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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

男と女をひとつへと繋げていく御言葉(雅歌5:9-16)

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雅歌5:9 女のうちの最も美しい者よ、あなたの愛する者は、ほかの人の愛する者に、なんのまさるところがあるか。あなたの愛する者は、ほかの人の愛する者に、なんのまさるところがあって、そのように、わたしたちに誓い、願うのか。
 
私達は、イエス様の何がいいのか、何であなたの唇からそんなにイエス様イエス様という言葉が出てくるのか、と聞かれた時、どう答えるだろう。あなたの愛する神は、他の神々より、どこが優れているのですか、と問われる時、何と答えるだろう。
すぐに答えが出てくる人は、本当にいつもイエス様の事を思っている人だ。しかし、ただ口先でイエスは主ですと告白してはいても、どうも行動を見るに、あまりキリスト者としての品性が見えない人には、この質問をしてみると良い。
エルサレムの娘たちは、彼女に問いかけた。女の中で最も美しい人よ、あなたの愛する方は、どこがそんなに優れているのですかと。
なぜなら8節で、彼女がこう言ったからだ。
雅歌5:8 エルサレムの娘たちよ、わたしはあなたがたに誓って、お願いする。もしわが愛する者を見たなら、わたしが愛のために病みわずらっていると、彼に告げてください。
どうして彼女はエルサレムの娘たちにそのこと言ったのか。それは、前回の1節から7節にある通りのことが起きたから。
彼女は一度、花婿を軽んじた。
花婿は夜露に濡れて苦労して帰ってきたのに、彼女の方がちょっとした理由で彼を受け入れなかった。どうして私は足をよこせましょう、どうして服を再び着れるでしょう、と、ちょっと面倒な事をしたくないからと、花婿のためにドアを開けない。
だから彼は、去っていってしまった。最後に彼が発した言葉によって、彼女は気を失った、と6節に書いてある。
それで彼女は町中探すが、夜回りに打ち叩かれた。愛するべきお方を、ないがしろにした故に、打ち叩かれるような目にあったから、彼女は思い知った。 あの方は、本当にいとおしい、と。
私達は、イエス様をないがしろにしていないだろうか。
彼女は打ち叩かれて、最終的に知った、私は、あの方がいとおしい。 もしあの方に会ったら、私は愛に病んでいると、伝えてください、と。
 
それを女たちに問われる。
雅歌5:9 女のうちの最も美しい者よ、あなたの愛する者は、ほかの人の愛する者に、なんのまさるところがあるか。あなたの愛する者は、ほかの人の愛する者に、なんのまさるところがあって、そのように、わたしたちに誓い、願うのか。
 
 
そこで10節以降
雅歌5:10 わが愛する者は白く輝き、かつ赤く、万人にぬきんで、
「赤い」とは、当時の相手を美しいと褒めそやす表現である。ダビデは紅顔の美少年であったし、エサウは生まれながらにして赤かったので、父イサクは彼を愛した。
そして彼女は、頭から順番に下にくだって褒めそやしている。
5:11 その頭は純金のように、その髪の毛はうねっていて、からすのように黒い。
5:12 その目は泉のほとりのはとのように、乳で洗われて、良く落ち着いている。
5:13 そのほおは、かんばしい花の床のように、かおりを放ち、そのくちびるは、ゆりの花のようで、没薬の液をしたたらす。
 
彼が「開けておくれ」と言う時、彼女は閉ざしていたが、その彼から、かわらぬ愛のしるしである没薬の液が滴っていた。
彼女がようやく、開けた時、その没薬が彼女の手に触れた。
それで、あの方がどれほど中に入って来たかったのかを思い、悔いた。
 
 
雅歌5:14 その手は宝石をはめた金の円筒のごとく、そのからだはサファイヤをもっておおった/象牙の細工のごとく、
5:15 その足のすねは金の台の上にすえた/大理石の柱のごとく、その姿はレバノンのごとく、香柏のようで、美しい。
 
普通は、男性の方が女性よりも体が大きく、抱き寄せる時は、男性が女性を覆うような形である。
女性は男性の腕、男性の体に包まれている時、安らぎを得る。
それで、宝石をはめた金の円筒のような手で触れられ、サファイヤをもっておおった象牙の細工のような体に包まれる時、私は夢心地のような思いがする、と言っている。
雅歌5:15 その足のすねは金の台の上にすえた/大理石の柱のごとく、その姿はレバノンのごとく、香柏のようで、美しい。
しっかりした台座にはめ込まれた大理石のような、あるいはレバノン杉のような、威風堂々とそびえ立つような様は、本当に頼もしく素晴らしい、と言っている。
しかしここまでは、外見的な事である。
彼女は前回の箇所で、ひどい目にあった。それは彼を軽んじたからだ。
 
それは彼女が自分のわがままを押し通そうとしたから、打ち叩かれ、かぶりものをはぎとられてしまったのだ。
それで彼女は、外見的な事よりも、もっと素晴らしいことに気づいた。
 
雅歌5:16 その言葉は、はなはだ美しく、彼はことごとく麗しい。エルサレムの娘たちよ、これがわが愛する者、これがわが友なのです。
最後に彼女は、その方の「言葉」がはなはだ美しい、と褒めそやした。
 
ここの「言葉」は、ヘブライ語でחֵךְ(ヘ(ケ)ーフ(ク))   口、あるいは味わい、言葉の声。
KJVでは、His mouth is most sweet、彼の口が最もsweetだ、彼の言葉、彼の口から出てくる味わいは、何よりもsweetだと言うのだ。
 
外面が良いかもしれなくても、何が最もsweetとなるのか。
それは、あの方の口、あの方の言葉。それこそが、最も素晴らしい。
私たちが蜜よりも求めるべきは、あの御方の御口から流れ出てくる御言葉である。
 
彼女は6節では、あの方の言葉で気を失った、と言っている。
主人たる者をないがしろにしたら、当然、唇から心刺されるような言葉を受けても仕方がない。
私達も、高慢な唇が、災いの元になってしまう。彼女もそうだった。
彼女はかつて、唇で間違いを犯した。それで、その愛する方からの言葉によって、彼女は気を失った。それで彼女は、町中探しまわった末、打ち叩かれ、はぎ取られてしまった。
 
