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メッセージ - 2コリント人への手紙カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:許された範囲で(2コリント10:9-18):右クリックで保存
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サマリヤ人が福音を受け入れなかった時、ヤコブとヨハネは「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」と言いましたが、イエス様は戒められました。
私達は、与えられている権威を、自分の感情にまかせて乱用すべきではなく、主に許された範囲で行使すべきです。
パウロは、コリントの人を戒めた時、威嚇的な態度を取る事はしませんでした。
結果、ある人達はパウロのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」(10節)と言うようになってしまいました。
パウロは、人を威圧するような外見ではなかったし、話し方も雄弁で力強いものではなかったようです。

私たちが権威を帯びるようになるには、人間的な強さを鍛えるのではなく、御言葉に従順する事によります。
御言葉に服従し、信仰を混ぜ込んで唇から語られた言葉は、大きな力があります。
私たちの戦いは肉のものではないのです。

パウロの反対者達は、人間的な標準でパウロたちを揶揄しましたが、パウロは、そうした評価や比較の応酬をするような土俵に上がる事はしない、と言っています。
それは、全く愚かな事です。
「わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。」(12節)
彼らのような者達は、真理という土俵へと引きずり出して、御言葉で戦うべきです。

「わたしたちは、限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです。」
パウロの反対者達は、パウロが働いてアポロが水を注ぎ、神が育ててくださった、コリントという畑を、我が物のようにして食い荒らしたのです。
私達には、神様から与えられている働きの領域があり、そこから出て何かする事は、越権行為です。
委ねられた領域でしっかりと権威に従い、自分由来の肉的な強さを誇る事なく、権威を与えて下さる主を誇るべきです。
「誇るものは主を誇れ。」(17節)

主から委ねられた権威を忠実に実行し、主の仕事を為していく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:面と向かっているときはおとなしく(2コリント10:1-8):右クリックで保存
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10章からはパウロの反対者に対するパウロの勧めで、彼はまず「キリストの柔和と寛容をもって勧め」ています。(1節)

パウロの反対者は、パウロは面と向かっているときはおとなしく、離れている時は強気だと言っておりますが、この反対者の言っていることから逆に、キリスト者のあるべき姿を見る事ができます。

確かにパウロの手紙は重々しい所があります。
「あなたがたが集まったときに、私も、霊においてともにおり、私たちの主イエスの権能をもって、このような者をサタンに引き渡したのです。」(1コリント5:4)とか、「私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。」(1コリント6:3)など、実に重々しく、強気に見えます。
しかしパウロは、手紙をおごそかにするための飾りとして「イエスの権能をもってサタンに引き渡す」とか言っているのではなく、真実そのままを語っているのです。

彼は、実際に面と向かっている時、柔和と寛容をもって接しているのでしょう。
柔和さと寛容さは一見、弱々しく見えるかもしれませんが、御言葉の真理を語る時は、語調は柔和に、そして真理はそのまま語るものです。

パウロの反対者は、全く違ったイエスや、御言葉と違う福音を述べ伝えており(2コリント11:2)、しかも、コリントの人達の顔を叩いたり、威張ったり、奴隷にしたりと、暴力的な人達だったようです。(2コリント11:20)
肉に頼る人達は、暴力的になる事によって人を支配しがちですが、私たちの戦いの武器は、肉のものではありません。
私たちの武器はエフェソの6章にあるような霊的武器であり、そして攻撃の武器は、御言葉の剣です。
「それは、神に由来する力であって、要塞も破壊するに足ります。」(4節)

その武器を研ぎ澄ますには、どうすればよいでしょうか。

「わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ」(5節)
すなわち、まず神の知識に逆らう高ぶりを打ち砕かなくてはなりません。
また、全ての思いをとりこにして、キリストに服従させるのです。
キリストに対する従順が完全になる時、あらゆる不従順を罰する用意ができるのです。
結局、私たちが御言葉に従順でなければ、この武器に効力を持たせる事はできません。

そして、その武具の使用目的は、人を倒すためでなく建て上げるためです。

「あなた方を打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威について、私がいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう。」(8節)
全ての高ぶりを取り除き、あらゆる思惑をキリストに服従させ、そして与えられているこの霊的武器を、神に逆らうあらゆる敵に行使し、兄弟姉妹を建て上げる皆さんでありますように。
イエス・キリストの御名前によって祝福します。
アーメン。

