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メッセージ - 使徒の働きカテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:囚人さえリードする側になる(使徒27:27-38):右クリックで保存
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ローマ兵や船員達が命の危険に晒されたのは、パウロの経験と信仰に基づいた助言に従わず、自分達の希望的観測に頼った結果だったが、14日漂流して酷い目に遭ってなお、そういう古い性質が残っていた。
船員達はこっそり自分達だけ助かろうとしたが、それさえパウロに見破られ、もはや彼らはパウロの助言に従う以外には無くなった。

パウロはそんな彼らを責める事をせず、むしろパンを食べて元気付けるよう薦めた。
こうして元気づいた彼らは、思い切った行動を取った。
パンを満腹するまで食べ、今まで船具よりも大切にして捨てずにいた穀物さえ投げ捨てた。
このように、船の者達は皆パウロに心から従うようになって行った。

この遭難した船の中で、社会的に最も立場が弱かったのは、護送されている囚人のパウロではなかっただろうか。
それにもかかわらず彼は、百人隊長や船長よりも的確な助言をし、船の全員をリードし、全員の命を無事に導いて行った。
人々は火急の時、社会的上下関係も貧富の差も関係無くなり、その中で最も平安で落ち着き、的確に指示をする者を信頼するものだ。

パウロのその平安は、今日私達の主でもあるキリスト・イエスから来ていた。
戦争やテロ、地震のうわさが絶えないこの終わりの時代に生かされている私達も、その主にあって平安が与えられ、人々のいのちを救う者であるために、私達は日々、御言葉のパンによってしっかり元気付けられていなければならない。

どんな状況にあっても、どんな社会的地位にあっても、平安の土台に立って人々をリードし、いのちのパンであるキリストを伝える皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:荒波と喪失と絶望の日々に(使徒27:13-26):右クリックで保存
韓国語通訳有

パウロは伝道旅行で幾度も船に乗り、それまでに難船した事も(恐らく)2度あったため、その時期に地中海に少しでも乗り出す事の危険性を十分に知っていた。
彼は、他人には分からない自分の信仰のゴリ押しではなく、経験に裏打ちされたアドバイスをしたのだが、人々は彼の意見を聞かず、より快適に過ごせそうな近くの港で冬を過ごしたいと、穏やかな南風という、自分達の出立を祝福しているかのようなサインを見て船出した。
人は、客観的に存在する危機よりも欲望と希望的観測に駆られ、人々の制止を振り払って船出をし、ひどい目に遭うものである。

間もなくユーラクロンと呼ばれる暴風に翻弄され、快適な港どころか、安全な陸からどんどん遠ざかり、死の危険に満ちた冬の地中海へと引き摺り込まれて行った。
積荷を捨て、船具も捨て、幾日も太陽や星が見えず、激しい荒波と船酔いのため食事どころではなく、いつ命を取られても不思議でないような、想像を絶する日々となってしまった。

信仰の先達の意見を聞かず「ちょっとだけ」と思って手を出した事が仇となり、荒波人生に放り投げられてしまった人は多いのではなかろうか。
そのような無謀な人達の選択の結果は、自らが刈り取ればいいと思うが、パウロはそんな彼らが操作する船に乗り込まされ、彼らと同じように船酔いと空腹、疲れと不安の中にいた。
パウロには御使いから希望の言葉が告げられたが、その直前までは、他の船員同様、確かに荒波と極度の疲れ、先の見えない不安の中にいたのだ。
そんな中で確信と平安を持って主から示された事 - 全員のいのちは助かってどこかの島に流れ着く事 - を大胆に語り、事実彼の言うとおりとなり、人々は主の栄光を見た。

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(ピリピ4:6,7)

どのような状況であれ、感謝を込めた祈りをささげるなら、人知を超えた平安に満たされ、その平安の土台に立つなら、大胆な主の証人となれる。
それはたとい状況が全く変わらないように見えても、またパウロのように御使いが現れて具体的な示しを頂かなくとも、世の何者も決して奪うことの出来ない平安である。
その平安を土台として、同じ暗黒の状況にある周りの人にキリストを伝えるなら、自分ばかりでなく周りの人々も救われ、そして人々はキリストが確かに生きておられ、求める者を助けられるのだと知るのである。

詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんが主イエスキリストにあって健やかでありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:遣わされている場所の祭司として(使徒28:1-12):右クリックで保存
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いよいよパウロはローマへ護送され、カエサルの下で裁判を受ける事になった。
彼を護送する百人隊長ユリアスから寛大な扱いを受けていた所を見ると、パウロの事だからユリアスにも福音を伝え、彼のほうもパウロに好意的な印象を持っていたのかもしれない。

ところがローマへの航海は順風満帆とは言えず、行く先々で向かい風に遭い船旅は遅々として進まなかった。
パウロは伝道旅行でいつも聖霊の風向きに敏感だったため、これ以上船旅を続けると、積み荷や船体ばかりでなく命の危険と多大の損失をもたらす事を、百人隊長に助言した。

ユリアスはパウロが神に導かれた人だと分かっていたであろう。
しかし彼はパウロの助言ではなく船長や船主の方を信用した。
その結果、パウロの言ったとおり多大な損害を蒙る事になってしまう。

私達は進む針路を選ぶ時は、パウロのように常に霊的アンテナを伸ばして御心を求め、何が最善であるか示されるよう、祈り求めるべきである。
それが分からない時は、霊的に信頼できる信仰の先輩に助言を仰ぐほうが良い。

パウロ達を含んだ百人隊長達一行は、確かに多大な損害を蒙るのだが、その中にパウロ達いたがために、一行全体の命は救われた。
私達も、主のしもべ達であるが故に、私達の乗っている船、つまり私達のいる家庭や職場、地域は助かるという事がある。
そのために日々、遣わされている場で祭司として執り成す者でありたい。

「まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。」(1テモテ2:1,2)

礼拝説教メッセージ音声:狂っている(使徒26:19-23):右クリックで保存
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「パウロよ、お前は気が狂っている。博学がお前を狂わせたのだ」(26:24)
自分の経験や認知という井戸の中が世の全てだと思っている人は、認知不能な神のみわざに出くわすと、自分の理解に収まる考えを当てはめ押し付けようとする。
フェストはパウロを「狂っている」として当てはめ、進化論者は生物の成り立ちを「偶然」と当てはめた。

世界はロゴス(御言葉)によって成り立ち、そのロゴスとは定理であり、数式や物理法則以上の理(ことわり)である。
御言葉は現実以上に真実であり、キリストは人間が生きている以上に「生きて」おられる。
それを人が理解できないのは、私達の生きている現実があまりに不真実なため、真実のほうが逆に狂気に見えるのだ。
真実なるお方と出会って交わる時、頭ではどうしても理解できなかった事も、実体験として知るようになる。

パウロが弁明の場に及んでキリストしか伝えないのは、狂っているからではなく、その真理を伝えずにはいられないほどの衝動があるからだ。
「私が神に祈りたいのは、ただ王だけではなく、今日私の話を聞いている人々がことごとく、私のようになることなのです。−この鎖だけは別ですが。」(29節)
死刑を求刑されている被告人が、裁判官や告訴人、列席の弁護士や傍聴席の皆に向かって「私のようになる事を願っている」と言うのは、尋常ではなく見えるかもしれないが、それがパウロの本心である。

キリストの愛の広さ高さ深さを知れば知るほど、自分の事はどうでも良くなり、キリストこそ全てとなって来る。
パウロはもはや、自分が訴えられている状況さえも、この素晴らしいお方を伝えるための道具としてさらに多くの者達に福音を伝えたい程、キリストの素晴らしさを知っているのだ。
主はそのような者を祝福し、世において必要な物は全て備えられ、来るべき世において栄冠を勝ち取るための良き行いも全て用意されておられるのである。

このキリストの愛の広さ高さ深さをますます知る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:天の声に召し出されて(使徒26:19-23):右クリックで保存
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「天声教会」の名前の由来は、天からの声、すなわち、モーセやエリヤなどの偉大な人物でなく、怪しげな霊の声でもなく、神が唯一承認されたイエスキリストの声に従う教会という事で名付けられた。

