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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:キリストの祭りと人の祭り(出エジプト20:23-25)
第一礼拝(日本語)礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝(韓国語通訳つき)説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

神の定めた掟
「あなたたちはわたしについて、何も造ってはならない。銀の神々も金の神々も造ってはならない。
あなたは、わたしのために土の祭壇を造り、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物、羊、牛をその上にささげなさい。わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。
しかし、もしわたしのために石の祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない。のみを当てると、石が汚されるからである。」(出エジプト20:23-25)
出エジプト20章は有名な十戒授与の場面で、この命令は、火と密雲が立ち込めるシナイ山の麓で、大地は震え、雷鳴と角笛の音が高く鳴り響くという、モーセさえ恐れて震える程恐ろしい状況の中で与えられた。
エジプトを出たイスラエル民族に、神が幾度も偶像を作ってはならないと幾度も命じたのは、神は見えないお方である故、人は神から目をそむけ、目に見える偶像や指導者のほうを頼りやすいからである。
私達が神に捧げるべき礼拝は、土、あるいは、ノミを当てない(汚されていない)石の祭壇の上で、まことの犠牲となられたイエスキリストのみを捧げるべきである。

人の祭り(出エジプト32:1-6)
ところがイスラエルの民は、指導者モーセが40日姿を見せなくなると、金の子牛という偶像の神を造って早くも逆らい、各自身につけていた飾りの品々を寄せ集め、ノミで型を作り、若い雄牛の鋳像を造り「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。(出エジプト32章)
そして焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えた。民は座って飲み食いし、立っては戯れた。
鋳像とは、鋳型にノミを当てて好き勝手な形を造り、そこに溶かした金属を流し込んで作る像である。
人の祭りは、人手による「型」にノミを当て、各自が身につけていた飾りを集約して流し込み、そうして作った好き勝手な「理想像」にいけにえを捧げ、その前にで飲み食いしたり戯れたりするのである。
主の大いなる御技の数々を経験し、主の臨在の雲と火の柱の前にあっても、自分の欲に従って動きたい者は、まことの神を押しのけ、節操無く好き勝手な神を作り出し、好き勝手な礼拝を生み出すものである。
こうした人の力による「理想像」は、古くはバベルの塔であり、神無しでやっていくための文明の利器である。
牛は畑の力であり(箴言14:4)、物を運んだり食肉にしたり、便利で有用な財産である。
そして人が神に捧げるべきものであるが、決して人間が神にしてあがめるものではない。
人にとって有用な牛や、文明の利器、あるいは指導者を偶像化し神格化し、まことの神以外を神とする行為こそ、最も忌み嫌われる罪であり、親子3代4代にも呪いを招く行為である。(十戒第1,2戒)

私達の勤め
モーセは民が乱れており、アロンが彼らをほうっておいたので、敵の物笑いとなっているのを見た。(32:25)
民が乱れかける最初の時、アロンはほうっておいたため節操無く乱れて行き、敵の物笑いとなった。
「主は彼らを滅ぼすと言われたが/主に選ばれた人モーセは/破れを担って御前に立ち/彼らを滅ぼそうとする主の怒りをなだめた。」(詩篇106:23)
本来神は偶像礼拝を忌み嫌われ、民はこの時全員殺されて然るべきだったが、それでも生き残れたのは、モーセが執り成したからに他ならない。
私達も破れを担って神と人との間に立ってとりなさなくてはならない。
また、我々のエクレシアにおいて「人の祭り」が兆候を見せた時、速やかにその芽を摘み取らなくてはならない。
我々はキリストがわたしたちの過越の小羊として屠られたため、混じりけの無い純粋なパンであり(1コリント5:6-8)そしてそれは、わずかのパン種によって容易に汚されてしまう。
人間の祭りの原因となる人の欲望や、人の手による業というパン種をきれいに取り除き、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで祭を祝うみなさんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

 

以前静岡の姉妹から譲っていただいたiphoneは、電話としても使えるようになりました。

今の所ネックとなっているのはアドレス帳がうまく引き継げない事で、SBショップ端末の転送ツールやgmailのインポート、iアプリなど色々試しているのですが、どうも満足いく結果が得られません。

でもうまく転送できれば、色々と便利になりそうです。

礼拝説教メッセージ音声:証人(あかしびと)(使徒22:1-21):右クリックで保存
韓国語通訳有

殺意の群集の中で殺されそうな所を辛うじてローマ兵に助けられたパウロが、群集に向ってどうしても弁明したい事があると言って千人隊長に願い出、語った内容とは。
それは、命乞いでも言い訳でもなく、キリストの証(あかし)だった。
パウロの証は、ゝ澆錣譴覦柄阿両態(3-5節)、▲ぅ┘垢暴于颪辰申侏荵と信じたきっかけ(6-11節)、神のパウロに対する目的(12-21節)の3部分に分けられる。

