• カテゴリ 礼拝メッセージ説教音声配信 の最新配信
  • RSS
  • RDF
  • ATOM

メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

悔い改めて捧げる人の捧げものを喜んで受け取り、義とし、災いを遠ざけて下さる主(1歴代誌21:16-30)
Youtube動画
メッセージ音声

21:16 ダビデが目をあげて見ると、主の使が地と天の間に立って、手に抜いたつるぎをもち、エルサレムの上にさし伸べていたので、ダビデと長老たちは荒布を着て、ひれ伏した。
21:17 そしてダビデは神に言った、「民を数えよと命じたのはわたしではありませんか。罪を犯し、悪い事をしたのはわたしです。しかしこれらの羊は何をしましたか。わが神、主よ、どうぞあなたの手をわたしと、わたしの父の家にむけてください。しかし災をあなたの民に下さないでください」。

この災いは、元々イスラエル全体に問題があり、ダビデがそれに代表して罪を犯した事が引き金となって起こってしまった。(1歴代誌21:1、2サムエル記24:1)
そしてダビデは、全イスラエルを代表して執り成し、罪を犯した自分がその報いである災いを受ける事を引き換えに、全イスラエルから災いを取り除いて下さるようにと願い求める。

このように、人々を代表して自分が罪を負う性質は、モーセの性質であり(出エジプト記32:32)、パウロの性質であり(ローマ9:3)、キリストの性質である。
ヨハネ10:11  わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
10:12  羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。

主はダビデの身を挺した祈りに答えられる。

21:18 時に主の使はガデに命じ、ダビデが上って行って、エブスびとオルナンの打ち場で主のために一つの祭壇を築くように告げさせた。
21:19 そこでダビデはガデが主の名をもって告げた言葉に従って上って行った。

ダビデは祈った所、預言者を通し、エブスびとオルナンの打ち場という場所を指定された。
そこは特別な場所である。

21:20 そのときオルナンは麦を打っていたが、ふりかえってみ使を見たので、ともにいた彼の四人の子は身をかくした。

災いの爆心地であるにもかかわらず、オルナンとその子達は身に害が無かった。
オルナンは「エブス人」、元々、ヨシュアの時代に滅ぼされるべき対象の者であったが、彼はなぜこのエルサレムで生き残り、なおも土地を得ていたのか。
それは、オルナンが主に忠実であり、御前に喜ばれる性質の持ち主だったからである。(後述)

21:21 ダビデがオルナンに近づくと、オルナンは目を上げてダビデを見、打ち場から出て来て地にひれ伏してダビデを拝した。

オルナンは、災いを下す御使いを前にしても、なお自分の仕事である麦打ちを続けていた。
そして自分の主君であり王であるダビデが来た時は、すぐに出てきてひれ伏した。
彼は、仕事に忠実であり権威に忠実であった事が分かるが、そればかりではない。

21:22 ダビデはオルナンに言った、「この打ち場の所をわたしに与えなさい。わたしは災が民に下るのをとどめるため、そこに主のために一つの祭壇を築きます。あなたは、そのじゅうぶんな価をとってこれをわたしに与えなさい」。
21:23 オルナンはダビデに言った、「どうぞこれをお取りなさい。そして王わが主の良しと見られるところを行いなさい。わたしは牛を燔祭のために、打穀機をたきぎのために、麦を素祭のためにささげます。わたしは皆これをささげます」。

オルナンは、自分の持ち物を、いつでも、全部、「主に」捧げる準備が整えられていたのだ。
「わたしは牛を燔祭のために、打穀機をたきぎのために、麦を素祭のためにささげます。わたしは皆これをささげます」
燔祭も、たきぎも、素祭も、全部、王に献上するものではなく、主への捧げ物である。
彼は、家畜も財産も、仕事道具も、仕事で得た産物も、全部、主に捧げるつもりだったのだ。
しかし、それではダビデではなくオルナンが捧げた事になってしまう。

