メッセージ - 国々を正当にさばかれる主と、「言いつけ上手」「訴え上手」なダビデ(詩篇9篇)

国々を正当にさばかれる主と、「言いつけ上手」「訴え上手」なダビデ(詩篇9篇)

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pastor 2018-8-31 9:10

国々を正当にさばかれる主と、「言いつけ上手」「訴え上手」なダビデ(詩篇9篇)
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9編の表題は「聖歌隊の指揮者によってムツラベンのしらべにあわせてうたわせたダビデの歌」である。
ムツラベンのしらべは、どのようなメロディだったのだろう。
ムトは「死」、ラ・ベンは「息子の」の意味であり、また16節には「ヒガヨン・セラ」という、聖書中ここにしかない「セラ」があるが、ヒガヨンの意味は「荘厳な」「瞑想」の意味である。
以上を考えると、ムツラベンのしらべは、荘厳で重々しいメロディだったのだろう。
その荘厳な雰囲気の中でダビデが歌わせた詩篇9編のテーマは、主は正当に裁かれるお方である、という内容である。

9:1 わたしは心をつくして主に感謝し、あなたのくすしきみわざを/ことごとく宣べ伝えます。
9:2 いと高き者よ、あなたによって/わたしは喜びかつ楽しみ、あなたの名をほめ歌います。

ダビデはまず最初に、主への感謝と賛美で始める。
彼を憎んで滅ぼそうとする者達や国々があるのだが、それを訴える前に、主の素晴らしい御業と正当なさばきをほめたたえている。

9:3 わたしの敵は退くとき、つまずき倒れてあなたの前に滅びました。

わたしの敵、イコール神の敵である。
ダビデはいつも、主の御言葉が成る事、御胸の成る事を求めていたからだ。

9:4 あなたがわたしの正しい訴えを/助け守られたからです。あなたはみくらに座して、正しいさばきをされました。

ダビデはここでも自分の訴えを「正しい」としているが、その根拠はどこにあるのか。それは、彼が主に寄り頼んでいる事である。
主に尋ね求める者こそ、正しいとされる。

子供が人の家のガラスを割ってしまった場合、子供は親に泣きついて訴える時、親は代理で謝罪し、償いをし、そして子供のガラスを割ってしまった事は、相手の前で赦される。
同様に神は、罪を犯してしまった人類のためにイエス・キリストを遣わし、彼が代理で罰を受け、償いをし、父なる神をなだめた。
だから、イエス様に泣きついてくる人々、すなわち、イエス様を主とする人を、神は赦し、義として下さるのだ。

親の助けをよく呼び起こす子供とは「言いつけ上手」「訴え上手」の子であるが、ダビデはまったく主に対して「言いつけ上手」「訴え上手」である。
悩んだ時も、喜んだ時も、家庭の問題も、国家の問題も、なんでもかんでも主に持って行った。

9:5 あなたはもろもろの国民を責め、悪しき者を滅ぼし、永久に彼らの名を消し去られました。
9:6 敵は絶えはてて、とこしえに滅び、あなたが滅ぼされたもろもろの町は/その記憶さえ消えうせました。

歴史の闇へと葬り去られた国や民族、人々は、多々ある。
特に、主に従わない者、御民をいじわるする者は、そのようにされる。アッシリヤやバビロン、ペリシテ人、イドマヤ人などはまさにそうだった。
主は正当なさばきをされる事が、7-9節に記されている。

9:7 しかし主はとこしえに、み位に座し、さばきのために、みくらを設けられました。
9:8 主は正義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれます。
9:9 主はしえたげられる者のとりで、なやみの時のとりでです。

さばきは恐ろしげに聞こえるかもしれないが、正しい人にとっては、神の正しいさばきは、実は慰めである。
ナホム書という書が聖書にある。
ナホムの名前の元は「ナハム(慰め)」、そのまま「慰め」という意味であるが、ナホム書の内容は名前とは裏腹に、アッシリヤに対する手厳しい災いの預言で満ちている。実際、彼の預言どおりにアッシリヤは滅んだ。一体、何が「慰め」なのだろう?
アッシリヤは、残虐さを売り物に、各国を脅し、イスラエル以外の多くの国々にも「意地悪」をして来た(イザヤ20章)。
一時は預言者ヨナの警告でへりくだるも、すぐその心を忘れ、神に挑戦する程になった(イザヤ36-37章)。
それで神はアッシリヤを処罰する。アッシリヤが破壊される時、それを聞く者は手を叩いて喜んだ。
誰も彼もアッシリヤによって絶えずいじめられていたから、とナホム書は締めくくられる。(ナホム3:19)
主の民の敵が、正当な裁きを受ける事も、実は「慰め(ナホム)」なのだ。

9:10 み名を知る者はあなたに寄り頼みます。主よ、あなたを尋ね求める者を/あなたは捨てられたことがないからです。

ここが9扁の中で重要な節である。
ダビデは、主に寄り頼み、主に尋ね求める事によって、正しいとされた。
主をより頼む者の幸いについて、詩篇34編に記されている。

34:4 わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。

ダビデは、主に求めた。
すると主は答え、彼を全ての恐れから助け出された。

34:5 主を仰ぎ見て、光を得よ、そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない。
34:6 この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。
34:7 主の使は主を恐れる者のまわりに/陣をしいて彼らを助けられる。
34:8 主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。
34:9 主の聖徒よ、主を恐れよ、主を恐れる者には乏しいことがないからである。
34:10 若きししは乏しくなって飢えることがある。しかし主を求める者は良き物に欠けることはない。