パウロは、アグリッパ王の前で告白している。
「私は天からの示しに背きませんでした。」(26:19)
彼はかつて、パリサイ派という人間の組織に属し、モーセやエリヤに代表される律法と預言者を学んでいたが、ある時イエスによって、すなわち、天からの示しに召しだされ、悔い改めを伝える者として任命され、それに逆らわず忠実に歩んで来た。

召しだされた者達とは、人間の便宜のための組織から召し出されてキリストの肢体に組み込まれ、人間の誰かに支配される事から召しだされてイエスキリストに支配される者達の事である。

彼が伝えていた悔い改め(メタノイヤ)は、闇から光に、悪魔から神へと180度の方向転換する事で(18節)あり、またモーセや預言者が伝えてきた事はキリストは苦しみを受け、死人の中から最初によみがえって民にも異邦人にも光を継げ知らせる(23節)事である。
パウロが訴えられている理由はまさにそこで、イエスはキリストではないというユダヤ人達の見解によりパウロは訴えられているのである。

しかしイエスは確かに復活され、神から認証された救い主となり、パウロだけでなく私達にもその証人となるよう聖霊の証印つきで召しだして下さった。
世の終りまで共におられる主から力を頂き、誰もが「イエスが生きて共に働かれておられる」と認めるような皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:とげのついた棒(使徒26:1-11):右クリックで保存
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パウロがイエス様と出会った体験は使徒行伝中に3回登場するが「とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」と言ったのは、このアグリッパ王の前での証のみである。
彼は、主があの時言われた言葉には、実はあの意味も含まれていたのか、と、何十年もかけて徐々に知って行ったのである。
御言葉とは、人が何十年も、あるいは何百年もの世代に渡って、やっと悟って行く程に奥が深い。

パウロはキリスト者達を迫害していたあの時、確かに、痛かったのである。
ステファノが殉教する直前のあの聖なる趣、石を投げている者達にさえ執り成す愛を見、また、牢にぶち込むキリスト者達の無垢な様を見る度に、主キリストの聖さ、罪の無さ、愛の深さを垣間見て、彼らを迫害する度に、痛みを感じていたのだ。

「とげの付いた棒」とは、ある用途を持った道具で、くびきに慣れない若い牛は最初、くびきを嫌がって足で蹴るのだが、牛が蹴ると、とげのついた棒がそのまま自分の体に食い込んで痛い目に遭う仕組みに出来ている。
牛はくびきに逆らう事を次第に止め、くびきに慣れて行き、最後にはくびきに安息を見出すようになって行くのだ。

私達にもくびきに繋がれた牛のような体験はあったかもしれないし、今まさに遭っているかもしれない。
最初は主の導かれる道、主が負わせる重荷を嫌がり、逆らうのだが、逆らえば逆らうほど痛い目に遭い、ついには主の御心に屈服して行き、そして主の負わせるくびきに真に安息を覚えて行くようになる。

『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」』(マタイ11:30)

「わたしの軛は負いやすく」は英語のある聖書では「comfortable」とあり、主のくびきは、私達にとって負い易く心地の良いものである。
くびきは一見、自分の行きたい道へ行けず、不自由に見えるかもしれない。
そしてそれに逆らうと、痛みを覚え、不愉快極まりなく思えるかもしれない。
しかし、私達の成り立ちを知り、最善をご存知である主が負わせて下さったくびきに歩んでいるなら、心に平安があり、心地よく、最善の道へと導かれていくのである。

主が負わせて下さったくびきを負って主と共に歩き、安らかに導かれていく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:復活の主を証する(使徒26:1-11):右クリックで保存
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パウロは弁明の機会が与えられた時、自分が釈放されて命を救うよう弁明する事はあえてせず、イエスの証を喜んで行った。

彼はかつて、イエスに反対する者「サウロ」として有名だったが、イエスと出会い、造り変えられ、後には逆にイエスの伝道者として迫害されるまでになった。
彼がそこまでしてイエスを伝える理由は、イエスがまさしく生きておられ、現実以上に現実として働いておられるからである。

