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メッセージ - 悔いた心をもって進み出る人々の祈りを聞いてくださる主(詩篇51篇)

悔いた心をもって進み出る人々の祈りを聞いてくださる主(詩篇51篇)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 詩篇
執筆 : 
pastor 2019-2-25 17:30

悔いた心をもって進み出る人々の祈りを聞いてくださる主(詩篇51篇)

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続いてダビデが祈り求めたのは、「新しいい、正しい霊」「聖なる霊」「自由の霊」である。(10-13節)
そして、それらを求める以前に必須な事が、5-9節の「きよめの祈り」である。
主の霊は、きよい霊であり、まず、きよめを求めなくてはならない。次のように書いてある。
 
ヘブル12:14 すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。
イザヤ59:1 見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。
59:2 ただ、あなたがたの不義が/あなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が/主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。
 
だから、もし主から何かを頂きたいのであるなら、くださいと求める以前に、まず自分自身の罪を、悔い改めと告白によって主の前に取り扱わなければならない。
もし主に祈っても、求めても何も答えが無い、ただ沈黙しかない、とするなら、自分の罪をそのまま放置したまま、ただ「下さい、下さい」と言って空を打っているに過ぎない。
遠藤周作は「沈黙」という小説を書き、神は沈黙していて何も具体的な助けをしない、と暗にほのめかしたが、彼はそんな小説を書く前に、まず自分の罪と正面から向き合い、それを神の前に告白して悔い改めるべきだった。そうすれば神は決して沈黙の神ではなく、力強く働かれる主であることを体験しただろう。
彼はその著作で書いた。『私はひたぶるに神を求めることはなかったが、生涯のんびり、ゆっくり楽しみながら神を求めたと言えるかもしれぬ。』(心の夜想曲)
ここにあるように、彼は熱烈に主に求めた事はなく、自分の気のむくまま、のんびりと求めていたため、自分の罪を悲しみいたんで悔い改める事はなかったのだ。
 
そして彼の「神観」の、致命的な所は、次の言葉である。
『もっと早く気づけばよかったのだ。神とは存在ではなくて、働きであるということに。そしてその働きを私は自分の人生のなかで色々な形で感ずることができた。たとえば本格小説を書いている時、稀れではあるが自分が書いているのではなく、誰かに手を持って書かせられていると思う箇所が私にもある。』(万華鏡)
 
神は言っておられる。『わたしは、有って有る者(イェヒエ・アシェル・イェヒエ)。』(出エジプト記3:14)
この神の「イェヒエ」は、ハヤーの一人称単数未完了形である。
ヘブライ語の未完了形は、動作が未だ終わっておらず、ずっと続いて行く事であり、すなわち神の「ある」は、過去・今・未来に至る、永遠の「ある」だ。
神は、ご自身で存在されるお方であり、そして、私達を存在させるお方だ。
 
イエス様もまた、ご自身を幾度も「わたしは有る(ギ:エゴ・エイミー)」と言われ、人を活かす者・いのちを有らせる者としてご自身を証された。
『もしわたしが「そういう者である(エゴエイミー)」事をあなたがたが信じなければ罪のうちに死ぬ事になる…よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前から「わたしはいる(エゴエイミー)」』(ヨハネ8:24,58)
イエス様が言われる通り、「神が存在する」「イエス様が存在する」事を信じないなら、その人は、自分の罪のうちに死ぬ事になる。
 
そして悪霊は、身勝手な、なまぬるい神観でいる者に働きやすい。
彼は「たとえば本格小説を書いている時、稀れではあるが自分が書いているのではなく、誰かに手を持って書かせられていると思う箇所が私にもある。」(万華鏡)と言ったが、イエスがキリストである事を否定する霊は、悪霊である。
彼は小説の中で、イエス様を単なる無力な善人のように仕立て上げる事によって、イエスがキリスト(メシヤ)である事を否定したからには、彼は、悪霊に導かれて小説を書いたといえる。
世間は彼を「キリスト教文学者」と評しているかもしれなが、とんでもない。「アンチ・キリスト文学者」と言ったほうが良い。
 
遠藤周作は「沈黙」において、殉教者たちに働く聖霊の働きを完全に無視したが、ダビデは、その聖霊を求めるために罪を悔い、涙と苦悩をもって主の御前に出た。
 
詩篇51:10 神よ、わたしのために清い心をつくり(バラー:創造する)、わたしのうちに「新しい(カダシ)」、「正しい(クーン)」霊を与えてください。
 
彼が求めた霊の第一は「新しい、正しい霊」である。
「新しい(カダシ)」とは、全く新しく再構築する、それも、全く最新のものへと取り替える意味である。
彼は生まれながらに罪を抱える自分を、全く新しくしてほしいと願った。
 