主を尋ね求める者は、ますます主の恵み深きことを味わい、乏しい事はなくなり、良いものにかける事は無い。
主を仰ぎ見るなら、光を得、恥じる事はなくなる。
苦しむ時、主を仰ぎ見て呼ばわるなら、主は聞いて、悩みから救い出して下さり、主は御使いに命じて、その人の周りに陣営を巡らし、助け出される。
このように、主を尋ね求める人、仰ぎ見る人は幸いを得るのだ。

それでダビデは、御前に大胆に進み出て、賛美し、礼拝できたのだ。
ダビデは11節以降、賛美している。

9:11 シオンに住まわれる主にむかってほめうたい、そのみわざをもろもろの民のなかに宣べ伝えよ。
9:12 血を流す者にあだを報いられる主は彼らを心にとめ、苦しむ者の叫びをお忘れにならないからです。

ダビデは連戦連勝の王、強く富んだ王の中の王、というイメージがあるかもしれない。
しかし詩篇を見ていると、どうも彼は貧しくて弱くて、悩み苦しみが多い人なのではないか、と思えるような記述がたくさんある。
ダビデについて何の前知識もない人が、はじめて詩篇を読んだとするなら、彼は貧しくて弱い者ではないか、と思われるかもしれない。
しかし、それ程彼はいつも「心の貧しさ」を覚えていた、という事の証左であり、それこそ、ダビデが偉大でありつづけた所以である。

以下のように書いてある。
マタイ5:3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

「こころの貧しい人」とは、直訳的には「霊がこじきである者」「霊がからっぽな者」である。
彼は、主なくしては何も出来ない「霊の貧しさ」を、いつも覚えていた。
他の王達は、神から祝福され、富や力を持ち始めると、それを誇って神から遠ざかって行ったが、ダビデは違った。
彼も確かに王として栄えたその頂点で罪を犯したが、しかしその罪を指摘された時、すぐに悔い改め、しばらくは涙の日々を送って行った。
彼は生涯、霊における貧しさをいつも覚えており、いつも神に求めていたからこそ、彼は主から愛され、主によっていつも高められていたのだ。

9:13 主よ、わたしをあわれんでください。死の門からわたしを引きあげられる主よ、あだする者のわたしを悩ますのを/みそなわしてください。
9:14 そうすれば、わたしはあなたのすべての誉を述べ、シオンの娘の門で、あなたの救を喜ぶことができましょう。

シオンとはエルサレムの神殿の丘、すなわち神を礼拝する場所である。
彼の心はいつも、そこにあった。だから彼は、いつでも主との交わりを持っていた。

9:15 もろもろの国民は自分の作った穴に陥り、隠し設けた網に自分の足を捕えられる。
9:16 主はみずからを知らせ、さばきを行われた。悪しき者は自分の手で作ったわなに捕えられる。〔ヒガヨン、セラ

16節には「ヒガヨン、セラ」という、聖書中ここにだけ出現する言葉が記されているが、ヒガヨンは「荘厳な、瞑想」である。
セラはモードチェンジのサインだが、「荘厳にムードチェンジせよ」という意味であろうか。
だから17節以降は、厳かな心持ちで読むべきである。
17節以降は、神と人との、そして神と国々との、恒久的な法則が記されている。

9:17 悪しき者、また神を忘れるもろもろの国民は/陰府へ去って行く。
9:18 貧しい者は常に忘れられるのではない。苦しむ者の望みはとこしえに滅びるのではない。

現代に至るまで、数多の国々・民族が栄えては衰え、ある国や民族は、歴史の闇へと葬り去られて行ってしまった。
どんなに大国と呼ばれる国であっても、弱く貧しい者や苦しむ者を顧みず、神の御胸に反する事を続ける国は、必ず長続きせず、歴史の闇に葬り去られてしまうのだ。

アッシリヤのように、暴力や残虐さを売りにして他を恐れさせ君臨する国は、一時期栄えても、必ず滅んでいった。多くの人々の叫びが沸き起こるから、神が栄えさせないのである。
そして主は、神の御胸どおり歩もうとする国を祝福し、栄えさせて下さる。
ローマ帝国は、聖書の教えに忠実に歩んでいる内はどんどん祝福され栄えて行ったが、欺瞞がはびこり、聖書では明らかに悪と見える事が蔓延しだした時から暗黒時代に突入した。
アメリカも建国当初、聖書を中心として国家運営を成そうとして行ったため、建国以降の短期間にキリスト教国として大いに栄えたが、しかし1960年代以降、色々な宗教を取り入れて当初のスピリットを忘れてしまったため、その栄えに黒雲が立ち込めてしまっている。

9:19 主よ、立ちあがってください。人に勝利を得させず、もろもろの国民に、み前でさばきを受けさせてください。
9:20 主よ、彼らに恐れを起させ、もろもろの国民に/自分がただ、人であることを知らせてください。〔セラ

19,20節の「人」はエノーシュ、「死ぬべき人間」という意味である。
人は、覚えるべきである。自分がはかない存在である事を。
主こそ王であり、正しくさばきをし、この主により頼む者こそが、幸いである事を覚えるべきだ。

ダビデは歴史を支配しておられ、正当にジャッジされる主を覚えよ、と、国々に警告した。
キリストにあって王とされ、祭司とされた者として、王のため、国々のために執り成し、祈るべきだ。
世の中のあらゆる事を、ダビデのように、何でも主に言いつけ、主との交わりを深めつつ、身の回りを正当に治めつつ歩んでいく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

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