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メッセージ - 使徒の働きカテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:テモテを得る(使徒16:1-5):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

パウロはバルナバと決別して後、リュストラ(新改訳:ルステラ)の地において、若く強力な働き人・テモテを得た。
テモテは、ピリピやテサロニケへの手紙のパウロとの共同差出人となり、パウロから与えられた様々なミッションを為し、後には獄中のパウロの代わりに各地の教会を励ました。

そんなテモテの母はエウニケー(新改訳:ユニケ)、祖母はロイスというユダヤ人で、まずロイスに信仰が宿り、その母エウニケーに信仰が受け継がれた。(2テモテ1:3-5)
彼の父親はギリシア人で、名前が記録されていないという事は、キリストを信じるに至らなかったのではと思われる。
ユダヤ法では、父が異邦人で母がユダヤ人であれば子もユダヤ人とみなされるのだが、テモテはパウロと会った時点で割礼を受けていなかったので、父親はそれを許さなかったのかもしれない。

しかし母エウニケーは、テモテが幼いときからずっと聖書によって育て、教えと戒めと義の矯正を受けさせて来た。(2テモテ3:14-17)
テモテが評判の良い者となり(2節)、大いに用いられる器として整えられたのは、ロイスとユニケが御言葉と祈りによって育てていたからであろう。
最初のリュストラ伝道で、町の人々はパウロをヘルメス、バルナバをゼウス神にしてしまい、ユダヤ人達に扇動されると、今度はパウロに石を投げる者達となった。
そのような町の中で、聖書を幼い頃から慣れ親しませるというのは、相当な苦労だったと思われるが、そのような中であっても、母親の祈りと御言葉の教えによって子は清められ、後には主の為に大いに用いられるまでに育つのだ。

パウロにしても、多くの困難に遭ったこの町で見つけたテモテは、苦難の中で生んだ愛する子のようであった。
テモテはパウロが2回目の訪問の時に初めて福音を聞いたのか、それとも最初の訪問の時に福音を聞いたロイスやエウニケーが、最訪問の時までにテモテに信仰を継承したのか分からない。
いずれにせよ、福音を一を聞いたら十を悟るほど霊的な耳が開いていたのだろう。

テモテのように、ロイスやエウニケーのように、いつも霊的な耳を研ぎ澄まし、忍耐し、いかに異教的な家族、異教的な国の中であっても、立派に信仰を継承し、信仰の子を育てる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:反目は痛い事(使徒15:36-41):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

使徒教令を持ち帰った数日後、パウロはバルナバに、主にあって兄弟姉妹とされた者達に会いに行って、彼らがどうしているか見て来よう、と言った。
バルナバはマルコも一緒に連れて行こうと思っていたが、1回目の伝道旅行の途中で離れてしまった彼をパウロは連れて行くべきでない、と考え、激しい衝突となった。
ついに別れ別れで行動する事となり、バルナバはマルコと共に最初の旅行と同じ海路を取り、パウロはシラスと共に地中海沿いを西に向かう陸路を取って出かけた。

彼らの対立の原因は、福音に反したとかイエスを捨てたとかいったものではなく、マルコという一人の兄弟に対する評価の違いによるものだった。
パウロは伝道ミッションへの熱心から、途中投げ出したマルコと同行する事が耐えられず、バルナバのほうは「慰めの子」故に、マルコが突き放されるのが耐えられなかったのだ。
主は同じと言えども、主に対する熱心の現れ方の違いによって、衝突してしまう事はある。

主は確かにそのような人間的な対立も益として下さるが、自分の信念や熱心を固持した本人達は、辛く痛い所を通らされる。
パウロは行く先々の兄弟姉妹から当然聞かれ続けられただろう。
「おやパウロさんお久しぶりです。ところで仲の良かったバルナバさんがいないようですが、どうしましたか?」
兄弟姉妹達から聞かれる度に苦く痛い思いをし、バルナバも全く同じ状況だったのではなかろうか。
そして行った先々の兄弟姉妹達は、パウロとバルナバ双方から別々に言い分を聞き、和解を促したのではなかろうか。

