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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

自分の悪を認めて命を得、兄弟の罪を負って栄誉を得るユダ(創世記38:20-26)
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創世記38:20 やがてユダはその女からしるしを取りもどそうと、その友アドラムびとに託してやぎの子を送ったけれども、その女を見いだせなかった。
38:21 そこで彼はその所の人々に尋ねて言った、「エナイムで道のかたわらにいた遊女はどこにいますか」。彼らは言った、「ここには遊女はいません」。
38:22 彼はユダのもとに帰って言った、「わたしは彼女を見いだせませんでした。またその所の人々は、『ここには遊女はいない』と言いました」。
38:23 そこでユダは言った、「女に持たせておこう。わたしたちは恥をかくといけないから。とにかく、わたしはこのやぎの子を送ったが、あなたは彼女を見いだせなかったのだ」。
38:24 ところが三月ほどたって、ひとりの人がユダに言った、「あなたの嫁タマルは姦淫しました。そのうえ、彼女は姦淫によってみごもりました」。ユダは言った、「彼女を引き出して焼いてしまえ」。
38:25 彼女は引き出された時、そのしゅうとに人をつかわして言った、「わたしはこれをもっている人によって、みごもりました」。彼女はまた言った、「どうか、この印と、紐と、つえとはだれのものか、見定めてください」。
38:26 ユダはこれを見定めて言った、「彼女はわたしよりも正しい。わたしが彼女をわが子シラに与えなかったためである」。彼は再び彼女を知らなかった。

ダニエル9:8 主よ、恥はわれわれのもの、われわれの王たち、君たちおよび先祖たちのものです。これはわれわれがあなたにむかって罪を犯したからです。
9:9 あわれみと、ゆるしはわれわれの神、主のものです。これはわれわれが彼にそむいたからです。

1ヨハネ1:8 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
1:10 もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。

創世記44:18 この時ユダは彼に近づいて言った、「ああ、わが主よ、どうぞわが主の耳にひとこと言わせてください。しもべをおこらないでください。あなたはパロのようなかたです。
・・・
44:33 どうか、しもべをこの子供の代りに、わが主の奴隷としてとどまらせ、この子供を兄弟たちと一緒に上り行かせてください、

49:10 つえはユダを離れず、/立法者のつえはその足の間を離れることなく、/シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。

自分の大切なものを残忍なものに渡してしまう所だったユダ(創世記38:12-19)
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創世記38:12 日がたってシュアの娘ユダの妻は死んだ。その後、ユダは喪を終ってその友アドラムびとヒラと共にテムナに上り、自分の羊の毛を切る者のところへ行った。
38:13 時に、ひとりの人がタマルに告げて、「あなたのしゅうとが羊の毛を切るためにテムナに上って来る」と言ったので、
38:14 彼女は寡婦の衣服を脱ぎすて、被衣で身をおおい隠して、テムナへ行く道のかたわらにあるエナイムの入口にすわっていた。彼女はシラが成人したのに、自分がその妻にされないのを知ったからである。
38:15 ユダは彼女を見たとき、彼女が顔をおおっていたため、遊女だと思い、
38:16 道のかたわらで彼女に向かって言った、「さあ、あなたの所にはいらせておくれ」。彼はこの女がわが子の妻であることを知らなかったからである。彼女は言った、「わたしの所にはいるため、何をくださいますか」。
38:17 ユダは言った、「群れのうちのやぎの子をあなたにあげよう」。彼女は言った、「それをくださるまで、しるしをわたしにくださいますか」。
38:18 ユダは言った、「どんなしるしをあげようか」。彼女は言った、「あなたの印と紐と、あなたの手にあるつえとを」。彼はこれらを与えて彼女の所にはいった。彼女はユダによってみごもった。
38:19 彼女は起きて去り、被衣を脱いで寡婦の衣服を着た。

箴言5:3 遊女のくちびるは蜜をしたたらせ、その言葉は油よりもなめらかである。
5:4 しかしついには、彼女はにがよもぎのように苦く、もろ刃のつるぎのように鋭くなる。
5:5 その足は死に下り、その歩みは陰府の道におもむく。
5:6 彼女はいのちの道に心をとめず、その道は人を迷わすが、彼女はそれを知らない。
5:7 子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの口の言葉から、離れ去ってはならない。
5:8 あなたの道を彼女から遠く離し、その家の門に近づいてはならない。
5:9 おそらくはあなたの誉を他人にわたし、あなたの年を無慈悲な者にわたすに至る。
5:10 おそらくは他人があなたの資産によって満たされ、あなたの労苦は他人の家に行く。
5:11 そしてあなたの終りが来て、あなたの身と、からだが滅びるとき、泣き悲しんで、
5:12 言うであろう、「わたしは教訓をいとい、心に戒めを軽んじ、
5:13 教師の声に聞き従わず、わたしを教える者に耳を傾けず、
5:14 集まりの中、会衆のうちにあって、わたしは、破滅に陥りかけた」と。
 

死んで夫に慰めをもたらす妻と、生きて夫に益をもたらす妻(創世記38:1-12)
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ダビデ、イエス・キリストへと続くユダの家系。
その父祖ユダは、神を敬う家族を離れ、一人、神の国の価値観から程遠いカナンへ下って行き、そこで家庭を築き上げて行こうとした。
しかしそこで得た妻も子供も、全滅してしまう。

