彼女の中で縮小させてしまい、さらに「園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」と続けた。
「ない」を3つ続けた所に、エバの神様に対する認識、神様は「ない」を良く言うお方だという認識を、垣間見る。

神は「触れてはいけない」とは言っていなかった。
エバとしては、神様をかばうつもりで拡大させて言ったのかもしれないが、神は、御言葉に付け足したり引いたりせず、正しく告白する事を喜ばれる。
御言葉に人間的な解釈をつけ足しする事は、パリサイ派や律法学者の道であり、それはますます人を束縛し、御言葉から遠のけさせ、サタンを喜ばせる事である。

神は「それ(善悪を知る知識の実)を取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」と言われたが、エバの中では「死んではいけない」と変換されており、「必ず死ぬ」という確信が揺らいでいる事が分かる。

私達がサタンに心かき乱されるような事を言われた時、答えに急いて、口からでまかせを言ったり、自分なりの解釈を言ってはならない。
主はサタンに試みられた時、御言葉によってを撥ね付けたように、私たちも、そのままの御言葉に、信仰を混ぜて宣言するなら、サタンはいずれ去っていく。

サタンは信仰の篭っていない御言葉解釈や人間的な力・知恵など、これっぽちも怖くはない。
むしろ、御言葉に付け足したり、差し引いたりする事を、サタンは大喜びし、さらに惑わしを吹きかけて来る。
エバの中に御言葉への確信がなく、付け足したり差し引いたりしたのを、サタンは見て、今度は御言葉の全否定に取り掛かった。
「蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」(3:4-5)

サタンの本質的は、神を降ろして自分が高くなる事である(イザヤ14:12-15)。
しかし救いの道は、自分を降ろしてイエス様が高くなる事である。
私達が主とするべきお方は唯一キリストのみ、土台とすべきは自分の考えではなく御言葉のみである。

サタンの策略を知り、勝利していく皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:結婚のための条件(創世記2:15-20):右クリックで保存
韓国語通訳有

神は、造られた生物達をアダムの前に連れてきたが、彼は相変わらず独りで、どの生き物たちの中にも、ふさわしい助け手は見出せなかった。
「主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。」(創世記2:21-22)

アダムに深い眠りが与えられてエバが造られたように、また、キリストが死を経て教会を生み出したように、未婚の男女が、ふさわしい助け手を得るには、まず、深い眠り、すなわち、死を通る必要がある。
結婚は人生の墓場だと良く言われるが、それはある意味、正しい。
独身時代は自分のために思うがままに生き、あらゆる異性が結婚相手になるかもしれない可能性があったが、結婚してからは、そうはいかなくなる。
自分に対しては死に、伴侶のために、そして新しく生まれるいのちのために生きるのでなければ、結婚は成り立たない。
自分に対して死ぬのであれば、結婚生活において、さらにすぐれた命の喜びを見出す事になる。
そういうわけで、結婚のための第一条件は、自分に対して死ぬ、という事である。

「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」(23節)
アダムの所に女が連れてこられた時、アダムはこのように言って、はなはだ喜んだ。
同じように、キリストも自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足すされる。(イザヤ53:11)

アダムは「女」と名前をつけた。つまり、夫が妻の「主」であり、保護者である。
聖書では、妻は、全ての面で夫に従い仕える事が勧められており、そして夫には、キリストが教会を愛し捧げ尽くしたように、妻を愛し(アガペー)捧げ尽くす事が勧められている。(エペソ5:22節以降)
それらは男性にとっても女性にとっても難しい命令に聞こえるかもしれないが、それは、キリストにあってこそ可能であり、もし夫婦がそのような関係に入るのであれば、それはエデンにおけるような最も素晴らしい夫婦関係となる。
「いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。」(1コリント 11:11-12)

結婚のための第二条件は、父母の庇護から離れて、一人立ちしている事である。
『「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。』(エペソ5:31-32)