ずっと後に書かれたパウロの手紙には、バルナバやマルコと和解をしたように思われる記述がある。
パウロはバルナバを、パウロと同様に結婚もしないで宣教に打ち込んで自ら稼ぎながら宣教している、と、コリントの聖徒達へ評価している。(1コリント9:1-7)
また、コロサイの聖徒達への手紙で、次の事を書いている。
「私の捕虜仲間アリスタルコスが、そしてバルナバの従兄弟のマルコがあなたがたによろしくと言っている。このマルコについてはいくつかの要請をあなたがたは受け取ったことと思う。彼があなたがたのところに来たら、彼を迎え入れるように。」(コロサイ4:10)
一時は伝道旅行を途中で破棄した奴、と考えていたかもしれないが、苦く痛い思いを通る内に、また兄弟姉妹達から促される内に互いに和解し、コロサイ人に同じイエスを信じる者として「よろしく」と書くに至ったのではなかろうか。

信仰が若く未熟な頃は、兄弟姉妹と争い、自分が絶対正しいと主張するものだが、主張を固持し続けるならするほど、痛い思いをする。
それでもイエス様は、その事を益として下さり、彼らは別行動を取ったお陰で、パウロは1回目に行った地域よりもさらに向こう側へ行く事となったし、またバルナバも、パウロが行かなかったキュプロス島の聖徒達を訪問し、バルナバにしか出来なかった役割を果たす事が出来たのである。

パウロとバルナバは一度は激しい対立をし断絶したが、同じ主に繋がり続けていたため、痛い経験の後、再び主にあって繋がった。
その人間の弱さや反目さえも益として用いてくださる主に、栄光が豊かにありますように。
イエス様の名前によって皆さんを祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:使徒教令 - エヴァンゲリオン(使徒15:22-35):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

エルサレム使徒会議の決議事項は手紙として記され(いわゆる使徒教令)、その知らせが届いた所には喜びと開放がもたらされた。
福音(エウァンゲリオン)とは勝利と開放のよき知らせの意味で、実際そのようなもののはずだが、歴史を追うごとにキリスト教は束縛が増し加えられて行ったのは、どうした事だろう。

そもそも今回の事は、エルサレムから来た幾人かが、イエスを信じて救われた異邦人もモーセ律法を守らなければ救われない、と主張して混乱させ、パウロ達との対立が起こり、それではエルサレムで決着をつけよう、というのが事の発端だった。
エルサレムには「異邦人にも割礼受けさせよ」と主張していたパリサイ派から入信した数人がいた(5節)。
エルサレムでは、この少数のうるさ方達の主張がまかり通っており、彼らの主張が序じよに広がって、アンテオケにまで伝染したという事だ。

ペテロもヤコブももしかしたら、何となく彼らの主張はおかしいと思いつつも対処を先延ばしにしていたのかもしれないが、会議において彼らは、神が為された事と御言葉を盾にして弁明し、反対意見を沈黙させた。
こうして根本解決に至り、聖徒達を束縛する諸々はそこで砕かれた。

ここまで大事に至ってしまったのは、人間的な教えがはびこった最初の段階で妥協し、解決を後回しにしていたからだ。
それはキリスト教の歴史でも同じ事が言える。
福音に混ぜ物し、真理の自由を束縛する「人間の教え」に対して、私達は断固として妥協してはならない。

「彼ら偽兄弟たちは、私たちを彼らに隷属させるために、私たちがキリスト・イエスにあってもっている自由に狙いを定めて、入り込んだのであった。
この彼らに対して私たちは、ほんのわずかの間すらも譲歩して従うことはしなかった。それは、福音の真理があなたがたのところにいつまでも留まるためである」(ガラテヤ2章4-5)

にせ兄弟達は、キリストにあって持っている自由をつけ狙い、不自由にするために働きかける。
しかし信仰によって救われた私達は、奴隷の恐怖に至らせる霊を受けたのではなく、子とされ、自由に至らせる霊を受けた。(ローマ8:15)

私達を不自由に陥れようとするものは、不自由にしようとする人間の教えに限らず、日々私達に迫ってくる病や貧しさ、死など、キリストにある私達にはもはや関係の無い呪いもそうである。
そのようなものが迫って来た時、イエスキリストにあって、死からいのちへと、呪いから祝福へと名義変更された立場を主張し、パウロのように、少しも譲歩してはならない。

私達が用いる武器は、使徒達が用いたものと同じことば、すなわち、神が私達になさった事実と、御言葉である。
死も病も、貧しさも、呪いも、御言葉には何と書いてあるか、神が私達にどんなに素晴らしい事を為してくださったかを、信仰を持って宣言するなら、それらは逃げていく。

自分の所有でない死や病、貧しさ、呪いが入り込もうとした時には、主イエスにあって決して譲歩しない皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:エルサレム使徒会議2 - 神は人を自由にする(使徒15:12-21):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

