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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

鄭先生 早天礼拝説教メッセージ音声
祈りに力をつけなさい(コロサイ4:1-6):右クリックで保存
日本語通訳有

主は、疑わず信じて祈る者に報いてくださるお方である。

いつも祈りつつもその祈りが聞かれた時は意外と信じていなかった使徒たち(使徒12:13)のようではなく、祈り求めたものは既に得たという信仰、感謝できる信仰を持つように。

この邪悪な時代において、いつも醒めた者として、知恵深く、多くの祝福の言葉をちりばめて祈り、人々に希望を与える者でありたい。

今日、鄭先生が来られ、一緒に食事をしました。

明日の早天礼拝から御言葉の奉仕をされますので、使徒の働きシリーズは来週火曜までお休みとなり、その間鄭先生のメッセージを配信します。

 

礼拝説教メッセージ音声:恥の歴史:モーセ(使徒7:17-43):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

ステファノが訴えられている理由の一つは「モーセの教えを覆そうとしている」である。
彼はモーセについて詳しく説明しているが、彼の語るモーセの歴史は、主の御前にユダヤ人にとって不利な内容であった。

モーセには実に多くの徴や不思議、明らかな神様のわざと、力ある言葉があったが、人々は受け入れなかった。
27節「誰がお前を立てて我らの指導者や裁判官にしたのか。」
この言葉は、ユダヤ人がモーセに語った言葉だが、イエス様にも語った。

そのモーセは、イエスの雛形である。
イエス様も、諸々の徴を通してお生まれになり、多くの幼子が殺された中から救い出され、エジプトで一時期匿われ、そこから抜け出して来た。
イエス様は、言葉にもわざにも力があり、明らかな奇跡でもって神から遣わされた者である事を証明したにもかかわらず、人々は彼を退けた。

モーセはイスラエルに預言して言った。
「神は私を立てられたように、あなたたちの兄弟の中から、一人の頚言者を立てられるであろう」(37節)
ユダヤ教の人たちは現代でも、モーセの預言したこの預言者を待ち望んでいるが、それはイエスであり、彼こそ天と地の間に立ち、御父と私達人間の間に立つ中保者である。

モーセは契約の石板をいただいた時、群集は好き勝手に、手で作った偶像を礼拝し、楽しんでいた。
そこで神様は彼らに背を向け、好き勝手のままにして、滅びるままにさせた。

このように、ステファノは、ユダヤ人は尽く神の立てられた預言者に逆らって来た事を証言し、
彼らが誇りにしてきた自分達の「言い伝え」が、いかに好き勝手なもので、荒野で民が作った偶像と同じであるかという事を、明らかにした。

一見するとステファノは、大勢対一で告発され、罪定めされているかのように見えるが、しかし彼は歴史と御言葉を盾に、天においては、逆に告発し罪定めしているのである。

私達も真理を盾に訴えなくてはならない状況がある。
もちろんステファノのように、大勢対一ではないかもしれないし、命の危険がある場面ではないかもしれない。
彼が真理を語った報酬は死であったが、我々の場合はそうではなく、改心と感謝の涙に溢れているかもしれない。

いずれの状況であっても、御言葉を盾に、御霊に満たされ、力と知恵に満ちた言葉で語る皆さんであります様に。
イエスの名によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:恥の歴史:アブラハム〜ヨセフ(使徒7:1-16):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

ステファノが訴えられた内容は、彼がモーセと神に冒涜の言葉を吐き、イエスが神殿を壊しモーセの慣例を変えると言っていた、というものである。
それに対してステファノの弁明が始まったが、それは唐突に、イスラエル歴史の最も父祖であるアブラハムの話からだった。

彼の歴史観は、人間視点ではなく神視点であり、訴える者達が当然のように持っていた自民族の栄光の歴史ではなく、神に対する反逆の、恥の歴史であった。
彼らは律法や神殿を誇りとしているが、いかに神様の示された約束や救い、憐れみから反逆して来たか。

