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メッセージ - 1コリント人への手紙カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:愚かさの極みの中に命あり(1コリント1:18-25):右クリックで保存
韓国語通訳有

コリント人たちは人間的な知恵によって優劣判断していたため、兄弟姉妹達の間に分裂があった。
それでパウロは、人間の知恵は神の前には愚かだと指摘している。

人は、力強いな演説や雄弁さ等によって、いのちを得たり救われたりする事は、決して無い。
人は何によっていのちに至るのか?
それは、人には愚かに見える、十字架の言葉によってである。
「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(18節)

一体どこの脚本家が、人類の救世主は裸にされ、さらし者にされ、磔刑にされる、などと考えつくだろうか。
十字架は、人の価値観からすれば、愚かの極みである。
しかし十字架は、私達いのちに定められた者達にとって、救いの力なのである。

何故そのように福音は、人の目に愚かなように出来ているのか。
それは「知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする」ためである。(19節)
救いとは、人の何かに拠るものは何一つ無く、神様からの一方的な恵みであると、神様が定められたからである。

もし福音をそのまま伝えるなら、それは愚かとだと、人は判断しやすい。
だから人は、福音を、より人にとっつきやすく、よりスタイリッシュにと、音楽や芸術などを織り交ぜつつ、伝えようとする。
そうした事は、より多くの人たちに間口が広がる、という意味で、有用である。
しかし忘れてはならないのは、救いは、そういった人の知恵による装飾だけでは成就しない事、そして、救いはイエスキリストの十字架を除いては、ありえない、という事である。
救いは、宣教の愚かさを通して伝わるようにと、神様は定められたのである。

見栄えの良さや、スタイリッシュさ、心地良さだけを伝え、福音の根本たる十字架を伝えない事には、命の養いも栄養も何も無い。
救いの根幹である主イエス様の十字架をしっかり理解し、伝える皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:私は誰々につく、ではなく(1コリント1:10-17):右クリックで保存
韓国語通訳有

もし皆さんが、ある人から「あの人はあなたについていくと言っていた、でもこの人は誰々についていく」と聞いたなら、どうだろう。
「そうか、あの人は私に味方で、あいつは敵だ」と言って、舞い上がったり憎んだり、という事になるだろうか。

パウロはある時、コリントの人たちがそのような状態だ、という報告を受けた。
ある人はパウロにつく、ある人はアポロにつく、と言って、分裂があるというのだ。
パウロはそれを聞いて、よし、私につく者だけを集めて戦争だ、などと言っただろうか?
そうではない。パウロは分裂がある事を、悲しんだのである。
コリント人への手紙の最初は、流石にあいさつで始まったが、あいさつもそこそこに早速本題とするほど、パウロにとって、兄弟姉妹の分裂は、早急に解決すべき課題だったのである。

「わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」10節
「心を一つにし」とは、キリストの心を心とする事(ピリピ2:5・文語訳)であり、「思いを一つに」とは同じ判断基準である御言葉を、全てをはかる上での物差しとせよ、という事である。
そして、兄弟姉妹が一つとなるのは「わたしたちの主イエス・キリストの名によって」である。

「あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。」(12節)
この中に。「わたしはキリストに」とあり、それは一見非が無いかのようだが、一体何が問題なのか。

サタンでさえ、御言葉を道具にして人を訴えるのだ。
たとい、御言葉の知識が完全であっても、御言葉を、自分の正当性を主張して対立する道具とし、党派心を煽り、他の兄弟姉妹と敵対するなら、それは問題である。
兄弟姉妹の間に愛が無く告訴し合うのであれば、一体その正しい知識は何になるだろう。

私は誰々先生につく、いや、私は別の先生に、といった争いがあるとしたら、その人たちはまだ肉に属する者であり、ただの人と全く変わりない。(1コリ3:2-5)
あの先生もこの先生も、主が各々に授けられた賜物に従って働きを為した「器」に過ぎない。

大切なのは、誰々から何々の経験を受けた、ではなく、肉に歩んでいた頃の自分には死に、新しくイエスと共によみがえらされ、日々、新しいいのちを主イエスの名によって歩む事なのだ。
「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」(ガラテヤ6:15)
分裂や分派といった、古い世界に属する事はもう止めにして、キリストと共に十字架で死んだ者として、新しい創造として歩む皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:コリントにある神の教会へ(1コリント1:1-9):右クリックで保存
韓国語通訳有

パウロ達の第2回伝道旅行の時、彼らがマケドニヤでユダヤ人の迫害に遭い、止む無くギリシヤ方面へ退いた時、彼らははじめてコリント入りし、そこで1年半の間、じっくり伝道する事となった。(使徒18章)
その時、コリントにて教会が建てられたのである。

コリントの町は地峡の上にあるため、交通の要所として商業的に発展し、色々な文化が交じり合ったが、同時に道徳的な退廃も進み、退廃的な生活を送る事を「コリント流」と言うほどだった。

そんなことからか、他の手紙と比べて見ても、コリント教会は、色々な問題を抱えているようだった。
パウロはこの書簡を、第3回伝道旅行で、エペソで2年滞在している時期に書いている。

彼はなぜコリントへ手紙を書く必要を覚えたか。
それは、コリントの教会には分裂があった事、また、パウロへ幾つか質問があったため、その質問に答えるために書いたのである。

そういうわけで、この手紙には諸々の具体的な問題への答えが書いてあるため、我々キリスト者にとっても、それらの問題への対処が分かりやすく説明されている。
コリント人への手紙の書き出しは、「キリスト・イエス」という言葉を何度も登場させ、まず置くべき立ち位置は、キリストイエスである事を思い起こさせている。

「コリントにある神の教会、〔すなわち〕キリスト・イエスにおいて聖められた者たち、召された聖なる者たちに〔この手紙を書き送る〕
――私たちの主イエス・キリストの名を、いたるところで呼び求めているすべての者たちと共に ――〔この名は、〕彼らのものであり、そして私たちのものでもある。」(2節、岩波訳)

神の教会、すなわち、私達主に呼び出された者達は、キリスト・イエスによって清められた者であり、そして、至る所でキリスト・イエスの名を呼び求めている者達である。
私達は、人間的な知恵や主張よりも、キリストにある知恵や知識、御言葉に基づいた判断を、生活や行動の規範とすべきである。
「あなたがたは、その方の子であり私たちの主であるイエス・キリストとの交わりへと、召されたのである。」(9節)
このお方にあって、知恵においても、知識においても、全てが豊かに満たされる皆さんでありますように。

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