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メッセージ - 使徒の働きカテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても。(使徒28:23-31):右クリックで保存
韓国語通訳有

パウロが最も伝道したかった地、ローマで行った伝道スタイルは、全くいつもの通り、まずユダヤ人に向けて律法と預言者(御言葉)からイエスがキリストである事を論証した。
しかしユダヤ人は信じた者と信じない者に別れ、パウロは異邦人へと向かった。
実にお約束の結果だが、パウロが愚直なまでにこの伝道スタイルを守ったのは、御言葉こそが全てであって、御言葉に以上も以下も付け足すべきでないと、多くの経験を通して悟っていたからである。

「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。
御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」(2テモテ4:1,2)

パウロが遺言するように厳かに命じた事は、時が良くても悪くても、御言葉を伝える事。
御言葉を伝えた後、その者達がどうなるか、どうするかについては、我々が心配する事ではないし、予めその心配をして御言葉を躊躇してもならない。

使徒行伝は、唐突な終わり方をしている。
パウロがその後どうなったのか、カエサルの法廷がどのような展開となり、その後どのようにして生きたのか、色々な説はあるものの、聖書に記されていない。
イエス様は「この人はどうでしょうか」と言ったペテロに、「この人がどうなるかは、あなたには関係が無い。あなたは私について来なさい」と言われた。(ヨハネ21:20-23)
私達は与えられている使命、すなわち時が良くても悪くても、たとい愚直に見えるとも、忠実に御言葉を伝えるのみである。

詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんにとって良き一日でありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:すんなりと行く時(使徒28:11-22):右クリックで保存
韓国語通訳有

向かい風で艱難続きだったローマへの旅は、マルタ島で冬を越してから一転、順風満帆に転じ、最後は実にあっけなく、無事にローマへと導かれた。
パウロはローマの兄弟姉妹にかねてから会いたいと願っていたが、色々な事で妨げられていた(ローマ1:9,10)。
そのパウロにとって念願のローマに、いよいよ到着したわけである。

念願の事が中々成就せず、やっと道が開いたと思ったら向かい風の艱難続きという事はある。
何事も神様の計る時があるもので、時でなかったなら人の目には絶望的に閉ざされているように見える事はあっても、その時になったら実にすんなりと行くのだ。
人としては、そんな絶望的に閉ざされるような時期など飛ばして、インスタントに目的達成したいものだが、その閉ざされている時期があったからこそ、同船した276人というキリストの生き証人が生まれ、その彼らが福音の前進に大いに用いられたのである。

私達も嵐と逆境の時はしっかり信仰に根付いて霊的な力を溜め、主の計られた時に備えて生きたい。

詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんにとって良き一日でありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:蛇は火に叩き落とす(使徒28:3-10):右クリックで保存
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パウロは皆のために薪を集めて火にくべたのに、運悪く毒蛇が出て来て噛まれてしまった。
それを見た周りの人達は助けようともせず、あれこれと評価して見ているだけだった。

現代人の心は冷たくなり、誰かが社会を良くしようと立ち上がっても毒蛇のような者(あるいは状況)が飛び出して来て絡みつかれたり、周りの人達はそれを見てあれこれ言うだけで何もしてくれなかったり、野次馬的に眺めるだけだったり、というような社会となって来ている。
私達も、現代を生きていれば、そのような事はあるだろう。

しかし主イエスを信じ、主の働き人として働いているのであれば、蛇が絡み付いてきても火の中に叩き落し、陰口や口汚い言葉といった毒を受けても害を受けない。
島の人達は、害を受けないパウロを見て「神だ」と言い出したように、主を信じる私達には本当に神がついておられ、守られているのだと人々は知るようになるのだ。

「全世界に出て行って、すべての被造物に福音を宣べ伝えよ。
信じて洗礼を受ける者は救われるであろう、信じない者は断罪されるであろう。
信じる者たちには、次のような徴が伴うであろう。すなわち、彼らは私の名において悪霊どもを追い出し、新しい異言を語り、
[そして手でもって]蛇をつかみ、何か毒を飲んでもまったく害を受けず、病んだ者たちに手を置けば彼らは元気になるであろう」(マルコ16:15-18)