21:24 ダビデ王はオルナンに言った、「いいえ、わたしはじゅうぶんな代価を払ってこれを買います。わたしは主のためにあなたのものを取ることをしません。また、費えなしに燔祭をささげることをいたしません」。
21:25 それでダビデはその所のために金六百シケルをはかって、オルナンに払った。

捧げものは、自分からすすんで為すものである。
申命記  あなたのうちの男子は皆あなたの神、主が選ばれる場所で、年に三度、すなわち種入れぬパンの祭と、七週の祭と、仮庵の祭に、主の前に出なければならない。ただし、から手で主の前に出てはならない。
16:17  あなたの神、主が賜わる祝福にしたがい、おのおの力に応じて、ささげ物をしなければならない。
そういうわけで、自分の手足を使わない礼拝、自分の財布を痛めず自分の何かを犠牲にしない捧げものは有り得ず、老若男女問わず、富んでいる・貧しいも問わず、人は一人、主の前に立たなくてはならないのだ。

21:26 こうしてダビデは主のために、その所に一つの祭壇を築き、燔祭と酬恩祭をささげて、主を呼んだ。主は燔祭の祭壇の上に天から火を下して答えられた。

こちらが火をつける間もなく、天から火が降って、その捧げ物を焼きつくす。
それは明確に主が祈りを聞いて下さったしるしである。
大祭司アロンがそうだったし(レビ9:24)ギデオンがそうだったし(士師記6:21)、エリヤがそうだった。(1列王記18:24)

21:27 また主がみ使に命じられたので、彼はつるぎをさやにおさめた。

こうして、義人の執り成しによって、災いが止んだ。
罪を告白し、悔い改めの犠牲を払うなら、その人は義とされるのだ。

ヤコブ5:15  信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
5:16  だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。
5:17  エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。
5:18  それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。

21:28 その時ダビデは主がエブスびとオルナンの打ち場で自分に答えられたのを見たので、その所で犠牲をささげた。
21:29 モーセが荒野で造った主の幕屋と燔祭の祭壇とは、その時ギベオンの高き所にあったからである。
21:30 しかしダビデはその前へ行って神に求めることができなかった。彼が主の使のつるぎを恐れたからである。

こうしてダビデは、その場所が特別な場所である事を知った。
その場所は、かつて先祖アブラハムがイサクを捧げた場所であり、そして後に、神殿が建つ場所である。

暗やみの圧制から救い出して下さった方は全被造物の根源なる方(コロサイ1:13-18)
Youtube動画
メッセージ音声

地上の幕屋と神の幕屋(2コリント5:1-10)
Youtube動画
メッセージ音声

戦い方を身につけよ(ネヘミヤ4章)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要

 神の民イスラエルは、主への数々の無礼を改めず、預言者の警告を聞かず、好き放題し続けたため、バビロン捕囚の憂き目に遭い、敵が好き放題荒らし、土地も財産も奪われ、どん底の生活へと投げ込まれた。
それでも主は、悔い改めて主に立ち返る人々を回復させて下さる。回復のためには、ネヘミヤのように罪の惨状を悲しみ、「なまけぐせ」を取り除き、荒れた現状を立て直すために立ち上がって行動するべき事を、前回学んだ。その時、必ず敵の攻撃が来るが、今回はさらに、敵の攻撃をどう対処すべきかを学びたい。

