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メッセージ - ローマ人への手紙カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:神に御栄え(ローマ16:21-27):右クリックで保存
韓国語通訳有

いよいよ今回でローマ人への手紙は終りだが、手紙を閉じようとして、パウロは何度か祝祷をしている。
実は24節として、もう一つの祝祷を挿入する異本もある。
聖徒を祝福する事は何度しても、いや、やればやるほど、祝福されるものである。

パウロは今度は、彼の周りにいる人たちから、ローマの人たちによろしく、と言っている。(21-23節)
彼の周りにはテモテを筆頭に、コリントの監査役エラスト、パウロが宿泊していた家主のガイオのほか、色々な地方の出身者がいた。
その事から、パウロがコリントで手紙を書いた時点で、彼は色々な国のメンバーから成る宣教チームと共にいた事が分かる。
パウロは宣教を一人でしていたのではなく、色々な賜物を持ったメンバーと共に行っていたのだ。

さて、25から27節で一つの長い祝祷となっている。
パウロは10,11章において、イスラエルの選びと異邦人の救いのご計画を説明し、その最後に
「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。」(ローマ11:33)
と言って、神のその遠大なご計画を称えた。
それと同じように、この手紙の最後も、神の深遠な知恵と力を称えつつ、手紙を閉じている。

パウロは、聖徒達を何度も祝福し、「よろしく」を交換し、最後の最後に神に栄光を捧げた。
彼のように、聖徒達を祝福し、聖徒達と「よろしく」を交換し、そして神に栄光を捧げる皆さんでありますように。

礼拝説教メッセージ音声:分裂や躓きに気をつけなさい(ローマ16:17-20):右クリックで保存
韓国語通訳有

パウロが兄弟姉妹一人一人に「よろしく」と挨拶した後、さらに加えて書き残したかった事、それは。
分裂や躓きを引き起こす者に、気をつけなさい、という事である。(17節)

「テトス3:10 分裂を引き起こす人には一、二度訓戒し、従わなければ、かかわりを持たないようにしなさい。」
この「分裂を引き起こす人」は別訳では異端の事で、自分で何か悟ったかのような事を、キリストの福音に付け加える者である。
「こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです。」(18節)

初代教会においては、元々ユダヤ教を信じていた人達が、あたかも、キリストを信じる信仰によるだけでは救いに至らないかのように、律法的な行いまでも促す者達がおり、特に、ガラテヤの教会の人たちは、そのえじきになっていた。
パウロがそのように促す者は「呪われよ」と2度も宣言した(ガラテヤ1:6-9)。
それは、イエス様が命懸けで開いて下さった信仰による救いの道を、たかだか、自分のケチな自己顕示欲を満たすだけの為だけに、純粋な福音に身勝手な教えを付け加え、そして人々に躓きを与え福音から遠ざけてしまう者を、パウロは非情に嫌悪していたからだ。

教会内の交わり内に偽りの教えを吹き込む者がいる場合、相手が聖徒だと思って警戒心を解く為、御言葉の知識が無いと鵜呑みにしてしまい、えじきになりやすい。
だから「善にさとく、悪には疎くあることを望みます。」(19節)と言って、教会に忍び込んでいる異端に、気をつけるように促している。
私達は日々、御言葉をたくわえ、何が福音に従順し、何が福音と違うのか、知識を身につけるべきである。

偽兄弟達に対する対処は、戦って論破しなさい、ではなく、その人たちから遠ざかりなさい、である。(17節後半)
戦って下さるのは平和の主であり、しかも、主は私達の足を悪を砕く鉄槌として用いて下さる。
「平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。」(20節)
主は、誰が主に敵対する者で、誰が主に愛される者か、後に明確にして下さるのである。

偽りが多くはびこっている中、御言葉の知恵に満たされ、聖徒の交わりがますます純粋で、平和に満ちたものとなりますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:よろしく(ローマ16:1-16):右クリックで保存
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ロマ書15章の終わりは、一旦手紙を閉じたかのような文面だが、まだ伝えたい事が湧きあがったため、彼はさらに文を付け足し、16章へと続けている。
私達も、親しい兄弟姉妹との交わりで、別れの時間が来た時、一旦さよならと言っても、まだ伝え切れていない想いに引き止められて、結局、さよならを幾度か言うという事は、良くある。
パウロはこの章まで、罪に打ち勝つ方法や、信仰的な勧めについて等、学問的な事は十分伝えたものの、ローマにいる一人ひとりの愛する兄弟姉妹を思い浮かべると、「よろしく」を書き残さずには、おれなかったのだ。

