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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

死んだはえは聖なる香油を腐らせる(伝道者の書10:1)
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伝道者の書10:1 死んだはえは、香料を造る者の/あぶらを臭くし、少しの愚痴は知恵と誉よりも重い。

出エジプト記30:22 主はまたモーセに言われた、
30:23 「あなたはまた最も良い香料を取りなさい。すなわち液体の没薬五百シケル、香ばしい肉桂をその半ば、すなわち二百五十シケル、におい菖蒲二百五十シケル、
30:24 桂枝五百シケルを聖所のシケルで取り、また、オリブの油一ヒンを取りなさい。
30:25 あなたはこれを聖なる注ぎ油、すなわち香油を造るわざにしたがい、まぜ合わせて、におい油に造らなければならない。これは聖なる注ぎ油である。
30:26 あなたはこの油を会見の幕屋と、あかしの箱とに注ぎ、
30:27 机と、そのもろもろの器、燭台と、そのもろもろの器、香の祭壇、
30:28 燔祭の祭壇と、そのもろもろの器、洗盤と、その台とに油を注ぎ、
30:29 これらをきよめて最も聖なる物としなければならない。すべてこれに触れる者は聖となるであろう。
30:30 あなたはアロンとその子たちに油を注いで、彼らを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせなければならない。
30:31 そしてあなたはイスラエルの人々に言わなければならない、『これはあなたがたの代々にわたる、わたしの聖なる注ぎ油であって、
30:32 常の人の身にこれを注いではならない。またこの割合をもって、これと等しいものを造ってはならない。これは聖なるものであるから、あなたがたにとっても聖なる物でなければならない。
30:33 すべてこれと等しい物を造る者、あるいはこれを祭司以外の人につける者は、民のうちから断たれるであろう』」。

1コリント6:19 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
6:20 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。

6:15 あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。
6:16 それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。
6:17 しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。
6:18 不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。

5:1 現に聞くところによると、あなたがたの間に不品行な者があり、しかもその不品行は、異邦人の間にもないほどのもので、ある人がその父の妻と一緒に住んでいるということである。
5:2 それだのに、なお、あなたがたは高ぶっている。むしろ、そんな行いをしている者が、あなたがたの中から除かれねばならないことを思って、悲しむべきではないか。
5:3 しかし、わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。
5:4 すなわち、主イエスの名によって、あなたがたもわたしの霊も共に、わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって、
5:5 彼の肉が滅ぼされても、その霊が主のさばきの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。
5:6 あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。
5:7 新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。
5:8 ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。

詩篇133 ダビデがよんだ都もうでの歌
133:1 見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。
133:2 それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。
133:3 またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。

詩篇講解説教 早天祈祷会
ジェホバ・ロフェ、ジェホバ・チヅケヌー 牧会学の極意(詩篇23:3)
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詩篇23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

この節には、主の御名が2つ練り込まれており、そして牧会学(Ministry Pastoral theology)の極意が詰め込まれていて、牧会をするために必要なエッセンスがある。
牧会とは、世において問題の渦中にさらされ、挫折し、涙し、重い荷をおっている人々を、聖霊の助けを得て真の牧者であるキリストの元へと導き、傷ついた生き返らせ、再び起こし、そして正しい道へと導いて行くものである。

イエス様も言われた。
マタイ11:28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
 11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
 11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

私達も、疲れたたましい達をイエス様の元へと導き、彼の元で安らわせ、憩わせる者達である。

「主はわたしの魂をいきかえらせ」(詩篇23:3a)
ここはジェホバ・ロフェ(Jehovah Rophe:癒し主)の御名が練り込まれており、その御名が登場するのは、出エジプト記15:26である。

その箇所は、エジプトを脱出したイスラエルの民が、主の御業によってエジプトの追撃から守られ、さらに荒野を旅して行き、マラという場所に到着した場面である。
マラは「苦い」という意味である。彼らは水の無い荒野を旅し、ようやく水の所に着いたのだが、その水はあいにく「苦く」、飲めなかった。

『ときに、民はモーセにつぶやいて言った、「わたしたちは何を飲むのですか」。モーセは主に叫んだ。主は彼に一本の木を示されたので、それを水に投げ入れると、水は甘くなった。』(出エジプト記15:24)
一本の木を投げ入れると、苦かった水が甘くなる。
その「木」は、新約における十字架の予表である。