そういうわけで私たちは、あの方がsweetな目に合わせてくれるから、と言う事より、むしろあの方の言葉にこそ喜び、御言葉に従順服従するところにこそ、喜びを見いだすべきだ。
イエス様の言葉は確かに耳に慕わしいが、中には痛い言葉もある。私たちの罪が示される時、私たちの中の直さなければならないところを指摘された時、確かに私たちは苦いが、しかしその言葉が、苦くても甘いものとしていくなら、私たちはますますこのお方の懐深くに入ってゆくのだ。
 
雅歌書の夫婦は、章を重ねていくたびに、徐々に徐々に成熟していく。
夫婦の愛は、徐々に成熟していくものだ。
 
最初は、互いがときめき合う関係であるが、付き合っていくうちに、苦さも経験していく。
五章では、相手と自分の時間が合わない、夜昼が噛み合っていなかったが、そのようにして互いが擦れあっていくうちに、どんどん混ざり合って、溶け合って、ついに2人は1つであると言うほどに成熟していく。
 
男女の愛、時間が合わないからとか、外見が飽きたからとか、体とか、飽きたらポイ捨てで外を求めると言うことがあるならば、全く成熟は無い。
伴侶は、こちらが飽きないように、突然外見が変わってくれるわけではないし、性格がある時パッと変ってくれるわけでもない。
私達は、変な夢を見たりせず、互いの言葉、内面を共に喜び、楽しみとしていくなら、その夫婦関係はますます成熟し、麗しいものになっていく。
だからこそ、相手と自分の間に、共通言語が必要である。
 
御言葉こそ、夫婦間の共通言語になるべきである。
御言葉によって同意し、御言葉によって1つとなれるとするならば、相手がどのようであったとしても、またたとえ、互いが離れ離れになってしまったとしても、その愛はしっかりとつながり、そしてどんどん成熟していく。
しかし、外見や肉体的な事のみを求めてとするなら、廃れてしまう。
 
しかし、相手の中にある決して変わらない、没薬のような御言葉、真実で決して間違わない御言葉に堅く立つなら、互いを立て上げる。
この雅歌書の乙女は、言葉が一番素晴らしい、と言った。相手が発する御言葉こそ、最も甘いもの、素晴らしいものとするべきだ。
 
詩篇19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
 
 
私たちは、主の口から出てくる言葉のみを信頼すべき。
神は目では見えず、手で触ることができないお方、聞くことができない。
ただ、神との接点となるのは、御言葉だけである。
だから、見える形ではないが、しかしその言葉のひびきが、全地に満ちている。(1節)
詩篇19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。
19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。人の目を明るくする。首への押されは記憶、永久までも変わらない。主の裁きは理で、ことごとくただし、金よりも純金よりも好ましい、光よりも甘い。また報いが大きい。
 
 
主との関係は、目に見えたり耳で聞こえたりする関係では無いただしその言葉、言葉による関わりだ。
主の言葉は完全であり、私たちを生き返らせる。終焉の恐れや記憶、永久までも変わらない。
 
永久に変わらない愛。歌の題材になりそうだが、人間にはそれはない。
人間の愛はいとも簡単に、外見によって移ろいやすい。
 
しかし主への恐れは、永久までも変わらない。主の御言葉に従順服従することによって生き返る様は、永遠に変わらない。
主の御教えが入ると、賢くなる
また主の教えをそれは、若々しくなって、力強くされる様は決して変わらない。
主を恐れることこそ金よりも、純金よりも好ましい。
 
その女性は、花嫁の腕輪、純金のようだと言ったが、どんな男性の力強い腕よりも親しいものは、御言葉である。
御言葉は、蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘く、完全である。そしてそれによって戒めを受けるならば、
11節。それによって、あなたの下では戒めを受ける、守れば、報いは、大きい。
 
雅歌書に書いてあるように、イエス様の口から流れ落ちる御言葉こそ、したわしい。
その御言葉は、蜂の巣のみ下あたりよりも下らしく、没薬の駅の滴りのように、決して朽ちることがない。決して腐らせる事は無い。
 
雅歌書の女性は、腕とか顔とか髪の毛とかを褒めそやしたが、しかし結局のところは言葉である。
イエス様の言葉、聖書、これが私にとって全てであり、イエス様の全てがいとおしくなる。
御言葉は永遠であり真実。この御言葉によって夫婦が共通言語とするなら、その愛は成熟し、健康になり、歳を経るごとに、美しい成り立ちへと変わっていく。
御言葉が共通言語でないなら、すれ違いに次ぐ、すれ違いにより、苦い、我慢だけが長続きする、最後には破綻するようになってしまう。
どうかそのようなことがなく、御言葉を持って互いに交わり、歩んでいく皆さんでありますように。
イエス様のお名前によって祝福します。
外側的なもの、会見、顔、形、体、それはやがて廃れるものだが、御言葉こそ永遠に続くもの、その命を共通言語にするならどれほど素晴らしいことだろう。

人を霊的に盲目にさせる人間議論と善悪判断(ヨハネ9:8-16)

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ヨハネ9:8 近所の人々や、彼がもと、こじきであったのを見知っていた人々が言った、「この人は、すわってこじきをしていた者ではないか」。
9:9 ある人々は「その人だ」と言い、他の人々は「いや、ただあの人に似ているだけだ」と言った。しかし、本人は「わたしがそれだ」と言った。
9:10 そこで人々は彼に言った、「では、おまえの目はどうしてあいたのか」。
9:11 彼は答えた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました」。
9:12 人々は彼に言った、「その人はどこにいるのか」。彼は「知りません」と答えた。
9:13 人々は、もと盲人であったこの人を、パリサイ人たちのところにつれて行った。
9:14 イエスがどろをつくって彼の目をあけたのは、安息日であった。
9:15 パリサイ人たちもまた、「どうして見えるようになったのか」、と彼に尋ねた。彼は答えた、「あのかたがわたしの目にどろを塗り、わたしがそれを洗い、そして見えるようになりました」。
9:16 そこで、あるパリサイ人たちが言った、「その人は神からきた人ではない。安息日を守っていないのだから」。しかし、ほかの人々は言った、「罪のある人が、どうしてそのようなしるしを行うことができようか」。そして彼らの間に分争が生じた。
 
