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メッセージ - 神様を不当者にしてしまう人に共通する主張:「わたしは悪くない」(ヨブ記10章)

神様を不当者にしてしまう人に共通する主張:「わたしは悪くない」(ヨブ記10章)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » ヨブ記
執筆 : 
pastor 2018-5-7 8:10

神様を不当者にしてしまう人に共通する主張:「わたしは悪くない」(ヨブ記10章)
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メッセージ音声

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ヨブの、ビルダデに対する返答から、神への問いかけへと転換した9章に続き、10章は、神様に対する感情的な嘆きのぶちまけへと発展して行く。
感情的なぶちまけの故に、その内容には神様に対する認識が間違っている点も多いが、少なくとも「神様と関係している」という点において、彼は道を外していない。

10:1 わたしは自分の命をいとう。わたしは自分の嘆きを包まず言いあらわし、/わが魂の苦しみによって語ろう。
10:2 わたしは神に申そう、/わたしを罪ある者とされないように。なぜわたしと争われるかを知らせてほしい。

3人の友人たちの弁論の内容は、間違っていないかもしれないが、彼らの言葉には主エホバの御名は無く、神様との個人的な関わりが無いのに対し、ヨブの弁論の内容は、たとえ間違っているにしても、それでも、神様と深く個人的に関わっている点においては、ヨブのほうが真実なのだ。

10:3 あなたはしえたげをなし、み手のわざを捨て、/悪人の計画を照すことを良しとされるのか。
10:4 あなたの持っておられるのは肉の目か、/あなたは人が見るように見られるのか。
10:5 あなたの日は人の日のごとく、/あなたの年は人の年のようであるのか。
10:6 あなたはなにゆえわたしのとがを尋ね、/わたしの罪を調べられるのか。
10:7 あなたはわたしの罪のないことを知っておられる。またあなたの手から救い出しうる者はない。

彼は、神様はあたかも肉に過ぎない人間のごとくに不当に人をしいたげ、悪人に与するような事をして御手のわざを捨てているのは、一体それは良い事なのか、と言っており、さらに、神様はあたかも人間が肉の目で見るのと同じように人を見、罪のない人間を不当に苦しめる、と申し上げているが、それらは、行き過ぎた思い込みである。
聖書のはじめから終わりまでを読むなら、神は真実で正当なさばきをされるお方である事が分かる。

ただし、この問題を単に感情的な叫びだと看過する事ができないのは、実に多くの人達が、このヨブのような偏見を持って、神様に敵対している事である。
そのような偏見は、どうして起きるのか?
その原因は、単純明快である。
それは「自分は正しい」「自分には罪がない」という前提条件で生きている事である。
ヨブはまさに、3章から37章まで、ずっとその意識を貫き通している。

まずローマ3章に書いてある通り、義人はいない、ひとりもいない。
さらに書かれてある。
1ヨハネ1:8 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
1:10 もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。

ヨブはまさに、神の側を偽り者とし自分の側を正当としている状態だが、その原因はここに書いてある通り、罪がない、と言う所である。
全て、神は不当だ、と叫ぶ人達に共通している前提条件は「自分は悪く無い」「自分には罪は無い」である。
神は、真実で正しい方である。私達が自分の罪を告白するなら、神はその罪をゆるし、すべての不義からきよめて下さるのだ。

ヨブは確かに義人を貫いたかもしれない。いわれのない罪を犯さなかったかもしれない。
ただ唯一、彼が罪を犯した事とは、義人は本来一人もいないはずなのに、自分をあくまで正しいとし、自分に罪はない、とした事だ。

ヨブは続いて、わたしをこのように造られたのはあなたではありませんか、と主張し(8-13節)、そのように私をつくっておきながら不当に苦しめ、私が正しくても、圧倒的な力で「罪有り」とねじふせてしまいます。これいかに?と主張する。(14-17節)
世の中には、確かに、そのように主張する人も多い。
しかし結局、一緒である。すなわち、自分は正しい、自分には罪がない、という前提条件が、そもそもまちがいなのだ。

ダビデも同じように苦しみが大きくなった時、彼は素直にそれは自分の罪ゆえだと告白した。
詩篇25:16 わたしをかえりみ、わたしをあわれんでください。わたしはひとりわびしく苦しんでいるのです。
25:17 わたしの心の悩みをゆるめ、わたしを苦しみから引き出してください。
25:18 わたしの苦しみ悩みをかえりみ、わたしのすべての罪をおゆるしください。

ヨブの場合、確かに1章2章において、見上げるほどの信仰告白をした。
しかしその気高さゆえに、自分を義としてしまい、罪を告白するに至らず、ずっと苦しむはめになってしまう。
ダビデはすぐに自分に罪があり、主の憐れみゆえにそれを覚えていないでください、あなたの憐れみで憐れみ、赦して下さい、と告白するから、回復もすぐなのだ。

10:18 なにゆえあなたはわたしを胎から出されたか、/わたしは息絶えて目に見られることなく、
10:19 胎から墓に運ばれて、/初めからなかった者のようであったなら、/よかったのに。
10:20 わたしの命の日はいくばくもないではないか。どうぞ、しばしわたしを離れて、/少しく慰めを得させられるように。
10:21 わたしが行って、帰ることのないその前に、/これを得させられるように。わたしは暗き地、暗黒の地へ行く。
10:22 これは暗き地で、やみにひとしく、/暗黒で秩序なく、光もやみのようだ」。

ヨブは再び、こんな事なら生まれて来ないほうが良かった、あるいは生まれてそのまますぐに墓に運ばれたほうが良かった、と言った。
こんな正しい者が、こんな苦しい目に遭わせられるような不条理を提供されるなら、生きていないほうがましだ、という方向に行ってしまう所に、苦しみはずっと継続してしまう。

このようにヨブは、感情的になるにつれ、隠れていた自己義がどんどん吐き出されて行く。
自分は正しい、神は不当だ、とする事は当然間違いであるが、それでも彼は、神様と深く、個人的に関わろうとしている。
それも、神様の胸ぐらを掴んで、どうしてですか!とせんばかりの勢いであるが、神様は、そこまでして「関わろう」とする人を、待っていましたとばかり答えて下さり、間違った方向性を但し、さらに祝福の器へと造り変えてくださる。
主が、祝福をつかみとるために相撲までふきかけて来たヤコブを、イスラエルへと変えたように。

夫婦関係は、喧嘩している内はまだ安泰であるが、もし、相手が浮気しても何も感じない・喧嘩もしないとしたら、深刻である。
同じように、霊的に最も深刻な状態とは、神様と関わろうとしない、神様に対する無関心な状態である。

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