『その所で主は民のために定めと、おきてを立てられ、彼らを試みて、言われた、「あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプトびとに下した病を一つもあなたに下さないであろう。わたしは主であって、あなたをいやすものである」。』(出エジプト記15:25-26)
主はここでJehovah Rophe 「癒し主」である事を宣言された。
わたしはあなたがたを癒やすエホバである、と。
人々が嫌った、マラの苦い水に、主が指したあの木の枝を投げ入れると、甘い水に変わった。ここにキリスト教の本質がある。
世が「使い物にならない」と言って捨てた人、苦い人、彼らを癒やすお方が、ジェホバ・ラッファなる主である。
ダビデは、この出エジプト記からジェホバ・ラッファを持ってきたのだ。ここに、「牧会学」の始まりがある。
牧会における最も重要な働きの一つが「魂を生き返らせる(My soul He restores)」である。
魂(ネフェシュ)を、生き返らせる。働くためには、生き返って回復された状態にならないとならない。主は、癒やし主であり、そして私たちもまた、人を癒やすことを、重要な目標の一つに据えるべきである。


「み名のためにわたしを正しい道に導かれる」(詩篇23:3b)

ここに隠されている主の御名が、Jehovah Tsidkenu(ジェホバ・チヅケヌー)であり、すなわち、「エホバはわたしたちの義」という意味だ。
それは、エレミヤ書に登場する。
『その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。』(エレミヤ書23:6)

人を立て直す順番は、最初に「たましいを生き返らせ」、次に「義の道に導かれる」である。
主は、その理由を「自分の名のために」、すなわち、「神の名を神とするために」、その事をされるのだ。
コーエン大学設立総長、ポール・カン・シンゴン博士は言う。
牧会とはすなわち、

1,魂を生き返らせる、蘇生させる。
2,一生の間、公の義の道へと、導く。
事である、と。

牧会とは、人を救って、癒やしたら、もうそれで終わりではない。しっかりとケアもするべきである。
その人がどんどん良い人になって行き、義の道へと導いて行くものである。

牧会は、ラテン語では、CURA というが、CURA は、 CURE + CARE、すなわち、
C=C+C
それが、牧会である、と、ポール・カン・シンゴン博士は提唱する。

私達は、イエス様にあって癒やされた。
そして天国に行くその日に至るまで、日々、義の道を主にあって歩まされ、日々、義人とされ、栄光化されて行く道筋にある。
イエス様はペテロに、わたしの羊を飼いなさい、と言われた。
私達も、飼うのである。
人々にイエス・キリストを伝え、魂を生き返らせ、彼らを義の道に導くためにケアし、そして彼らもゆくゆくは羊飼いへと育てて行くのである。

ルカによる福音書 講解説教 水曜夕礼拝
十字架を巡る人間模様とそれぞれの行先(ルカ23:1-31)
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エレミヤ書 講解説教 水曜昼礼拝
義の枝の問題 - エレミヤ書の9つのGolden Key 5/9(エレミヤ23:1-8)
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この終わりの時代を読み解く上で非常に重要なエレミヤ書の9つの鍵、その第5番目は、「義の枝」の問題である。

エレミヤ23:5 見よ。その日が来る。――主の御告げ。――その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝「ツェマフ・ツェデク(聖なる枝、義なる枝)」を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行なう。

エレミヤ書22章において、ダビデ-ソロモンから続いた王たちは、代が降るにつれ、主の御言葉に聞き従わず、主の警告を無視し、人々を虐げ搾取した。
それで主は言われた。

23:1 主は言われる、「わが牧場の羊を滅ぼし散らす牧者はわざわいである」。
23:2 それゆえイスラエルの神、主はわが民を養う牧者についてこう言われる、「あなたがたはわたしの群れを散らし、これを追いやって顧みなかった。見よ、わたしはあなたがたの悪しき行いによってあなたがたに報いると、主は言われる。