38:1 そのころユダは兄弟たちを離れて下り、アドラムびとで、名をヒラという者の所へ行った。
38:2 ユダはその所で、名をシュアというカナンびとの娘を見て、これをめとり、その所にはいった。
38:3 彼女はみごもって男の子を産んだので、ユダは名をエルと名づけた。
38:4 彼女は再びみごもって男の子を産み、名をオナンと名づけた。
38:5 また重ねて、男の子を産み、名をシラと名づけた。彼女はこの男の子を産んだとき、クジブにおった。
38:6 ユダは長子エルのために、名をタマルという妻を迎えた。
38:7 しかしユダの長子エルは主の前に悪い者であったので、主は彼を殺された。
38:8 そこでユダはオナンに言った、「兄の妻の所にはいって、彼女をめとり、兄に子供を得させなさい」。
38:9 しかしオナンはその子が自分のものとならないのを知っていたので、兄の妻の所にはいった時、兄に子を得させないために地に洩らした。
38:10 彼のした事は主の前に悪かったので、主は彼をも殺された。
38:11 そこでユダはその子の妻タマルに言った、「わたしの子シラが成人するまで、寡婦のままで、あなたの父の家にいなさい」。彼は、シラもまた兄弟たちのように死ぬかもしれないと、思ったからである。それでタマルは行って父の家におった。

38:12 日がたってシュアの娘ユダの妻は死んだ。その後、ユダは喪を終って(ナハーム:慰められて)その友アドラムびとヒラと共にテムナに上り、自分の羊の毛を切る者のところへ行った。
ユダは、この妻が死んで、慰められた、と訳せる。
NKJV: 38:12 Now in the process of time the daughter of Shua, Judah's wife, died; and Judah was comforted

箴言19:13 愚かな子はその父の災である、妻の争うのは、雨漏りの絶えないのとひとしい。
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。
19:15 怠りは人を熟睡させる、なまけ者は飢える。
19:16 戒めを守る者は自分の魂を守る、み言葉を軽んじる者は死ぬ。

箴言11:8 正しい者は、悩みから救われ、悪しき者は代ってそれに陥る。
11:9 不信心な者はその口をもって隣り人を滅ぼす、正しい者は知識によって救われる。
11:10 正しい者が、しあわせになれば、その町は喜び、悪しき者が滅びると、喜びの声がおこる。
11:11 町は正しい者の祝福によって、高くあげられ、悪しき者の口によって、滅ぼされる。

ユダの妻は、死んだ事によって、夫であるユダは慰めを得た。
私達は、そのようになってはならない。

箴言31:24 彼女は亜麻布の着物をつくって、それを売り、帯をつくって商人に渡す。
31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。
31:26 彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。
31:27 彼女は家の事をよくかえりみ、怠りのかてを食べることをしない。
31:28 その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う、
31:29 「りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども、あなたはそのすべてにまさっている」と。
31:30 あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。
31:31 その手の働きの実を彼女に与え、その行いのために彼女を町の門でほめたたえよ。

私達は、真の夫であるキリストに、有益をもたらす者であるべきだ。

新しく歩んで行こうとする聖徒を惑わすもの(コロサイ2:11-23)
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コロサイ2:11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。
2:12 あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。
2:13 あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。
2:14 神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。
2:15 そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。

ガラテヤ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
5:24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。

コロサイ2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。
2:17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。
2:18 あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、
2:19 キリストなるかしらに、しっかりと着くことをしない。このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって強められ結び合わされ、神に育てられて成長していくのである。

1コリント12:4 霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。
12:5 務は種々あるが、主は同じである。
12:6 働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。
12:7 各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。

コロサイ2:20 もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きているもののように、
2:21 「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に縛られているのか。
2:22 これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や教によっているものである。
2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。

人の心をご覧になられる神(ヨブ記35章)
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エリフはさらにヨブに指摘する。

35:1 エリフはまた答えて言った、
35:2 「あなたはこれを正しいと思うのか、/あなたは『神の前に自分は正しい』と言うのか。

『神の前に』は、ヘブライ語では「メ・エル」、エルは神で、メは「**から、**以上」の意味があり、KJVでは「Thinkest thou this to be right, that thou saidst, My righteousness is more than God's?」と訳している。
つまりエリフは、ヨブ、あなたの義は神から来たもの、あるいは、神以上だとでも思っているのか、といった訳され方がされている。

35:3 あなたは言う、『これはわたしになんの益があるか、/罪を犯したのとくらべて/なんのまさるところがあるか』と。
35:4 わたしはあなたおよび、/あなたと共にいるあなたの友人たちに答えよう。

今回エリフは、ヨブのみならず、友人たちにもその間違いを指摘する。
友人たちも神に対する貧しい神観を持っていたからだ。

35:5 天を仰ぎ見よ、/あなたの上なる高き空を望み見よ。
35:6 あなたが罪を犯しても、/彼になんのさしさわりがあるか。あなたのとがが多くても、彼に何をなし得ようか。
35:7 またあなたは正しくても、彼に何を与え得ようか。彼はあなたの手から何を受けられるであろうか。
35:8 あなたの悪はただあなたのような人にかかわり、/あなたの義はただ人の子にかかわるのみだ。

エリフはまず、神が人よりもはるかに高い方であることを強調し、その神を前に、人がいかに正しさを主張しても、どんなに無意味か、また、人が自分の義を主張しても、いかにむなしいかを語る。
どんなに人が正しくても、それが神に何か益をもたらすものではないし、人がどんなに悪をした所で、神に何か損失が与えられるものではない。
ただ神は、人の、ご自身に向かう「心」こそ目を留められるのだ、という事を、エリフは続く節で指摘する。