男も女も、親の庇護から離れなくては伴侶を苛立たせてしまうように、私達もキリストの庇護に入ったからには、世という親元からは離れていなければならない。
女の居場所は男の腕の中、脇腹の所であるように、私達教会の居場所も、キリストの腕の中、脇腹ぴったり寄り添っているべきである。
キリストは私達教会のために、いのちを投げ出して下さった。それ故、私達教会はキリストを敬い、従うのであり、それこそ夫婦生活のお手本である。

礼拝説教メッセージ音声:人に任された管理責任(創世記2:15-20):右クリックで保存
韓国語通訳有

神は人に、エデンの土地を耕し、守る仕事を与えられた。(15節)
私達は、たといエデンのような素晴らしい所が与えられるとしても、ただ安穏と何もしないのは御心ではなく、与えられた領域をしっかりと管理し、私達という人間性をしっかりと耕して、豊かな実を結び続ける努力をしなくてはならない。

神が人に与えられた命令は「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(2:16-17)
神は、して良い事としてはならぬ事、そして、してはならぬ事をした結果、どのようになってしまうのかを、明言した。

神は、ずっと後に定められる律法においても、また、イエスキリストの福音においても、して良い事としてはならぬ事、そして、してはならぬ事をした結果どのようになるかの明示は、必ずなされる。
私達は生かされている領域を、しっかりと耕して管理し、神様から示された良い事を為し、してはならぬ事をしない、という事を、守り続けるべきである。
エデンにおいて唯一してはならなかった事とは、善悪を知る知識の実を食べる事だったが、今私達も、神から離れた独善的な善悪判断は、してはならない。

神が唯一「良くない」と言われたのは、人が独りでいる事だった。(2:18)
1章26節において神は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」と仰せられたが、神は三にして一なるお方であるように、人間もまた、神の前に夫婦は二人にして一人である。

さてここで、神は男と女とに創造されたと1章では書いているのに、2章ではなぜか、男が独りのままである。これはどういう事だろうか。
1章での創造の時、エバはまだアダムの脇腹にいて、外見上はアダム独りであったかもしれないが、神の目は、アダムの中にいるエバを既に見ていた、と思われる。
それと同じように、キリストを信じて救われ、キリストの花嫁となった私達も、キリストが十字架につけられ死んだ時、キリストの脇腹にいて共に死に、キリストが復活した時、共に復活し、キリストが天に昇られた時、共に天の所に座させてくださったのだ。(エペソ2:6)

神は人のところに、野の獣、空の鳥を連れてきて、それにどんな名をつけるかを見ていた。(創世記2:19)
親が子に名前をつけるように、名前をつけるとは、その者の支配者であり保護者であるという事を示す。
人は元々、全ての生き物の支配者として創られた。(1:28)
アダムの所にライオンなどの強い獣が連れられた時も、彼は全く恐れず、名前をつけて支配する側となったように、私達も、神様が送って下さったあらゆる状況に対して、主にあって恐れる事なく、正しい名をつけ、御言葉に沿った正しい判断をして、支配者として立つべきである。

神が創造された生き物に、人間が名前をつけ、そうして全ての生き物は、神と人間とによって共同で支配されるものとなったように、私達もキリストと共に全てを治めるのである。

『次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」』(2テモテ2:11-13)

礼拝説教メッセージ音声:エデンの園と新しいエルサレム(創世記2:4-14):右クリックで保存
韓国語通訳有

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり(ヤッツァー:form)、その鼻に命の息(ネシャマ:霊)を吹き入れられた。人はこうして生きる者(たましい)となった。」(7節)
人の構成は、土を素材とする「体」と、神の息を素材とする「霊」と、霊が吹き込まれた時に出来た副生物「たましい」の、3要素から成る。

神は人間を、ご自身の手によって練り込んで形づくり、ご自身の息吹を吹き入れられ、特別な存在として造られた。
人は、神の霊抜きにはただの塵にすぎず、元々、神と関わるように創られているのだ。