アブラハムが義とされた理由は、信仰である。
彼は行き先が分からないのに、神様の言う通り出て行き、まだ子孫も約束の土地が一幅も与えられていない時に、子孫にこの土地を受け継がせようという約束が与えられ、それを信じた。

また、アブラハムに割礼の契約が与えられた。
割礼とは肉体の一部を切り取り、神の民という印を残すものであるが「肉に頼らない」という意味もあり、また、神様への感覚が開かれているという意味もある(51節)。
つまり、神の民である所以は、神様の約束を信仰を持って受け取る事、肉に拠り頼まないという事、そして神様に対して感覚が開いた状態である事である。

しかし彼でさえ約束を信じられない時があった。
割礼の契約は彼が99歳の時に与えられたが、その前に、約束を待ちきれず、肉の力でイシュマエルを生んでしまい、割礼の契約が与えられた時、イシュマエルが祝福を受けますように、と告白している。
祝福の約束は、まだ産まれていもいないイサクに対するものだったが、神はアブラハムの不信仰も赦し、憐れみ、イサクを生ませて下さった。
イサクが産まれた時、8日目に約束どおり割礼を受けさせた。

そこから時代は飛び、イサクの子やコブの子12人の族長の話になるが、真っ先に出た話題は、族長達がヨセフを妬んでエジプトへ売った話であった。

ここで見るべき特徴は、妬みである。
ステファノを捕らえた最たる動機も、妬みだ。
ステファノのメッセージは「兄弟達、父たちよ、」で始まり、族長達は罪の無い兄弟を妬みによって売り飛ばしたが、同じように兄弟達あなた方も「妬んで」訴えるのか、と促している。

ヨセフは苦難を受けたが、神様は恵みを施して下さった。
結局神様はヨセフを通して12部族もヤコブも救って下さり、族長達の悪い行いさえも益と変えて下さった。

イスラエル民族の歴史は、罪の故に自業自得の苦しみに陥っても、神様はその苦難から救い出すという繰り返しである。
訴えた者達は、自民族を誇って来たが、実は誇れる点は、何も無いのだ。
私達は罪人であるにも関わらず、それでも恵みによって救われている者達である。

神がアブラハムを義と認めたのは、彼に何か優れた所があるからではなく、彼が「信じた」からである。
神の民たる印は割礼だが、それは肉の力に頼らない事、神に対して耳と心が開かれているという事である。

信仰によるアブラハムの子孫である皆さんも、肉に頼らず、信仰によって神様と関わり、神様に対しての感覚が開かれた者達でありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

今日もなぜか第2礼拝中にコンピュータがおかしくなり、急遽私がメッセージを取り次ぎました。

教会には新しい中国の親子が来られ、子供達が走り回るにぎやかな交わりとなりました。

3つの礼拝の後、聖書の学び会をし、交わりし、それからPennyさん達が来て、21時現在の今も交わり中です。

礼拝説教メッセージ音声:

第一礼拝(日本語): 御言葉はそのままに(黙示録22:18,19):右クリックで保存

第二礼拝(韓国語通訳つき)メッセージ:右クリックで保存

週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

9x9は、81である。
九九は算数の基本中の基本で、小学2年で学び、その時は訳も分からず覚え込ませられるが、大学に行っても、社会に出ても、計算の際には必ず必要になってくる。
当然のごとく、誰も9x9を20とは主張しないし、81以外の例外を証明できた者はいない。
算数や数学の答えは単純明快、世界共通であり、私情を挟む余地が無いものである。

主イエスは、算数という「ことば」を創られたお方であり、主の御言葉の一点一画が落ちるよりは、算数や物理法則を含めた全宇宙の理(ことわり)が滅びる方が、はるかにたやすい。(ルカ16:17)
にもかかわらず、人は御言葉において、「私の9x9は11だ」とか「今日の気分は9x9=1だ」とか、「みんな一人一人、個性的な解釈があって良いんじゃないか」といったような事を、なぜか仕出かす。
9円の商品が9個欲しいなら、きっちり81円出さなくては、お店の人は商品を出さないし、「私の9x9は11だ」と主張しても、商品はもらえない。
それと同様、人の救いの贖い代は値高く、きっちり支払えるのは御子イエスのみである。(詩篇49)