ヨハネ5:36 しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。
 
ヨハネ10:24 するとユダヤ人たちが、イエスを取り囲んで言った、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」。
10:25 イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。
10:26 あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。
 
ヨハネ14:11 わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。
 
創世記3:4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
3:5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
3:7 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。
 
黙示録3:17 あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。
3:18 そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。

 

迫害というイベントによって明らかにされる事(2テサロニケ1:4-12)

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2テサロニケ1:4 そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。
1:5 これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。
1:6 すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。
1:7 それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。
1:8 その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、
1:9 そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。
1:10 その日に、イエスは下ってこられ、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚嘆されるであろう――わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのである。
1:11 このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神があなたがたを召しにかなう者となし、善に対するあらゆる願いと信仰の働きとを力強く満たして下さるようにと、あなたがたのために絶えず祈っている。
1:12 それは、わたしたちの神と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためである。
 
マタイ13:24 また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
13:25 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
13:26 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
13:27 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
13:28 主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
13:29 彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
13:30 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
 
マタイ13:36 それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の譬を説明してください」。
13:37 イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。
13:38 畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。
13:39 それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。
13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。
13:41 人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
13:42 炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
13:43 そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。

聖書を燃やした王 vs 決して廃れない御言葉(エレミヤ36章)

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 エデンの園から追い出されてしまう性質:高慢(雅歌5:1-8)

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雅歌5:1 わが妹、わが花嫁よ、わたしはわが園にはいって、わが没薬と香料とを集め、わが蜜蜂の巣と、蜜とを食べ、わがぶどう酒と乳とを飲む。友らよ、食らえ、飲め、愛する人々よ、大いに飲め。
 
5章の1節は、前回の続きである。
前回学んだように、妻が夫の贈った飾りを身に付け、その眼差しで夫をじっと見つめる時、夫は彼女に心奪われる。
さらに、唇の裏に、御言葉という乳と蜜を秘めて、それを流し出すなら、夫にとって妻はエデンの園のように、豊かな良い実を実らせるものとして、安息の存在となる。
また、4:16のように、花嫁自身が、自分自身が夫にとって良い香りを漂わせる者になる事を願い、愛する方が私という庭に入って、彼が最上の味を食べることが出来るように、と祈っている様がある。
 
夫婦の関係がこのようになっている時、家庭はエデンの園のように麗しいのであるが、本日の箇所で、危機が訪れる。
その内容は、夫婦関係では、ありがちではあるが、イエス様と私たちとの関係においても、このような事が起こるものである。
 
雅歌5:2 わたしは眠っていたが、心はさめていた。聞きなさい、わが愛する者が戸をたたいている。「わが妹、わが愛する者、わがはと、わが全き者よ、あけてください。わたしの頭は露でぬれ、わたしの髪の毛は夜露でぬれている」と言う。
 
2節には、私は眠っていましたが、心が覚めていましたとある。
「心(レィブ)」は、心、感じ方、物事の中心、といった意味があり、「覚めていた(ウゥル)」は、目覚めるの他に「掻き立てる、立ち上がる」などの意味がある。
夫に対して、何かの理由で、心掻き立てられた状態だった所に、夫が帰ってきた。
 
夫は、戸を開けておくれ、と懇願している。長らく夜空の下で働いたためだろうか、頭はつゆに濡れ、髪の毛も夜の雫で濡れた状態である。
ところが彼女の返事がつれない。
 
雅歌5:3 わたしはすでに着物を脱いだ、どうしてまた着られようか。すでに足を洗った、どうしてまた、よごせようか。
 
彼女としては、もう寝る準備を整えた、衣服をもう一度着脱したり、足をもう一度洗ったり、という手間をかけたくない。
夫は、前章では、上から下まで美しいと言ってくれた、彼の目には、わたしはとても大切だから、わたしに手間をかけさせないで、と思ったのだろうか。
あるいは、夫に対して何かイライラして心が掻き立てられていて、意地悪したかったのだろうか。
 
ところが夫としては、衣服を着脱するとか、足を洗うとか、以上の手間をかけて、彼女の元に夜、来たわけである。
夫の労と、彼女の労を天秤にかければ、当然、夫の方が重い。
 
私達・キリストの花嫁は、イエス様に対して、このような態度を取っていないだろうか。
イエス様はいつも、わたしをやさしくしてくれて、赦してくれて、労を負ってくれて当然、であるかのような。
イエス様が、私たちの心の扉を叩いて下さるのに、イエス様が優しい、赦して下さるからと、いつまでも開けない、と言うような状況になっていないだろうか。
私たち・教会が、イエス様に対してこのようになっているとするなら、正すべきである。
 
雅歌書の彼女は、理由は書いていないが、心が掻き立っていて、夫が夜露に濡れて遅く帰ってきたのに、夫のためにちょっとした労をすることを躊躇し、夫が外で濡れているのを、放置するような事をした。
このような状態の新婦は、これからどのようになってしまうのか。
 
雅歌5:4 わが愛する者が掛けがねに手をかけたので、わが心は内におどった。
 
彼女から見れば、夫の手だけが、戸の穴から差し入れられ、かんぬきを外そうとして手をこまねいているのだが、うまく行かない。
それを見た時になって、初めて、妻は心が騒ぎ、戸を開けに行く。
 
Son 5:5 わたしが起きて、わが愛する者のためにあけようとしたとき、わたしの手から没薬がしたたり、わたしの指から没薬の液が流れて、貫の木の取手の上に落ちた。
 
夫が手をかけたその場所には、没薬が滴っていた。
夫は、妻に、腐らない愛をもって来ようとしていたのに、妻はドアの外でシャットアウトしたままだったのだ。
それで、ようやく妻が身を起こして、開けた頃には、時すでに遅しで、彼は何かの言葉を妻に投げかけ、そして去っていってしまった。
彼女は呼んだが、答えはなかった。
 
ついさっきまで夫が触っていたそのかんぬきには、没薬の香りが漂っている。
もし彼女が「開けておくれ」と言っている時に開けていれば、没薬のかおる夫の腕に包まれ、安らぎのひとときを過ごしたことであろう。
 