そのような徴は、何もパウロの専売特許ではない。
信じる者達にはこのようなしるしが伴うと書かれてあるからには、その通りである。


詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんにとって良き一日でありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:人の思いを超えて高く(使徒27:27-28:2):右クリックで保存
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主の御口から語られた言葉は必ず成就する。
パウロに示された「船は失うが、いのちを失う者は一人もない」「神は共に船旅をする人を、パウロに全て贈られた」という言葉は、そのまま成就した。

しかし、与えられた言葉が成就するまでは、光も指標も見えない、食事も出来ないほどの荒波と船酔いに満ちた14日間かもしれない。
商品は捨て、船道具も捨て、こんな船は見捨てて逃げようとさえ船員達がしたほどに、人間の目には絶望しかなかった中でも、主の計画はしっかり前進していた。

結局これら一連の事を通して同船した276人が思い知った事は、パウロには確かに神がついていて、その神は確かに生きて働かれ、力がある、という事だった。

「兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、”親衛隊”の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり、、、」(ピリピ1:13)

パウロが手紙でこのように書いているからには、ローマ親衛隊の百人隊長・ユリアスは航海の後、兵営全体にその14日間と、その後のマルタ島での出来事を伝え、パウロの信じているイエス・キリストが確かに生きて働かれていた事を伝えたのだろう。
このように暗黒の14日は、後に福音が大いに広がるための起爆剤のような出来事だったのである。
それは人の目には分からない。しかし神は、人の思いをはるかに超えた事をなさるお方である。

「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると、主は言われる。
天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。
雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ55:8-11)


詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんにとって良き一日でありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:囚人さえリードする側になる(使徒27:27-38):右クリックで保存
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ローマ兵や船員達が命の危険に晒されたのは、パウロの経験と信仰に基づいた助言に従わず、自分達の希望的観測に頼った結果だったが、14日漂流して酷い目に遭ってなお、そういう古い性質が残っていた。
船員達はこっそり自分達だけ助かろうとしたが、それさえパウロに見破られ、もはや彼らはパウロの助言に従う以外には無くなった。

パウロはそんな彼らを責める事をせず、むしろパンを食べて元気付けるよう薦めた。
こうして元気づいた彼らは、思い切った行動を取った。
パンを満腹するまで食べ、今まで船具よりも大切にして捨てずにいた穀物さえ投げ捨てた。
このように、船の者達は皆パウロに心から従うようになって行った。

この遭難した船の中で、社会的に最も立場が弱かったのは、護送されている囚人のパウロではなかっただろうか。
それにもかかわらず彼は、百人隊長や船長よりも的確な助言をし、船の全員をリードし、全員の命を無事に導いて行った。
人々は火急の時、社会的上下関係も貧富の差も関係無くなり、その中で最も平安で落ち着き、的確に指示をする者を信頼するものだ。

パウロのその平安は、今日私達の主でもあるキリスト・イエスから来ていた。
戦争やテロ、地震のうわさが絶えないこの終わりの時代に生かされている私達も、その主にあって平安が与えられ、人々のいのちを救う者であるために、私達は日々、御言葉のパンによってしっかり元気付けられていなければならない。

どんな状況にあっても、どんな社会的地位にあっても、平安の土台に立って人々をリードし、いのちのパンであるキリストを伝える皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:荒波と喪失と絶望の日々に(使徒27:13-26):右クリックで保存
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パウロは伝道旅行で幾度も船に乗り、それまでに難船した事も(恐らく)2度あったため、その時期に地中海に少しでも乗り出す事の危険性を十分に知っていた。
彼は、他人には分からない自分の信仰のゴリ押しではなく、経験に裏打ちされたアドバイスをしたのだが、人々は彼の意見を聞かず、より快適に過ごせそうな近くの港で冬を過ごしたいと、穏やかな南風という、自分達の出立を祝福しているかのようなサインを見て船出した。
人は、客観的に存在する危機よりも欲望と希望的観測に駆られ、人々の制止を振り払って船出をし、ひどい目に遭うものである。

間もなくユーラクロンと呼ばれる暴風に翻弄され、快適な港どころか、安全な陸からどんどん遠ざかり、死の危険に満ちた冬の地中海へと引き摺り込まれて行った。
積荷を捨て、船具も捨て、幾日も太陽や星が見えず、激しい荒波と船酔いのため食事どころではなく、いつ命を取られても不思議でないような、想像を絶する日々となってしまった。

