メッセージ - ベエル・シェバを見えなくさせるもの(創世記21:14-21)

ベエル・シェバを見えなくさせるもの(創世記21:14-21)

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執筆 : 
pastor 2018-1-2 21:10

ベエル・シェバを見えなくさせるもの(創世記21:14-21)

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年明け瞬間からの礼拝、ベエル・シェバというキーワードが出てきた。
ベエル・シェバとはどういうものか、少し見たが、そのベエル・シェバが聖書で最初に登場した場面が、この箇所。ここにおいては、ハガル、アブラハムの女奴隷が関係している。
14節だけを見ると、ただならぬ事が起きているようである。

21:14 そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。

ベエル・シェバ、七つの井戸(泉)という意味である。水はあるはずであるが、また、町のある所である、というのに、彼女はわざわざ荒野の方面を歩いて行った。
感情的になって、自暴自棄となり、わざわざ荒野へ行かせることがある。

21:15 やがて皮袋の水が尽きたので、彼女はその子を木の下におき、
21:16 「わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない」と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった。彼女が子供の方に向いてすわったとき、子供は声をあげて泣いた。

この場面だけを見ると、非常に涙をさそう場面である。
アブラハムはなぜひどいことをするのか、と思うだろうか。しかし、この状況だけを見て神様はひどい、アブラハムはひどいとするのは、早計である。
そもそもなぜハガルは追い出されたのか。その理由がある。
実は前にも、追い出された事があり、今回の追い出された事は、彼女たちにとって二度目である。創世記16章において、この時、まだアブラハムも子供が生まれていなかった。ハガルもみごもっていて、まだイシュマエルが生まれていなかった。
なぜこの時、ハガルが追い出されるという事件があったのか。それは、高慢になったからだ。
ハガルの女主人サライがずっとみごもらない、けれど、ハガルがアブラハムと関係を持ったとたんに身籠った。
そのとたんに、女奴隷という身分でありながら、女主人サライを軽んじた。だから、追い出されたのだ。

16:7 主の使は荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで、彼女に会い、

女奴隷ハガルにも御使が現れた。という事は、彼女とその子は、神様の特別保護下にある、という事だ。
なぜなら彼女もアブラハムの子を身籠ったのだから。
そして、アブラハムが自分の子供についても祈っただろう、どうぞ守られるように、どうぞ、大いに増え広がりますように。

ハガルは、身を低くしていなかった。女主人に対して驕り高ぶった態度をとった、だから追い出されて逃げていった。しかしそこに御使いが現れて、言う。

16:8 そして言った、「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきたのですか、またどこへ行くのですか」。彼女は言った、「わたしは女主人サライの顔を避けて逃げているのです」。

御使いは、わざわざハガルの立場を言う。
「サライのつかえめハガルよ」
御使いは、彼女が、女奴隷である、という身分を強調している。女奴隷であるからには、元々主人の元で見を低くしているなら、何も追い出される事はなかった。
それを、わたしのほうが上だ、と、驕り高ぶったり、女主人を蔑んだ目で見たり態度をしたり。そういう事をしたから、追い出された。
立場を思い起こさせた。すると、ハガルも答える。
「わたしは”女主人サライ”の顔を避けて逃げているのです」。
彼女は、正しい立ち位置を表明した。
こうして正当な立場表明をしたなら、御使いは、
16:9 主の使は彼女に言った、「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」。

直訳するなら、彼女の手の内で、身を低くしなさい、という事である。
女主人の手の望むままに、しっかり仕えなさい、と。
こうしてハガルは再び戻る事ができて、イシュマエルを生み、アブラハムの家で育つのだが、今一度追い出されてしまった。
しかし、主はハガルに、素晴らしい約束を与えられる。

16:10 主の使はまた彼女に言った、「わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」。

これほど心強い約束が与えあっれたなら、もはや恐れる必要はなかった。そして、自分の女奴隷という立場をずっと続けていくべきだった。

そして女主人サラに、イサクが生まれたのだが、そのイサクの事を、ハガルの子イシュマエルが、「からかっている(ツァハァク:蔑み笑う)」のを、女主人サラに見られてしまった。
ハガルは女主人の元で、身を低くしているべきだった。まして女主人に子供イサクが生まれたからには、彼の前にも身を低くしているべきだった、のに、それをしなかった。
イシュマエルがからかっているのを見て、ハガルもある種、もっといじめてやれ、という思いがあったかもしれない。ともかく、イシュマエルのからかいを止めなかった。そしてそれを見られてしまったために、追い出されたのだ。
身を低くしているべき時にしないで、高ぶってしまうと、追い出されてしまう原因となってしまう。
アブラハムも、相当悩んだだろう。しかし、主はアブラハムに、かつてハガルに対して言われた事とまったく同じことを言われる。