「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。」(5節)
創世の時代は雨が降らず、地の面は、立ち昇る露によってまんべんなく潤されており、主の恵みと支配が、まんべんなく行き届いていた状態だった。(ハバクク2:14)

神はさらに、人の必要を満たす所、また、人の働くべき所として、エデンを造られ、そこに命の木と善悪を知る知識の木とを、生えさせられた。(8-9節)
この「命の木」、すなわちキリストを選ぶか、それとも、「善悪の知識の木」すなわち自分で善悪判断する道を取るか、という選択は、聖書を一貫して貫く重要テーマであり、私達人間には、常にその選択が迫られている。

黙示録21章以降に、全てが成就した世界の有様が記されている。
そこにも命の木は登場するものの、善悪の木は、もはやそこには無く、神と人とは共にひとつとして住み、もはや呪われるべきものは何も無い。(黙示録22:3)
呪われるべきものとはすなわち、神から離れて善悪判断する生き方であり、その善悪判断の集大成である律法に拠る人々は、全て呪いのもとにある。(ガラテヤ3:10)

「エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。」(創世記2:10)
黙示録においても、いのちの木やいのちの水の川が流れている様を見る。
いのちの木の実を食べる者、すなわち御言葉なるイエスキリストを食べる者は、その人の腹から命の水が川々となって流れ出るようになり(ヨハネ4:14)、神が住まわれる神殿となり、天におけるまことのエデンに入る事が許される者となる。
エデンから流れる川々のほとりからは、良質の金や宝石類が産出し、その川の水によって諸国に恩恵をもたらした(創世記2:11-14)。
同じように、黙示録におけるまことのエデン、新しくされたエルサレムでも、諸々の宝石や、透き通ったガラスのような純金によって豪華絢爛に飾られており(黙示録21:18-21)、川は諸国へと流れて行き、諸国を潤し、癒す。(黙示録22章)

創世記と黙示録のこうした一致は、人間の完成とはすなわち、神から離れて善悪判断しつつ生きる道を捨て、キリストなる命の木に結び合わされ、神とひとつとなって共に住む事であるからだ。

礼拝説教メッセージ音声:神の安息(創世記2:1-3):右クリックで保存
韓国語通訳有

万物の創造は、第六日目に人間を創られた事において成就し、神はその時、なさっていた創造わざの完成を宣言された。
神は元々、人間を中心に想定して全被造物を造られたのであり、最後に人間が創造世界の中に収まった様子を見て、全てを「はなはだ良かった」と満足され、安息され、休まれた。

創世のはじめにおいて、人は神と共に住み、神に対して何の恐れもやましさもなく、裸でも恥ずかしいと思わない程、無邪気で親しい関係にあった。
また、黙示録においても、全ての「成就」は、神と人とが「ひとつ」となる事である事が記されている。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。・・・事は成就した。」(黙示録21:4-6)

創造の完成の当初は、神が「はなはだ良し」と満足された程、良いものだったのに、今の世界を見るに明らかにそうでないのは、人間に罪が入ってしまい、罪ある人間が神の創造されたあらゆる良き物を、身勝手に台無しにしてしまっているからに他ならない。

神から離れてしまった人間が、再び神との平和の関係に入り、安息に入るには、御言葉を信仰によって自らに混ぜ合わせ、御言葉なるキリストと一体となる事である。(ヘブル4:1-3)
「信じたわたしたちは、この安息にあずかることができるのです。」(ヘブル4:3)
それ故、安息に入れない者とは、聞いた御言葉に従おうとしない者(ヘブル3:18)、不従順の者(同4:6)、心をかたくなにする者(同4:7)である。
安息日の休みは、信仰によって救われる者達のために残されており、そして神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分のやりくりや頑張りを終えて、休みに入る。(同10節)