聖書は算数よりも確かな法則で、「こうすればこうなる」の宝庫であり、蓄えれば蓄えるほど生きる上で必要な知恵に満たされ、信じれば信じるほど豊かになる。
収穫物の初物を捧げれば、主はきっちりと、倉に穀物を満たし搾り場に新しい酒を溢れさせてくださる(箴言3:9,10)し、イエスを信じれば、あなたもあなたの家族も救われる(使徒16:31)と書いてある。
倉が満たされないのは、主に捧げていないからであり、あなたもあなたの家族も救われないのは、肝心の「イエスを信じる」事をおろそかにしているからではなかろうか。

「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」(ヨハネ1:4)
御言葉は人を照らす光であり、人がどのような状態であるかを明るみに出す。

人は体重計に乗って、指し示す数字を見て「ひどい」と言う事は出来ない。
その目盛りが重すぎるのならダイエットすべきであり、それが軽すぎるなら、きちんと栄養を取るべきである。
「体重計は私の心を傷つけてばかりいるから、体重計の方が間違っている。」とか、「体重計が今100を示しているけれど、実はこれこれの意味があって、その場合は50と解釈すれば良いのだ」などと余計な解釈を付け足したりしていたら、いつまでも不健康のままである。
人は、そのような解釈による付け足しを、御言葉において、なぜか仕出かす。

御言葉が人を量る時、人の罪の本性を指し示す。それを希釈してはならないし、付け足してもならない。
罪から救い出せるお方はイエスキリストお一人であり、例え罪が緋のように赤くとも雪のように白くされる。
「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。」(黙示録22:18,19)
エバはサタンにそそのかされた時、善悪の実に「触れてもいけない」と、御言葉に勝手な解釈を付け加えたが、それはパリサイ派の種であり、偽りへ踏み出す第一歩である。
御言葉に対しての正しい対処は、御言葉は足し引きせず、そのままいただく事である。
御言葉は一人一人に対する愛の込められた手紙であり、信仰をもってそのままいただくなら、キリストの香りが春の花の香りのように心と霊、体に充満し、愛と嬉しさによって満たされるのである。

もっとも強力な祈りは、御言葉をそのまま祈る祈りであり、難しい事は考えずいつでもどこでもシンプルに
「イエスよ助けて下さい」と祈るなら、イエス(イエシュア=「神は救い」)は救いを与えて下さる。
御言葉ご自身であるキリストを豊かに住まわせる皆さんでありますように。イエスの名によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

英国Kingdom FaithよりPenny女史が来日していて、昨夕、カタコトの英語と身振り手振りでしたが、主にあって静謐とした交わりが出来ました。

その後、祈祷会では、暫く来ていなかったある姉妹が久しぶりに来ていました。

彼女は生活保護を受けているのに、日本の行事(正月や節分など)のたびにそういうグッズを大量に仕入れては”献品”してました。

献品といっても彼女の場合、行為が常時を逸していて、偶像を持ってきたり、こないだの節分の時には1万円以上の量の恵方巻きを買おうとしたりで、イエス様や兄弟姉妹が尊いからというのではなく変な霊に操られている事が明白だったので、今度来たらリアルに「鬼は外」してやろうと思っていたのですが、中々来ませんでした。

昨晩久しぶりに来て、今度は雛祭りグッズを置いて、礼拝に出ずに帰ろうとしたので、、、ついにイエスの名によって「鬼は外」しちゃいました。

彼女の口でイエスを主とする告白の祈りをさせ、「あなたから真理を覆い隠して不幸の中に縛っている奴が憎くて仕方ない」「だから是非イエス様を主として幸せになって下さい」と言ったら、攻撃性に固まっていた目が、人らしく変わって来ました。