信仰によって救われた異邦人に「割礼を受けなければ救われない」と主張した者達は、自分達はこれこれに従って歩んできた、だからあなたも、、、という、自分の価値観を押し付ける考え方だった。
そもそも律法は、当のユダヤ人達も先祖達も追いきれなかった、重いくびきだった。
にもかかわらず、自分達は律法を持っていると言って誇るものだから、彼らは頭が固く主張の強い、あまり係わり合いを持ちたくない種類の人達だった。
会議という場で、そのような人達が操作や駆け引きによって支配すると、他の人々を束縛する諸々の規定が定められてしまう。

しかしこのエルサレム使徒会議は逆で、人の野心や主張ではなく、神の御心に沿って行われ、人を束縛する事ではなく人を自由にする事が決定された。
真理のある所には自由があるのである。(ヨハネ8:32)

ペテロやパウロ、ヤコブは、神は何をなされ、御心はどこにあり、御言葉には何と書かれてあるか、という、神の価値観を主張した。
この事から私達が学ぶべきは、教会の運営は、人の習慣や知恵、経験を押し付けるのではなく、神がどういう御心を持っておられるのか、神はどういうことをされて来たのか、御言葉には何と書いてあるのか等、神中心に運営されるべきである。

真理は自由だと言って何でもかんでもOKというものではなく、主が嫌われ、呪いを招くものは、避けるべきである。
「ただ、偶像に供えた穢れたものと、不品行と、絞め殺したものと、血とを避けるようにと、彼らに手紙を書くべきです。」(20節)

ペルガモンにある教会(黙示録2:12-17)は、邪悪な場所の真っ只中にある教会で、殉教者が出た時さえ信仰を捨てなかったにもかかわらず、バラムの教えを奉ずる者がいる事を非難されている。
バラムの教えとは神の民を神から逸らしてしまうための罠、すなわち、偶像に備えた肉と不品行である。
まことの神以外を拠り所とする「偶像」にも、ニコライ派という「人間中心の教え」にも、「まぁいいんじゃない」と言って妥協したり譲歩してはならない。
教会は信仰による自由や開放は確かにあるが、何でもかんでも受け入れてよいというものではない。
神以外のものに逸れて行ってしまうものについては、力の限り見張っていなくてはならない。

イエス様を信じた者は彼と一つ霊とされた者、それに相応しく、ますます純粋・純真な皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:エルサレム使徒会議1 - 法を行わなければ救われない?(使徒15:1-11):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

ある人たちがユダヤからアンティオキアヘくだって来て「モーセの慣例に従って割礼を受けなければ、あなたたちは救われない」と兄弟たちに教えていた。
それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じ、この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。(使徒15:1,2)
いわゆるエルサレム使徒会議である。

会議という場において、意見の強い者の思惑によって議論が進む場合、その人の意図が通される事によって他の人を束縛する方向性で、物事が決まる事が多い。
しかし教会における会議では、人間の経験や知識ではなく御言葉には何と書いてあるかを、人の思惑ではなく神の御心を、優先させるべきである。

ペテロは立ち上がり、神がなさった事実、すなわち、イエスを信じた者には聖霊が下った事、そこには異邦人もユダヤ人も何の差別も無かった事を伝えた。

「それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。
わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」(15:10,11)
主が為さった完全な救いがあるのに、なお人間的に固執してきた思い込みやしきたりを人に押し被せようとするのは、神を試みる事である。

そもそも、律法の行いによって人は義とされるのだろうか?
「人は律法の業によっては義とされず、イエス・キリストヘの信仰によってのみ〔義とされる〕ということを知って、私たちもまたキリスト・イエスを信じたのである。それは私たちが、律法の業によってではなく、キリストヘの信仰によって、義とされるためである。というのは、律法の業によっては、いかなる人も義とされないであろうからである。」(ガラテヤ2:16)
例え律法のチェックリストが100あったとして、100全て守ったとしても、義もいのちも与えられない。(ガラテヤ3:21)

では、律法とは何か。
それは、人に違反を示すため付け加えられたものであり(ガラテヤ3:19)人をイエスキリストへと導くための養育係である。(3:24)
人間は、とても律法を全て守れるものではない。
そういうわけで、人間にはどうしようもない罪という「違反」があるという事を示される。
そこで救いが必要だという渇望が起こり、そこからキリストへと導かれる。
そういうわけで「律法の**を守らなければ救われない」と言うのは、的外れである。

しかし律法は当然良いもので、律法を守るなら律法における守りによってその人は守られ、律法のもたらすあらゆる祝福を享受できる。
ただし、救いの条件は律法ではなく、イエスキリストを信じる信仰である事に変わりは無い。
イエス様は律法を成就するために来た。(マタイ5:17)
イエス様を信じることによって、律法も神の要求も全て全うされたイエス様のいのちが、私達のいのちに適用されるのだ。

律法を成就されたイエスキリストといのちを共有する者として相応しく歩む皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:そのいのち、リアル以上。(使徒14:19-28):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

パウロ達を神々にしてしまったリュストラの住民は、今度はパウロを石打にしてしまった。
その町にはもちろん、イエス様にしっかり繋がった者達はいたが、パウロに石を投げた者達は、心定まらない者達だった。
ギリシア神話は最近のファンタジー小説や映画と良く似ていて、平凡な日常を捨てて奇想天外な毎日に明け暮れたいとか、大いなるパワーを気ままに振るってみたいとかいったバーチャルリアリティに耽っている者は、いとも簡単にパウロを神にしたり、石を投げる側に豹変してしまったりするのである。
しかしイエス様が与える命は、バーチャルではなくリアルな平安をもたらし、しかも、現実さえも左右されない、超リアルに迫ってくるのである。

リュストラの住民が突然豹変してしまったのは、パウロがそこにいる事を聞きつけたユダヤ人達が遠くからはるばる来て、民衆を扇動したからである。
イエス様はパリサイ人を「改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまう」(マタイ23:15)と言われたが、嫉妬に燃え、あくまで自分を指導者の座に置きたい者の執念は、時にすさまじいものがある。
確かにそのような者の迫害や邪魔もあるが、主の恵みは、それをはるかに上回る。

パウロは石打にされ、死んだものとされ、野の鳥や獣についばまれるままにするために引きずり出されたが、弟子達が集まって取り囲むと、なんと、自らの足で立ち、翌日には50kmほど東のデルベという町にまで行く程、奇跡的な回復を見せた。
普通、石をぶつけられたら翌日も翌々日も痛いはずなのに、その痛みも、またユダヤ人に対する恐怖も取り除かれたというのは、驚くべき奇跡である。

パウロはそれまで福音を伝えてきた町々を引き返して「信仰に留まっているように」励ました。
「私たちは神の王国に入るためには、多くの苦難を経なければならない」
苦難は一人ひとりに違うが、それは押しつぶされてお終いというものではなく、脱出の道も癒しの道も用意されており、しかも、人間の感覚では見えていなかった、はるかに大いなる祝福へと導くためのものである。
私達に苦難があるからこそ主からの助けがあり、主からの助けがあるからこそ、主の良さ、主の麗しさ、主の確かさを、日々学んで行く事が出来るのである。

パウロは迫害されたため町から町へと行かざるを得なかったし、石打にさえ遭ったが、主の恵みはそれらをはるかに上回り、敵は、パウロのいのちを奪う事も、福音を邪魔する事にも、失敗した。

イエス様にあって勝利し、決して奪われることの無いいのちと平安に満たされる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:空想世界から開放されよ(使徒14:8-18):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

パウロ達はイコニオンにおける石打の謀略を避けるため、その南およそ40kmの異邦人の都市リュストラに入った。
リュストラは異邦人中心の町だったため、メッセージも旧約聖書を紐解いてではなく、天からの雨がもたらす実りなど、異邦人にも日常的に与えられている数々の恵みを通して、まことの神を伝えた。

さて、この町に生まれつき足の利かない男がいた。
パウロはその男に、癒されるに足る信仰があるのを認めると、大声で「自分の足で真っ直ぐに立ち上がりなさい」と言った。すると、彼は躍り上がって歩き出した。
パウロの声や演説に不思議な力があって癒されたのではなく、彼が伝えていた「イエスキリストの御名」に力があり、その男は信仰を持って聞き、行ったからこそ、癒されたのである。

それを見た民衆はとても驚いて、二人を人間の姿を取った神々と勘違いし、ゼウス神殿の祭司達は彼らに犠牲を捧げようとした。

「使徒たち、すなわちバルナバとパウロは、このことを聞くと、衣服を引き裂いて群衆の中へ飛び込んで行き、叫んで言った、「皆さん、とうしてこんなことをするのですか。私たちもあなたたちと同じ人間にすぎません。あなたたちがこのような空しいものから離れて、天と地と海と、その中のすべてのものを造られた生ける神に立ち帰るように、福音を告げ知らせているのです。」(使徒14:14,15)