次に彼は、「正しい霊(クーン)」を求めた。
ここのクーンは「そそり立つ」「確固とする」のNiphal(再帰態)が用いられているので、彼は、彼を確固とさせ、彼を立たせて下さる霊を求めたのだ。
 
私達も、聖霊が与えられなくては、罪について、義について、さばきについてわからないし(ヨハネ16:8-11)、キリスト者として立つことはできないし、神の働きを担う事もできない。
 
詩篇51:11 わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
 
二番目に彼は、聖なる霊が取り上げられないように、と願った。
サウルは、王権が彼から取り上げられ、主の霊が去った事をサムエルに宣言された時、悔い改める事をしないで、むしろ、人々の前での体裁を気にし、サムエルが自分と一緒に帰ってくれるように、というまことにあさってな事を懇願した。
ダビデは聖霊がサウルから取り上げられた後のその有様をずっと見続けていたので、ダビデは聖霊が取り上げられる事をもっとも恐れた。
 
詩篇51:12 あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。
 
彼が求めた三つ目の霊は、自由の霊をもってわたしを支えて下さるように、そうして主の救いの喜びをかえしてください、という事である。
主が私達に与えてくださった霊は、奴隷にさせる霊ではない。力と愛と、つつしみの霊である。
 
詩篇51:13 そうすればわたしは、とがを犯した者に/あなたの道を教え、罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。
 
ダビデは、自分は人々に教えるために、その霊を与えてください、と願った。
多くを赦された者は、多く愛するようになる。そうして主の深い恵みと、罪の苦々しさを、より人々に教える事ができるようになる。
 
詩篇51:14 神よ、わが救の神よ、血を流した罪からわたしを助け出してください。わたしの舌は声高らかにあなたの義を歌うでしょう。
51:15 主よ、わたしのくちびるを開いてください。わたしの口はあなたの誉をあらわすでしょう。
 
続いてダビデは、賛美の口が開かれるように求めた。
彼は元々、主を賛美することがが大好きだったが、彼が罪を犯して以来、ずっと賛美する事ができなかった。
賛美は、心の直ぐな人たちにふさわしいからであり(詩篇33:1)、罪を犯した者が、自らをきよめないままの人が、賛美をするなど、できないものだ。
それで彼は、大好きだった神を賛美する事を回復させ、神との正常な関係が戻って来るようにと祈った。
 
詩篇51:16 あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげても/あなたは喜ばれないでしょう。
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。
 
主は、心砕かれた者の祈りを、「あなたは罪を犯したからもう祈りは聞かない」などと、ぞんざいにするお方ではない。
イエス様も、たとえ話の中で言われた。
 
ルカ18:9 自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。
18:10 「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
18:11 パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
18:12 わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
18:14 あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
 
パリサイ人は、人と自分を比較して、自分を正しいとする自慢話を、とうとうと神にむかって並べた。
それにひきかえ、取税人は、遠く離れて顔を天に向けようともせずに、自分の胸をたたいた。この行動はすなわち、彼は、自分は罪人だと自認して、それを悲しんでいたのだ。
主から義とされたのは、収税人のほうだった。
それは彼も、ダビデのように、自分の罪を告白し悲しみ、神の一方的なゆるしを乞い願ったからだ。
 
神は、そのような祈りを、さげすまず、受け入れて下さる。
 
詩篇51:18 あなたのみこころにしたがってシオンに恵み(ラツォン:好意、喜んで受け入れられる)を施し、エルサレムの城壁を築きなおしてください。
51:19 その時あなたは義のいけにえと燔祭と、全き燔祭とを喜ばれるでしょう。その時あなたの祭壇に雄牛がささげられるでしょう。
 
ダビデは「エルサレムの城壁を築きなおしてください」と祈ったが、城壁とは、外部から身をまもり、敵に対抗するものである。
私達もダビデのように、自分の人生に罪の誘惑が入って来ないように、しっかり対抗できるように、城壁を築き直してください、と、聖霊に祈るのだ。
その時、聖徒は主に捧げ、主もそれを受け入れる「礼拝」の回復がなされる。
 
詩篇51篇は、私達も罪を犯した時、主に立ち返る祈りの、良きモデルである。
この詩篇をいつも身近に置いてすぐに出せるようにしておき、罪を犯したならば、都度、悔い改め、神との関係を良好に保ち続け、後ろ暗くなく主と共に歩んでいく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

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