ソロモンから続く歴代の王たちは、牧者として失格な事ばかりして来て、あまりにも警告に従わないことを続けたため、ついに主は、バビロン捕囚直前の王、エコヌヤに宣言した。
「この人を、子なき人として、またその一生のうち、栄えることのない人として記録せよ。その子孫のうち、ひとりも栄えて、ダビデの位にすわり、ユダを治めるものが再び起らないからである。」(エレミヤ22:30)
実際、エコニヤ以降、ダビデ-ソロモンの家系に、王は出ていない。
主は、ダビデ-ソロモン以降続いた王位を、エコニヤの代で終わらせたのだ。

さて、ここで疑問が起きる。
エコヌヤ以降は「王は出ない」と宣言されたなら、王の王・主の主であられるイエス・キリストは、どうなるのか。
マタイ1章の系図には、ダビデ以降エコニヤに至るまでの14代が、歴代の王として記されているが、実際、エレミヤの預言どおり、エコニヤからは王は出ておらず、一般人の系図となっており、そしてイエスの父ヨセフへと系図が続いている。
イエス・キリストは、王の王であるが、エコニヤ以降、王は出ないのではなかったのか?

そもそもである。イエス・キリストは、聖霊によって処女マリヤから生まれたため、マリヤの夫ヨセフの血は継いでいない。
それでは、イエス様は王族ではないのか?ダビデの子ではないのだろうか?
いいや、ダビデの子であり、王族である。

ルカの福音書三章に、もう一つの系図があるが、この系図は、ダビデ-ソロモン,,,エコヌヤ,,,ヨセフへと続くマタイ系図とは全く別の系図、すなわち、マリヤの家系の系図である。
実際、マタイ一章の”ヨセフ系図”では、ダビデの子はソロモンであるが、ルカの”マリヤ系図”では、ダビデの子はナタン(バテ・シェバの子でソロモンの兄:1歴代3:5)となっており、それ以降のマタイとルカの系図は、分岐している。

つまり、イエスの母マリヤは、歴代の王族の家系ではないものの、れっきとしたダビデの子孫であり、そして悪に染まった王族の血を継いでもいない。つまりイエス様は、法的なヨセフの子、すなわち法的には歴代の王族の子であり、血筋としては、悪しき王達の血を継がない、純粋なダビデの子孫なのだ。

ルカの系図は、マタイの系図とは逆で、新しい時代から古い時代へとさかのぼって行き、しかもマタイ系図の一番最初・アブラハムよりもさらにさかのぼって、人類最初の人アダムへと行きつき、最後は、神へと行き着く。(ルカ3:38)
マタイの系図は、最初がアブラハムで始まる、イスラエル人の父・イスラエルの王族の家系図であるが、ルカの系図は、神の子、人の子、ダビデの子の系図である。

そういうわけで神は、エレミヤの預言どおり、エコヌヤという「決して王は出ない家系」とは、全く別の、「ダビデの若枝・ツェマフ・ツェデク(聖なる枝、義なる枝)」を興し、すなわち、ダビデの子・ナタンからの系図から、決して廃れる事の無い、永遠に王となって公平と正義を行う王・イエス・キリストを起こされたのだ。

この枝、すなわち、義なるイエス・キリストこそ、私達・異邦人の望みである。
ダビデの系図の中には、異邦人ルツが、またラハブが、信仰告白によってこの栄光の家系へと嫁入りし、ダビデ王朝の先祖になった事が記されている。
この「義の枝」であるキリストに、信仰告白によって接ぎ木されて来る異邦人は、皆、救われるのである。(ローマ11:13-27)

23:3 わたしの群れの残った者を、追いやったすべての地から集め、再びこれをそのおりに帰らせよう。彼らは子を産んでその数が多くなる。
23:4 わたしはこれを養う牧者をその上に立てる、彼らは再び恐れることなく、またおののくことなく、いなくなることもないと、主は言われる。
23:5 主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝(ツェマフ・ツェデク)を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。
23:6 その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義(ジェホバ・チヅケヌ)』ととなえられる。

この、主が起こされたダビデの若枝(ツェマフ・ツェデク)、すなわちキリストに接ぎ木された者は、「義」とされるのである。
それ故、その名は『主はわれわれの正義(ジェホバ・チヅケヌ)』ととなえられる。


イザヤ60:21 あなたの民はみな正しくなり、とこしえにその地を所有しよう。彼らはわたしの栄光を現わす、わたしの植えた枝。わたしの手で造ったもの。
60:22 最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となる。時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。