雅歌5:6 わたしはわが愛する者のために開いたが、わが愛する者はすでに帰り去った。彼が帰り去ったとき、わが心は力を失った。わたしは尋ねたけれども見つからず、呼んだけれども答がなかった。
 
彼はもう去っていってしまい、今度は彼女自身が夜露に濡れ、足を汚して、探して行かなくてはならなくなった。
 
雅歌5:7 町をまわり歩く夜回りらはわたしを見ると、撃って傷つけ、城壁を守る者らは、わたしの上着をはぎ取った。
 
3章では、夜、愛する方を探し求めて歩いてるに見つけられた夜回りは、どこにいますか、と聞いたら、すぐに愛する方を見つけることができた。
しかし今回、この夜回りは、彼女を打ち叩き、傷つけ、そして彼女の被り物をはぎ取った。
王の妻である印が付いているはずが、それははぎとられてしまった。
こうして彼女は気づく。自分はとんでもないことをしてしまったのだ、と。
主人であるお方の庇護がないと、私達はただ、剥ぎ取られるだけの存在なのだ。放蕩息子のように。
 
雅歌5:8 エルサレムの娘たちよ、わたしはあなたがたに誓って、お願いする。もしわが愛する者を見たなら、わたしが愛のために病みわずらっていると、彼に告げてください。
 
愛する夫であられるイエス様が優しい、大切にしてくれている、という状況に甘んじて、自分がちょっと高慢になってしまうと、このように、痛い思いをさせられてしまう。
愛の中で育まれた美しい関係は、一方の高慢によって、簡単に壊れてしまう。
エステルの前の王妃ワシュティは、高慢が本で、王妃を退かれてしまった。王の呼びかけを拒否したためだ。
 
キリストの花嫁である私たちも、高慢にならないように、よくよく気をつけなくてはならない。
 
この女性は、懲らしめを受け、身を低くしたから、この雅歌書はさらに6章7章と続いていく。
しかしもし、夫婦関係が、妻の側、あるいは夫の側のどちらかが一方的に我慢し、どちらかが一方的に高慢になっているなら、危険である。
ある時突然、破局が来てしまう。
破局の第一歩は、高ぶりである。
高ぶり慣れして、相手を敬い尊敬する事、愛の言葉や感謝の言葉をかける事を忘れていくと、破局を一歩一歩進んでいる事になる。
 
雅歌書の女性は、城壁を守るものに打ち叩かれて、はぎとられて知った。
自分は高慢になってしまい、愛する方にひどいことをしたと、そして実は、自分は、愛に病んでいたのだ、と。
 
社会の人間の関係で、最も基本的な関係は、家族であり、その家族の中で最も柱となるのは、夫婦関係である。
この夫婦関係をまず修復させることを優先させるべきである。
 
優しい旦那さんだと、妻に厳しいことを言ったら去っていってしまうのではないかと思うかもしれないが、この雅歌書の女性は戒めを受けて、9節以降、夫の事を本当に素晴らしいのだと褒めそやしていく。
こうして1つの問題を乗り越えたことによって、夫婦の関係はさらに麗しく、成熟したものになっていく。
 
私たちとキリストとの関係も一緒である。
 
黙示録3:19 すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
3:20 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
 3:21 勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。
 
この、ラオデキヤの教会は、イエス様を戸の外に締め出している状態だった。
教会が、なんと、主人であるイエス様を、扉の外に締め出してしまっていると言うことがある。
 
私は足を汚したくありませんから、と言うように、ちょっとした苦労もしたくないから、扉を開けにすらいきません、と言ってイエス様を締め出してしまうような時、イエス様は戸の外に立って、扉をたたく。
彼の、変わらぬ愛の没薬に濡れた手で、堅く閉ざした扉のかんぬきを、開けようとする。
しかし、あまりにイエス様を戸の外に締め出してい続けるなら、やがて、間に合わなくなってしまう時が来る。
 
戸を開けるなら、イエス様は入ってきて、共に食事をし、宴が始まる。
 
イエス様もそうであるが、世の妻を、夫を、戸の外側に締め出すことは元々しないで、妻に対し、夫に対し、そしてイエス様に対し、いつでも開かれた扉でありますように。
そしていつまでも、妻と夫、イエス様の関係を、この雅歌書のように、麗しい、新婚夫婦のような関係をいつまでも保つ皆さんでありますように。
イエス様のお名前によって祝福します!

花婿の心を射止め、とりこにする花嫁の秘訣(雅歌4:9-16)

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ここはソロモンが結婚する場面において、いよいよ花嫁は花婿に迎えられ、2人が1つになる、奥の間おける麗しい交わりがこの4章にある。
 
男女の愛は甘く麗しいものであり、世では男女の歌が盛んに歌われ、またドラマの中では、男女の愛のテーマは必要不可欠なものである。
確かに男女の愛は、麗しいものであり、歌にもなりドラマにもなるが、その反面、壊れやすく、苦々しい物に変質しやすいものでもある。
現実はそんなに甘いものではないよと思う方も大勢いるのではないか。
 
現実的な事を言えば、この雅歌書の花嫁は、やがて、ソロモンの1000人の妻や妾のうちの1人となり、甘く麗しい愛の歌は、やがて苦々しいものに変質してしまう。
この雅歌書を、単なる男女の愛の歌として読み解くなら、思うだろう。
ああ、私達も昔はそんな時期があったかもしれないね、いや、現実はもっと違うよ、など言って、現実ばなれしたおとぎ話の書としてしまう男女が多いだろう。
 
人にはある程度、自己中心的なところがあり、そして罪があり、「老い」があるゆえに、このような関係は長続きしない、と思われているのだ。
 
しかし、真理においては、確かに存在する。まことの花婿キリストと、花嫁である教会の、永遠の、決して老いず朽ちない愛の関係が。
私達がこの雅歌をみる時、永遠の乙女である教会と、永遠の王の王であられる花婿キリストとの、真の愛の関係としてみる時、私たちは限りない希望が湧いてくるのだ。
 