礼拝説教メッセージ音声:豊かに満ちたらせ、溢れさせる(2コリント9:8-15):右クリックで保存
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「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。」(8節)
本日の箇所には「満ちたらせる」「豊かになる」「溢れさせる」という言葉が、何度も登場する。
本日の箇所の「あなたがた」を、自分の名前に置き換えて読めば、言葉では言い尽くせない喜びに、感謝が溢れ出て来ないだろうか。

もっとも、そのような言葉に尽くせない恵みをいただくには、6,7節の条件付きである。
「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。 各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」

私達の持っているもの、即ちお金や地位などが、尽きてしまったらどうしよう、と考える事もあるが、主に信頼する者は決して見捨てられたりを窮乏させるような事は無い。(詩篇37:25)
エリヤを養ったやもめが、自分のいのちを僅かに長らえさせる事よりも、御言葉を優先させた結果、粉も油も決して尽きなかったように、自分よりも御言葉を、イエス様を優先させる者には、その油も粉も、決して尽きる事は無い。

「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」(9節)
慈しみは、永遠に残る、とあるからには、貧しい人々に施す事は、天に貯金を蓄える事であり、神様に貸す事である。(箴言19:17)

主は働き人、すなわち蒔く人に、パンを与え、蒔くための種も与えて下さる。
「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」(10節)
働き人たるもの、まず蒔かなくてはならない。
蒔いたなら成長し義の実を増し加えさせてくださり、増し加わったならさらに満たされ、さらに惜しみなく与える事が出来るようになり、そして、あらゆる面において感謝が生まれる。
「この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。」(12節)

惜しみなく捧げ、祝福が増し加えられ、さらに多くを捧げられるほど祝福される皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:惜しみなく施す祝福(2コリント9:1-7):右クリックで保存
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パウロがコリント教会に、エルサレムへの献金を確実に実行するよう手配したのは、お金が欲しくて、という理由では当然ない。
コリントの人達みずから出た良い約束を、偽りとさせないため、そして、せっかくコリントから飛び火した憐れみの心に、冷や水を浴びさせないためである。(1-4節)

コリント教会は元々、どこよりも先んじて、献金を集めて送ろう、という動きが起こり、それがマケドニヤなど周囲の霊と心に火をつけ、その良き働きが広がって行った。
にも関わらず、コリント教会は、偽兄弟や偽使徒にかき乱されてしまい、せっかく起きたその良い働きを中断してしまった。
そこでパウロは、初めに沸き起こったその良いビジョンへと再び戻らせようとして、この手紙を書いたのである。

6節以降に、捧げものをする時の心構えを書いている。

「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。」(6節)
それは旧約(箴言11:24-25)にも、新約(ルカ6:38)にもある法則であり、喜んで与える人に神は、押入れ揺すり入れして与えて下さる。

これは世の中の成功哲学でも言われている事だが、そもそも成功哲学とは、成功した人達の行動パターンの統計を取り、編み出したものだが、世の中で成功しているのはユダヤ人が多く、そのユダヤ人が基にしているのは、旧約聖書である。
つまり、聖書こそ最も純粋な成功法則であり、成功の根源である。

惜しみなく施す事には、豊かな祝福がある。
「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」(7節)
苦痛を込めつつ捧げるのは、神様に喜ばれるものではないし、周りがみんな捧げているから私も捧げなきゃ、と、空気を読んで捧げる心も、喜ばれるものではない。
ただ、自らの心から湧き出た感覚の通りに、喜んで捧げる捧げものを、主は喜ばれる。

人に知られないよう、密かに捧げる捧げ物を主は喜んでくださるが、コリント教会とマケドニヤ教会のように、他の兄弟姉妹の捧げる様が公にされ、それを見た兄弟姉妹の心が奮い立たされ、その良きわざが広がっていく、という事もある。
また、ある人が惜しみなく捧げ物をして、その人がどんどん祝福される様を見て、それを模範として見ならって捧げた結果、大いに祝福を受けた、という事もある。
公にするにせよ、密かに捧げるにせよ、捧げ物は、各々示された通り、嫌々ながらではなく、心に決めたとおり、喜んで捧げるのが、本来のあり方である。

喜んで捧げ、神様から喜ばれ、さらに祝福され、さらに捧げられるようになる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:キリストの栄光の奉仕(2コリント8:16-24):右クリックで保存
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今日の箇所は、コリントへと派遣する働き人たちの紹介である。
ここではテトスと、匿名の2名の兄弟について紹介している。

テトスへの手紙1章を見ると、テトスの人となりがわかる。
彼はパウロにとって「真実のわが子」であり、野蛮であったクレテに残り、町ごとに長老たちを任命するという、困難で重要な任務が任されている。
そんな彼の心に、コリントへの熱い思いが湧きあがり、この勤めに志願したのであった。

さらに二人の兄弟達が紹介されており、この二人はなぜか匿名であるが、二人がどういう人物であるかは、書かれてある。
一人の働き人は、福音の働きによってすべての教会で称賛され、諸教会の任命を受けた人で、もう一人の兄弟は熱心な人で、コリントの様子を聞いてに会いに行きたいという熱心が起こされた。

パウロはこの献金については誰にも非難されぬよう、主の前だけではなく、人の前でも公明正大にふるまうように心がけている。(20節)
献金は聖なる捧げものであるが、人とお金の絡み具合によっては、献金が人につまづきとなる事もあるため、パウロは、この奉仕の実体を説明し(19節)、そのための奉仕者として、テトスと兄弟二人を紹介したのだ。

私たちが神の国の働きをする時、その内実はすべて、キリストの栄光である。(23節)
神の国の働きの内容に、ある奉仕は尊く、ある奉仕は卑しいというものは無い。
人知れず教会の便所掃除をしている人も、キリストの栄光であり、大集会で華々しく賛美リードしている人も、同じキリストの栄光である。

テトスの他二人の奉仕者は、匿名のまま聖書に名前を残されなかった。
しかし彼らは主の栄光である、と、19節と23節で2回言われている。

人は何かと、大勢の前で大活躍する事を望むが、たとい誰から見られていなくても、隠れた所でみておられる主が報いてくださる。
あの人は大勢に見られ、大勢から祈られ、心にかけられているけれど、自分は誰にも見られていないし、祈られてもいない、などと、いらぬ心配をする必要は全く無い。
主は隠れた所を見ておられ、その奉仕の心を良しとされ、主の栄光となるからである。

私たちがイエスの名によって願い、それが叶えられる事によって、父は栄光をお受けになる(ヨハネ14:13)。
主に多くの栄光が捧げられるよう、用いられる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:捧げる事の喜び(2コリント8:8-15):右クリックで保存
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持っている人と持っていない人の差を、貧富の差と言う。
貧富の差は悪い事である、と言う理由は、自分の物は人に与えない、という価値観の元に生きているからである。
しかし、貧富の差があるからこそ存在する、良い事もある。
それは、恵みや施しである。

「多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった」(15節)
神の民に、マナという恵みが降りそそいだ時、ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。(出エジプト16章)
それぞれの力量の差により、集めた量に差が現れたが、共同体全体で分け合った結果、余ったり不足したり、という事は一切無かった。
神は最善を為されるお方であり、40年もの間、共同体全体に最適な恵みを、一日も漏れる事無く、降らせて下さったのである。

自分で集めた物は自分の物、人には分け与えない、という価値観が世の中にはびこっているが、神の国での価値観は、欠乏している人には持っている人が補う、というものである。
「あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。」(14節)

多く集める者と、少なく集める者の差は、言ってみれば貧富の差であるが、それがあるからこそ、恵みの業や施しの業が成り立つのである。
もし皆が皆、大金持ちであれば、何かをあげても、もらっても、何の喜びも甘さもない。
しかし、持っている人が持っていない人に与える時、持っていない人を大切に思う心や憐れむ心が刺激され、実際に分ける事によって、愛と徳が増し加わる。
与えられる人にも、不足が満たされた喜びや、その人への感謝が生まれ、こうして、与える側も与えられる側も、ともに愛に満ちた麗しい感情が湧き起こるのだ。

私達の主イエス様こそ、最たる恵みを与えて下さったお方である。
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(9節)

主は富んでおられたのに、貧しくなって下さった。
自らのいのちを支払って、私たちのいのちを買い取ってくださった。
それによって私達の内に、感謝する心、愛する心、大切に思う心、人をあわれむ心、生きた者とされた事への喜びが沸き起こった。
彼が与えてくださり、愛して下さったからこそ、私達もキリストを目標とし、兄弟姉妹を愛し、恵みのわざを為すのである。

キリストは罪と貧しさに満ちた世に降りてこられ、自らのいのちを与えることにより、こよなき愛を示してくださった。
だから私たちは永遠に入った時、永遠にキリストを感謝し続けるのであり、また、今、この世において貧しい兄弟姉妹に施しをするのであれば、それもまた永遠に残る記念となる。
頼る者の無い人に施しをする事は主に貸す事であり、御言葉の故に失うなら、永遠に得るのである。
「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」(ルカ18:30)