どんな罪人であっても、このツェマフ・ツェデクへと、信仰告白によって接ぎ木されるなら、「義」とされるのである。
たとえ、十字架刑の真っ最中の強盗であっても。
それは何という驚くべき恵み、驚くべき救いであろうか。

23:6 その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。
23:7 主は言われる、それゆえ見よ、人々は『イスラエルの民をエジプトの地から導き出された主は生きておられる』とまた言わないで、
23:8 『イスラエルの家の子孫を北の地と、そのすべて追いやられた地から導き出された神は生きておられる』という日がくる。その時、彼らは自分の地に住んでいる」。

これはまさに、現代のイスラエルにおいてそれが起きている。
バビロン捕囚からおよそ2500年後、1948年5月14日にユダヤは見事、あの土地に独立し、国を再興した。
その日、まさに『イスラエルの家の子孫を北の地と、そのすべて追いやられた地から導き出された神は生きておられる』という日が来たのだ。

主は、まことに真実なお方である。

早天礼拝
不当な者が王になろうとしゃしゃり出る時は(1列王記1章)
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早天礼拝
モーセに徐々に自信をつけさせて下さる主(出エジプト記8:20-9:12)
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詩篇23篇に隠された主の御名 - ジェホバ・シャローム(詩篇23:2)
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『主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。』(2節)
この詩篇23篇2節に練り込められた御名は、「ジェホバ・シャローム」(主は平和、平和の主)である。

士師記6:24 この御名「ジェホバ・シャローム」が登場する場面は、主がギデオンを召し出された場面である。
どういう時に主は彼に現れたか。それは、彼がミデヤン人という敵から隠れて、酒ぶねの中に隠れながら麦を打っている場面である(士師記6章)。
そんな臆病な、部族の中で最も小さく、最も弱い者に、主は現れて言われた。
「大勇士よ、主はあなたと共におられます」(士師記6:24)

ギデオンも、人も、当然、未来は見えない。彼自身も、彼の父も、部族の人々も、まさかギデオンが大勇士になるとは思ってなかったが、主の目には、将来の彼の「大勇士」の様が、見えていた。
なぜなら彼には、主に従順する性質があったからだ。
彼は、主から言われた事を、そのまま実行する人だった。

普通、常識ある人間は、10万以上の敵にたった300人で立ち向かう事はしないが、ギデオンは、主がしなさいと言われたので、した。
主が「人が多いから減らしなさい」と言われたら、躊躇なく1万や2万をばっさり切ったし、たった300人になっても、10万以上の敵に立ち向かって行った。
そのような性質だから、彼は用いられたのだ。
この、主に言われたとおりに実行する性質こそ「大勇士」の性質である。

2. ギデオンは、どういう場面でジェホバ・シャロームを宣言したのか。
彼が酒ぶねの中で、恐れながら麦を打っている時、主の使いが彼に現れたが、彼は、主の使いと面と面を向かって話していたというのに、実感せずにいた。
しかし彼が、相手が本当に主の使いであったと分かった時、死ぬのではないかと恐れた。しかし、
『主は彼に言われた、「安心せよ、恐れるな。あなたは死ぬことはない」。そこでギデオンは主のために祭壇をそこに築いて、それを「主は平安(ジェホバ・シャローム)」と名づけた。』(士師記6:23−24) 

私達も、主の力強く全く聖であられる有様を知った時、ひるがえって、自分が昨日犯したあの罪、今日犯したこの罪も全部、主がその目でじっと見つめておられた、と知るなら、ギデオンのように絶望するしかない。
ダビデも、そうだった。主の目の前で他人の妻を奪い、その夫を謀殺するような罪を犯した。にもかかわらず、「あなたは死なない」と言われた。なぜか?それは彼が自分の罪を告白し、主のなさる事を受け入れたからだ。
「主は言われた、「悪い者には平安(シャローム)がない」と。」(イザヤ48:22)
しかし人が自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方であるから、その罪を赦し、全ての悪から私達をきよめて下さる。しかしもし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はその人の内にない。(1ヨハネ1:9-10)

3. シャロームに込められた意味
ユダヤ人は「シャローム」を、挨拶の言葉として使っている。このシャロームの中に込められている最たる願いは「トーブ(良し)」である。主がこの世界を6日に分けて創造された時、一日一日に「良し」(トーブ)と宣言された。
そして、人間を創られた第6日目には「はなはだ良し(トーブ・メオド)」と評価され、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」と、人を祝福された。(創世記1章)

この「トーブ」の中には「1,パーフェクト(完全)」「2,ビューティーフル(美しい)」「3,グッド(良い)」の意味が込められており、これら3つを束ねて「シャローム」という。つまり、ユダヤ人がシャロームの挨拶を交わす時、完全でありますように、美しい者であるように、良い者でありますように、という願いを込めているのだ。
ユダヤ人であるパウロも、その書簡の中で頻繁に「平安があなた方にあるように」という挨拶をしている。
イエス様も、恐れて隠れている弟子達の中に現れ、平安(シャローム)があなた方にあるように、と宣言し、その手とわき腹を示された。
『弟子達は、主を見て喜んだ。イエス様はもう一度、「平安があなたがたにあるように。」と言われ、彼らに息を吹きかけて、言われた。「聖霊を受けなさい。」』(ヨハネ20:19−22)

弟子達が主を見て喜んだのは、イエス様がその手とわきを示されたからだ。
イエス様が私たちの代わりに十字架上で打たれ、罰を受け、死なれた。
そして、よみがえられた。これぞ完全なシャロームの根源である。
イエス様こそ、まことの羊飼いであり、備え主であり、そして平和の主である。

羊は、羊飼いなしでは良くない。砂漠でとぼとぼ途方に暮れているのは、良くない。
羊は、羊飼いに導かれ、緑の牧場に、いこいのみぎわに伏してこそ、トーブである。まことの羊飼いに導かれ、いこわされる、トーブな皆さんでありますように!

主日礼拝
御業を行う為に徐々に勇気を与えて下さる主(出エジプト記7:1-8:19)
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週報/メッセージ(説教)概要
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成田エクレシア礼拝 音声

 主の民が、主の敵である不当な者達の下で奴隷状態になっている所を、主が開放させて下さる箇所が、出エジプト記である。主は現代の私達も、「世」というエジプトから、「サタン」というエジプトの王パロから、救い出して下さる。今回も、私達に奴隷を強いる者から、また、私達自身が、身につけてしまった奴隷根性や貧乏ぐせ、縮こまった考え、ケチケチ精神などからエクソダス(出エジプト)させて下さる主の導きを学びたい。

前回、モーセは弱さ故に主の言葉通り伝えられず、しるしも行えなかった。しかし主はパロの口を操作し、「しるしを行って見せよ」と言わせ、それで彼は主から命じられた通り、杖を蛇に変えるしるしをパロの前で行う事が出来た。まさに「主の上げ膳据え膳」によって、私達にも自信をつけさせて下さる主の恵みを見た。
ところで蛇といえばサタンを思い出すが、主のわざを示すしるしが、なぜ「蛇」なのか?主はサタンに活動許可を与える事も、尻尾をつかんで封じる事もできるのだが、それは私達・主に遣わされた働き人にも、与えられた権威である(マルコ16:18)。モーセが持っていたのは、羊飼いの杖であり、それは元来、羊を牧するためのものだが、それを手離して地に投げやると、蛇になる。私達が、羊達を正しく治める権威を行使せず、地に放り投げるなら、それは蛇となり、悪童達の野放し状態となって手がつけられなくなってしまうのだ。
子供達や部下達を、わがままな怠け状態に、罪をし放題の状態で放置し続けるなら、彼らの罪を満足させるための奴隷となって、家も組織も破綻し滅んでしまう。サタンを踏みつける事を躊躇したり、同調したり、見てみぬふりをして野放しにし続けるならは、蛇から良いようにされてしまうが、主は「蛇の尻尾を掴め」と言われる。そうであるからには、私達は主イエス・キリストの御名によって掴み、奴隷根性に勝利すべきだ。
パロはこれらを見たにもかかわらず、ますます心頑なになってしまうが、失敗ではない。さらなる主の御業を起こす引き金となるからだ。私達も主から示された通りに御言葉を発言し、しるしを行うべきである。それをしたなら、主が敵を「攻撃」してくださる。これ以降、主は、しもべモーセを通してエジプト攻撃へと転じる。