彼は、自分が訴えられているのは、先祖に与えられた約束の望みの故だと釈明し(6節)、その約束とは、キリストを通して死者が復活する事である。(8節)

死者の復活はクリスチャンにとっては最重要事項で、もし復活が無いとしたらキリストの復活も無かったはずだ(1コリント15:12-19)。
もし復活が無ければ、福音とは、主人を裏切った臆病者どもの吹聴事、という事になる。
では、弟子達はなぜ、キリストの十字架の前と後で、こんなにも激変してしまったのか。
パウロは幾度かの弁明の場で、なぜ釈放されて命を救う事よりも、イエスの証を喜んで行ったのか。
もしキリストが死んでしまったままであるのなら、弟子達やパウロが命を賭してまでキリストを伝えるメリットは一体何だろう。

キリストは紛れも無く十字架で死に、3日後に復活し、現に生きて働かれておられるのだ。

主が聖霊が使わされたからこそ、弟子達はこんなにも変えられて大胆に証し、福音は現在世界中に至っている。
今やイエスキリストの名前を知らない者はいない事実こそ、彼が生きておられる事の証拠である。

キリストの証人は、何もパウロだけの専売特許ではない。
私達一人ひとりも、キリストのよみがりの御技を体験している者達で、ある者は病が癒され、ある者は不足が満たされ、ある者は強い者に造り変えられた。
キリストが死者の中から初穂としてよみがられたからこそ、我々にも、復活の望みがあるのである。

復活の主にあって日々新たにされ、復活を体現していく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:私達に与えられているご計画(使徒25:1-12):右クリックで保存
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フェストゥスが総督に着任し、アグリッパ王とベルニケが彼を表敬訪問した時、フェストゥスは「実はこれこれの男がおりまして、、、」とパウロの話をした所、王は彼に興味を持ち、パウロはこの王の前でも弁明する事となった。

このマルクス・ユリウス・アグリッパ2世は、パレスティナ地方のほぼ全域を支配し、あの虫に噛まれて死んだヘロデ・アグリッパ王(アグリッパ1世)の息子である。
ベルニケはアグリッパ2世の姉妹で、非常に美しく、4人の男と結婚・同棲した女であった。
このように、ローマの王や総督周辺は道徳的にかなり堕落していた。

そのような者達と相対してきたパウロは、機会が与えられれば愚直なまでにキリストを宣べ伝え、それはユダヤ人の大祭司や長老達の前でも、異邦人の千人隊長や総督、王の前でも違いは無かった。
パウロにとっては、自分が釈放されるかどうかは関係なく、また、相対する者の身分の高い低いも関係無く、ローマ人もユダヤ人も全て福音を伝えられるべき者であり、ことさら道徳的に堕落したローマの高官・王達は特にそうであるとして、自分の弁明よりもキリストを証する事を優先させた。

『主は言われた、「行きなさい。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らの前で私の名を担う、私の選ばれた器である。実際、私の名のためにどんなに苦しまねばならぬかを、彼に示そう」』(使徒9:15,16)

この言葉はパウロがまだキリストを迫害する者サウロだった時、彼を癒したアナニヤに主から与えられた言葉だが、まさしくその道を歩んでいる。
彼にそのようなご計画が与えられたのは、実はかなり前で、それは天地創造の前からである。

そしてパウロに限らず、私達も天地創造の前から主に愛され、御自分の前で聖なる汚れのない者にしようとキリストにおいて選ばれており、私達をキリストにおいて天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださっていた。(エペソ1:3-5)

主が皆さんに与えられているご計画を悟り、それに従って忠実に歩む皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:カエサルに上訴する理由(使徒25:1-12):右クリックで保存
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総督がフェリクスからフェストゥスに替わり、パウロの裁判は2年ぶりに再開された。

パウロに並べられた多くの罪状はどれも立証する事は出来ず、本来ならそれで無罪放免されて良いはずであったが、フェストゥスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロに「エルサレムで裁判されたいか」と持ちかけたため、パウロはカエサルに上訴した。