福音を伝えた者が、伝えた福音の中身そっちのけであがめられるというのは、実に空しい事であり、衣を引き裂くくらい悲しむべき事である。
牧師や伝道者をあたかも神のように立て、犠牲を捧げる・捧げられる事を良しとする者も世の中にはいるが、御言葉を信じる者の内に働いて良き働きをなさるのはイエスであって、牧師や伝道者ではない。

このイエス様を伝える目的は、架空の存在である偶像に無駄な犠牲を捧げるという「空しい事」から立ち返らせ、より健全な、実体のあるいのちを楽しむようになるためである。
ギリシア神話の神々は人間の姿を取り、人間と接触するのだが、気まぐれによって人に災いをもたらしたり幸いをもたらしたり、ちょっかい出して人間との間に子供をもうけて、それが争いの元になったりと、実に気まぐれでロクな事をしない。
神々や人間が超自然的な力を使って気まぐれで面白おかしいストーリを展開させる神話は、現代の非現実的な物語が展開するテレビや小説、ゲーム等と何ら変わらない。
神話の神々や登場人物になり代わって、空想世界に多大なエネルギーやお金という「犠牲を捧げ」過ぎると、当然不健全になる。

イエスこそいのちの実体であり、彼を信じて御言葉を受け入れる者には、病の癒しや悪霊からの開放、不完全な体が完全にされる事などの、あらゆる良き実を結ばせるようになるのである。
信仰をもって御言葉を語り、良き実をたくさん結ばせ、癒し、開放、勝利を得る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:心地良さの罠(使徒14:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

ピシディアのアンティオキアから追い出されたパウロ達は、そこから南東およそ144kmに位置する町イコニオンへ行き、ユダヤの会堂に入ってそこでもイエスを伝えた。
ここでも彼らは大胆に語り、その福音が確かである証拠の徴や奇跡を行い、それによってイエスを信じる者も何人か出た。
にもかかわらず、そこでも反対する者が現れ、陥れられ、別の地方へと出て行かざるを得なくなってしまった。

このイコニオン地方において多くの苦労があり、主の力あるわざがなされ、教会もある程度育ち、これからさらに500人1000人と増えていって欲しかったのが、彼らの気持ちであろう。
それなのに反対され、扇動された民衆に命の危険に遭い、別の地方へと追い出される、と言うのは、人の目からは「失敗」のように見えるかもしれない。
しかし主の御心は、一箇所でキリストの体を肥大化させる事ではなく、各地方に散らばって、キリストの体をぽつぽつと建てていく事である。

福音は、人々を真っ二つに分ける。
「私が地上に平和をもたらすために来たと思うな。平和ではなく、剣である。」(マタイ10:34)
イエスを信じる事によって、神との間には和解が訪れるが、人との間には剣が生まれるかもしれない。
父母は敬い、子は愛し、友人達は大切にして然るべきだが、ことに「イエス様から離れなさい」という言葉だけは、別である。
その時、人間的な思いや愛情が、かえってイエスに敵対し福音を阻害するものとなる。

パウロは元々、パリサイ派の中のエリートだった。
会堂においては、それまで何年も培ってきた彼の得意分野である律法や預言者について語ったほうが受けが良かったであろうし、パウロとしても、そういう働きの方が慣れていて心地良かったかもしれない。
しかし彼は、そんなはかない心地良さよりも「イエスの御名」の方が、肉体的命よりも永遠のいのちの方がはるかに重要だったが為に、イエスの御名による福音を語った。
その結果、彼は大いに用いられ、多くの人達を永遠のいのちへと救う結果となった。

私達ももしかしたら、イエス様の故に、慣れた礼拝形式や勝手知ったる心地良さを、捨てなくてはならない時が来るかもしれない。
今までどおりで勝手を知っていて心地良いけれど、主の為には何の新しいものを生み出さない「A」という道と、今までと経験した事が無く予測不能だけれど、主が促されている「B」という道があるのなら、当然、Bの道を選ぶべきである。
主は福音のために、今まで知らなかった道を歩ませる事があるかもしれない。

主の御心を知り、行い、主の用意された道を歩んで豊かに用いられる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:恵みに留まる者と罵る者(使徒13:42-52):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

パウロはメッセージを語り終えると、人々はなお残って話は尽きなかった。
主にある兄弟姉妹との別れが名残惜しくて、どこまでも見送り見送られたという経験は、皆さんにもあるだろう。
「二人は彼らと語り合い、神の恵みに留まっているようにと勧めた。」(43節)
救われる者達にとって、聖徒同士の交わりは楽しく、いつまでも尽きないものだが、別れ際は、名残惜しさだけでなく心配も湧いてくるものである。