やがて私たちが行く天の御国には、貧しい者も不足も無く、あらゆる良きもので満ちている。
今この世界では貧富の差があり、不足を覚える事があるが、逆に言えば、恵みや施しは今しかできない。
自分の持ち物など、永遠に残るものではないが、恵みと施しのわざは、天における貯金となり、栄誉となるのだ。

喜んで施しをし、さらに豊かに施しができる祝福が与えられる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:捧げる事の喜び(2コリント8:1-7):右クリックで保存
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8章でパウロは、施す事、捧げる事を勧め、その恵みと祝福を分かち合っています。
「兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。」(1,2節)

マケドニアの教会は、激しい試練に遭い(使徒16、17章)、窮乏の中にありました。
普通「恵み」と言えば、試練や貧しさとは真逆の事かと考えがちですが、必ずしもそうではありません。
それを理解するキーワードは、2節の「満ち満ちた喜び」です。
神の恵みとは、試練や極度の貧しさなどの状況に左右されない、満ち満ちた喜びであり、状況に左右されない平安の事です。

「聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。」(4節)
この「慈善の業と奉仕」の原意は、コイノニア(交わり)です。
すなわち、交わり(コイノニア)とは、受けるよりも与える事の意味合いが強いのです。
教会や聖徒達の交わりから何か得ようという動機で、交わりを求める人もおりますが、本来交わりとは、キリストのからだである聖徒達のために捧げる事、与える事です。

マケドニアの人達は、極度に貧しいにも関わらず、むしろ喜んで惜しみなく施しました。
それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえであり(ピリピ4:18)、そして神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、私達に必要なものをすべて満たしてくださいます。(同19節)
ピリピの教会は神から栄光の富をいただき、そうして成長して行きました。
それだから、施す事はまさしく恵みだと、パウロは言ったのです。

私たちも、主にあって捧げるなら豊かに祝福され、全ての必要は満たされ、あらゆる面で富む者とされていきます。
そのように祝福される皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!
 

礼拝説教メッセージ音声:御心に沿った悲しみ(2コリント7:1-16):右クリックで保存
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7章全体は、パウロのコリント人達に対する信頼が回復できた事への喜びに満ちている。

パウロは1コリントへの手紙で、不品行に対する叱責をなど、結構厳しい内容を書いたが、パウロ自身、そのように厳しく戒めるのは悲しい事、嫌だった事が、8節から伺える。
彼自身、あの手紙を書いた事で心に不安を抱えていたが、しかし、パウロのその悲しみは喜びへと変わった。
コリント人達は、あの手紙によって御心に沿った悲しみをし、悔い改めが生じて良い実を結んだからである。
「つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。」(7節)

神の御心に添った悲しみは、大いに有益である。
御心に添った悲しみのメリットの一つ目は、まず、その罪による害を、もはや受けなくなる事である。(9節)

二つ目は、悔いの無い救いに至る悔い改めを生じさせる事だ。(10節)
世の悲しみは、死をもたらすだけだが、御心に添った悲しみは、逆にいのちをもたらす。

三つ目のメリットは、あらゆる良き熱心を起こさせる事である。
「神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。」(11節)
これによって、本当に罰されるべき人が処罰され、群れ全体が汚され全体が処罰される事を免れた。

このように、御心にそった悲しみは、多くの良い実を結び、神と聖徒達とを喜ばせるものである。

人に後ろ指をさされないために、決してごめんなさいを言わない人がいるが、それは強さとは言わず、愚かと言う。
悔いない心、頑としてごめんなさいを言わない心は高ぶりであり、周りの人達に悲しみや気落ちを起こさせ、結局は自分の身と周りに害を招く事である。
「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。」(マタイ5:5)

聖徒達の中に罪があれば、パウロのように、悲しむ事を辞さずに指摘し、悔い改めへと導く皆さんでありますように。
そして、もし自分に悔い改めるべき所があればすぐ悔い改め、いつでも柔和な心で、大きな益を受け続ける皆さんでありますように!
イエス様の名前によって、祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:くびきを共にする相手を選べ(2コリント6:11-18):右クリックで保存
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人間の教えや神学に頼らず、御言葉の真理に頼った方が良い、と、どんなに事例を示したり、論理的証拠を示しつつ説明しても、決して自分の考えを手放さないとするなら、その人は、御言葉の真理よりも、自分の納得のいく答えを言ってもらおうという願いを、決して手放さないからだ。
パウロは勧める。
「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。 私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも心を広くしてください。」(12,13節)