彼は以前、ガマリエルの元で厳格な教育を受けたパリサイ人で、キリスト者達を牢に渡し死に至らしめる者だった。
もし殺意の群集をなだめる事が目的なら、ここだけを強調して終わっておけば良かったかもしれないが、しかし彼は信仰の転換となった体験、天からの幻やナザレ人イエスの事を語らずにはいられなかった。
ダマスコの途上でまばゆい光に照らされ目からウロコが落ちた、使徒パウロの原点とも言える体験(使徒9章)は、22章だけでなく、26章でも異邦人アグリッパ王にほぼ同じ内容で証している。

その時パウロに同行していた者達は、9:7では「主の声を聞いた」、22:9では「主の声を聞かなかった」とあり、日本語だけ読み比べると矛盾しているかのように見える。
実は「声」のギリシア語では「音(noise,sound)」の意味も含み、また「聞く」のギリシア語では「理解する(reported, understand)」の意味も含まれている。
つまり、イエスの召命の声は、同行していた者に"ノイズ"としては聞こえていても、内容を"理解"できたのはパウロだけだったのである。

信じない者にとってはイエスの声はノイズだが、信じる者はその大いに重要な意味を悟り、内容を理解できるものである。
そして主の光に照らされた時、他の者は相変わらず目が見えていたのに、パウロだけは、生まれつきの目は見えなくされ、3日後に新たに見えるようにされたのだ。
このように主は召しだされた者を特別扱いされる。
そしてパウロはアナニヤと出会い、主イエスについて見た事、聞いた事の”証人”となるミッションを告げ知らされ、イエスを信じてバプテスマを受けるよう促された。

パウロは元々、エルサレムに多くの友人知人がおり、彼らに対して福音を伝えていくものと思っていたかもしれない。(19,20節)
しかし主の御心は、パウロはエルサレムから出て行く事、遠く異邦人に福音を伝えて行く事だったのである。(21節)
パウロは律法に精通し、なおかつギリシア語に堪能で、ローマ市民権も持っているという特殊な境遇だったため、彼の願いどおりエルサレムに留まっているのは、御心ではなかったのだ。

私達も一人ひとり、私達にしか出来ない特有の賜物とミッションが与えられている。
また、私達特有のキリストの証を、それぞれ持っているはずである。
それらを生かして主の御心を成し遂げて行く皆さんでありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

今日は一人で気ままに自宅でのんびりしたり、ぶらっと一人で外食したりして、主と二人きりの隠れ家タイムを楽しんでいます。

女性の中で、男性から「一人にしてほしい」と言われてショックを受けられる方は結構いるようですが、男はたまに一人になりたくなる生き物ですので、どうぞご安心下さい。

礼拝説教メッセージ音声:二人きりの隠れ家から(使徒21:27-40):右クリックで保存
韓国語通訳有

いよいよパウロはユダヤ人によって捕らえられた。
その時の騒乱状態はとてもひどく、「エルサレム中が騒乱状態に陥っている」との報告によってローマ兵が駆けつけてみると、パウロは殺意の群集にもみくちゃにされており、パウロがまさに殺されようとしていた時、ローマ兵が彼をかろうじて捕縛し、殺意の群集から守られた。
千人隊長は、パウロが何者で何をしたのかと尋ねても、各々違ったことを叫びたて、騒々しすぎて正確な事がわからず、パウロを連行する時は彼を担ぎ上げなくてはならないほど、群集は興奮していた。

そこまでの狂気の騒乱に遭ったなら、普通は声も震えて何も言えず、ローマ兵の陰で縮こまって群衆の前に二度と出たくなくなる所だが、パウロは落ち着いた声で千人隊長に「お願いです、あの民に話すことを許して下さい」と頼み、再び群集の前に出て、弁明する事を願い出た。
ステファノの時もそうであったように、主に満たされている者には、世のものならぬ平和がその人を支配し、その人の心も体も守られるのである。

「あなたがたの心が〔もうこれ以上〕かき乱されないように。神を信じ、また私を信じなさい。
私の父の家には住処(すみか)が多い。仮りにそうでなかったとすれば、あなたがたのために場所を準備しに行こうとしているなどとあなたがたに言ったりしただろうか。
そして、行ってあなたがたのために場所を準備したら、またやって来る。そして、あなたがたをこの私のもとに引き取ることになる。私のいるところにあなたがたもいるようになるために。」(ヨハネ14:1-3)

私達イエスを信じる者には、主が用意してくださった住処が確かに備えられているが、それは何も、死んだ後の天国の事ではない。
地上に生きる時でも、その隠れ部屋は確かに存在する。
いかに殺意の群集が押し迫り、死の危機の只中に入るとも、私と主・二人だけが知っている隠れ家の中で霊も体も匿われており、そしてそこから御言葉を伝える力と知恵が新たに湧き出て来るのである。
「王は私を奥の間に連れて行かれました。私たちはあなたによって楽しみ喜び、あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、真心からあなたを愛しています。」(雅歌1:4)

愛する主が用意して下さった二人きりの隠れ家で匿われ、平安と尊厳の内に歩む皆さんでありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:新しく創られた者として(使徒21:15-26):右クリックで保存
韓国語通訳有