35:9 しえたげの多いために叫び、/力ある者の腕のゆえに呼ばわる人々がある。
35:10 しかし、ひとりとして言う者はない、/『わが造り主なる神はどこにおられるか、/彼は夜の間に歌を与え、
35:11 地の獣よりも多く、われわれを教え、/空の鳥よりも、われわれを賢くされる方である』と。
35:12 彼らが叫んでも答えられないのは、/悪しき者の高ぶりによる。
35:13 まことに神はむなしい叫びを聞かれない。また全能者はこれを顧みられない。

人が神に叫び求めても、神が何も答えず聞かれない。
ヨブはそれをもって「神が不当だ」と叫び、友人たちは、神は高い所に座すお方だからいちいち人の言う事を聞く必要が無い、というレベルに留めてしまっているが、エリフはさらに進んだ説明をしている。

もし人が神に叫び求めても聞かれないするなら、それは、神の耳が遠いからではなく、また無情なマシンのような神だからでもなく、その人の叫びが、低俗な欲望に由来するものであったり、あるいは「高ぶり」に由来する「むなしい叫び」だからだ。
ヤコブも指摘する。

ヤコブ4:2 あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。あなたがたは、求めないから得られないのだ。
4:3 求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。

神に「自分の願う事をして欲しい」「自分に嫌な目を見させないで欲しい」という自分主体の願いも、自分を神以上のものとする高慢なつぶやきも、「むなしい叫び」である。
それは、神にいくら叫んでも聞かれない。

神はむしろ、神を敬う人にこそ目を留められる。
ダビデはそれをよく知っていた。

1歴代誌29:14 しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。

これは、ダビデが神のために神殿を建てたいと願った時、ダビデ自身そのために多くの捧げ物をし、また、人々にも勧めた所、おびただしい量の捧げ物が集まった時に、主をほめたたえて言った言葉である。

人が神に何か為し得ると思うのは、傲慢だ、とエリフは指摘したが、ダビデは、神は人の造った建物に住まわれるお方ではない事を良く知っていたし、そして、このようなおびただしい捧げ物を捧げられたのは、神様、あなたのお陰です、と感謝した。
神は、人の心をご覧になられるお方である事をダビデはよく知っていたのだ。

1歴代誌29:16 われわれの神、主よ、あなたの聖なる名のために、あなたに家を建てようとしてわれわれが備えたこの多くの物は皆あなたの手から出たもの、また皆あなたのものです。
29:17 わが神よ、あなたは心をためし、また正直を喜ばれることを、わたしは知っています。わたしは正しい心で、このすべての物を喜んでささげました。今わたしはまた、ここにおるあなたの民が喜んで、みずから進んであなたにささげ物をするのを見ました。
29:18 われわれの先祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたの民の心にこの意志と精神とをいつまでも保たせ、その心をあなたに向けさせてください。

ダビデが告白している通り、主は心をためされるお方であり、そしてシンプルな、正直な心を喜んで下さる。
ダビデ王の感謝の祈りの中心は、全てのものは「あなたのものです」という点であり、その根底には、神は、神を愛する人の心をこそ喜ばれるお方である、という大前提がある。

世のいわゆる「神々」は、人間が捧げる「モノ」を喜ぶかもしれない。
10円よりも100000円のほうを喜ぶかもしれない。
しかし主は、元々富んでおられるお方であり、人が神に捧げる10円も、10万円も、その与える・与えないを司っておられるお方である。
だから主は、むしろ、人の心をこそ計られるのだ。

エリフは続けて言う。

35:14 あなたが彼を見ないと言う時はなおさらだ。さばきは神の前にある。あなたは彼を待つべきである。
35:15 今彼が怒りをもって罰せず、/罪とがを深く心にとめられないゆえに

エリフは、ヨブが「神のほうが間違っている」「自分のほうに分がある」という高慢な心でもって神に向かって叫んでいる限り、神は聞きはしないし、むしろ怒りをもって答えかねない事だ、と指摘する。

35:16 ヨブは口を開いてむなしい事を述べ、/無知の言葉をしげくする」。

この16節のエリフの言葉は、そのまま神ご自身がヨブに対して評価した言葉だ。(38:2)
結局、神を敬う事なしに、神にあれをしろこれをしろ、という叫びは、虚しいものなのだ。
イエス様も言っている。

ヨハネ6:26 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。
6:27 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。
6:28 そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。
6:29 イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。

群衆は、イエス様がパンを増やして満腹させてくださったから、このお方を王に立てればパンに事欠くことはない、と踏んで、イエス様をむりやりに王にしようとしたのだが、、イエス様はそこから退かれた。(15節)
彼らは、イエス様との人格的な交わりを持つためではなく、また神が認証されたメシヤとして救いを求めるためでもなく、ただ、肉欲を満足させてくださるお方だと思ったから来たのだ。
それで彼らがイエス様を訪ねて探して来た時、イエス様は「あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。」と指摘したのだ。

神は、人の好き勝手な欲望に、答えるお方ではない。
神はむしろ、人格的な交わりをこそ、人に求めておられる。
イエス様は彼らに答えられた。
「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」と。

結局、人に出来る最高の事は、イエス・キリストを知る事。
すなわち、神から遣わされた神の御子であり、私達のために十字架にかかられ、死なれ、よみがえられ、そして天においても地においても一切の権威が与えられたイエス様を主として受け入れ、彼との関わりを持ち、彼と共に歩んでいく事だ。

キリストのいのちの特権にあって歩む道(コロサイ2:6-15)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要

 先週、4名の兄弟姉妹が洗礼を受け、新たに神に繋がって生きる決心をした。神に正しい良心を願い求めて洗礼を受ける時、聖霊という全く新しいセンサーが与えられ、そのナビゲーションに従って行くなら、どんどんきよくなり、聖化が進み、いのちが増し加わり、永遠のいのちへ至って行く事を、先週学んだ。
イエス様がバプテスマを受けた時、天が開け、聖霊が鳩のように降り、「これは私の愛する子。わたしはこれを喜ぶ」と、天の父からの御声があった。私達もバプテスマを受けると、イエス様が先駆けて体験されたように、天が私達に向かって開け、賜物として聖霊を受け、神に愛される子となる特権にあずかるのである。

『このように、あなた方は主キリスト・イエスを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい。また彼に根ざし、彼にあって建てられ、そして教えられたように、信仰が確立されて溢れるばかり感謝しなさい。』(6-7節) 
主にあって生きる時、彼に在るあらゆる良い性質や、いのちに属する事、すなわち、健康や美しさ、力強さが、ますます自身の中に体現化されて行く。キリストの内にこそ神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っているからであり、信じる者は、全ての支配と権威のかしらであるキリストに満ち満ちているからだ(9-10節)。
実際、先週洗礼を受けた聖徒から、早速、喜びの報告を頂いた。ガンかもしれない、と医者から言われていたので、MRI検査をしたのだが、結果を見た医者があまりに怪訝に首を傾げていたので、心配して聞いてみた所、あったはずの兆候が、全然無くなっていた、という事だった。待ち時間の間、洗礼時にもらった十字架を握りしめて「(ガンは)ない、ない」と何度も宣言したら、その通りになり、同席していた未信者の方も「神様のお陰だね」と言っていたという。まさに主の栄光である。
そればかりでなく、この1週間で、友人からもらったお守りの腕輪が勝手に壊れたり、以前会った人を意識では忘れていても霊では覚えていたり、また、料理をつくる思いが与えられ、それに従った所、とても喜ばれたり。まさに、新しいナビゲーションが与えられ、新しいいのちが息吹かれた事を早速、体験したのだ。
このように、主キリストにあって歩もうと意識する時、いのちに属する、あらゆる良き特権に与かれるのだ。

『キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。』(11-12節)
バプテスマによってキリストと共に死んだ、と書いてある。別にバプテスマを受けた瞬間に心臓が停止して死んだ訳ではなく、肉体は継続して生きている。一体何が死んだのか。次のように書いてある。
『キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである・・・このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。』(ロマ6:3,11)  ここにある通り、「罪に対して死んだ」のだ。
ただ先週学んだ通り、洗礼は「肉体の汚れ」を除くものではない。罪へ傾く「くせ」も、犯してきた罪々の記憶も、相変わらず脳に残ったままだ。そこで、私達の側の意思決定と、努力しなくてはならない領域がある。
『だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。』(ロマ6:12-14)
「もはや罪に支配される事はない」事を、体現したいだろうか?それなら書いてある通り、それまで「罪」の方向に自分を捧げていた方向性を、神へとささげる方向へと転換し、行動して行くのだ。その期間、その人は聖霊の支配下に入り、もはや罪の支配から抜け出した状態にある。その状態を、継続して行くのだ。

もし私達がキリストに従って歩み、キリストの死と復活の中に入っているなら、彼に在るあらゆる良い性質やいのちに属する事、すなわち、健康や美しさ、力強さが、ますます体現化されて行く。その時、もはや世の支配も権威も、強制力も、全て武装解除され、さらしものとされている。なぜならその時、キリストの内にあり、私達を不利に責め立てている一切の債務証書は、十字架上に釘付けにされているからだ。(14-15節)
キリストにある私達の特権は、どんなに素晴らしいものだろう。これをますます実際に体現して行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって、祝福します!

「災い」を積み立て貯金する方法 - 「わたしは悪くない」と主張する事(ヨブ記34:16-37)
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エリフは、神は完全で過ち無く統治されるお方である事を示した。
以下続く節で、ヨブの、「私は正しい、神が不当だ」と言った事の過ちを示して行く。

34:16 もし、あなたに悟りがあるならば、これを聞け、/わたしの言うところに耳を傾けよ。
34:17 公義を憎む者は世を治めることができようか。正しく力ある者を、あなたは非難するであろうか。

ヨブは神を不当だと非難するが、万一にも神が「公義を憎む者」であったとするなら、とうの昔に宇宙も銀河系も太陽系も崩れていたはずであり、今もなお宇宙が秩序を保っているからには、神は公義を行う方であるからに他ならないと先に言った。

34:18 王たる者に向かって『よこしまな者』と言い、/つかさたる者に向かって、『悪しき者』と/言うことができるであろうか。
34:19 神は君たる者をもかたより見られることなく、/富める者を貧しき者にまさって/顧みられることはない。彼らは皆み手のわざだからである。

神はいつも、見ておられる。
王や、つかさたる者に、人は陰口は叩くことはできたとしても、その王やつかさに面と向かって「よこしまな者」「悪しき者」と言う事は、めったには出来ない。
それならなおさら、常に私達を御目で見て、御聞いて、知っておられ神に向かって悪口を言うとするなら、それは、よほど身の程をわきまえない事だ。
ヨブはそのような事をしたのだ。

34:20 彼らはまたたく間に死に、/民は夜の間に振われて、消えうせ、/力ある者も人手によらずに除かれる。
34:21 神の目が人の道の上にあって、/そのすべての歩みを見られるからだ。
34:22 悪を行う者には身を隠すべき暗やみもなく、/暗黒もない。
34:23 人がさばきのために神の前に出るとき、/神は人のために時を定めておかれない。
34:24 彼は力ある者をも調べることなく打ち滅ぼし、/他の人々を立てて、これに替えられる。

神は、人の営みを全て見ておられ、そして、人のそれぞれのいのちを計っておられる。
悪を行う者もまた、いかに闇の中に身を隠そうとも、また、心の中で密かに謀ろうとも、全て見ておられ、それぞれに応じたさばきを定められる。
警察はどこにでもいるわけではなく、全部を見聞きしているわけではないため、「取り調べ」という事をしなくてはならないが、神には全くその必要は無いのだ。

34:25 このように、神は彼らのわざを知り、/夜の間に彼らをくつがえされるので、/彼らはやがて滅びる。

悪を行う者のわざを、神は、何も「夜」という時間帯にしか覆さない、というわけではない。
夜は、人が寝る時間帯であり、また、闇夜は人が目で見えない時である。
そのような、人が計り知る事が出来ない思いがけない時に、神はそれを行う、という意味だろう。

34:28 こうして彼らは貧しき者の叫びを/彼のもとにいたらせ、/悩める者の叫びを彼に聞かせる。
34:29 彼が黙っておられるとき、/だれが非難することができようか。彼が顔を隠されるとき、/だれが彼を見ることができようか。一国の上にも、一人の上にも同様だ。
34:30 これは神を信じない者が世を治めることがなく、/民をわなにかける事のないようにするためである。

神は、人の営みを人類史が始まって以来ずっと秩序をもって保っておられる。
もし、上に立つ権力者が、絶対的な権力を奮って民草を虐げるなら、天災が起こったり、その者が不慮の死によって取り去られる。
そのような「前は必ず勝ち、悪は必ず滅びる」といった法則性を人はなんとなく知っているからこそ、神を知らない人でも、なんとなく、全ての人を超えた「天」という人格ある存在を意識している。
それは、神が、弱く貧しい人達がいつまでも虐げられ続ける事がないように、また人の悪が増大して人間みずから自滅してしまう事が無いように、神はいつも歴史に介入し、人類全滅の危機から、いつも人類を守ってきたのだ。
こんな邪悪さを備えた人間が、何千年も自滅せず生きながらえている。それこそ、憐れみ深い神が存在するという事の証明ではなかろうか。

そういうわけでエリフは、続く節で、自分が犯した罪を認め、神に告白するようヨブに促す。

34:31 だれが神に向かって言ったか、/『わたしは罪を犯さないのに、懲らしめられた。
34:32 わたしの見ないものをわたしに教えられたい。もしわたしが悪い事をしたなら、/重ねてこれをしない』と。

口語訳で34節は「わたしは罪を犯さないのに、懲らしめられた。」と訳されているが、しかし他の多数の訳(新改訳、新共同訳、NKJVなど)は、「わたしは罰を受けました。もう悪いことはいたしません。」というように訳される。(新共同訳)
つまりエリフは、こういう風に悔い改めの告白をしなさい、と勧めているのだ。

34:33 あなたが拒むゆえに、/彼はあなたの好むように報いをされるであろうか。あなたみずから選ぶがよい、わたしはしない。あなたの知るところを言いなさい。

エリフは促す。
あなたは、悔い改めの言葉を発するのか、それとも、相変わらず全能者を不当だと訴え続けるのか、どちらかあなたが選びなさい、それはわたしの分ではないですよ、と。

34:34 悟りある人々はわたしに言うだろう、/わたしに聞くところの知恵ある人は言うだろう、
ここは新共同訳では「理解ある人はわたしに言うだろう。知恵ある人はわたしに同意するだろう。」と訳されている。こちらのほうがわかりやすいだろう。

34:35 『ヨブの言うところは知識がなく、/その言葉は悟りがない』と。
34:36 どうかヨブが終りまで試みられるように、/彼は悪人のように答えるからである。
34:37 彼は自分の罪に、とがを加え、/われわれの中にあって手をうち、/神に逆らって、その言葉をしげくする」。

ヨブは自分が罪がないと頑として主張し、語気を強めて、主張に主張を重ね、3人の友人たちさえ黙らせたが、しかしエリフは指摘する。
そうやって、「自分は悪くない」と、主張すればする程、実は神の前に、自分の「悪人」である事を積み立てているのだ、と。

私達も同じである。
妻が悪い、夫が悪い、親が、育ってきた環境が、社会が悪い、自分は悪くない。
そう主張すればするほど、実は自分の品性を損ね、貶め、自分で自分をさらに癒やし難くしているのだ。
人類最初の夫婦が、まさにそうだったではないか。

エリフは7-8節で
34:7 だれかヨブのような人があろう。彼はあざけりを水のように飲み、
34:8 悪をなす者どもと交わり、悪人と共に歩む。
と言った。

ヨブとすれば、自分は、あざけりを水のように飲むなどとんでもない、悪をなす者どもと交わったり、悪人と共に歩んだ事などない、と主張する所であろう。
しかし、実は、ヨブが自分を正しいとすればする程、彼は、悪をなす者共の交わりへとどんどん入り込んで行っていたのだ。

彼が自分は悪くない、と主張すればするほど、悪人と共なる歩みを進んでおり、全能なるお方を「不当だ」と叫べば叫ぶ程、彼は、全能者へのあざけりを飲み干していた。
その点、エリフの指摘は、ただ因果応報を繰り返すだけの3人の友人たちより、はるかに進んでいると言える。

結局ヨブは、イエス様が話されたパリサイ人と取税人のたとえの中の、パリサイ人を演じていたのだ。(ルカ18:10-14)
主は言われた。
ルカ18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

結局、自分を高くし、自分を正しいとし、神を正しくない、とする者を、神は裁かれる。
神が義と認めて下さるのは、自分を罪ある者として悔い改め、自分を低くする者である。

ヤコブ4:6 しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。
4:7 そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。
4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。
4:9 苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。
4:10 主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。

ヨブは最後、自分を誤ちある者とし、低くへりくだって、灰の中に伏した。
神がヨブを高めて下さるのは、その後である。

ヨブほどに神を偽り者とする者が他にいるだろうか、と論証するエリフ(ヨブ記34:1-15)
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34:1 エリフはまた答えて言った、

ヨブ記のパターンからすれば、次は、ヨブが弁論を広げる番であるはずが、エリフがさらに語り続けて行く。

34:2 「あなたがた知恵ある人々よ、わたしの言葉を聞け、/あなたがた知識ある人々よ、わたしに耳を傾けよ。
34:3 口が食物を味わうように、/耳は言葉をわきまえるからだ。
34:4 われわれは正しい事を選び、/われわれの間に良い事の/何であるかを明らかにしよう。

エリフは彼らに「知恵ある人々」「知識ある人々」と言っている。
舌が食べ物の味を、それが甘いか酸っぱいか、おいしいかまずいか仕分けるように、知恵ある人、知識ある人なら、正しい事・良い事の何であるかを仕分け、そして彼がこれから語り出す言葉の良し悪しを仕分けるだろう、と。かなり自信たっぷりな言い方だ。

34:5 ヨブは言った、『わたしは正しい、/神はわたしの公義を奪われた。
34:6 わたしは正しいにもかかわらず、偽る者とされた。わたしにはとががないけれども、/わたしの矢傷はいえない』と。

ヨブは、自分を「正しい」「とががない」と主張していた。
エリフは、ヨブが言った事を短くまとめて引用している。

34:7 だれかヨブのような人があろう。彼はあざけりを水のように飲み、
34:8 悪をなす者どもと交わり、悪人と共に歩む。
34:9 彼は言った、『人は神と親しんでも、/なんの益もない』と。

エリフは「だれかヨブのような人があろう」と言って、ヨブを擁護するかと思いきや、続く言葉では「彼はあざけりを水のように飲み、悪をなす者どもと交わり、悪人と共に歩む。」と、ヨブを落とし込めている。
エリフの言葉は、戸惑う所が多い。
「彼」や「彼ら」の対象が、突如切り替わっていたり、今回にしても、ヨブが過去に言った事を引用している、と思いきや、実は別の意図があったり。
今回の所では、エリフはヨブを持ち上げようとしているのか、それとも引きずり下ろそうとしているか、ここだけを見ると一体どっちなのか分からない所であるが、続く節をみると、ようするに彼は、神こそ完全で正しく真実なるお方であり、この神を前にヨブが言った事・取っている態度は、神をあざける事であり、悪人の集いに集う事だ、と言いたいのだという事が分かってくる。
以下に続く節で、エリフは、神が完全で、正しく、真実なるお方である事を論証している。

34:10 それであなたがた理解ある人々よ、わたしに聞け、/神は断じて悪を行うことなく、/全能者は断じて不義を行うことはない。
34:11 神は人のわざにしたがってその身に報い、/おのおのの道にしたがって、/その身に振りかからせられる。
34:12 まことに神は悪しき事を行われない。全能者はさばきをまげられない。
34:13 だれかこの地を彼にゆだねた者があるか。だれか全世界を彼に負わせた者があるか。

理解ある人々であるなら、分かるはずだ。
神は、悪を行わず不義を行わない、全能なる神は、欠点もなく、誤ちも無いお方だ。
もし万一、神に「欠点」や「誤ち」があるとすれば、この天体宇宙は、とうの昔に崩壊し、あるいは存在させられるはずも無かったはずだ。

人がつくった建造物は、だいたい1000年も経てば崩壊し、万年も経てば跡形もなくなってしまうだろう。
人には欠点や誤ちがあるからだ。
しかし神は、千年万年どころか、何億年も全被造物を存続させ続ける事が可能である。完全なるお方である故だ。

34:14 神がもしその霊をご自分に取りもどし、/その息をご自分に取りあつめられるならば、
34:15 すべての肉は共に滅び、/人はちりに帰るであろう。

そうである。全て息ある者の息は、全能者から来た。
そしてもしも、完全なるはずの神が気まぐれを起こして、全ての息を御自分に取り集めるとするなら、すべての肉は滅び、全ての人はちりに帰ってしまう。

あいにく神は、そんな気まぐれによって人を無情に消し去ったり、きまぐれに滅ぼし尽くしたりする事の無いお方だ。
主は、ノアの時も、ノアの家族8人以外の全人類が邪悪化してしまった時さえ、全ての人を滅ぼし尽くす事はしなかったし、ソドムという邪悪な町さえも、もし10人でも義人がいればその町全体を許そうと言われた。
主は人を尊い存在として大切に扱い、罪に沈む人をなんとかして救おうと、見守っておられるお方であり、義人が罪人と同じ滅びの酬いを降すことを決してしないお方だ。

イザヤ57:15 いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす。
 57:16 わたしはかぎりなく争わない、また絶えず怒らない。霊はわたしから出、いのちの息はわたしがつくったからだ。

主は、人のなりたちをご存知である。人の弱さ、罪深さ、はかなさをご存知であり、あわれまれるからこそ、主はいつまでも争わず、絶えず怒ってはおられない。
それは「霊はわたしから出、いのちの息はわたしがつくったからだ。」と書いてある通りだ。

イザヤ57:17 彼のむさぼりの罪のゆえに、わたしは怒って彼を打ち、わが顔をかくして怒った。しかし彼はなおそむいて、おのが心の道へ行った。
 57:18 わたしは彼の道を見た。わたしは彼をいやし、また彼を導き、慰めをもって彼に報い、悲しめる者のために、くちびるの実を造ろう。
 57:19 遠い者にも近い者にも平安あれ、平安あれ、わたしは彼をいやそう」と主は言われる。

主は、神の民が、たとえ不実に不実を重ね、神に打たれ、弱り果ててしまっても、その上でなお、不実を重ねたとしても、彼らを憐れみ、いやし、慰めてくださった。
イスラエルの民がそうである。
神は愛であり、そのご性質は、憐れみ、赦し、恵みに富んでおられるお方だ。

主は、心くだかれてへりくだる者とともに住み、へりくだる者の霊を生かし、砕ける者の心を活かすお方。
ダビデも言った。
詩篇51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。
主は、みずからを義として頑としてそれを曲げない者は、それを砕かれる。
だからこそエリフは、ヨブがあくまで自己義を頑として曲げない事に対し、次のように言ったのだろう。

34:7 だれかヨブのような人があろう。彼はあざけりを水のように飲み、
34:8 悪をなす者どもと交わり、悪人と共に歩む。
34:9 彼は言った、『人は神と親しんでも、/なんの益もない』と。

「だれかヨブのような人があろう」とは、ヨブほどの義人があろうか、と、ヨブを擁護しようとするのではなく、実は真逆で、ヨブほどに自己義という「悪」を貫いた人があろうか、という皮肉だったのではなかろうか。

1ヨハネ1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
1:10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。

このヨハネの言葉によるなら、ヨブは「自分は罪を犯していない」と叫べば叫ぶ程に、「神は偽り者だ、偽り者だ」と叫んでいる事になる。
自分は正しくて、神が間違っている、とするのは「あざけり」であり、頑として自己義を主張し続けるのは「悪をなす者どもと交わり、悪人と共に歩む」事だ、という意味で、エリフはそのように言ったのではなかろうか。

いずれにせよ、神は、へりくだった者の祈りを聞かれる。
たとえその人が、ダビデのように、大きな罪を犯したとしても。
そして、あくまで自分を義として高慢になる者の祈りは退けられる。
いかにその人がヨブのように、パリサイ人のように、正しい事をしていたとしても。

因果応報という壊れたシンバルからの脱出(ヨブ記33章)
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33章からエリフの本格的な弁論が始まる。

ヨブ記33:1 だから、ヨブよ、今わたしの言うことを聞け、/わたしのすべての言葉に耳を傾けよ。
33:2 見よ、わたしは口を開き、口の中の舌は物言う。
33:3 わたしの言葉はわが心の正しきを語り、/わたしのくちびるは真実をもってその知識を語る。
33:4 神の霊はわたしを造り、/全能者の息はわたしを生かす。
33:5 あなたがもしできるなら、わたしに答えよ、/わたしの前に言葉を整えて、立て。
33:6 見よ、神に対しては、わたしもあなたと同様であり、/わたしもまた土から取って造られた者だ。
33:7 見よ、わたしの威厳はあなたを恐れさせない、/わたしの勢いはあなたを圧しない。

エリフは、自分の口方出てくる言葉は、神の霊によって造られた者、全能者の息によって生かされた者の言葉であり、なおかつ自分は、ヨブと同様、同じ土の器である事を、はじめに宣言する。
しかしながら自分は、ヨブを圧倒させるようなものではないという事もまた添える。
神と人との仲保者であるイエス様もまた、人を威圧せず、恐れさせないお方であるが、エリフは、ヨブが神と出会うための橋渡し的な役割を果たしている。。

33:8 確かに、あなたはわたしの聞くところで言った、/わたしはあなたの言葉の声を聞いた。
33:9 あなたは言う、『わたしはいさぎよく、とがはない。わたしは清く、不義はない。
33:10 見よ、彼はわたしを攻める口実を見つけ、/わたしを自分の敵とみなし、
33:11 わたしの足をかせにはめ、/わたしのすべての行いに目をとめられる』と。

エリフは8-11節で、ヨブが言った事を取り上げ、続く節でその中の間違いを示すのだが、彼は3人の友人たちとは違った点からヨブの誤ちを指摘する。

33:12 見よ、わたしはあなたに答える、/あなたはこの事において正しくない。神は人よりも大いなる者だ。
33:13 あなたが『彼はわたしの言葉に/少しも答えられない』といって、/彼に向かって言い争うのは、どういうわけであるか。

神は、人よりも大いなる者であり、その神が、自分の思い通りに動いてくれない、という事を文句を言うのは不当である。
それは友人たちも同じような指摘をした事だが、エリフはさらに進んだ論述をする。

33:14 神は一つの方法によって語られ、/また二つの方法によって語られるのだが、/人はそれを悟らないのだ。
33:15 人々が熟睡するとき、または床にまどろむとき、/夢あるいは夜の幻のうちで、
33:16 彼は人々の耳を開き、/警告をもって彼らを恐れさせ、

このように神は、色々な方法を通して語られるお方であるが、人は思う。神が自分の目に見える形で現れて、自分の耳に聞こえる形で語ってくださったら、と。
実は神は、そのような形ではないが、すでに語っておられる。
私達の周囲の自然環境を通し、また私達の周りに神が遣わして下さる人の言葉を通し、あるいは神が起こされる諸々の状況を通して。

ヨブの場合、どうしてこんなに災いが続くのか、そう主に申し上げたのに、神は何も答えてくださらない、と言う。
しかし実は、その、諸々の災いそのものが、ヨブのそれまでの生き様と、心に思い描いた事の「答え」だったのだ。
えっ、と思われるかもしれない。
ヨブはそれまで正しく生きて来たのではないか、神はなぜ、今まで正しく生きてきたはずのヨブを、そのような災いに陥らせたか。
その理由が17-22節で述べられている。