そればかりでない。
地上における男女の関係も、結婚も、罪のなかったエデンにおいては、もともと麗しいもので苦々しさは一切なかったものである。
その麗しいみずみずしい関係が、何年経っても腐らせない秘訣が、聖書に記されている。
 
まず1節から8節においては、女性の何もかもが美しいと表現され、いよいよ2人が奥の間でひとつになる事の喜びが記されているが、9節において、この男性の心を奪ってしまったものが2つある。
 
雅歌4:9 わが妹、わが花嫁よ、あなたはわたしの心を奪った。あなたはただひと目で、あなたの首飾のひと玉で、わたしの心を奪った。
 
男性の心を奪ったもののうちの1つ目が、ただの一目のまなざし、もう一つが、首飾りのただひとつの宝石だ。
 
女性の美しい眼差しは、確かに男性の心を射止めるものであるが、眼差しだけでは足りない。首飾りである。
この首飾りを、女性はどのようにして得たのか。
 
一章の11節を見ると、これは男性が女性のために特別に造った贈り物であることがわかる。
女性が男性の送った贈り物、男性の好む飾りを、女性が身に付け、女性はこの男性の愛のこもった贈り物を身に帯びている状態を、男性は嬉しく思うものである。
美しい女性は世の中にいっぱいいても、自分が贈り物送って、それを身に帯びる女性は、ただ1人であるべきである。
男性が女性のために、色々模索して手に入れ送った贈り物を、女性が身につける時、男性にとってその女性は、愛らしい、いとおしいと思うものである。
 
エステルも、王の好む服、王の好む飾りを身に帯びたからこそ、王の心を射止めたわけである。
女性が、愛する男性に向かって、あなたの好む通りに、私は自分を飾ります、と言う時、男性は言うのだ。
あなたの愛はなんと麗しいことよ、と。
 
私たちもキリストの好まれる飾りを身に付けるとき、キリストは私たちを特別に愛し特別に私は扱ってくださる。
 
4:11 わが花嫁よ、あなたのくちびるは甘露をしたたらせ、あなたの舌の下には、蜜と乳とがある。あなたの衣のかおりはレバノンのかおりのようだ。
 
花嫁の唇は蜂蜜を滴らせ、舌の下には、乳と蜜がある、と書いてある。
乳と蜜と言えば、神の約束の地を思い起こす。そこは、乳と蜜が流れていると書いてある。
また別の箇所では、御言葉の乳をしたい求めなさいと書いてある。また、御言葉は蜜のように甘い。
もし愛する女性が、御言葉の乳、御言葉の蜜を、唇から滴らせるなら、信仰者の男性にとって、なんと慕わしい女性だろう。
 
「あなたの衣のかおりはレバノンのかおりのようだ。」とあるが、元々彼女は、実家では兄弟たちから無理矢理、ぶどう畑の見張りを仰せつけられて、きれいな着物とは縁が遠い女性だった。
だから彼女の着物も、香油も、全部、夫からの贈り物である。
 
4:12 わが妹、わが花嫁は閉じた園、閉じた園、封じた泉のようだ。
 
男性にとって花嫁は、園だと言っている。エデンの園のような。
園からは、あらゆる良いものが産出されて出てくる。
 
4:13 あなたの産み出す物は、もろもろの良き実をもつざくろの園、ヘンナおよびナルド、
4:14 ナルド、さふらん、しょうぶ、肉桂、さまざまの乳香の木、没薬、ろかい、およびすべての尊い香料である。
 
これらは全て、香りが良いもの、また、味わいが良いものである。
女性が、御言葉の乳と蜜を唇から滴らせるなら、その女性は、あらゆる良き実を豊かに実らせる、エデンの園のように、男性から見えるのだ。
 
エデンの園から全てが始まり、エデンの園の中において汚れがはびこり、そしてそこを追い出されてしまった。
もしも女性が、唇から、人を養う御言葉ではなく、なじる言葉、突き刺す言葉、いやみな言葉を発するとするなら、そこはエデンの園ではなくイバラの園、荒野よりもひどい所である。
 
箴言21:19 争い好きで、うるさい女といるよりは、荒野に住むほうがまだましだ。
 
この女性が男性を虜にしたもう一つのものが、12節にある。
「私の花嫁は、閉じられた園、封じられた泉」とある。
 
つまり、外に対しては閉じられていて、ただ自分の夫ひとりにだけ開かれた泉、閉じた園である、という所である。
家の中で、ただ夫にだけ、妻に対してだけ開かれているもの、そして、それ以外には決して開いてはならない言葉や態度や姿というものがある。
夫と妻、ただ互いに対してだけ、分かち合うべきもの、そして外に対しては決して味わわせてはならず、流し出してはならないものがある。
夫婦間にしか開かせない秘密があり、夫婦同士でしか慰め得ない慰めがある。それを唯一得られるのは、伴侶である相手から、だけである。それは決して、他のものに流してはいけない。
そうしたものを、もし外に漏らしてしまっては、その家は壊れてしまう。
 
しかし女性が男性の好む飾りを身に付け、唇から御言葉を滴らせるならば、その女性は男性にとってエデンの園のような慰めとなり、その家庭は、すべての必要が備わっているエデンのようになっていく。
エデンの園には、害をなるものは、1つもなく、ただ素晴らしいものだけがあった。
 
この雅歌書の彼女は、もともと、親兄弟から邪険にされながら働く女だった。
何一つ自分が身に付けるものも、香り高いものも使ったことがない人だった。だからまさにシンデレラである。
彼女が夫である男性に会った時、初めて良き香りを放つ事ができた。
彼女がその魅力を初めて放ったのは、男性によって、シンデレラになったような思いをした時であった。
私たちはイエス様からシンデレラにされた。それゆえに人を愛することができ、イエス様のようになることができる。
 
4:16 北風よ、起れ、南風よ、きたれ。わが園を吹いて、そのかおりを広く散らせ。わが愛する者がその園にはいってきて、その良い実を食べるように。
 
これは本日の箇所では、花嫁の側の唯一の言葉であるが、風はヘブライ語でルアッハ、霊である。
だから、聖霊の風よ、北から南から私に吹いておくれ、私が愛する方にとって、本当に最上の香り、最上の味を漂わせることできるように、そして、私自身が愛する方にとってエデンの園のような慰めとなり、身も心も体も全て愛する方にとって、最上の果物、最高の実となれるように、聖霊の風よ、吹いておくれ、という願いが込められている。
 