人々は、断片的な情報から物事を誤解しやすいものである。
パウロは、イエスを信じた異邦人たちに割礼を強要してはならない、とは伝えたが、ユダヤ人はもはや割礼を受けてはならない、とは伝えていない。
事実、パウロはテモテを連れて行く時、しなくても良いはずの割礼をわざわざ施させたが、それは信仰が弱く知識の無いユダヤ人達の躓きとならぬよう配慮したからである。

「もしもあなたがたが割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに何の益をももたらされないであろう。私は割礼を受けているすべての人に再び証言するが、その人は律法のすべてを行なう義務がある。」(ガラテヤ5:1-6)

ここはユダヤ人に「割礼を施してはならない」と言っているのではなく、ガラテヤ(異邦人)のキリスト者達に蔓延している「私達も割礼を受ければ霊的に高い所へ登れる」といった誤解を解くためのものである。
何かの宗教儀式をすれば霊的高みに登れると思ったら、大間違いである。
「私にとっては、私たちの主イエス・キリストの十字架以外のものを誇ることは、断じてあってはならない。そのキリストをとおして、世界は私に対して、私も世界に対して、十字架につけられてしまっているのである。
まさに、割礼も無割礼も重要ではなく、むしろ新しく創造〔されることこそ〕が重要なのである。」(ガラテヤ6:14,15)

私達は世に対して、すなわちアダムにあって呪われた全ての物事、悪霊や堕天使、人間、権威、そうした世の諸々に対して、既に十字架につけられており、世の諸々も私達に対して十字架につけられている。
この十字架にあって私達は、決して超えることの出来ない死という断絶によって世の諸々からは完全に分離され、イエスキリストの側にいる者達とされた、新しく創られた者達である。

割礼といった宗教儀式による神に向っての歩みは捨て去り、キリストにあって新しく生まれ変わった者として、新しい創造として歩む皆さんでありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

今日は早天の後、午前中に韓国信徒の方と一緒に役所に行き、午後は水曜礼拝と聖書勉強会、そしてさっき夕礼拝が終わって、皆帰った所です。

今週に入ってから、この教会に初めて来られた方が3名になりました。

たまたまこの教会を見つけたので立ち寄った、あるいは、前からこの場所に教会があるのは知っていたけれど中々入れなかった等、いずれも人間によってではなく主によって導かれてきたかのようです。

今まで私達が知らなかった道を、主が先頭となり、しんがりとなって導いてくださっているかのようです。

主のなさる事に期待しつつ。

礼拝説教メッセージ音声:行くか行かぬか(使徒21:1-14):右クリックで保存
韓国語通訳有

パウロはエルサレムを目指して進んでいたが、行く道々の兄弟姉妹達は、パウロの苦難が聖霊によって示されていたため「行ってはならない」と涙ながらに懇願した。
しかしパウロは、頑なに人々の涙ながらの願いを振り払い、どうしてもエルサレムに行かねばならない、と言って聞かなかった。
「あなたたちは泣き、私の心をくじいて、どうしようというのですか。私は主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られるだけではなく、死ぬことさえも覚悟しているのです」。

(13節)

人々にとっては、パウロがいつも近くにいる事が願いだった。
もし彼らの忠告どおり、パウロが行かなかったならば、彼はもっと生き延びる事が出来、もっと各地の兄弟姉妹達と一緒に長く交われたかもしれない。
しかし、聖霊に導かれる者にとって「御心」は強烈な拘束力となり、人間的でセンチメンタルな愛着を振り払う。
行かず伝えずに生き延びるより、行って伝えて死ぬほうが、より福音といのちが増え広がる事であるからには、行かざるを得ないのである。

パウロにとっては、生きるにしても死ぬにしてもキリストが主体であり、そうして走るべき道のりを立派に走り終えたからこそ、義の栄冠を勝ち取った。
私達も「キリスト者」になればなるほど、そのようになって行き、主の故に自身の望まない所へ縛られ行かされる時も、もしかしたら来るかもしれない。
ペテロはその時「この人はどうなるのでしょうか」と問うたが(ヨハネ21:18)、他の兄弟姉妹の事は、私達には関係ない。(ヨハネ21:22)
私達は、あくまで、主イエスに付いて行く。
ただそれだけである。
それは、ペテロにもパウロにも、私達一人ひとりにも、主が示しておられる事である。

この人生という競技場にいる間、主イエスに忠実について行き、かの日には義の栄冠を勝ち取る皆さんでありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

鄭先生は昨日帰国し、今日からいつもの巡航モードに入りました。

今朝の早天は久しぶりにメッセージしたためか、多分今までで最長、31分くらいのメッセージとなってしまいました。

メッセージも、この原稿も、短く内容の濃いものにしたいと、いつも祈っている所です。
 

鄭先生が来て以来、朝は早天礼拝、昼の礼拝、夕方は先生を囲んでの会食、夜も礼拝、という日々が続いておりましたが、メッセージは全て鄭先生がして下さっておりましたので、私は御言葉を伝えるプレッシャーが無かったため精神的にラクでした。

昨日は久しぶりに休みを取ることが出来て、横須賀に最近オープンした温泉に連れてっていただき、楽しく過ごさせていただきました。
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