再建しようと行動を起こす時、今まで搾取し踏みにじって来た者達はそれを良しとせず、攻撃して来る。
2章では、敵は神の民の再建のわざを、「王に反逆している」と、あたかも悪い事のように思わせて来たが、ネヘミヤは真理の御言葉を唇から発して「境界線」を引き、「真理という防護壁」を築いた故、人々は奮い立って再建を進め、仕事はどんどnはかどって行った(3章)。敵はそれを、なお歯ぎしりして、攻撃して来る。
『サンバラテはわれわれが城壁を築くのを聞いて怒り、大いに憤ってユダヤ人をあざけった。』(ネヘ4:1)
その「あざけり」の内容を分析すると、今の惨状や山積の問題へと目を向けさせ、絶望させ、無気力にさせる特徴がある事に気付く。実際、敵の脅しに同意して、再建が無駄であるかのように思わされてしまった人々もおり、脅しに「同意」してしまった人には、敵はさらに調子に乗って脅しにかかって来る。(11-12節)
そんな心萎えてしまった人々に対し、ネヘミヤは、具体的な行動で答える。彼は人々に武器を持たせ、城壁の建て上げが進んでいない所に立たせた(13節)。また言った。「あなたがたは彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、あなたがたの兄弟、息子、娘、妻および家のために戦いなさい。」(14節)
ネヘミヤは、もし敵が入り込んで来たら返り討ちにしよう、という意気込みを見せた。敵は、私達の意気込みを、最も恐れる。なぜなら私達が主にあって立つ時、敵である悪魔は「負け」以外に有り得ないからだ。
実際、敵はこれを聞いて自分達の企みは「神が」破った事を聞いて、すごすごとあきらめた。(15節)
『その日から後は、わたしのしもべの半数は工事に働き、半数はやり、盾、弓、よろいをもって武装した。そしてつかさたちは城壁を築いているユダの全家の後に立った。荷を負い運ぶ者はおのおの片手で工事をなし、片手に武器を執った。』(16-17節) 片手でしか仕事ができない、それでは全くはかどらないのでは、と思われるだろうか?いや、これが最もはかどる仕方だ。むしろ武器を持たず恐れながら仕事する方が、敵に付け入る隙を与えてしまう。御言葉の武器だけ持って仕事をしないのも、仕事道具だけ持って御言葉を持たないのも、どちらも再建は進まない。しっかり両方を握り締め、仕事に取り掛かるのが、最も効果的だ。
18節以降では、互いが共に助け合う体制を、さらに強化している事が記されている。もしどこかが攻撃されそうになっても、すぐ一斉に集まれるよう、ラッパを持たせた。結果、仕事は非常にスピーディーに終わる。

『こうして城壁は五十二日を経て、エルルの月の二十五日に完成した。』(6:15) わずか52日で、何十年も手付かずにいた瓦礫の城壁は立て直されたのだ!そんなものである。目の前の瓦礫の山に絶望し、あきらめ、何もしないままでは、92年も瓦礫のままだったが、「片手に御言葉・片手に仕事」、さらに兄弟姉妹が助け合う体制を整え、再建に取り掛かるなら、長年出来なかった事は、実にあっけなく完成したのだ。
『われわれの敵が皆これを聞いた時、われわれの周囲の異邦人はみな恐れ、大いに面目を失った。彼らはこの工事が、われわれの神の助けによって成就したことを悟ったからである。』(6:16)
私達が御言葉に固く立つ時、敵は恥を見る。「偽りの父」であるサタンは、さも自分達は強いかのように、何でも出来るかのように、あらぬ恐れ・あらぬ恐怖を吹き込み、「再建」という良きわざをやめさせようと脅しをかけて来るが、あの者共は、主にある聖徒達が団結し、御言葉に立つ事をこそ、恐れおののいている。
それで、礼拝や賛美、御言葉宣言、聖徒の交わりを、あの者達は最も嫌い、そこを集中して邪魔して来る。
私達は敵の企みを知り、敵の嫌がる礼拝や賛美や御言葉宣言、聖徒の交わりを積極的にして行くべきだ。
人生において、再建をしようとする時、敵からの心くじけさせる色々な言葉が、あるだろう。あるいは自ら弱気が沸き起こって、やる気を失うかもしれない。その時、そのような敵に対して御言葉の剣を、信仰の大盾を奮って、主の御名によって祈り戦いつつ、片方で仕事をして行くなら、再建は速やかに成されて行く。
いつまでも片手に剣、片手に仕事道具、という、労苦の日々が続くわけではない。御言葉と信仰で武装し、兄弟姉妹同士で共に助けあいつつ仕事をする事で速やかに再建されて行く皆さんでありますように!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
イエス様から羊を任されたなら(ヨハネ21:15-19)
Youtube動画
メッセージ音声