その後の祈祷会では、集まった一人ひとりの口で「イエスは勝利を取られた」を賛美し、一人ひとりの口でエペソ1:3-5の御言葉を告白し、祈りの時間では「イエスよ助けて下さい」とだけ祈ったら、よく分からないけれどすごい嬉しさが沸き起こってきて、皆生き生きとなって行き、終わった時には皆若返った感じで帰って行きました。

その後は、最近教会に来ていなかった中国人が手伝っている新装オープンのお店にご馳走になりに行き、、、と、実に充実した日でした。

なんか、、、パスターになったこの1年で、10年分は生きた気がします。

礼拝説教メッセージ音声:御使いのような表情(使徒6:8-15):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

ステファノは信仰と聖霊に満ちた人で、民の間で大いに徴と奇跡を行っていた。
その彼に、外国のいわゆる会堂に属するユダヤ人達が議論を仕掛けたが、知恵と聖霊によって語ったため、太刀打ち出来なかった。
そこで彼らは人々をそそのかし、モーセや神に冒涜の言葉を吐いた、と言って最高法院に引き立てて行った。
もはやステファノに対しては、人の知識や経験では太刀打ちできないため、彼のように聖霊に満たされたキリスト者を黙らせるには、もはや偽りの証人を立てて捕らえるしか無いのである。

使徒の働きの学びをしてから、最高法院はすっかりお馴染みになってしまった。
ペテロほか使徒達は既に2回立たされたし、主イエス様も引っ立てられて行った場所で、ステファノも捕らえられて行った。

彼は最高法院にて偉い権威ある人達に囲まれ、その中に一人立たされた。
偽りの証人によって訴えが為された時、最高法院に集っていた憎悪の群集は彼に目を注ぐが、彼の顔は恐怖に怯えるどころか、逆に、御使いのように輝いた顔をしていた。
そのような状況において御使いのような表情になれるのは、必死の取り繕いではなく、聖霊によるものである。

主の証をする時は、御霊と知恵に満たされていないと、ボロが出てしまう。
人間の知恵や自分の栄誉のために福音を伝えるなら、こういった状況では対応出来ないし、御使いのような表情を取り繕おうとしても、胡散臭い顔になるのである。

イエス様は予めこう言われた。
「人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く、、、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。」(ルカ21:12-15)
私達はそのような状況において、がんばる必要は全く無い。
イエス様ご自身が口の言葉を与えてくださるから。

使徒7章は、非常に長いステファノのメッセージになっている。
アブラハムから始まり、モーセ、ダビデまでの歴史であるが、それは最高法院の者達が好きな栄光の歴史ではなく、父祖達が預言者や神の立てた者達に逆らってきた、恥の歴史であった。
ステファノは、メッセージを語ったがゆえに殺される。
このメッセージによって、悔い改めやリバイバルが起きる事は一切なく、一人残らず彼に歯軋りし、そして彼を殺すのである。

全ての義人たちの血はこの時代に降りかかる、とイエスは言った。
その通り、ステファノを殺した者達の時代のすぐ後に、エルサレムは包囲され壊滅し、義人達の血が降りかかった。

ルカ21:17-19「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

世のどんな荒波、どんな歯軋り、悪意、偽りに晒されても、霊肉ともに髪の毛一本すら乱されない程の御霊の満たしを与えられますように。
イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

礼拝説教メッセージ音声:12弟子の非道い(?)決議(使徒6:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

弟子達が増えるにつれ、教会にある問題が持ち上がった。
古今東西、教会には人間が集まる故、問題は付き物であるが、初代教会においてどのように問題を解決して行ったのか、またどのような事に優先順位を置くべきなのか、この箇所から多くを学ぶことが出来る。

問題とは、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちのやもめらが、日々の配給で、おろそかにされがちだ、というものであった。

人は何かと文化や言葉が違う者を理解するのが難しいものだが、当時の彼らにはそればかりでなく深刻な問題を生みやすい要素があった。

ギリシア語を話すユダヤ人とは、ローマ所属州の各地に住んでいる者達である。
なぜ外国に住んでいるのか、色々な理由があった。
ユダヤ近辺で商売するよりも、外国でするほうが儲かって裕福な生活が出来たり、ユダヤの堅苦しい文化を出てヘレニズム文化という当時としてはハイカラな文化を求めて行ったり、あるいは外国人と結婚してその地に住み着いている、といった理由である。

民族意識が強いヘブライ語を話すユダヤ人からすれば、そのような者達は神の民を捨てた、軽薄な、いけ好かない者であり、
ギリシヤ語を使うユダヤ人たちからすれば、彼らは頭の固い、古臭い、ダサい者達であった。
あまり仲がよろしくない集団が混ざり合っていたわけである。
そして、一方のやもめ、援助すべき弱者が、見過ごしにされている、というのだ。

人権意識の進んだ、上から下までクレーム対応第一の現代において、このような事が起こるとすれば、真っ先に取り組んで解決したい問題ではある。
12弟子はどのように問題を解決して行っただろうか。

12弟子が真っ先に語った言葉は、弱者を大切にしましょうとか、民族や文化の差別の無くしましょうとか、皆さんもっと仲良くしましょう、といった、現代人なら真っ先に考え付くようなものは全く無く、「神の言葉をほうって置いて、食事の奉仕をするのは良くない」である。
さらに3,4節、
「そこで兄弟たちよ、霊と知恵に満ちた評判の良い人達を、7人探し出してもらいたい。その人達にこの役割を任せよう。
他方、私達は祈りと身言葉の奉仕に専念しよう。」
邪険な見方をすれば、この12人は、この問題を別の人達に丸投げし、私達は別の事に専念しよう、とも見れる。
ヒューマニズム主義の人達からすれば、ずいぶんひどい対応に見える。
しかし、教会という所は、ヒューマニズムという人間中心で動くところではなく、御言葉が中心となって動く所である。

ここで12人が提案した、7人の選別基準は何であろうか。

食卓の奉仕なので、現代の教会であれば、栄養や調理のプロ、弱い立場へ配慮が出来る人、諍いやクレーム処理するのに長けた口達者な人、など、その道のプロを選ぶ所である。
ところが選別基準は、3節「霊と知恵に満ちた、評判の良い人」である。
社会的地位や能力の高さがあっても、霊と知恵に満ちていない人は、落とされるのである。
また評判の良い人でなくてはならない。
教会という閉じた世界では通用しても、外の社会で通用しないような者は、落とされるのである。
これこそ、教会の働き人を選ぶべき基準である。

この12人が、重大問題を差し置いて専念したかった事は、何だったか。

それは、4節「祈りと御言葉の奉仕」である。
人権問題は誰かに委ねて自分は祈りと御言葉の奉仕の方を優先するのは、世の考え方では「ひどい」かもしれないが、しかしそれがエクレシアにおける要職者の取るべき選択である。

エクレシアの主だった人達が祈りと御言葉の奉仕に専念し、霊と知恵に満ちた評判の良い人々がその奉仕に当たった結果、どうなったか。

7節「神の言葉は広まっていき、弟子達の数は猛烈に広がって行った。」
そして、使徒達を迫害していた祭司達さえも仲間に加えられていった。

今日、教会においてこのような増え広がりが無い原因は、教会で要職にある人々が、祈りや御言葉よりもヒューマニズムを優先させたり、
働き人として、霊や知恵に満ちていない者、社会で評判の良くない者が就いたりしているからである。

私達が評価すべきは、霊と知恵に満ち、そしてその実である評判の良い人である。
優先すべきは、祈りと御言葉の奉仕である。
これは教会においてだけでなく、家庭においてもこの優先順位を守るなら、大いに祝福される。

祈りと御言葉に専念し、大いに祝福される皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

1日より、ある若者を朝夕の祈祷会に全て参加させています。

ほぼ無理矢理のような感もあり、毎日が戦いのような様相もありますが、教会として人を良い方向へ導くためには、そのような戒めも必要だというのが聖書の語る所と認識しています。

「むちと戒めとは知恵を与える、わがままにさせた子はその母に恥をもたらす。」箴言29:15

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