パウロは色々な地方、色々な人々に「神の恵みに留まっているように」勧め、そして後に多くの手紙を書いたが、ある教会には、成長して恵みが増し加わった事への賞賛の手紙を書き、別の教会には、2度行ってもなお罪を犯し続けるなら3度目に行った時は容赦しないと叱責した手紙もある。
どの伝道者も働き人も、福音が蒔かれた聖徒達に、恵みに留まり続けなさいと言うその願いは切実であるが、残念ながら、恵みに留まらない者も出てくる。

さて、その次の安息日には、ほとんど町中が集まってパウロたちの話を聞きに来た。(44節)
前回来た人達が、普段来ない人達を誘って来たのだが、残念な事に、嫉妬に駆られたユダヤ人達、それも、真っ先に福音に与るべき彼らが、罵りながら邪魔をした。
「このよそ者は俺達より人気を集めてしまった」「俺達の立場はどうなるのか」といった、けちな自己満足を満たすために、聖なる福音を邪魔するのは、憤りを覚える事である。

「ところが、ユダヤ人たちは神を敬う貴婦人たちや町の有力者たちを扇動して、パウロとバルナバに対する迫害を起こし、二人をこの地方から追い出した。」(50節)

滅びが定められている者達のする事は、古今東西同じで、陰で動き回って根回しし、有力者や有名人を唆して味方につけ、神の立てた権威に反抗する。
そしてひとたび彼らが攻め立てると、群集の側からは、神の立てた権威さえも弱くていじめ放題のうっぷん晴らしキャラに見えてしまう。
モーセやアロンも、パウロも、そして、イエスがそうだったように。
しかし、そのように逆らう者達の側につく群衆の最後は、モーセの時代もイエスの時代も、実に悲惨なものであった。

世から流れてくる群集心理に扇動される事無く、いのちの御言葉に留まり続け、神の立てた権威すなわちイエスに留まり続ける皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:神の立てたメシヤ(使徒13:26-41):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

パウロは旧約聖書の色々な箇所を引用し、イエスがメシヤである事をメッセージした。(使徒13:26-41)

イスラエル民族の多くは、御言葉を日ごと週ごとに朗読していたにもかかわらず、その御言葉が示しているメシヤなるイエスキリストを十字架へつけてしまった。
しかし神は、イエスを蘇らせる事によって、彼こそ全世界の救い主であると認定し(33節)、このお方にあって確かな祝福を与えると約束され(34節)、そして朽ち果てなる事が決して無いと定められた。(35節)
主イエスキリストを信じ、彼に繋がる私達にも確かな祝福と朽ちる事の無い永遠の命が約束されている。
そしてメッセージの最後は、福音を聞き続けてもなお頑なになって信じない者への警告として、ハバクク書1章5節からの引用で終わる。(使徒13:41)

ハバククはバビロン捕囚前の預言者で、エレミヤ同様、神に立ち返るようにと人々に促したが、人々は心頑なにし、堕落から立ち返る事無く、かえって預言者達を迫害した。
ハバククは少し特殊な預言者で、他の預言書は神からの示しを一方的に示すのに対し、ハバククは、彼がまず主に訴え、それに対して主が応答するという形式で、主の御心を示していく。

彼は繰り返し、民衆達が続ける不当について「いつまで訴えを聞いてくださらないのですか」と主に叫んでいる。
私達もハバククのように、正しい裁きがなされるよう日々主に叫んでいるかもしれない。
しかし主は憐れみ深いお方であるので、一人でも多くを救おうと、忍耐を持って猶予の期間を定めておられるのである。

定められた猶予期間の内に頑なな心を悔い改め、主を受け入れる者は幸いを得る。
しかし、いつまでも裁きは為されないと思って悔い改めず、神が聞くようにと定めた預言者を認めず、頑なに自分の考えに固執し続けるなら、ある日突然カルデヤ人に攻め滅ぼされたように、ある日突然、容赦の無い災いが襲う事になる。

主から与えられた憐れみの時、恵みの時に、しっかりと主に繋がって、もはや心かたくなになる事の無いようにしたい。
そして終わりの時代の聖徒達である皆さんは、ハバククのように神と親しく対話しつつ世に御心を示し、またパウロのように大胆に福音を告げ知らせる者達でありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

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