今回の箇所には色々な人の名前が出て来るが、パウロにとって、一人一人が大切な兄弟姉妹だった。
その中には実に色々の国、色々な立場の人がいる。
彼はなぜ、実に多くの立場の、色々な国の人たちと、こんなに知り合いなのだろう。
キリスト者の交友関係を、世の中の人が見れば、どうしてそんなに、年齢層や立場、国が違う仲間がたくさんいるのか、と、不思議に見える。
それは彼らは立場は違えど皆、主イエスにあって一つであり、「主に在って愛する人たち」となったからである。

まず書き始めは、女性執事であるフィベを推薦する言葉からである。(1節)
彼女がパウロから託されたこの書簡を持って、ローマの聖徒達へ届けた。
パウロ自身、ローマに行った事は無かったが、彼女も主にあって多くの兄弟姉妹を助けた人だから、どうか大切にしてあげて下さい、という心遣いをもって紹介している。

また、3-5節はプリスカとアクラ夫婦への挨拶である。
彼らは命の危険を冒してまでパウロをかくまい、いのちを守った。
また、パウロだけでなく、異邦人の色々な教会の人たちがこの夫婦に感謝している。それは、彼らは色々な地方に行くたびに、自分の家を解放して家の教会としたからだ。
彼らは主に在って与えられている立場を最大限に用い、神と人から感謝されるようになったのである。

5節に出てくるエパネトは、パウロがアジアで福音を伝えて、最初に信じた人である。
ある地方に教会を開拓して、最初に信じた地元の人というのは、特別な思いいれがあるものだ。

また、「主にあって労苦した」と6節、12節に書いているが、兄弟姉妹を愛するが故に、苦心して身をささげる兄弟姉妹は、昔も今も存在する。
人のために身を粉にして、そこまで捧げるより、もっと自分を大切にしてください、と言いたい兄弟姉妹は、いつでも、どの国でもいるが、彼らは、主にあって兄弟姉妹を愛するが故にそうしているのである。
パウロはそういう人にも尊敬を込めて、よろしくと言っている。

他にも、多くの兄弟姉妹が名前を連ねている。
彼らがどういう人物であるのか分からないが、彼らが私達と同じ、キリストイエスにあって「聖徒」であったと分かる。
彼らも私達も、キリストイエスにあって「聖徒」であり、ひとつであり、パウロは二千年後の世界を生きる私達一人一人に対しても、よろしくと言っているのである。
そして、私達自身も、自分の知っている大切なキリスト者たちを、よろしくと言って紹介すべきである。

皆さんは、目の前にいる兄弟姉妹を、喜びと愛、尊敬を持って、他の教会の聖徒達によろしくと推薦できるだろうか。
目の前の兄弟姉妹は、色々と良くない所も見えてしまうかもしれないが、でも、この人は私のために労苦してくれた、助けてくれた、伝道した最初の人だ、など、色々な思い入れがあるはずだ。
主にあって、ますます互いに愛し合い、仕えあう皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:パウロからの祈り要請(ローマ15:30-33):右クリックで保存
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パウロが大きな働きをする事が出来たのは、彼自身の賜物に拠る所もあるが、多くの聖徒達の祈りに支えられてきた所が大きい。

「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください」(ローマ15:30)
ここの「熱心に」とは、奮闘し相撲を取るという意味も含まれており、ヤコブが主の使いと相撲を取って祝福を勝ち取ったように(創世記32:23-33)、私達も時には格闘するように祈る必要がある。
祈りをする時は、箇条書きの祈祷課題をダラダラと読み上げるがごとく祈るよりは、御霊の助けを頂き、時には格闘するかのごとく祈るほうが、よほど有益である。

パウロが「私の為に祈ってください」と要請しているように、私達も働き人のために、あるいは、働き人が起こされるよう祈るべきである。
彼は、エペソ人への手紙を書く際、牢に入れられていたのだが、速やかに牢獄から解放されるように、ではなく、大胆に御言葉を語れるように祈ってください、と要請している事は、注目に値する。(エペソ6:18-20)
現代日本では、福音の為に牢に繋がれる事は無いが、この国は、多くの宣教師達が長年に渡って何人も使わされているのに、なぜか福音が広まらない。
私達は先に救われた者として、特に働き人が起こされ、その働き人達が大胆に御言葉を語れるよう、祈るべきである。