未来の喜びを今へと引っ張って来る「希望」(詩篇126篇)
Youtube動画
メッセージ音声

126:1 主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。
126:2 その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と/言った者が、もろもろの国民の中にあった。
126:3 主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。
126:4 主よ、どうか、われらの繁栄を、ネゲブの川のように回復してください。
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

1コリント15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

ガラテヤ6:7 まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。
6:8 すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
6:9 わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。
6:10 だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。
 

神の戦いが成就する条件は、余計な言葉を発しない事(ヨシュア6:8-11)
Youtube動画
メッセージ音声

ルカによる福音書 講解説教メッセージ
福音のために働く者に与えられる保証(ルカ9:1-9)
Youtube動画
メッセージ音声

イザヤ書 講解説教メッセージ
それでも主よ、あなたは私たちの父です(イザヤ64章)
Youtube動画
メッセージ音声

裁きの中でも憐れみを注ぎ、人の罪をも最善へと造り変えられる主(1歴代誌21:7-15)
Youtube動画
 

ダビデはヨアブの忠言をふりほどいて民の数を数えたが、調査結果が出、有限なるその数字を聞いた時、ダビデの心が彼(ダビデ)を打った(2サムエル記24:10)。
全能であり無限である主を差し置いて、有限の、目に見える自分の資力に頼りを置き、周囲と自分とを比較している人は、いつも、自分の有限な力にも頼って生きなくてはならない焦燥感に追われ続けて生きていかなくてはならない。
この生き方は、無限であられる主から、無限の安全と無限の保証を得て生きる「信仰生活」に比べれば、とてつもなく不安定な生き方である。
信仰生活は、無限なる神に信頼を置いて、無限の安心を抱きながら生活するものだが、その逆の生活は、いつも自分の資力に頼みをおきながら生活するものであり、そういう人は、たとえ何億円の資産を持っていてもいつも不安におののきながら、ひたすらなお集めるしか無い。

21:7 この事が神の目に悪かったので、神はイスラエルを撃たれた。
21:8 そこでダビデは神に言った、「わたしはこの事を行って大いに罪を犯しました。しかし今どうか、しもべの罪を除いてください。わたしは非常に愚かなことをいたしました」。

ダビデがさすがな所は、彼が良心の咎めを受けた時、彼はすぐに主の御前に出て、自分の罪を告白したからだ。
呪いにいつまでもつきまとわれるコツ、いつまでもその状態から脱出できないコツは、「自分の悪さを認めない事」である。
聖書には、「ごめんなさい」という日本語が一つもない事をご存知だろうか。
聖書の価値観では、「わたしは○○の罪を犯しました」が、ごめんなさいに相当する言葉である。
ダビデは罪を犯してそれを指摘された時、「わたしは罪を犯した」とすぐに認め、それで彼は死なずに済んだ。

21:9 主はダビデの先見者ガデに告げて言われた、
21:10 「行ってダビデに言いなさい、『主はこう仰せられる、わたしは三つの事を示す。あなたはその一つを選びなさい。わたしはそれをあなたに行おう』と」。
21:11 ガデはダビデのもとに来て言った、「主はこう仰せられます、『あなたは選びなさい。
21:12 すなわち三年のききんか、あるいは三月の間、あなたのあだの前に敗れて、敵のつるぎに追いつかれるか、あるいは三日の間、主のつるぎすなわち疫病がこの国にあって、主の使がイスラエルの全領域にわたって滅ぼすことをするか』。いま、わたしがどういう答をわたしをつかわしたものになすべきか決めなさい」。

主は今回、ダビデが犯した罪の報いとして、3つの選択を与えた。
4番目の選択は無いし、何事のペナルティもなく放免されるという事も無い。
その選択肢は、いずれも、ダビデには辛いものだった。

私達もあるかもしれない。
過去に犯してしまった罪故に、非常に少ない選択肢の中から、どれかを償いとして選択しなくてはならない事が。
しかし、その「償い」を御前で成し遂げた後に、主は、さらなる最善の道を歩ませ、幸いを返して下さる。


21:13 ダビデはガデに言った、「わたしは非常に悩んでいるが、主のあわれみは大きいゆえ、わたしを主の手に陥らせてください。しかしわたしを人の手に陥らせないでください」。