信仰の先達の意見を聞かず「ちょっとだけ」と思って手を出した事が仇となり、荒波人生に放り投げられてしまった人は多いのではなかろうか。
そのような無謀な人達の選択の結果は、自らが刈り取ればいいと思うが、パウロはそんな彼らが操作する船に乗り込まされ、彼らと同じように船酔いと空腹、疲れと不安の中にいた。
パウロには御使いから希望の言葉が告げられたが、その直前までは、他の船員同様、確かに荒波と極度の疲れ、先の見えない不安の中にいたのだ。
そんな中で確信と平安を持って主から示された事 - 全員のいのちは助かってどこかの島に流れ着く事 - を大胆に語り、事実彼の言うとおりとなり、人々は主の栄光を見た。

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(ピリピ4:6,7)

どのような状況であれ、感謝を込めた祈りをささげるなら、人知を超えた平安に満たされ、その平安の土台に立つなら、大胆な主の証人となれる。
それはたとい状況が全く変わらないように見えても、またパウロのように御使いが現れて具体的な示しを頂かなくとも、世の何者も決して奪うことの出来ない平安である。
その平安を土台として、同じ暗黒の状況にある周りの人にキリストを伝えるなら、自分ばかりでなく周りの人々も救われ、そして人々はキリストが確かに生きておられ、求める者を助けられるのだと知るのである。

詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんが主イエスキリストにあって健やかでありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:遣わされている場所の祭司として(使徒28:1-12):右クリックで保存
韓国語通訳有

いよいよパウロはローマへ護送され、カエサルの下で裁判を受ける事になった。
彼を護送する百人隊長ユリアスから寛大な扱いを受けていた所を見ると、パウロの事だからユリアスにも福音を伝え、彼のほうもパウロに好意的な印象を持っていたのかもしれない。

ところがローマへの航海は順風満帆とは言えず、行く先々で向かい風に遭い船旅は遅々として進まなかった。
パウロは伝道旅行でいつも聖霊の風向きに敏感だったため、これ以上船旅を続けると、積み荷や船体ばかりでなく命の危険と多大の損失をもたらす事を、百人隊長に助言した。

ユリアスはパウロが神に導かれた人だと分かっていたであろう。
しかし彼はパウロの助言ではなく船長や船主の方を信用した。
その結果、パウロの言ったとおり多大な損害を蒙る事になってしまう。

私達は進む針路を選ぶ時は、パウロのように常に霊的アンテナを伸ばして御心を求め、何が最善であるか示されるよう、祈り求めるべきである。
それが分からない時は、霊的に信頼できる信仰の先輩に助言を仰ぐほうが良い。

パウロ達を含んだ百人隊長達一行は、確かに多大な損害を蒙るのだが、その中にパウロ達いたがために、一行全体の命は救われた。
私達も、主のしもべ達であるが故に、私達の乗っている船、つまり私達のいる家庭や職場、地域は助かるという事がある。
そのために日々、遣わされている場で祭司として執り成す者でありたい。

「まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。」(1テモテ2:1,2)

礼拝説教メッセージ音声:狂っている(使徒26:19-23):右クリックで保存
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「パウロよ、お前は気が狂っている。博学がお前を狂わせたのだ」(26:24)
自分の経験や認知という井戸の中が世の全てだと思っている人は、認知不能な神のみわざに出くわすと、自分の理解に収まる考えを当てはめ押し付けようとする。
フェストはパウロを「狂っている」として当てはめ、進化論者は生物の成り立ちを「偶然」と当てはめた。

世界はロゴス(御言葉)によって成り立ち、そのロゴスとは定理であり、数式や物理法則以上の理(ことわり)である。
御言葉は現実以上に真実であり、キリストは人間が生きている以上に「生きて」おられる。
それを人が理解できないのは、私達の生きている現実があまりに不真実なため、真実のほうが逆に狂気に見えるのだ。
真実なるお方と出会って交わる時、頭ではどうしても理解できなかった事も、実体験として知るようになる。

パウロが弁明の場に及んでキリストしか伝えないのは、狂っているからではなく、その真理を伝えずにはいられないほどの衝動があるからだ。
「私が神に祈りたいのは、ただ王だけではなく、今日私の話を聞いている人々がことごとく、私のようになることなのです。−この鎖だけは別ですが。」(29節)
死刑を求刑されている被告人が、裁判官や告訴人、列席の弁護士や傍聴席の皆に向かって「私のようになる事を願っている」と言うのは、尋常ではなく見えるかもしれないが、それがパウロの本心である。