御言葉なるキリストを信仰によって自身に混ぜ、キリストとひとつとなり、神の安息の内に居続ける皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:はなはだ良かった(創世記1:24-31):右クリックで保存
韓国語通訳有

創造の第六日目、神は地上の生物を造られ、そしていよいよ、人間を創られた。

人間は言葉で意志伝達し、火を使い、技術を向上させるなど、他の動物と違う所は色々あるが、何より根本的に違う事は、人は「神のかたちに創られている」事である。
人は、神さえ犯す事の出来ない尊厳があり、創造主である神に不従順する事さえ神が許された程、人の自由意志とは尊いものである。

神はご自身のかたちに人を創造し、全ての生き物を支配するよう、命じられた。

果たして人間ごときが全てを支配して良いものだろうか?という疑問が沸くかもしれないが、そもそもその疑問が沸く事が、人には「罪」があるという事の証左である。
この時代、人はまだ罪を知らなかった。
「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。・・・被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。」(ローマ8:19-23)

神は、全てを支配するようにと人を創られており、人間こそ、全被造物・全宇宙の、中心的存在である。
そこまで言うのは傲慢だ、人間は逆に地球のガン細胞だ、と言う者もいる。
しかし実際のところ、全被造物のガンとは、全てを破壊して混沌へと導き、人間をも欺き、人類に罪を導入し、人類ばかりでなく、被造物全体を悲惨のうめきに閉じ込めてしまったサタンのほうである。

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」(エペソ1:3-5)

神が、私たち人間を、天のあらゆる霊的祝福で満たそうと、愛を持って定めらておられたのも、私達がキリストにあって祝福を受ける事が定められたのも、なんと、天地創造の前からである。
「光よあれ」と神が言われる以前から、すでに神のご計画の中には私達が存在し、汚れのないキリストの花嫁として、私達を定めておられた、というのである。
この途方もない事を、信じられるだろうか?
しかし書いてあるからには、信じるしかない。

第六日目に神が人を創造し、そして完成した全てのものをご覧になった時「はなはだよかった」と神は言われた。(31節)
神の創造は元々、完全な調和にあり、完全な美しさに満ち満ちていたのである。

今の被造物世界も、私達自身も、そのような創造本来の在り方から大分離れてしまっているが、その本来あるべき姿に戻るにはどうしたら良いのか?
それは、一言で言えば、キリストの内に戻る事である。

キリストにあって本来あるべき状態へ戻り、キリストにあって創造当初の「はなはだ良い」状態の内を、歩み続ける皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:天にて統べ治める(創世記1:14-23):右クリックで保存

創造の第四日目、神は、天の領域にて昼と夜とを区別するために、大きな光る物と、小さな光る物とを造(アサ)られた。
これらは地上を照らすものとし、季節や日、年を示すしるしとならせた。

大きいほうの光る物、すなわち太陽は、イエスキリストのようであり(マラキ4:2)、また、小さいほう光る物、すなわち月は、教会のようである。
月は、太陽の光を受けなくては光を発せないように、教会は、キリストの光を反射させなくては光れるものではない。
「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。」(2コリント3:18)

今の時代、キリストは誰の目にも明らかに見える形で現れてはおらず、教会が義の太陽なるキリストの光を受けて、夜空に輝いているような時代であり、一人ひとりの信仰者達は、かのアブラハムが見た暗闇に輝く夜空の星々のように、闇に覆われた時代において、アブラハムの子孫として輝いている。
朝になると、圧倒的な光を放つ太陽が昇るように、キリストはやがて、義の太陽として、誰の目にも明らかに見える形で昇られる。

創造の第五日目、神は、水の生き物と、空を飛ぶ鳥を創造(バラ)された。
水は死をあらわし、空中は悪しき霊的勢力の拠点である事を、前々回学んだが、水や空の生き物は、キリストにではなく世に属する人々のようである。

私達は以前は、自分の過ちと罪という「海」の中にどっぷり浸かっており、この世を支配する者、かの「空中」に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従って、過ちと罪を犯しつつ歩んでいた。(エペソ2:1-2)
海や空中の生き物たちのような中にいて、共に肉の欲望の赴くままに生活し、生まれながら神の怒りを受けるべき者だった。
しかし憐れみ豊かな神は、私達をこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいた私達をキリストと共に生かし、キリスト・イエスによって共に復活させ、共に「天の王座」に着かせて下さった。(同3-6節)

そして私達は、天の王座において、キリストと共に全ての事をさばき、全て地上のものを、統べ治めるのである。

創造の日々は、使徒信条にとても符号している。
「主は聖霊によりて宿り、おとめマリヤより生まれ(第一日)、ポンテオピラトの元で苦しみを受け、十字架につけられ(第二日)、死にて葬られ、三日目によみがえり(第三日)、天に昇り、全能なる神の右に座したまえり(第四日)。かしこより来たりて、生ける者と死にたる者とを裁きたまわん(第五日)。」

私達は、キリストと共に天の王座に座している、というアイデンティティに立ち、罪に飲まれる事なく、死に飲まれるのでもなく、むしろ全ての事をキリストにあって支配する皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:水からの分離と実を結ぶ木(創世記1:9-13):右クリックで保存
韓国語通訳有

創造の第三日目、神は水と渇いた地面との区別をされ、種を生じさせる草や木、果樹を創造された。

水は、死や災い、さばきを意味し(創世記6:17、出15章、ローマ6:4)、その水の中から土が現れる様は、死からの復活を暗示する。
土(アダム)は人の組成そのものであるが、三日目に水の中から現れた土は、第二のアダムであるイエスキリストの復活を思い起こさせる。

神は、水と渇いた所の境界を定め、ここまでは水が来て良い、ここからは越えてはならない、と命じられた。(詩篇104:5-9)
同様に、神は災いや死に対しても境界を定めかれ、キリストにある私達には、災いに対して来てはならないと叱り、必要な時には、救いに預からせるために災いを許可される。

第三日に水から上がった土地、すなわち、キリストに繋がって死からの復活を経験した者達は、実を結ぶようになる。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ15:5)
「あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」(同8節)

第三日目、地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。
神はそれを見て、良しとされた。
この地上で実を結ぶ植物は、実に多様な種類があるように、死と復活を経たキリスト者達も、実に多様な種類があり、それぞれ結ぶ実もユニークであり、私達が身を結ぶことによって、神はよしとされるのである。

肉に対しては死に、キリストと共によみがえった者として、まことのぶどうの木であるキリストに繋がり、ますます豊かな実を結んで行く皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:神が唯一「よし」としなかった創造の日(創世記1:6-8):右クリックで保存
韓国語通訳有

創世の第二日は、神が水を分けて大空を造り、水と大空とを区別された日であるが、この日は、他の日とは違う特筆すべき特徴がある。
それは、他の日の創造は、神が「よし」と言ったのに、この第二日目だけ「よし」と言っていないのだ。

そのヒントを、以下の御言葉から得る事が出来る。
「この世を支配する者、かの「空中」に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。」(エペソ2:2)
空中は、悪しき霊どもがその勢力を置く所であり、この第二日目の、水(アビス)と大空との分離の時に、その霊が解き放たれてしまったためではなかろうか。

では、その悪しき霊どもは、一体なぜこの時、存在していたのか。
また、エデンにはサタンがいたが、一体いつのまに存在したのか。
それに対して色々な説が唱えられているが、そのうちの一つとしての参考に、G.H.Pemberの「ギャップセオリー」を紹介したい。

ギャップセオリーとは、創世記1章1節から3節までの間に、膨大な時間(ギャップ)があったのではないか、という理論である。

創世記1章1-2節は、「初めに、神は天地を創造された。(しかし)地は混沌となってしまった」と訳す事も出来る。
1節のみ「バラ(無から有の創造)」が使われており、それ以降の創造は、生物を除けば「アサ(既にある素材から物を造ること)」が用いられている。