最上のものが実るためには、北風も、南風も恐れず、聖霊の風が自分に吹いてくれるように願うのだ。
香り高いものとなり、いらないものは取り除かれ、いるものはもっともっと豊かにされ、それによって実った香り、それが風によって夫へと運ばれ、夫を豊かにしてほしい、と祈るのだ。夫に対して、これはやっていけない、今までこれをやっていなかった、と、分かるようになり、また取り除かれるものが取り除かれ、実るべきものが実って、初めて良き園となって行く事ができる。
 
祈るべきである。
夫婦の関係が麗しいエデンの園のような中において、麗しい交わり、愛の交わりがあるように。
キリスト者の男女が、本当に麗しい園の中における交わりのようであり、豊かな命の実を結び、唇から御言葉が流出し、命が溢れ、命が溢れ、その中に何も害するものがないように。
そして、たとえその中に、蛇が混じり込んでも、惑わされる事なく、いさかいの罠に陥る事なく、御言葉で踏み付け、撃退する男女でありますように。
 
どうか、若い男女のうちに、御言葉によって伴侶となる相手への導きを与え、成熟した花嫁・花婿となることができますように。
また結婚した男女に、甘い御言葉の乳が、蜜が、家庭の中で豊かに溢れ、生み出すものが最上の香りを放つ者たちでありますように。
そして、きたるべきまことの結婚、真の夫であるキリストの結婚に備え、私たち一人一人が、教会が、花嫁として整えられ、まず私たちがキリストの与えてくださった飾りを見に帯び、キリストの言葉を口から出し衣を身に付け、備える日々でありますように。
イエス様のお名前によって祝福します。

 

2テサロニケ人への手紙 概要(2テサロニケ1:1-5)
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2テサロニケ1:1 パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
1:2 父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1テサロニケ1:1 パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

1:3 兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神に感謝せずにはおられない。またそうするのが当然である。それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互の間に増し加わっているからである。
1:4 そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。

ローマ5:1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
5:2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
5:3 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
5:4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。

2コリント11:2 わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただひとり男子キリストにささげるために、婚約させたのである。
11:3 ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。
11:4 というのは、もしある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。

ガラテヤ5:19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

 レカブ人 - 約束を守り行う人の受ける幸い(エレミヤ35章)

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エレミヤ35:1 ユダの王ヨシヤの子エホヤキムの時、主からエレミヤに臨んだ言葉。
35:2 「レカブびとの家に行って、彼らと語り、彼らを主の宮の一室に連れてきて、酒を飲ませなさい」。
 
1歴代誌2:55 ヤベツに住んでいた書記の諸氏族は、ティルア人、シムア人、スカ人。彼らはレカブ家の父祖ハマテから出たケニ人である。
 
士師記1:16 モーセの義兄弟であるケニ人の子孫は、ユダ族といっしょに、なつめやしの町からアラデの南にあるユダの荒野に上って行って、民とともに住んだ。
 
35:3 そこでわたしはハバジニヤの子エレミヤの子であるヤザニヤと、その兄弟と、そのむすこたち、およびレカブびとの全家を連れ、
35:4 これを主の宮にあるハナンの子たちの室に連れてきた。ハナンはイグダリヤの子であって神の人であった。その室は、つかさたちの室の次にあって、門を守るシャルムの子マアセヤの室の上にあった。
35:5 わたしはレカブびとの前に酒を満たしたつぼと杯を置き、彼らに、「酒を飲みなさい」と言ったが、
35:6 彼らは答えた、「われわれは酒を飲みません。それは、レカブの子であるわれわれの先祖ヨナダブがわれわれに命じて、『あなたがたとあなたがたの子孫はいつまでも酒を飲んではならない。
35:7 また家を建てず、種をまかず、またぶどう畑を植えてはならない。またこれを所有してはならない。あなたがたは生きながらえる間は幕屋に住んでいなさい。そうするならば、あなたがたはその宿っている地に長く生きることができると言ったからです』。
35:8 こうしてわれわれは、レカブの子であるわれわれの先祖ヨナダブがすべて命じた言葉に従って、われわれも、妻も、むすこ娘も生きながらえる間、酒を飲まず、
35:9 住む家を建てず、ぶどう畑も畑も種も持たないで、
35:10 幕屋に住み、すべてわれわれの先祖ヨナダブがわれわれに命じたところに従い、そのように行いました。
35:11 しかしバビロンの王ネブカデレザルがこの地に上ってきた時、われわれは言いました、『さあ、われわれはエルサレムへ行こう。カルデヤびとの軍勢とスリヤびとの軍勢が恐ろしい』と。こうしてわれわれはエルサレムに住んでいるのです」。
 
2列王記10:15 エヒウはそこを立って行ったが、自分を迎えにきたレカブの子ヨナダブに会ったので、彼にあいさつして、「あなたの心は、わたしがあなたに対するように真実ですか」と言うと、ヨナダブは「真実です」と答えた。するとエヒウは「それならば、あなたの手をわたしに伸べなさい」と言ったので、その手を伸べると、彼を引いて自分の車に上らせ、
10:16 「わたしと一緒にきて、わたしが主に熱心なのを見なさい」と言った。そして彼を自分の車に乗せ、
10:17 サマリヤに行った。エフーはアハブに属する者で、サマリヤに残っていた者を皆殺しにし、その一族を根絶やしにした。主がエリヤにお告げになったことばのとおりであった。
 