ダビデは、「ききん」とか「敵」とか「疫病」とか、具体的には答えず、主の手に陥らせて下さいと言って主に委ねた。
三つの選択の中で、唯一、疫病にのみ「主(エホバ)」の御名が付されている。
ダビデは、ききんという自然の脅威や、敵という人間の手に陥るよりは、唯一主の御名がつけられている事を選んだ。
主のあわれみは、大きいからである。

21:14 そこで主はイスラエルに疫病を下されたので、イスラエルびとのうち七万人が倒れた。
21:15 神はまたみ使をエルサレムにつかわして、これを滅ぼそうとされたが、み使がまさに滅ぼそうとしたとき、主は見られて、この災を悔い、その滅ぼすみ使に言われた、「もうじゅうぶんだ。今あなたの手をとどめよ」。そのとき主の使はエブスびとオルナンの打ち場のかたわらに立っていた。

ダビデが犯した過ちは、イスラエルの多くの人々の死をもたらした。
一体主は、ダビデ一人の犯した罪ゆえに、関係の無い罪なき人々を死なせるという事を、されるのだろうか?
よく読むと、これはダビデ一人の問題ではなく、イスラエル全体の問題だったようである。

この事件の最初は、次のように始まっている。
『時にサタンが起って”イスラエル”に敵し、ダビデを動かしてイスラエルを数えさせようとした。 』(1歴代誌21:1)
『主は再び”イスラエル”に向かって怒りを発し、ダビデを感動して彼らに逆らわせ、「行ってイスラエルとユダとを数えよ」と言われた。 』(2サムエル記24:1)
これら、冒頭の言葉を見ると、どうやらダビデというより”イスラエル”に問題があり、ダビデが代表して罪を犯したような感じである。
実際、3つの災いの内容は、3つとも、イスラエル全体に災いをもたらすものである。

主は果たして、罪なき人を、故なく打たれるのであろうか?その逆である。
いと高き方の隠れ場に住み、全能なる主の陰に宿る人は、たとえ戦や病が起こって、傍らに千人が、右手に万人が倒れるような状況でも、災いは近づかないと記されている。(詩篇91篇)
実際、その災いの中心地であるエブス人オルナンの打ち場にいたオルナンは、その剣が差し向けられていた最中でも、何の身に害が及ばず、平気で麦打ちしていた。
しかし、災いはダンからベエル・シェバに至るまでの中、7万人が倒れた。
主の災いは、核爆弾のように、爆心地周辺は善人悪人誰彼かまわず災いで滅ぼすものではなく、災いが及ぶべき者・そうでない者を正確に選り分け、義人が悪人の受ける報いを受ける事が無いようにされて来た。

主は信仰者とそうでない者を「ふるい」にかけ、イスラエル全体が霊的怠慢に陥っている所に、揺さぶりをかけたのだろう。

さて、この度イスラエルに災いを降している御使いが立っていた場所は、エブスびとオルナンの打ち場だった。
実は、この場所は、とても特別な場所である。
そこは「モリヤ」と呼ばれる山(2歴代誌3:1)であり、すなわち、アブラハムがイサクを捧げた場所だ。
しかもこの場所は、後に、エルサレム神殿が建てられる所である。

モリヤの地、神殿の丘。
そこは、礼拝を捧げる地であり、罪の身代わりの備えがあり、身代わりの犠牲が捧げられ、死ぬべき罪人の罪が赦され、生かされる地である。

主のご計画は、実に計り知れない。
ダビデは確かに間違いを犯し、イスラエルは打たれたが、主は、そんな罪の結果の苦しい刈り取りさえ、「最善」へと方向修正なさるお方である。

私達は、この主のなさる事は、理解できない。私達の想像を遥かに超えて働かれるお方なのだ。
ただ、この無限であられる主に信頼し、無限の安心と保証の内に歩んでいく私達でありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
Twitter
このページを紹介!

 
 
 
礼拝週報
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2016/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

天声モバイルサイト!

検索
Copyright ©横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2010 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest