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メッセージ - マルコによる福音書カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:聖徒の中に潜むイスカリオテ・ユダ(ヨハネ12:1-8)국어예배 (右クリックで保存)

前回は私達の心のユダについてであったが、今回は、聖徒達の内にいるユダについて。
ユダがイエス様のそばにいつもいたが、私達は聖徒達の中に巧妙に入り込むユダに気をつけるべきである。
ベタニヤの交わりにおいて、マルタは健全に奉仕をし、ラザロは喜びの内に主と食事し、マリアは持てる中で最上の油をイエスに一滴残らず捧げ尽した。
イスカリオテ・ユダは、香ばしい香り漂う麗しい調和を破ってしゃしゃり出た。

彼の特徴は、他の聖徒の礼拝や交わりを分析し、値定めし、口出しする。
そのような者は要注意である。

マリヤにとっては値段はどうでも良く、イエス様がもうじき葬られる事を悟ったので彼女自身にできる事をしただけであるのに、ユダは「私だったら300デナリをこうする」と言ったり、自分の定める形式を押し付けたり、その通りにしない者は間違っている、と裁いたりした。

彼は尤もらしい事を口出しするが、貧しい人の事を心にかけていたのではなく、聖徒の捧げ物を横取りしたいのであり、捧げられた300デナリを見て歯軋りしケチをつける。
また、麗しい調和をぶち壊して人々の目を自分の方に向けさせ「ワタシは貧しい人に心をかけているのだ」とアピールし、栄光も横取りしたかったりするのである。

御霊の実には分裂も妬みも嫉妬も無い。結ぶ実によってユダを見分ける事ができる。
彼らはイエス様が好きなのではなく、イエス様にひっついて大活躍しているワタシが好きなのであり、主であるべきイエス様が自分の思い通りに動かないとなると、銀貨30枚で売り飛ばしさえするのである。

イエス様は、ユダの下心も浅ましい動機も当然知っていた。しかしその事は一切触れず、その平和で麗しい交わりを掻き乱さないように、それとなくユダに諭しただけ。
それが、私達が習うべきイエス様の品性であり、ユダに対処する時の模範である。
「わたしはいつも一緒にいるわでではない」(8節)私達もいつまでも地上で平和に生きていて自由に礼拝できるという保障は無い。今しか出来ない礼拝は先延ばしするのではなく、今、為すべきである。

イエス様は、聖徒の持ち物を食い物にしたり、貧しい人々を道具にするようなユダにさえ愛と憐れみを示し、彼が武装した兵士達をイエス様の所に導いた時さえ、イエス様は「友よ」と語りかけて、悔い改めを促した。
「もう死ぬ他に無い」と後悔して絶望する前に、イエス様に立ち返って悔い改めるべきである。

ベタニヤの兄弟達のように与えられている賜物を生かして、今しかできない礼拝を捧げる皆さんでありますように!

横浜天声キリスト教会 copyright 2010

礼拝説教メッセージ音声:イスカリオテのユダ(マルコ14:10,11)국어예배 (右クリックで保存)

イスカリオテのユダはイエス様を裏切った。
お金が欲しかったというよりイエス様が自分の思い通りに動かなかったから見限った、と思われる。
ベタニヤのマリヤがイエス様にナルド油を注いだ時、ユダは真っ先に口出しし、その香油を300デナリで売って貧しい人に施さなかった事を咎めた。
彼は一行の金入れを管理する役割を任されており、香油が300デナリであった事を一瞬で見積もり、「なぜ貧しい人に施さなかった」と、いかにも正当に見える咎めの理由をサッと考えついた事を見るに、相当頭の回転が速く、デキる人であった事が分かる。
しかし頭の回転が速くデキる人は、うまく立ち回って自分の望むままにやりくりできる事が、仇となって、イエス様の助けを必要としなかったり、救いの邪魔になったりしやすい。
マタイの平行箇所を見ると、ユダはイエスを「引き渡せば、幾らくれますか」と自分から申し出ているため、ある程度お金に対する弱さがあったであろう。
イエス様は銀貨30枚で見積もられた。
その値段がユダヤの指導者がメシヤに対して見積もった値段であり、ユダが売ることに同意した値段である。
私達も日々、ユダのように、欲望や一時の感情という「これこれの値段」と引き換えにイエス様を見積もって売ってしまったり、裏切ったりする事がある。
イエス様は立ち返ればいつでも赦して下さる。
ユダは最後の最後までイエス様に「友よ」と声をかけられ悔い改めのチャンスがあったにもかかわらず、自分の頑ななプライドや絶望からのあきらめによって自ら命を絶ってしまった。
私達人間は弱いため、100%主を裏切らないでいれるものではない。
しかし私達には、いつでも主から悔い改めの機会が与えられ、いつでも手が差し伸べられている。
例え誘惑に負けたり、実際に裏切ってしまって、ユダのようにあきらめる事無く、一時でも早く悔い改める者でありたい。
皆さんは生ける限り、イエス様に繫がった生き方ができますように。

横浜天声キリスト教会 copyright 2010

礼拝説教メッセージ音声:永遠に残る記念(マルコ14:3-9)국어예배 (右クリックで保存)

イエス様の十字架が間近に迫っていた時、彼と寝食を共にしてきた弟子達はそれを悟っていなかったが、ベタニヤのマリヤはいつも主の足元に座ってじっと御声を聞いていたため、主の埋葬が近い事を察知し、そして彼女に出来うる、思いつく限りのせいいっぱいの準備をした。
300日分の給料に相当するナルド香油を、入れ物の壷を壊して一滴残らずイエス様に注ぎ尽し、主はその香油の香りに、そして埋葬の準備を唯一してくれたその行為に、満足したのではなかろうか。
彼女はイエス様の足元でいつも御声を聞き入っていたため、主の御思いを悟り、主の埋葬の準備をするという、唯一の名誉を勝ち取る事が出来た。
信仰はまず聞くことから始まり、口を使うことではなく耳を使う事によってはじめて御心を行う事が出来るのである。

それに対し弟子達は「なぜこんなに”無駄”をしたのか」と憤慨した。
3百デナリもの高価な香油をイエス一人に注ぐ事は無駄、多くの貧しい人の腹を満たす方がお金の有効活用、と、人は見る。しかし腹は満たせばすぐまた減るものであり、この世に対する慈善は永遠に残らない。
彼女は主のために永遠に残る記念的な事をしたのであり、主のために、その時にしか出来ない事を見逃さずに為すならば、それは永遠の記念となる。
それを為すチャンスは、実は、日常生活の場面場面に溢れている。

一般人からすれば、朝5時に教会に集い、しばし歌ったり説教を聴いたり祈ったりする事は無駄に見えるかもしれない。
しかし「イエス様のため」という動機でもって、それぞれしか持っていない時間とエネルギーを主の御前に注ぐならば、こつこつと主の御前に香ばしい油を注いでいるのであり、そしてそれは永遠の記念となるのである。

横浜天声キリスト教会 copyright 2010

礼拝説教メッセージ音声:イエスを排除する(マルコ14:1-2)국어예배 (右クリックで保存)

祭司長や律法学者達はイエスを殺そうとたくらんだ。
イエスが殺されるのはユダヤで最も重要な祭りである過越し祭の時である。
傷の無い子羊を屠って皆で食べ、その血を玄関の柱に塗ってしるしとし、滅ぼす者がそれを見てその家を過ぎ越した出来事を記念とし、永遠に守るべき定めとした祭りは、まさに主イエスを表していた。
時の祭司長カイアファが預言したとおり、イエスは国民全体のために死んだ。(ヨハネ11:50)
祭司長など宗教指導者達は本来、神の遣わされたメシヤには何よりも忠誠を尽すべき立場のはずだが、証拠としての奇跡を行うイエスに居てもらっては危険であり、自分達の地位やユダヤが危機に陥ると考え、イエスを亡き者にしようとした。
それは在ってはならない事と考えるかもしれないが、実はクリスチャンも結構、頻繁にイエスに居てもらっては困るとして、思いの内からイエスを亡き者にしようとしてしまいがちである。
いかなる時においてもイエスを否む事の無いようにしたい。

横浜天声キリスト教会 copyright 2010

礼拝説教メッセージ音声:律法学者に気をつけよ(マルコ12:38-40、マタイ23:1-12)한국어예배 (右クリックで保存)

律法学者やパリサイ人はモーセの教座に着いている故、彼らが言う事は守り行うよう主は命じているが、唯一の指導者はキリスト一人だけである。
彼らは言うだけで行わなかったり、人に見せるために行う、という彼らの「行い」は、まねてはならない。
モーセに勝る最高の指導者はキリストである。
律法学者が負わせる重荷はとても担いきれないが、キリストは、重荷を負っている者は私のところに来なさい、と言われた。
変な指導者に重荷を負わされたなら、キリストの所に行って重荷を降ろし、彼とくびきを共にして歩めば安らぎが来る。
横浜天声キリスト教会 copyright 2010