35:12 その時、主の言葉がエレミヤに臨んだ、
35:13 「万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、行って、ユダの人々とエルサレムに住む者とに告げよ。主は仰せられる、あなたがたはわたしの言葉を聞いて教を受けないのか。
35:14 レカブの子ヨナダブがその子孫に酒を飲むなと命じた言葉は守られてきた。彼らは今日に至るまで酒を飲まず、その先祖の命に従ってきた。ところがあなたがたはわたしがしきりに語ったけれども、わたしに聞き従わなかった。
35:15 わたしはまた、わたしのしもべである預言者たちを、しきりにあなたがたにつかわして言わせた、『あなたがたは今おのおのその悪い道を離れ、その行いを改めなさい。ほかの神々に従い仕えてはならない。そうすれば、あなたがたはわたしがあなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの地に住むことができる』と。しかしあなたがたは耳を傾けず、わたしに聞かなかった。
35:16 レカブの子ヨナダブの子孫は、その先祖が彼らに命じた命令を守っているのである。しかしこの民はわたしに従わなかった。
35:17 それゆえ万軍の神、主、イスラエルの神はこう仰せられる、見よ、わたしはユダとエルサレムに住む者とに、わたしが彼らの上に宣告した災を下す。わたしが彼らに語っても聞かず、彼らを呼んでも答えなかったからである」。
 
エレミヤ34:15 しかし、あなたがたは、きょう悔い改め、各自、隣人の解放を告げてわたしが正しいと見ることを行ない、わたしの名がつけられているこの家で、わたしの前に契約を結んだ。
34:16 それなのに、あなたがたは心を翻して、わたしの名を汚し、いったん自由の身にした奴隷や女奴隷をかってに連れ戻し、彼らをあなたがたの奴隷や女奴隷として使役した。』
34:17 それゆえ、主はこう仰せられる。『あなたがたはわたしに聞き従わず、各自、自分の同胞や隣人に解放を告げなかったので、見よ、わたしはあなたがたに――主の御告げ。――剣と疫病とききんの解放を宣言する。わたしは、あなたがたを地のすべての王国のおののきとする。
 
申命記28:15 もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。
 
エレミヤ35:18 ところでエレミヤはレカブびとの家の人々に言った、「万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、あなたがたは先祖ヨナダブの命に従い、そのすべての戒めを守り、彼があなたがたに命じた事を行った。
35:19 それゆえ、万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、レカブの子ヨナダブには、わたしの前に立つ人がいつまでも欠けることはない」。
 
ネヘミヤ3:14 糞の門はベテ・ハケレムの区域の知事レカブの子マルキヤがこれを修理し、これを建て直して、そのとびらと横木と貫の木とを設けた。
 
ユダヤ教の口伝承『ミシュナ』は「ヨナダブの子孫が神殿の祭壇で燃やす薪を持ってくる人」として言及している(実用聖書注解)
 
申命記28:1 もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。

自らをきよく保つ人を通して世界に神の栄光を知らせる主(ダニエル1章)
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ダニエル1:1-21
イザヤ42:6  「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの光として与え、
ダニエル6:28  このダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ人クロスの治世に栄えた。

神の言葉の秩序が破壊される時(哀歌2:11-22)
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哀歌は、エレミヤが記した。
バビロンがエルサレムを攻め、エルサレムが陥落した後に。
バビロンが攻めて来て、城壁も神殿も破壊され、多くの人々が虐殺され、また捕虜として連れていかれた。
こうなる前に主に立ち返るよう、ずっと警告し続けてきたエレミヤがうたった歌が、哀歌である。

哀歌は、1章から5章まですべて22節(3章は22の3倍の66節)である。なぜか。
22といえば、ヘブライ語のアルファベットの数であるが、哀歌は、1-4章はそれぞれの節の冒頭が、ヘブライ語のアルファベット順に並んでいて、1節はアレフ、2節はベートと、アルファベット順のそれぞれの言葉ではじまり、そして最後の22節は、ヘブライ語最後の語・タヴの言葉によって始まる。(3章は1,2,3節がアレフ、4,5,6節がベート、、、64,65,66節がタヴ)

しかし、5章ではこの秩序が崩壊する。22節あるのだが、アルファベット順ではないのだ。
なぜ5章は、せっかくアルファベット数の22節あるのに、アルファベット順ではないのか。

それまで、ヘブライ語のアルファベット順という、神の言葉の秩序どおり進んでいたのが、最後の5章で崩壊し、災いとうめきに満たされる。
主の秩序通りに歩んでいくならば、祝福があり、幸があり、秩序の乱れは一切無いが、しかし人間の好き勝手によって崩壊する時、哀歌の内容の悲惨が生まれるのだ。

バビロン捕囚はなぜ起きたか。
人が神の言葉を破り、神の言葉の秩序を崩壊させると、あなた方は破壊され、捕虜とされる、と、はるか昔・モーセの時代から言われていた。
けれども、彼らが、神の秩序をあえて破壊してしまった故に、哀歌に記されている悲惨が起きたわけである。

申命記28章に記されている通り、神の民は、神の秩序通りに歩んでいるなら、とてつもない祝福がある。
しかし、神の秩序をあえて破壊するなら、驚くほどの落ちぶれ様が、破壊され様が、また、驚くほどの悲惨が待っている。
その悲惨は、特に、子供たちや若者たちに深刻である事を、今日の箇所から見ることができる。

2:11 わが目は涙のためにつぶれ、わがはらわたはわきかえり、わが肝はわが民の娘の滅びのために、地に注ぎ出される。幼な子や乳のみ子が町のちまたに/息も絶えようとしているからである。
2:12 彼らが、傷ついた者のように町のちまたで/息も絶えようとするとき、その母のふところにその命を注ぎ出そうとするとき、母にむかって、「パンとぶどう酒とは/どこにありますか」と叫ぶ。

この世界に送り出されたばかりの命たち、幼児や乳飲み子が、母親に訴える。
パンとぶどう酒とは、どこにありますか、と。
幼児や乳飲み子が、パンやぶどう酒を求める。どういう事だろう。

パンとぶどう酒は、ただの食料ではない。レビ記では、礼拝で捧げられるべき捧げ物であり、また新約では、主イエスの死を覚えつづけるために執り行われる聖餐式において分配されるものである。
この世に送り出されてきたばかりの命たちが、その母親に、穀物とぶどう酒はどこにあるのかと叫ぶ様は、神がこの世に送り出した命たちの、切実な叫びである。
礼拝は、どこにあるのか?
神に捧げるべき捧げ物は、どうなっているのか?
命は、訴える。
神との関係はどうなっているのか、と。