「神である方、天を創造し、地を形づくり/造り上げて、固く据えられた方/混沌として創造されたのではなく/人の住む所として形づくられた方」(イザヤ45:18)
1節の創造「バラ」は完璧であったのに、1節と2節の間に何かの事件が起こり、地は混沌と「なってしまった」のだ。
一体何があったのだろうか。

エゼキエル28章やイザヤ14章には、サタンの反逆と敗北、地に落とされた様が記されており、この反逆によって、当初の完全に調和の取れていた神の創造が破壊され、混沌となってしまったと思われる。
「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。
この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。」(黙示録12:7-9)

黙示録に出てくる「海」は、獣が出てきたり、長らく閉じ込められていたりする所で、あまりいい印象を受けない。
実は、ここに出てくる海は「アビス」で、創世記1:2にて「大いなる水」とも「深遠」とも訳されている言葉である。
イエス様がレギオンを追い出す時、悪霊どもは「底知れぬ所」に行けとは命じないように懇願したが、この、悪霊の嫌がる「底知れぬ所」がアビスである。

つまりアビスとは、悪しき霊的勢力が天における戦いに敗れ、閉じ込められた所である。
しかし第2二日目の時に、その一部が解き放たれてしまい、悪しき支配者は、この空中を根城にして、今も不従順な者たちに働いている。
だから二日目には「よし」が無い、というのだ。

しかし、神はやがて、空中を根城にしているサタンの勢力も、アビスに閉じ込められている全ての悪しき者達も、罰される。

礼拝説教メッセージ音声:秩序をもたらす神(創世記1:1-5):右クリックで保存
韓国語通訳有

今日より講解説教は創世記に入る。

「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1:1)
ここで「神」と訳されている言葉の言語は「エローヒム」、崇高なるお方「エローア」の複数形であるが、「創造された」の動詞は、なぜか単数形で用いられている。
例えば英語で「They is God」と書けば文法ミスになるが、そのような、一見文法ミスであるかのような書き方が、わざと為されている。
それは、神は一にして三なるお方、すなわち父・子・聖霊なる三位一体の神であるからである。

また、ヘブライ語に「つくる」という言葉には3種類あり、一つ目は「バラ」(create)、無から有を創造する意味で、二つ目は「アサ」(make)、既にある材料を加工して作る意味で、3つ目は「ヤッツァー」(form)、粘土などを練り上げて形づくる意味がある。
1節の創造は「バラ」が用いられ、全くの無から有への創造であり、この「バラ」は他にも生物や人間を創る際にも用いられている。

「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」(2節)
この節からは、非常に広大で、暗澹とした情景を思い浮かべるが、その暗闇で混沌な深淵においても、神の霊は動き、その全てを御翼で覆っておられたのだ。

そして神は、その闇と混沌に対して「光よあれ」と言葉を発された。
それまで光の無かった世界に光が提供され、神は光を「よし」として闇と区別された。

神は、天地創造の御業において、混沌状態の中から光と闇を区別されたように、混沌状態からあらゆるものに秩序をもたらし、光を「よし」として闇には「よし」と言わなかったように、何が「よし」で何がそうでないかを区別される。

この天地創造の有様は、私達が整えられる有様にもよく似ている。

私たちがまだ大いなる闇の中にあった時、神はその御翼の陰に私達を覆い、導いておられた。
私たちは以前は暗闇であったが、ある時、キリストという義の太陽があらわれ、この光なるお方によって造り変えられ、光の子とされた。
秩序である神は、以前は混沌であった私達をも、御言葉によって秩序がもたらし、区別し、「よし」の状態へと導かれた。

創造のみわざの素晴らしさを、これからますます味わって行きたい。

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