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メッセージ - 何のわだかまりなく主の御前に出て何でも訴えられる人とは(詩篇17篇)

何のわだかまりなく主の御前に出て何でも訴えられる人とは(詩篇17篇)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 詩篇
執筆 : 
pastor 2018-9-21 14:44

何のわだかまりなく主の御前に出て何でも訴えられる人とは(詩篇17篇)
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メッセージ音声

_______________
ダビデの祈
17:1 主よ、正しい訴え(ツェデク)を聞き、わたしの叫びにみ心をとめ、偽りのないくちびるから出るわたしの祈に/耳を傾けてください。

ダビデは、彼をつけねらう者達によって悩まされている状況である。
特に、サウル王とその側近の追跡から逃げている時に記した詩篇と言われている。
そんな中にあって、彼は自分の訴えを「正しい訴え」と言い、また最後の15節でも「義(ツェデク)にあって:正しい訴えで」み顔が見れる事を、宣言している。
自分は罪人だ、御前に義と宣言するなどとんでもない、と言うクリスチャンも多い中、一体ダビデ、どこに、自分が正しい訴えをしている、と言える根拠があるのだろう。

新約を生きる私達は、知っている。イエスを信じる者は義とされ、彼を主と告白する者は救われる事を。

ローマ10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
10:10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
・・・
10:13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。

イエス、その御名はヘブライ語でイエシュア、主は救い、という意味である。
「主は救いである」と主に呼び求め、そうして主に来る人をこそ、主は義として下さる。
ひるがえってダビデは、その祈りの最初の最初で、主エホバの御名を呼び求め、主を助けとしている。
だから彼は、堂々と「正しい訴え(ツェデク)」と言って、主に訴える事ができたのだ。

17:2 どうかわたしについての宣告がみ前から出て、あなたの目が公平をみられるように。

ダビデは、自分に対する主の宣告についてここまで自信を持っているが、その自信はどこから来るのだろう。
その秘訣が、3-5節にある。この3-5節の中で、自分の心、口、行い、歩みにおいて、彼は何のやましい所が無いという宣言をする。

17:3 あなたがわたしの心をためし、夜、わたしに臨み、わたしを試みられても、わたしのうちに/なんの悪い思いをも見いだされないでしょう。わたしの口も罪を犯しません。

彼は主に、心を「ためし」「臨み」「試み」をしても、何ら悪い所が見出されない、と、堂々と言う事が出来たのは、それは彼の心に、主に対してのやましさが全く無い状態だったからだ。
彼の心は、実に単純なのだ。イエス様も言われた。心のきよい者(単一な者)はさいわいだ、その人は神を見るから、と。(マタイ5:8)

17:4 人のおこないの事をいえば、あなたのくちびるの言葉によって、わたしは不法な者の道を避けました。
17:5 わたしの歩みはあなたの道に堅く立ち、わたしの足はすべることがなかったのです。

彼は自分の「おこない」に関しては、主のくちびるの言葉に拠って歩んだ、そして不法な者の道を避けた、と堂々と告白している。
主の御言葉に従って歩む者は、決して揺るがされる事が無い。
このように、心にやましい所が無いなら、大胆に御前に進み出て、御前に申し上げ、なんでも訴える事が出来るはずである。
パウロは言った。

ピリピ4:4 あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。

パウロはいつも喜べ、と言った。だから、罪責感に苛まれるのは、御心ではない。
サタンにやられて、良心が崩壊してしまっている人は、常に罪責感に悩まされ、御前に出られず、そして悪に立ち向かう事も出来ない。
私達は大胆に信仰に立って、悪魔に立ち向かい、主のわざを為すべきである。

ピリピ4:5 あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。
4:6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
4:7 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

何事も思い煩わず、ただ事あるごとに、神に向かって祈り、感謝し、すべてのことを主に持っていくなら、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安に満たされ、思いと心は、キリストにあって守られる。
これは何という恵みだろうか!