パウロのもう一つの祈り課題は、「私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。」(31節)である。
御言葉にあからさまに反対する者もいるが、反対せずとも、聖徒達の中に入り込み、いらぬおしゃべりをして聖徒同士を敵対させる者も、中にはいる。
パウロは時には具体的な名前も出して、そういう人達には気をつけなさい、と警告し(2テモテ2:14-18)、そのような者達から聖徒達や働き人達が守られるようにも、祈りの要請をしてる、

パウロyローマの聖徒達が祈った祈りは、全て叶えられ、パウロは後の日にローマへ到着した。
しかし、何事も無くとんとん拍子に、とは決して言いがたい過程があった。
殺意に満ちた暴徒達に囲まれ、今にも殺されそうになった事が何度もあったし、難船して何日も漂流した事もあったし、石打にもあった。
祈りが成就するまでは、あたかも祈りが聞かれていないかのように、次から次へと災いが襲うような事もあるが、祈りはしっかり天に届いており、神様の最善が為される形で、祈りは成就するのである。

もしパウロがあのような苦難に遭わず、とんとん拍子にことが運んでいたなら、新約聖書の大半は無かった事であろう。
人の目には、パウロは苦しみの人かもしれないが、御国の視点から見れば、とてつもない遺産が彼を通して生まれたわけである。

パウロがローマに入る暁には、60kmも向こうから出迎えてきた。(使徒28:14)
彼らがやっと会えた時、どれほどの感謝と喜びが沸き起こった事だろう。
苦難に遭って涙を流すような時もあるかもしれないが、その期間は天の御国に真珠をつんでいるような期間である。

忍耐を尽くして祈り、御霊の愛に満たされ、主イエスキリストにあって力強くされつつ、神に導かれて行く皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:ミニストリーへの情熱(ローマ15:22-29):右クリックで保存
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パウロはローマの聖徒達宛てに、実に親密で、重要な手紙を書いているが、驚く事に、彼らはお互い一度も会った事が無いのだ。
パウロは、ローマのキリスト者達の様子を聞くに及んで、彼らに会いたくて仕方なく、このような手紙を書いたのだ。
彼はなぜローマにずっと行けないでいたのか、その理由が20節に記されている。
「キリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。」
つまり彼は、キリストが知られていない地に行き、キリストを伝える働きに明け暮れていたため、そういった交わりだけをしに行く旅行は、二の次になっていたわけである。

パウロにとっての最優先は、福音が伝えられていないところに伝えに行く事だった。
彼が23節で「今は、もうこの地方に働く場所がない」と言っているのは、その地方(マケドニヤ)にはもう教会が建ったためで、そして彼は次の目標を、世界の西の果てと当時言われていたイスパニアに定めた。
そのイスパニアに行く途中にローマがあるので、その時に立ち寄りたい、と書いたわけである。

しかし、その前にパウロにはやる事が残っていた。
まず、エルサレムへ、ある届け物をしなくてはならない。
「それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。」(ローマ15:26)
マケドニアの人達は、極度に貧しかったにもかかわらず、エルサレムの貧しい聖徒達のために集めたお金をエルサレムに届けよう、という心が、喜びと共に沸き起こったのである。(2コリント8:1-4)
ローマ15:26の「醵金」も、2コリント8:4の「交わり」も、原語では同じ「コイノニア」である。
コイノニア、すなわち「交わり」とは、気の合った者同士が単に親密に会話するだけではなく、必要があれば物質的・金銭的な物も分け合う、という意味も込められているのだ。

パウロはこの時点、この事を済ませてからローマを経由してイスパニアへ行きたいと思っていた。
しかし彼は確かにエルサレムへ行くが、そこで逮捕され、カイサリヤで2年拘束され、カエサルの法廷に立つためにローマまで護送される、という事になってしまった。
人は色々な計画を立てるが、主の御心だけが成り、そして主のなさる事だけが最善なのである。

逮捕されたり牢屋に入れられたりするのは、人にはあまり喜ばしくない事だが、そのお陰でローマ帝国の多くの高官や、異邦人達にも福音が増え広がり、神の国は増大した。
パウロは逆に、その事を喜んだのである。

パウロのように、神の国の働きに対する情熱がさらに与えられる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:働きは主のもの(ローマ15:18-21):右クリックで保存
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「キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、
また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。」(ローマ15:18-19)