礼拝説教メッセージ音声:目を覚ましていなさい(マルコ13:32-37)한국어예배 (右クリックで保存)

終末が近い事は明らかであるが、その日その時は天使達も子も知らず、御父だけがご存知である。
どうやら主が来られるのは皆が眠りそうな時期であるため、わざわざ目を覚ましていなさいと警告されたようだ。
放縦や深酒や生活の煩いで心が鈍くならぬよう注意すべきであり(ルカ21:34)、いつも霊的に目を覚まして祈っているべきである。
暗闇にいる者達には主の日が盗人のように突然襲うが、光の子、昼の子に属する者達にはそうではない。光に属する者達は、常時、信仰と愛を胸当てのように身につけ、救いの希望の兜をかぶり、身を慎んでいる。その者達には主の日が盗人のように突然襲うという事は無いのだ。(汽謄汽蹈縫5:4-8)

横浜天声キリスト教会 copyright 2010

礼拝説教メッセージ音声:沈まない太陽(マルコ13:24-31)한국어예배 (右クリックで保存)

この天地は滅びるが、御言葉は決して滅びる事は無い。この御言葉が私達を守り導く。
太陽も月も光を放たなくなる時が来るが、主が私達の永遠の光となり、義の太陽となって私達を照らす。
あなたの太陽は再び沈むことなく、あなたの月は欠けることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆きの日々は終わる。(イザヤ60:20)

礼拝説教メッセージ音声:大きな艱難の時(マルコ13:14-23)한국어예배 (右クリックで保存)

終わりの時代には大きな艱難があるが、主の民のための助けはある。
神は遠くにおられる神ではなく、いてもいなくても変わらないような神ではない。
イエスキリストの名を否まない者には艱難の期間は縮められ、聖霊の助けをいただき乗り越える事ができる。
主は古の時代のクリスチャン達に助けを差し伸べてこられたし、現代においても変わらない助けを差し伸べて下さる。
私達のなすべき事は、落ち着いて主に信頼する事であり、あそこにメシヤがいる、ここにいる、と言って徴や不思議を為しても、ついて行ってはならない。
主が再三惑わされないよう気をつけよと言われた事を覚えておきたい。

礼拝説教メッセージ音声:戦争の騒ぎ(マルコ13:1-13)한국어예배 (右クリックで保存)

昨日、韓国と北朝鮮で砲撃戦が起きた。
戦争の騒ぎや地震、ききん等の終末のしるしは必ず起きると書かれてあるが、主はシナリオライターのように思いつきやきまぐれでシナリオを作るのではない。
人の原罪に埋め込まれている邪悪さがある結果、それら災害は起こるべきものとなってしまい、そこを主はうめきと悲しみをもって語っておられる。
主はまず「人に惑わされないよう気をつけなさい」と言われた。
終末の時代にはイエスの名を名乗ったり「時が来た」などと言って自分の所に引き込もうとする者達が大勢現れるが、私達は未来の事は思い煩わず、祈り、落ち着いて生活すべきである。
身内が戦争に出なくてはならない等、実際に身内に関わりある場合は、アブラハムのように食い下がって祈るべきである。

礼拝説教メッセージ音声:ダビデの子メシア(マルコ12:35-37)한국어예배 (右クリックで保存)

ダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。
子(子孫)より父親(先祖)の方が偉大という見方が普通だが、なぜダビデは後に出てくる子孫を主と呼んだのか。
ダビデは王であったが、彼の後に出てくるメシヤが、彼よりはるかに勝った王であるその姿を聖霊によって見ていたのである。
イエスがここで引用した御言葉は詩篇110編であり、そこで描写される主は力強い王、メルキゼデクにならうとこしえの祭司である。
祭司は神に取り成し、いけにえにより罪を清める。ダビデ自身、罪を犯して来たため、王であるばかりでなく罪を執り成して下さるお方がいかに優れたお方か、身を持って知っていたのだ。
そしてこの祭司は、肉の掟の律法によらず、それよりもはるかに優れた、朽ちる事の無い命の力によって立てられた祭司である。(ヘブル7:15-19)

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