なぜ悲惨な状況になったのか、それは、主の道から外れたからに他ならない。
13節と14節に、こうなった理由が記されている。

2:13 エルサレムの娘よ、わたしは何をあなたに言い、何にあなたを比べることができようか。シオンの娘なるおとめよ、わたしは何をもってあなたになぞらえて、あなたを慰めることができようか。あなたの破れは海のように大きい、だれがあなたをいやすことができようか。
2:14 あなたの預言者たちはあなたのために/人を欺く偽りの幻を見た。彼らはあなたの不義をあらわして/捕われを免れさせようとはせず、あなたのために人を迷わす偽りの託宣を見た。

アハブは預言者を400人も集めて、自分に都合の良いことを言ってもらうための”預言集会”を開いた。
イスラエルはなんでこんなにも傷ついてしまったのか。
それは、虚しい、ごまかしばかりの”預言ごっこ”をして、罪を暴こうともせず、惑わす言葉だけを預言したからだ。
預言者とは、もし人が罪を犯したのであるのであれば、それを暴くべきであるが、偽預言者たちは暴こうともせず、むしろ、聞く人に耳障りの良い、実体の無い”預言ごっこ”にうつつを抜かしていたからだ。

叱責をいただいたときは、むしろ幸いだと思うべきである。
しかし、主の言葉を頑に突っぱね続けるならば、この哀歌の状態になってしまうことを、覚えておくべきだ。
哀歌の1-4章が、なぜアルファベット順に並んでいるのか。それは単なる語呂遊びではない。
テフィリンする上で、暗唱しやすくなっているから、覚えやすくなっているから、これを覚えて暗唱しなさい、決してこの内容を忘れないように、という事である。

2:15 すべて道行く人は、あなたにむかって手を打ち、エルサレムの娘にむかって、あざ笑い、かつ頭を振って言う、「麗しさのきわみ、全地の喜びと/となえられた町はこれなのか」と。
2:16 あなたのもろもろの敵は、あなたをののしり、あざ笑い、歯がみして言う、「われわれはこれを滅ぼした、ああ、これはわれわれが望んだ日だ、今われわれはこれにあい、これを見た」と。

ここには、敵の嘲りがある。
なぜ、神の民が、敵によって滅ぼされたのか。それは、主が許されたからに他ならない。
なぜか。それは彼らが、主の言葉に従わず、むしろ恩知らずな事を主に対して続けていたからだ。
このような災いが起きると、警告を受けたのは、モーセの時代、はるか昔からである。

2:17 主はその計画されたことを行い、警告されたことをなし遂げ、いにしえから命じておかれたように、滅ぼして、あわれむことをせず、あなたについて敵を喜ばせ、あなたのあだの力を高められた。

申命記28章には、祝福と呪いの言葉があるが、15節以降、呪いの言葉が68節まである。
呪われるためのコツは、主の御声に聴き従わず、その命じる命令を守り行わない事だ。

2:18 シオンの娘よ、声高らかに主に呼ばわれ、夜も昼も川のように涙を流せ。みずから安んじることをせず、あなたのひとみを休ませるな。
2:19 夜、初更に起きて叫べ。主の前にあなたの心を水のように注ぎ出せ。町のかどで、飢えて/息も絶えようとする幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ。

エレミヤは、ぼんやりしてはならない、と言う。
主に向かって叫ぶ事をやめてはならない、この崩壊し罰を受けた都のために、そして、弱りはて死んでいく幼子のために、心を主に向かって注ぎして祈り、と訴える。

この国もまた、主の道から外れてしまっている。
15歳から39歳までの死ぬ確率は、交通事故でもなくガンでもなく、自殺が、死因のトップである。

若者達のみならず、全ての人が、将来に希望を見いだせないまま生きている。
彼らは、自分にはパンとぶどう酒が、すなわち神と関わりを持つべき礼拝が全人類に必要である事が分からず、いや、一体何がこんなに自分の心を飢え渇かせているのか、訳も分からないまま、もだえつつ生きている。

私達は、祈るべきである。
この国が、主を離れ、礼拝から離れ、主の道から外れた生き方をしている故に。

2:20 主よ、みそなわして、顧みてください。あなたはだれにむかって/このように行われたのですか。女は自分の産んだ子、その大事に育てた幼な子を食べるでしょうか。祭司と預言者が主の聖所で殺されていいでしょうか。
2:21 老いも若きも、ちまたのちりに伏し、わがおとめも、若人も、つるぎで倒されてしまった。あなたは、その怒りの日にこれを殺し、これをほふって、あわれむことをされなかった。

祭司や預言者が主の聖所で殺されている、
しかし祭司や預言者が、民の咎をあばこうともせず、惑わす言葉を預言したから、虐殺されてしまったのだ。(14節)

『望みのあるうちに、自分の子を懲らせ、これを滅ぼす心を起してはならない。』(箴言19:18)
まだ望みがある内に、懲らしめ、戒めるべきなのだ。
母が大事に育てた子を食べてしまうような、深刻な事態に至らない内に。

エレミヤは、こんな事があっていいのか、と訴えたが、主を軽んじ続け、御言葉に向き合わない事を続けるなら、この事が起きてしまうのだ。

2:22 あなたは、わたしの恐れるものを、祭の日のように四方から呼び集められた。主の怒りの日には、のがれた者も残った者もなかった。わたしが、いだき育てた者を/わたしの敵は滅ぼし尽した。

祭りの日は、本来、主を礼拝する人々が神殿へと集まってくるものだが、礼拝をしないで居続けるなら、神殿を破壊する者達が集まって来る。
なぜ、こんな悲惨な事が起きるのか。
それは、昔から行われていた事だった。
もし主の道からそれて好き勝手な事をし続けて改めないなら、深刻なききんに陥って、母がその子の肉を食べる、という内容までも、昔から警告されていた。

だから、御言葉に立ち返るべきである。
望みがある内に、御言葉によって懲らしめるべきである。

イスラエルは、バビロン捕囚によって、懲らしめを受けた。
しかし、主は、殺す気はおこしていない。
ちゃんと残されるべき民を残しておられた。そしてイスラエルは、再び、テフィリンによって立ち上がっていく。
テフィリン教育は、バビロン捕囚の故に、生まれた。

御言葉を正確に伝え、祝福の道を歩んでいくみなさんでありますように!

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