パウロに神様から与えられた働きの領分は、異邦人に福音を伝えるという事だったが、それを為したのは、自分ではなくキリストだと、彼は告白している。
同様に、私達一人一人に託された、神様から与えられた働きの領分も、キリストが召し、キリストが為してくださるからこそ、成就するのだ。

そういうわけで、「私は何もしなかった、イエス様が全部して下さった」と言うのは、少し違う。
キリストからの呼びかけに「私」が応じなければ、神はみわざを為されないのだ。

むしろ私達は「私には栄光は無く、イエス様にこそ全ての栄光があるのだ」と言うべきであり、キリストだけを誇れるのだ。
神の国の働きは、キリストと私の共同作業である。

パウロは、誰もキリストを伝えていない所に真っ先に伝えに行くのが、彼の領分であった。(20節)
しかしそれは、私パウロが未開地に行って教会の土台となるのだ、という意味ではない。
彼が据えに行った土台とは、イエス・キリストである。
「神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。」(コリント3:11)
建築家自身がビルの土台になりに行く訳ではないように、私達もキリストという土台を据えるだけである。

仕事や家庭など、あらゆる領域にキリストという土台を据え、日々、神の国のために働く皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:召された者としての働くべき領分(ローマ15:8-17):右クリックで保存
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私達にはそれぞれ、神の国の為に働くべき領分があるが、それを明確に知っているだろうか。
パウロは異邦人に福音を伝える者という神から与えられた領分を明確に心得ており、それも御言葉によって確信を得ていた。

異邦人も救われるという教えは、当時としては画期的な事で、ユダヤ人の中にはにわかには受け入れられない事だった。
そこでパウロは様々な預言者、すなわちダビデやモーセ、イザヤなどの言葉を通して、異邦人も救いの望みがあり、主を喜び賛美するようになると、御言葉を元に実証している。(9-12節)

「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」(13節)
主イエス様はユダヤ人だけでなく、異邦人にも希望の源であり、そして、この東の果てにいる私達をも救い出して下さった。
それも、パウロが2000年前に異邦人に福音を伝える事に尽力してくれたからである。

「わたしが神から恵みをいただいて、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。
そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。」(15,16節)

私達も捧げられた、という事は、その所有権は神に移ったという事であり、私達は神の所有として、あらゆる悪しきものから隔絶されている。
自分自身を神に受け入れられる、きよい、生きた供え物として神にささげ、そして祭司として多くの人達をも神に捧げるつとめを為す皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:忍耐と励ましの神(ローマ15:1-7):右クリックで保存
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もし皆が皆、自分の満足ばかり追い求めていくなら、世と何ら変わらず、兄弟姉妹の間に何の立て上げも無いし、簡単に争いが起こってしまう。
「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。」(ローマ15:1)

強いと思っている人は、弱い人の躓きとなっても、何とも思わないような傲慢に陥りやすいが、そうであってはならず、その人の弱さを担うべきである。
なぜなら、もし自分は強い、という事であるなら、それは主から与えられたものだから。

忘れてはならない。私達は元々、弱く貧しい者だったが、今こうして弱さが補われ、裸の恥が覆われているのは、ただ、主イエス様の恵みによるものである。
私達の主・イエス様は、元々富んでおられ、そして私達は、貧しかった。
そこをなんと、主は、ご自身が貧しくなる事によって、私達の貧しさを買い取って下さり、私達を富む者、強い者として下さったのだ。
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(2コリント8:9)
私達召し出された者達を、主がそのようにしてくださったからには、私達も、兄弟姉妹を富ませるため建て上げるべきである。

「キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。「あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった」と書いてあるとおりです。」(3節)
イエス様は、神の家を思う熱心さのゆえにそしられ、また、引用元の詩篇69編はダビデの作だが、彼も同じように、神の家を思う熱心さのゆえにそしられた。
私達も、神の家を思う熱心があるなら、人々からそしられるリスクは十分にある。
しかし、私達には希望がある。

「 15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。」
世においては艱難があり、一筋縄では行かない事が多々あるが、私達の神は、忍耐と励ましの神である。
「励まし」という言葉はパラクレーシス、すなわち「傍にいて助けて下さる」という意味である。
また、「互いに同じ思いを持つように」を直訳すると「互いに同じ思いが与えられますように」となる。
つまり、忍耐と励ましの神様は、聖霊としていつも共にいて助けて下さり、そして、互いに同じ思いとなるようにと、その「同じ思い」が天から与えられるのである。