キリストの愛の広さ高さ深さを知れば知るほど、自分の事はどうでも良くなり、キリストこそ全てとなって来る。
パウロはもはや、自分が訴えられている状況さえも、この素晴らしいお方を伝えるための道具としてさらに多くの者達に福音を伝えたい程、キリストの素晴らしさを知っているのだ。
主はそのような者を祝福し、世において必要な物は全て備えられ、来るべき世において栄冠を勝ち取るための良き行いも全て用意されておられるのである。

このキリストの愛の広さ高さ深さをますます知る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:天の声に召し出されて(使徒26:19-23):右クリックで保存
韓国語通訳有

「天声教会」の名前の由来は、天からの声、すなわち、モーセやエリヤなどの偉大な人物でなく、怪しげな霊の声でもなく、神が唯一承認されたイエスキリストの声に従う教会という事で名付けられた。

パウロは、アグリッパ王の前で告白している。
「私は天からの示しに背きませんでした。」(26:19)
彼はかつて、パリサイ派という人間の組織に属し、モーセやエリヤに代表される律法と預言者を学んでいたが、ある時イエスによって、すなわち、天からの示しに召しだされ、悔い改めを伝える者として任命され、それに逆らわず忠実に歩んで来た。

召しだされた者達とは、人間の便宜のための組織から召し出されてキリストの肢体に組み込まれ、人間の誰かに支配される事から召しだされてイエスキリストに支配される者達の事である。

彼が伝えていた悔い改め(メタノイヤ)は、闇から光に、悪魔から神へと180度の方向転換する事で(18節)あり、またモーセや預言者が伝えてきた事はキリストは苦しみを受け、死人の中から最初によみがえって民にも異邦人にも光を継げ知らせる(23節)事である。
パウロが訴えられている理由はまさにそこで、イエスはキリストではないというユダヤ人達の見解によりパウロは訴えられているのである。

しかしイエスは確かに復活され、神から認証された救い主となり、パウロだけでなく私達にもその証人となるよう聖霊の証印つきで召しだして下さった。
世の終りまで共におられる主から力を頂き、誰もが「イエスが生きて共に働かれておられる」と認めるような皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:とげのついた棒(使徒26:1-11):右クリックで保存
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パウロがイエス様と出会った体験は使徒行伝中に3回登場するが「とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」と言ったのは、このアグリッパ王の前での証のみである。
彼は、主があの時言われた言葉には、実はあの意味も含まれていたのか、と、何十年もかけて徐々に知って行ったのである。
御言葉とは、人が何十年も、あるいは何百年もの世代に渡って、やっと悟って行く程に奥が深い。

パウロはキリスト者達を迫害していたあの時、確かに、痛かったのである。
ステファノが殉教する直前のあの聖なる趣、石を投げている者達にさえ執り成す愛を見、また、牢にぶち込むキリスト者達の無垢な様を見る度に、主キリストの聖さ、罪の無さ、愛の深さを垣間見て、彼らを迫害する度に、痛みを感じていたのだ。

「とげの付いた棒」とは、ある用途を持った道具で、くびきに慣れない若い牛は最初、くびきを嫌がって足で蹴るのだが、牛が蹴ると、とげのついた棒がそのまま自分の体に食い込んで痛い目に遭う仕組みに出来ている。
牛はくびきに逆らう事を次第に止め、くびきに慣れて行き、最後にはくびきに安息を見出すようになって行くのだ。

私達にもくびきに繋がれた牛のような体験はあったかもしれないし、今まさに遭っているかもしれない。
最初は主の導かれる道、主が負わせる重荷を嫌がり、逆らうのだが、逆らえば逆らうほど痛い目に遭い、ついには主の御心に屈服して行き、そして主の負わせるくびきに真に安息を覚えて行くようになる。

『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」』(マタイ11:30)

「わたしの軛は負いやすく」は英語のある聖書では「comfortable」とあり、主のくびきは、私達にとって負い易く心地の良いものである。
くびきは一見、自分の行きたい道へ行けず、不自由に見えるかもしれない。
そしてそれに逆らうと、痛みを覚え、不愉快極まりなく思えるかもしれない。
しかし、私達の成り立ちを知り、最善をご存知である主が負わせて下さったくびきに歩んでいるなら、心に平安があり、心地よく、最善の道へと導かれていくのである。

主が負わせて下さったくびきを負って主と共に歩き、安らかに導かれていく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

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