主がモーセを通して降される災いの内、最初の3つはモーセがアロンに命じる形で災いを降らせ、続く3つの災いはモーセが宣言すると起こり、その後の3つの災いは、モーセの手の杖で行わせている。
主はモーセに、御業を行う「自信」を徐々につけさせ、トレーニングしておられたのだ。私達にも同様である。
モーセはパロに警告を与える。主の民に礼拝をさせよ、さもないとナイルの川と水を打ち、血に変える、と。
しかしパロは警告を聞き入れない。それで主は、モーセがアロンに伸ばさせた杖を通して、ナイル川の水を血に変え、全エジプトの生活に支障が出る形で、災いが降された。ナイル川は、ヘブル人の男の子が投げ込まれ、殺され、その血が混じっている。主はそれに正しく報復をされたのだ(黙示録16:5-7)。
しかしパロは心を頑なにして、心に留めなかった。それは、第二の災い・かえるの災いが降るきっかけとなる。モーセは同様に警告を与えたが、パロは聞き入れず、それで、エジプト中かえるだらけになる。
かまども、かごもこね鉢も、寝台も。この災いで若干の進展がある。パロはモーセに、かえるを取り除くように、祈りの要請をしたのだ。パロは「あす」を指定し、モーセはその通りにすると約束した。モーセは帰ると、主に叫んで求めた(8:12)。かえるが時間指定で全滅するなど、人には不可能な事なので必死になったが、主に不可能は無い。モーセが約束した通り、主は翌日、かえるを死に絶えさせた。モーセはまた一つ経験し、主のわざを行う事で大胆になって行く。パロは災いの収束を見ると、感謝もせず、約束も守らず、心を頑なにしてイスラエルに礼拝させなかった。パロはこうして、エジプトに、さらなる災いを招いてしまう事となる。
『主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえをさし伸べて地のちりを打ち、それをエジプトの全国にわたって、ぶよとならせなさい』と」。』(8:16) 第三の災いは、ぶよの災いである。
モーセはアロンに地のちりを打たせると、それは人や動物にまとわりつく虫となってエジプト全土に満ちた。
この災いは、呪法師達にも真似出来ず、彼らは『これは神の指です』と言った。こうしてモーセは、ますます主の御業を為す事に自信を持つようになって行く。主はまことに、そのように働き人を力づけて下さる。
主は真実であり、主が為しなさい、と言われるなら、それは100%為すべきだ。奴隷状態から抜けだせない人とは、主から命じられた御言葉を実行しない人、攻撃すべき敵を攻撃しない人、権威に立たず今まで通り奴隷のままいる事である。私達は主が創世当初に命じられたように、主の御言葉に従って統治するべきなのだ。へびをも掴み、御言葉の剣を振りかざして敵を攻撃し、神の民を救う皆さんでありますように!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
テフィリンとは(出エジプト記13:1-10,11-16,申命記6:4-9,11:13-21)
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詩篇23篇に隠された主の御名 - ジェホバ・ロイ、ジェホバ・イルエ(詩篇23:1)
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詩篇23篇は、ダビデが創った詩篇の中でも、珠玉のような詩篇として、キリスト教・ユダヤ教両者から愛されている。
一般の映画や文学でも多く引用され、教会に行った事が無い人でも詩篇23篇のフレーズを聞いた事がある人は多いだろう。
この詩篇23篇は、ダビデ自身の「主はどのようなお方であるのか」という信仰告白が詰まっていて、彼はこの23篇の中に、8種類の「主の呼び名」を秘めた。

聖書の中には多くの主の呼び名が出てくる。ジェホバ・イルエや、ジェホバ・シャンマ、ジェホバ・ニシなど。
それぞれ、主の呼び名はそれぞれの主のご性質をあらわしているが、詩篇23篇にダビデが秘めた主の御名の宝を、これから何度かに渡って掘り起こして行きたい。
なお、国や訳によっては「ジェホバ」が「アドナイ」または「ヤーウェ」に、また、たとえば「イルエ」が「エレ」または「ジレ」等と発音するが、いずれも、呼び名や発音が違うだけで、意味は同じである。