教会には、実に色々なバックグラウンドを持った人達が集まっているが、中には、正反対の価値観を持ったものがいるかもしれないし、ちょっとこの人はうちの教会から出て行ってくれないかな、という人もいるかもしれない。
そういった人たちと一つになるには、自分の頑張りや歯の食いしばりによるのではなく天から、忍耐と励ましの神が、その思いを与えてくださるのである。
私達が一つになる目的は「それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。」(6節)

主イエス様は、神の栄光のために、私達を受け入れてくださった。(7節)
それだから皆さんも、キリストの栄光のために、兄弟姉妹を受け入れますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:2つの「しない」のすすめ(ローマ14:18-23):右クリックで保存
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ローマ14章の趣旨は、裁いてはならない事と、兄弟姉妹を躓かせない事の、2つの勧めである。
パウロの手紙には兄弟姉妹への薦めは多いが、「しない」の勧めは重要である。

それらの二つは、自分の価値観や主張を押し通す事によって引き起こされる。
そのような議論や論理のぶつけ合いは、何も生み出さないどころか、害悪に満ちている。

2テモテ2章を見ると、言葉の論争は人々を滅ぼすもので(14節)、俗悪なむだ話は人々を不敬虔へと導き、その話は癌のように広がって行く、とある。(16,17節)
つまり、教会の会議などで10人そこにいるとして、2人が言葉の論争をしていたなら、その時間中、害毒の悪影響を、残り8人に振り蒔いてしまう事になる。
むしろ私達は、熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励むべきである。(15節)

「だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。」(ロマ14:19)
兄弟姉妹の間に争いが無く、平和であるというのは、それだけ兄弟姉妹が成長しやすい土壌があるという事である。
争いや不和は、信仰の歩みを2、3歩後退させるが、御言葉による建て上げは、1、2歩進ませる。
後退する方を多く見積もったのは、それだけ私達の肉は、争いや不和をする方が容易だからだ。

「肉も食べなければぶどう酒も飲まず、そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい。」(ロマ 14:21)
肉やぶどう酒を摂取しないのは、これらが悪い食べ物だから、ではなく、兄弟を罪に誘うようなことをしないのが良い、だから食べない方が望ましい、と言うのである。
私達はキリストにあって自由を得ており、何を食べても良いのだが、全ての事が益となる訳ではない。
私達は、何が兄弟姉妹の躓きとなり、何が建て上げる事になるのか、考慮した上で物事を為すべきである。

教会の中において、兄弟姉妹を建て上げる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:躓きとなるものを除きなさい(ローマ14:13-17):右クリックで保存
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前回学んだように、裁き合わない事は重要だが、まず、兄弟姉妹の信仰を妨げるもの、躓き(つまづき)となるものを置かないよう、気をつける事の方が、先決である。

躓かせるきっかけとなるものは色々あり、例えば、ある日を大事にするとかしないとか、ある食物は清くある物は汚れている、と言った、信じている事や価値観の相違によって、躓きは起こりうる。
例えば、イカを汚れた食物と信じる人がいて、その事を知りながら、かまわず目の前で食べるのなら、その人を躓かせる事になる。

本来、それ自体で汚れているものは何一つ無く(ロマ14:14)ある人が「汚れている」とするなら、その人にとっては、汚れているのだ。
イエス様も、全ての食物はきよいが、人のうちから出てくるものが人を汚す、と言っている。マルコ7:18-20
つまり、汚れる・汚れないというのは、人の心次第という事である。

しかし、兄弟姉妹に妨げになるものを敢えて置くのはキリスト者として相応しい事ではない。
「あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。」(15節)
全ての兄弟姉妹は、例外無く、イエス様がいのちを捨ててまで愛し、救って下さったからである。
イエス様が命を捨てられた程の人なのだから、たかだか、食べ物の事でその人を滅ぼすような事は、あってはならない。

私達が大切にすべきは、何が正しく何が正しくないか、何が清いか汚れているか、ではなく、兄弟姉妹の躓きとなるものを置かない、という事だ。
パウロも、もし肉を食べる事が兄弟姉妹を躓かせるきっかけになるようなら、今後一切肉を食べない、と言っている。(1コリ8:13)

一番良いのは、その人にとって躓きの元となっている知識が解消されるよう、御言葉に基づいて正しく教える事だ。
それはそれとして、強い者は、弱い者の弱さを担うべきである。

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