4:8 最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。
4:9 あなたがたが、わたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。そうすれば、平和の神が、あなたがたと共にいますであろう。

これら良きことに心を留めるなら、平和の神から来る平安に満ち溢れ、ダビデのように、何のわだかまりなく、御前に出て、どんな事でも祈り訴える事ができるのだ。

もしそうではなく、何か詰まったような感覚、何か主に対すしてわだかまりがあるのであるなら、聖霊に心を照らしていただくべきである。
示される罪があったら、聖霊に示された範囲で告白し、悔い改め、あるいは人に対して罪を負っていたのなら、その人に償いをするのだ。
『隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされた事は長く我々と我々の子孫に属し、われわれにこの律法のすべての言葉を行わせるのである。』(申命記29:29)

御前において、何ら「やましさ」がない状態のダビデは、大胆に主を呼び求めている。

17:6 神よ、わたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられます。どうか耳を傾けて、わたしの述べることをお聞きください。
17:7 寄り頼む者をそのあだから右の手で救われる者よ、あなたのいつくしみを驚くばかりにあらわし、
17:8 ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、
17:9 わたしをしえたげる悪しき者から、わたしを囲む恐ろしい敵から、のがれさせてください。

ダビデは神を呼び求めた。なぜなら、神はその右の手をもって、寄り頼む人を敵から救われるお方だから。
ダビデの敵は、そうではない。主に正統に油そそがれ王となった、何の罪も無いダビデを、いのちを付け狙って追いかけているからだ。その者に、主が軍配を上げるいわれはない。
だからダビデは大胆に宣言できたのだ。

17:10 彼らはその心を閉じて、あわれむことなく、その口をもって高ぶって語るのです。
17:11 彼らはわたしを追いつめ、わたしを囲み、わたしを地に投げ倒さんと、その目をそそぎます。

10-12節に、ダビデを訴え攻め立てる「彼ら」がいかなる者であるのかが記されている。
彼らは「肉の心で塞がれている」ため、罪について、義について、さばきについて理解できず、その鈍い心をもっと閉ざし、高慢な口で語り、不当な妬みをもってダビデを付け回し、倒そうと狙っている。

17:12 彼らはかき裂かんと、いらだつししのごとく、隠れた所にひそみ待つ子じしのようです。

ダビデの目には、彼らは「しし」のように強く見える。
なにしろサウル王に付け回されていたダビデと共にいた600人は、世間からつまはじきにされた一癖も二癖もある人たちで、それに対し、サウル王に従う3000人は、ベニヤミン族の選り抜きの兵士たちである。
それで彼は、ただ主に叫び、助けを求めている。

17:13 主よ、立ちあがって、彼らに立ちむかい、彼らを倒してください。つるぎをもって悪しき者からわたしのいのちをお救いください。
17:14 主よ、み手をもって人々からわたしをお救いください。すなわち自分の分け前をこの世で受け、あなたの宝をもってその腹を満たされる/世の人々からわたしをお救いください。彼らは多くの子に飽き足り、その富を幼な子に残すのです。

ダビデは特に「人々(マス:男、人類全般)」から救い出して下さい、と願い求めている。
その「人々」とは、現世的な力や権威、お金を拠り所とする者達、すなわち、神に拠り所を見出さない者達、神から良いものを受け子孫にも祝福されておきながら、その与えられた富や力を、不当な事に用い、罪なきダビデを攻撃する事に努力を惜しまない者達である。

私達も、そのような者達がいるなら、主に祈るべきである。主の正しい御旨がなされるように、と。
不当に弱者から搾取し欺くことを止めない権威者達が、速やかにその座から降ろされるように、と。

17:15 しかしわたしは義(ツェデク)にあって、み顔を見、目ざめる時、みかたちを見て、満ち足りるでしょう。

ダビデは最後にも「義(ツェデク)にあって」という言葉を持ち出し、祈りを閉じた。
彼は満ち足りて安息の内に休み、平安の内に起きる事が出来た。
それに対して、ダビデを追い回すサウルと、その側近たちは、主に逆らう事をしていたにもかかわらずその呪われた道を止めず、その最後は悲惨なものだった。

箴言29:24 盗びとにくみする者は自分の魂を憎む、彼はのろいを聞いても何事をも口外しない。
29:25 人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。
29:26 治める者の歓心を得ようとする人は多い、しかし人の事を定めるのは主による。

私達はダビデのように、常に御前において何のやましい所なく、何事もただ主に持っていく者でありたい。

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