ダビデが真っ先に告白した主のご性質は、「主はわたしの牧者(ジェホバ・ロイ)であって、わたしには乏しいことがない。」(1節)であった。
詩篇23篇に真っ先に登場する主の呼び名は、ジェホバ・ロイ、すなわち「主はわたしの牧者」である。
「ロイ」には、羊を飼う、食べさせる、牧草地へ導く、保護する、一緒に伴う、などの意味が含まれている。

ダビデは少年の頃、父の羊を飼っていたので、羊の性質をよく知っている。
彼の人生で、彼自身が歩んできた道を振り返ってみると、主がいつも共におられた。
そしてその主について、彼が真っ先に表現したそのご性質は「羊飼い」である。

羊は愚かで弱く、羊飼いがいなければ、何もできない。
しかしながら、羊はいつでも羊飼いが守っている故に、全て、必要なものが備えられる。
豚には羊飼いは必要ないが、いつも自分の身を怪我し、無作為に汚れたものを食べている。
それに引き換え、羊はいつも羊飼いに導かれる故、新鮮な、良い牧草へと導かれ、良い水の所に導かれ、いつも良いものを得ている。

羊が安全に暮らすためには、力あるかないか、個性があるか無いかは関係ない。
ただ、羊飼いの声を聞き、その後について行くだけである。それでこそ、彼らは生きながらえる事ができる。
羊飼いがいないなら、いかに能力がある羊であっても、所詮は羊である。彼らは弱り果てる以外には無い。

ダビデは、主こそ、自分の「羊飼い」だと呼んだ。
彼は人生の中、色々な敵が立ちふさがった。色々な困難があった。
強大な敵が何度も立ちふさがったし、親しい人からの裏切りもあったが、ダビデは、その都度、主に避け、主を拠り所とした
自分自身の中から湧き出て来る罪という最大の敵に打ち負かされてしまった時も、躊躇なく主に帰り、自分の罪を告白した。
主に全てをうちあける事こそ、救いを引き出すために必須の手続きである。主は、そんなダビデの羊飼いとなってくださった。

「わたしには乏しいことがない。」(1節b)
この節後半には、さらに、「ジェホバ・イルエ」、すなわち「備え主」の御名が練り込められている。
この「ジェホバ・イルエ」の御名が登場する場面は、アブラハムがイサクを捧げる場面である(創世記22章)。

彼が主の命令によりイサクを捧げようとした、まさにその時、主は制止した。彼の主に対する従順が、行いによって証明されたのだ。
それで主は、イサクに代わる犠牲として、角をやぶにひっかけた羊を備え、アブラハムは羊を身代わりに捧げた。
それでアブラハムは、主が備えて下さった故に、そこをジェホバ・イルエと名付けた。

さて、ジェホバ・イルエの言葉は「主の山には備えあり」の言葉と共に「備え主」という意味として定着しているが、実は、ジェホバ・イルエの正しい意味は、別にある。
この言葉は、分解すると、「ジェホバ(主)+ラアー(見つめる)」、そして「ラアー」は未完成形なので、原意は「主はずっと見つめ続けておられる」であり、英語のKJVが正しい訳出をしている( In the mount of the LORD it shall be seen.)

アブラハムは、イサクを捧げた時、気づいたのだ。
主はずっと、自分の信仰が、このイサクを捧げるという「行い」によって「完成」されるのを、今か、今かとずっと見続けておられたのだ、と。
そういうわけで、ヤコブは次のように書いている。

ヤコブ2:21 わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。
2:22 あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、
2:23 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。
2:24 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。

アブラハムがジェホバ・イルエと名付けたモリヤの山には、後の時代、ソロモン神殿が建ち、バビロン捕囚の時に破壊された。
しかし主は、今なお、そこを見つめ続け、待っておられる。
アブラハムの子孫達が、茨の冠を頭にひっかけた「まことの小羊キリスト」を身代わりの犠牲として捧げるのを。

主はアブラハムが信仰の完成をするために必要な、イサクの身代わりとなる羊を備えて下さったように、私達が信仰の完成を成就するために、私達の身代わりとなってくださった、まことの小羊キリストを備えて下さった。
主はずっと私達を見続けておられ、そして私達の信仰が行いを通して完成するのを、待っておられるのだ。

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