コリントの人達が、自分の心を窮屈にしているもう一つの理由は、一緒につながれてはならぬ者と共に歩んでいるからである。

「あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛(くびき)につながれてはなりません。正義と不法とにどんなかかわりがありますか。光と闇とに何のつながりがありますか。」(14節)

ここは、キリストを信じていない人と全く付き合ってはならない、という事ではなく「不釣り合いな軛」につながれてはならない、と言っているのである。
軛(くびき)とは、牛や馬などを組にさせて、2頭で車を引かせるための道具であるが、申命記22:10には、牛とろばを同じくびきにつなげてはならない、と書かれてある。

別のいのちの動物は、力も耐久力も違うし、嗜好の方向性も違うため、同じくびきにつなぐなら、当然不具合が起こる。
牛はあっちに行きたいと思っているのにロバはこっちに行きたい、といった事が起こるように、キリスト者はこれをしたいと思っているのに、不信者はこれをしたいと思って互いに引っ張られ、いつもお互いに辛い事が起きてしまう。

キリスト者は、世の中の釣り合わぬ価値観を、自分と自分の家族に取り入れてはならず、むしろ、世の中にどんどん神の国の価値観を広め、キリストを証していくべきである。
私たちが世に染まるのではなく、世を、キリスト色に染めるべきである。

私達のアイデンティティは「生ける神の宮」であり、キリストは、私達の内に住んでおられる。
キリストを宿しているからには、それに見合う聖なる者として、ふさわしく歩むべきである。

鉄と泥が決して混じる事は無いように、私たちは不信者と釣り合わぬくびきを負ってはならない。
もし祝福を得たい得たい思っているのに、どうしても得られないなら、自分の中に、神と自分を隔てている壁が存在しないかを吟味すべきである。

「主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。
むしろお前たちの悪が/神とお前たちとの間を隔て/お前たちの罪が神の御顔を隠させ/お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。」(イザヤ59:1-2)

皆さんは祝福を受け、安らぎを得たいだろうか?
そうであるなら、神に対して生きた者として、死んだ者としてのくびきを取り払い、キリストとくびきを共にするべきだ。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30)

日々、キリストのくびきを負い、キリストと歩調を合わせ、安らぎの内を歩む皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:恵みの時、救いの日の内に(2コリント6:1-10):右クリックで保存
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人は、キリストにあって神と和解し、神との間に平和が成就しました。
私たちキリスト者は、その平和の使節であり、パウロはキリストに代わって「神との和解を受け入れなさい」と言いました。(5:20)
そしてパウロは続けて、神と共に働く者として「恵みを無駄にしないように」と懇願しています。(6:1)

私たちは税金や経費精算など、身近な所では支払ったものを取り戻そうと努力するものですが、イエス様が支払ってくださった「いのち」という代金を無駄にする事は、なんと多い事でしょう。
どのようにしてムダにするのでしょうか。
それは、御言葉よりも自分の凝り固まった概念を優先してそれに囚われてしまったり、御言葉を素直に信じなかったりする事で、キリストの贖いを空文にしてしまうのです。

「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」(2節)
大切なのは「今」です。
そうです。救いには、賞味期限があるのです。
恵みの時に、差し伸べられた救いの御手に応じるべきであり、明日に引き伸ばす事無く、救いの告げられた日の内に、素直に受け入れるべきなのです。

パウロは自分を、神のしもべとして推薦している、と話しております。(4節)
それは、この奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも、人につまづきとならないために、です。

私たちが神のしもべとして福音を伝えているのに、その私達事態がしっかりしていなくて、私達の存在が逆につまづきのきっかけとなり、福音の妨げになるような事は、あってはなりません。
だから私たちは、この身をもって、神の栄光を現す器として、整えられなくてはなりません。

「栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。」(8節)
悪評を受けるのは望ましくないと感じるものですが、最も良くないのは、好評も悪評も無い事、つまり、何も伝え無い事です。
私たちがすべきことは、まず御言葉をのべ伝える事です。

「人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、 悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」(9,10節)
私達は、弱い時にこそ強いのです。
なぜならキリストの力は、弱さのうちに完全に現われるからです。(2コリント12:9)
求めるべき事は、私たちが強くなる事ではなく、私達の内におられるお方に働いていただく事です。

どうか、このイエス・キリストにある、大能の力に満ち溢れ、どんな時にも、いかなる困難においても、全てにおいて全てを満たすお方に働いていただき、このお方を表現する皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福します。
アーメン。

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