パウロがカエサルに上訴したのは、自分の正当性を主張したいからでも死を免れたいからではなく、邪悪な者達の欲望に甘んじる事によって、不正や罪を増し加えさせないためだ。
我々キリストの聖なるしもべは、不正な者の偽りを甘んじる事で、その者と取り巻く社会に罪を犯させるのは良くない。
そしてパウロが上訴した一番の理由は、イエスキリストをより多くの異邦人や高官達に証するためである。

パウロは少なくとも、ローマまでは命が脅かされない事を、主から御言葉によって保障されている。
『主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」』(使徒23:11)
パウロには個人的に保障の御言葉が与えられたが、今の時代、聖書の御言葉は全て私達に個人的に語られ、信じる私達の保障となっている。

たとい千人万人が右左に倒れるような災いに遭っても、自分に災いは近づかないという御言葉(詩篇91:7)を信じるなら、その信仰がその人の保障となるし、神の国と神の義を求めるなら、必要な物はこれに加えて全て与えられると信じるなら、その信仰を込めた御言葉が保障となって、その通りになるのである。

パウロはカエサルに上訴する事によって、さらなる証の機会が与えられた。

「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。
つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。」(ピリピ1:12-14)

兄弟姉妹たちはパウロがエルサレムに行かないように懇願し、逮捕されないで欲しいと願ったが、パウロが聖霊の導きに従い、逮捕された事によって、より多くの者達に福音が伝わり、そして兄弟姉妹たちもそんなパウロを見て確信を得、ますます勇敢に恐れなく御言葉を語るようになったのだ。
人の目からは何が最善か分からなくても、最善を知っておられる主に全て委ね尽し、御心を成就させる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声: 義と節制と来るべきさばき(使徒24:22-27):右クリックで保存
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総督フェリクスは妻ドルシラと一緒にパウロを呼び出し、キリスト・イエスについて尋ねた。
フェリクスはユダヤ人を非情な仕方で押さえつけ、反乱をさらに大きくさせた、非情で不道徳な総督である。
ここに出てきた妻ドルシラは、元々アジザスという領主の妻だったが、フェリクスはそれを離縁させて第3番目の妻として召し入れていた。

さて、ここで想像していただきたい。
もしあなたがキリストの故に逮捕され、すんでの所で死刑から守られ、非情で不道徳な総督の元へと護送され、そこである程度の自由が与えられたとする。
その総督は、あなたを釈放する事も死刑にする事もできて、彼が「あなたの信じているキリスト・イエスについて聞かせて欲しい」尋ねたとしたら、一体何を語るだろうか。

そのような状況でパウロが語ったのは、愛や憐れみ、赦しではない。
義と、節制と、来るべきさばきについて(25節)であった。

大祭司アナニヤを筆頭にユダヤ教徒達は、身に危険も無かったのに、憎たらしいパウロを陥れたいがために、この不道徳な総督をおだて上げ、へつらった。
しかしパウロは、どんなに危うい立場にあろうとも、また目の前の人がどんな権威でどんな立場にあろうとも、その人にとって霊的に必要な戒めを与えたのだ。

私達もどんな状況にあろうと、また相手がどんなに力ある者でも、キリストについて尋ねられるのなら、その人にとって必要な御言葉を伝えなくてはならない。
語った事によってその人が怒ったり悲しんだりする事が簡単に想像できるような状況でも、御言葉は真実であるが故に、そのまま伝えなくてはならない。

フェリクスは、義と節制と来るべきさばきについての言葉を聞くと恐れ「この話はまたの機会に聞くとしよう」と言ってその場を閉じたが。
しかし、「またの機会」は訪れなかった。
彼はその後、何度かパウロと会うが、それも福音を聞くためではなく金をもらいたい下心のためで、その卑しい態度は改善される事無く、結局彼は2年後、その暴政のために皇帝ネロによって罷免され、死刑されそうにさえなったが、命だけはなんとか助けられた。
対してパウロはその2年間、兄弟姉妹達と比較的快適で有意義に過ごす事が出来、さらなるその後の主の働きの為に養われた。

いかなる状況においても御言葉を正しく伝え、祝福される皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

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