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メッセージ - ガラテヤ人への手紙カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:キリストを目指した歩み(ガラテヤ1:11-24):右クリックで保存
韓国語通訳有

「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。」(11節)
ガラテヤの聖徒達を惑わした偽使徒達は、エルサレム教会のお墨付きである事など、人間的な事を根拠に、自分達の権威を主張したが、パウロはその真逆で、人間的な所に根拠を置く事は一切排除し、ただキリストによってのみ召しだされ、導かれ、宣教のわざを為した事を主張したのが、本日の箇所である。

パウロは元々パリサイ人で、キリスト者達を牢に入れたり、死刑に定めたりして来たのに、ある日突然逆転し、キリストを迫害する者から、宣べ伝える者へと変えられた。
その事は、当時のキリスト者には誰にも知られていた所である。
それは人間業ではなく、ただキリストご自身が、圧倒的な臨在と力によってパウロを造り変えた、としか説明がつかない。

パウロが造り変えられた時、そ事の相談は、パリサイ人の先生にも、キリスト者の使徒にも相談する事は出来ず、彼は主と一対一で向き合うためにアラビヤ(荒野)に出て行き、そこでおそらく主との直接的・濃密な時間を過ごした事だろう。(16-17節)
それから3年後、彼はエルサレムに行くが、ペテロと交わったのは僅か15日のみ、また、主の兄弟ヤコブの他は使徒には会わず、すぐにシリヤおよびキリキヤの方へと退いた。

そういうわけで、彼は、偽使徒達が誇りにしていたエルサレム教会とは、ほぼ接点は無かったが、しかし彼はエルサレム教会のどの使徒よりも、力強く主にあって働いた事は、明白な事である。
パウロは、ペテロが神を見ず人を見て、本心に偽った行動を取っていた事を、面と向かって責め立てた程、信仰の面で研ぎ澄まされていた。
エルサレムの指導者達の集まりの中で安穏としていた大使徒達に比べ、荒野で主と一対一で交わったパウロの方が、健全な信仰だったわけである。

キリスト者が信仰生活を歩む上で欠かせないのは、主イエスキリストと直接的に出会い、主と一対一で向き合う事である。

キリスト教といえば、弱い人を憐れんだり、社会活動をしたりする人達だと思う人もいるだろうし、あるいは魅力的な牧師と出会って、彼のような人格者になりたいと思う人もいるかもしれない。
素晴らしいキリスト者を模範にするのは大いに結構だが、そのように、人間の誰かを第一として目指す歩みは、実は「キリスト者」とは言えない。
キリスト者が目指すべきは、素晴らしい牧師のような人格者になる事ではなく、キリストから目を離さず、キリストご自身を目指すべきである。

アンテオケで「キリスト者」と呼ばれるようになった根拠は、元々、彼らは「キリスト気違い」と揶揄される程、キリスト、キリストしか無い者達だったからである。
キリスト者とは、キリストと出会い、キリストに魅せられ、キリストのために生きる者達である。

私達が日々歩み続ける目標は、どこにあっただろうか。
キリスト以外にあった場合は、キリストへと軌道修正したい。

礼拝説教メッセージ音声:早速の叱責(ガラテヤ1:6-10):右クリックで保存
韓国語通訳有

「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。」(6節)
パウロの他の手紙で1章6節といえば、まだ賛辞や挨拶が続いているはずであるが、ガラテヤへの手紙に限っては、早速叱責へと移っている。
キリストは、私達の罪のために命を投げ打って救ってくださったというのに、そのキリストを早くも離れ、ほかの福音に乗り換えつつある事を、パウロは驚愕したからである。

敵は私達に与えられている自由を妬んで、私達から自由を取り上げ、束縛の奴隷へと落ち込ませようとして、忍び込んできている。
「潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。」(ガラテヤ2:4)
もし私達が、兄弟姉妹や牧師などの話を聞いた時、心に汚れた思いや束縛感が増し加わるなら、それが御言葉の真理から来たものか、すぐに照らし合わせる必要がある。
真理は私達を自由にするものであり、聖霊は清い御霊であるから、たとい、御言葉が私達の行動を制限するとしても、その制限の内に健全で自由な霊が増し加わるものだからである。

「しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。」(8節)
「呪われるがよい」という言葉「アナテマ」は、神の庇護から離れ地獄へ堕ちよ、と言うほどの、とても厳しい言葉である。
ことに、つまづきを与えて人の信仰を貶めるような者に対しては、主も同じように厳しく言っている。(マルコ9:42)
つまづかせる者は、それほど災いなのであり、たとい、御使いのような者であっても、また、御使いであっても、災いである事には変わりない。

一体ガラテヤ人達は、なぜ一たび自由にされたのに、律法の束縛に戻ろうとするのか。
それは、「すがるな、味わうな、さわるな」といった教えは、あたかも賢いもののように人には見えるからであり(コロサイ2:20-23)、また、そのような困難を自分に課した事で、自分を誇る罠に陥り易いからである。
しかし、一時的な自己顕示欲を満足させるために十字架を覆い隠すような事があってはならず、キリストというお方の栄えを差し置いて「私達」の栄えを押し出してはならない。
私達も、十字架の福音語らずキリストを覆い隠そうとするなら、この偽使徒達のように、呪われるべき者となってしまう。

救いに至る道は唯一、主イエスの十字架であり、その他に救いの道は無く、私達も十字架以外に誇りとするものは決して無いのだ。

礼拝説教メッセージ音声:譲ってはならないキリストにある自由(ガラテヤ1:1-5):右クリックで保存
韓国語通訳有

ガラテヤ人への手紙は、いつ、どこで、また、ガラテヤのどこに書かれたかはあまり定かではなく、状況的な手がかりを書面から余りつかめない程、パウロは本質だけをこの手紙で簡潔に書いている。

この手紙は全体的に論駁的で、それは福音の本質である「キリストにある自由」を侵害する者に対するパウロに怒りと、その者達によって欺かれてしまったガラテヤ人へのうめきに満ちているため、2コリントよりさらに情熱的な論調である。

イエスを信じる信仰によって救われる、というシンプルな福音に混ぜ物をし、割礼を受けさせる等、律法の行いをしなくては救われないと主張して、キリストにある自由を侵害する事を、パウロは決して赦す事ができなかった。
だから彼は1章1節の最初から、自分の使徒としての権威は人間からのものではなく、イエスキリストにある神から出たものである事を宣言し、そして4節では、キリストはあなたたたちを悪から救い出すために、いのちを投げ出して下さったという真理を宣言している。

あたかもキリストの贖いは不完全で、それに人間が何かを付け足す事によって救いを完成しようと思っているガラテヤ人を、パウロは真っ向から牽制したが、私達も同じ過ちに陥っていないだろうか。
キリストがただ一度、いのちを投げ出して提供して下さった十字架の救いは、完全であり、自分の何か頑張りも添えて完成させよう、などと思うのは、謙遜ではなく傲慢である。

「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。
 どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ガラテヤ1:4-5)

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