33:19 人はまたその床の上で痛みによって懲らされ、/その骨に戦いが絶えることなく、
33:20 その命は、食物をいとい、/その食欲は、おいしい食物をきらう。
33:21 その肉はやせ落ちて見えず、/その骨は見えなかったものまでもあらわになり、
33:22 その魂は墓に近づき、その命は滅ぼす者に近づく。

これはまさにヨブの状況だが、これらを受けた全ての理由は、17-18節である。

33:17 こうして人にその悪しきわざを離れさせ、/高ぶりを人から除き、
33:18 その魂を守って、墓に至らせず、/その命を守って、つるぎに滅びないようにされる。

人が災いとみえる事を、神が敢えてその人に加えられる理由、それは、その人を悪から離れさせ、高ぶりを除き、それによってその人を滅びないように守って下さるためだ。
神が人をあえて人を苦しめ、痛ませる事がある理由は、その人の魂を守り、命を守って、滅びる事がないようにするため、なのだ。

以前、ヨブは確かに気をつけて罪を犯さないように気をつけ、善い行いをするように努めて来た。
しかしその心には、高慢があり、自己義があった事が、この3人の友人たちとの議論を通して、明らかにされた。
また、ヨブを含めた彼ら全体の神観が貧弱であった事も明らかになった。

神はまさに、ヨブが知らずして持っていた高慢や自己義を取り除くために、滅びる事が無いよう彼の命を守るために、そしてヨブに、より素晴らしい神様との交わりへと入れさせるために、諸々の事を起こさたのだ。

確かに3人の友人たちも、今までさんざんヨブの正しくない所を指摘しようと努めて来た。
しかし彼らは、壊れたシンバルのよう、ただ因果応報論を繰り返すだけで、何の進展も無かった。
しかしエリフは、神が敢えて災いとみられる事を起こされる理由の一つが、人から滅びの性質を取りのぞくため、さらには人を救うためだ、という、因果応報を超越した「神の憐れみ」を示したのだ。

さらにエリフは、神と人との仲保者へと導く。

ヨブ記33:23 もしそこに彼のためにひとりの天使があり、/千のうちのひとりであって、仲保となり、/人にその正しい道を示すならば、
33:24 神は彼をあわれんで言われる、/『彼を救って、墓に下ることを免れさせよ、/わたしはすでにあがないしろを得た。

罪と災いに苦しむ人のために、中保して下さるお方が、正しい道を示して下さるなら、神は憐れんで下さる。
このような優れた中保者は、聖書全体が語っている。
すなわち、神の御前でとりなしをして下さるイエス・キリストの事を。

イザヤ53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
53:12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に/物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。

イエス様は、どのようにして神をなだめたか。
それは彼自身が、人の身代わりに罰を受ける事によって、である。
彼の懲らしめによって私達は平安が与えられ、彼の打ち傷によって、私達は癒やされた。(イザヤ53:4-5)

さらにエリフは、この、中保して下さるお方のとりなしによって、神にとりなされた人が、いかに立ち直って行くのか、という事も示す。

ヨブ記33:25 彼の肉を幼な子の肉よりもみずみずしくならせ、/彼を若い時の元気に帰らせよ』と。
33:26 その時、彼が神に祈るならば、神は彼を顧み、/喜びをもって、み前にいたらせ、/その救を人に告げ知らせられる。

ヨブの後の状態は、まさにそうである。
彼は以前に増して健やかになり、優れた子達を産んで、長寿を全うした。

これは、神がヨブに一度、理不尽な思いをさせた事の賠償などではない。
ヨブが今回の事で神のレッスンを受け、その後の彼の長い人生、彼はへりくだって、正しい神観を持ち、健全に神と交わりつつ歩んだからだ。
もしそうでなく、後の人生の途中で再び高慢になっていたとしたら、神は彼を再び退けていただろう。(エゼキエル3:20)

33:27 彼は人々の前に歌って言う、/『わたしは罪を犯し、正しい事を曲げた。しかしわたしに報復がなかった。
33:28 彼はわたしの魂をあがなって、/墓に下らせられなかった。わたしの命は光を見ることができる』と。

ヨブもまた、後に、自ら罪を犯した事を告白し、恥じ入って灰の中に座る。(42:3-6)
そして神もまた、ヨブが犯した高慢をそのまま処罰する事をしないで、悔い改めた彼に、以前の二倍の祝福を与えてくださった。
神はまことに憐れみと赦しに富まれたお方であるが、それも、その恵みを与えて下さるのは、一度や二度の事ではない。

33:29 見よ、神はこれらすべての事を/ふたたび、みたび人に行い、
33:30 その魂を墓から引き返し、/彼に命の光を見させられる。

神は、何度もその憐れみを人にほどこし、滅びの穴に落ち込んでしまわないようにして下さるお方だ。
イエス様もまた、悪を為した相手が悔い改めるなら、七を七十倍するまで赦しなさい、と言われた。
神はまさに、赦しに富んだお方である。
それで私達は、この人生の中、いつでも悔い改めのチャンスが与えられているのである。
私達は、与えられているこの恵みの時、救いの時を、無駄に過ごす事なく、一切、罪の災いに打ち叩かれるような事が無く、平和の内に一生を全うする者でありたい。

ナバル、アビガイル - 頑なの中で死んで行く性質と、王家へ嫁いで行く高貴な性質(1サムエル記25:1-42)
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