21:12 神はアブラハムに言われた、「あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生れる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。
21:13 しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」。

主はこの少年まで、大きな国民としよう、と言われた。ハガルも16:10で、全く同じことを約束された事は、アブラハムも当然知っていた事だろう。
だから安心して、彼女とイシュマエルを送り出す事ができたのだ。
アブラハムは確かに最初、悩んだ末に祈った、祈った結果、主が答えられた、その答えは、あなたの子イシュマエルも、ひとつの国民にしよう、という力強いものだった、だから、アブラハムは送り出すことができたのだ。
アブラハムは「追い出した」のではない。神様の約束つきで「送り出した」のだ。だから、そもそもこの場面、アブラハムが酷いことをした、というのは、早計なのだ。

ところがハガルのほうが自暴自棄になったのだろう、ああ自分は追い出されたのだ、という思い、悲しみ、ひがみ、誇大妄想によって、彼女はわざわざ、ベエル・シェバの「荒野」のほうへ歩いて行く。
ベエル・シェバは「7つの泉(井戸)」という意味で、泉があり、町がある所だ。だから普通に道沿いに行けば、普通に町に出るはずなのに。
実際彼女がさまよい歩いていた荒野、イシュマエルを一人置きざりにして離れた、その場所のすぐそばにも、井戸があった。それなのに、見えなかった。

ベエル・シェバの泉が見えなくなってしまうコツ、それは、感情に目が塞がれてしまっている事。
感情で目が塞がれてしまっていると、せっかくベエル・シェバの土地が与えられても、しかし肝心の泉が、水が見えなくなってしまう。
自分はかわいそうだ、(約束付きで送り出されたのに)追い出されたのだ、と、マイナスに撮って、人の善意を悪意に受け止めるなら、泉が見えなくなってしまう。
心の中が不平不満でいっぱいになるなら、誰でもわかるしるしがあっても、それが見えなくなってしまう。

ベエル・シェバ、その場所は、心が争っている人、不平不満、鬱憤がある人には、泉が見えない。

彼女の場合、感情が高ぶって「自分がかわいそう」「あの人が悪い」「みんな悪い」「なんでわたしだけ」という思いで満たされて、そして、神様の約束を忘れており、感謝を忘れている。
自分の立場を忘れている、となると、ベエル・シェバ、という場所にたとえ行ったとしても、見えなくなってしまう。

彼女には、約束が与えられていた。あなたの子孫は、大いに増やすので、数え切れないほどになる、と、主ご自身から与えられ、しかも、主は聞かれた、という事で「イシュマエル」という名前さえつけた。
イシュマエルの名前の意味は、神は聞かれる、という意味だ。
神は聞かれる、といわれる子供を、手放して、自分は矢の届くほどの距離に離れて、自分は泣いている。
神様の約束を手放し、神は聞かれると言われる子供を手放し、自分かわいそうモードで泣いている、それは、自分で自分を滅ぼしてしまう人の性質。
彼女は「神は聞かれる」という子供を自ら手放してしまった。神様の言葉を聞くべきである。神様の約束を握りしめているべきである。


21:17 神はわらべの声を聞かれ、神の使は天からハガルを呼んで言った、「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。

神様は、声を上げて泣いたハガルの声ではなく、少年の声を聞かれた。
この少年は泣いていたかは分からないが、天からハガルを呼ばれた。

21:18 立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」。

神は約束を思い起こさせた。少年の声を聞かれた故である。少年のゆえに、ハガルは助かったのだ。

21:19 神がハガルの目を開かれたので、彼女は水の井戸のあるのを見た。彼女は行って皮袋に水を満たし、わらべに飲ませた。
21:20 神はわらべと共にいまし、わらべは成長した。彼は荒野に住んで弓を射る者となった。

このように、神は彼女の目を開かれて、すぐそばにあった井戸を見つけさせて下さった。
感情が高ぶって、自分の思い込みで頭がいっぱいであるなら、見えないという事がある。
自分が迷子になった、どうしよう、と、標識が目の前にあるのに、それを読むことさえしない。
しかし神はハガルの目を開いてくださった。
このベエル・シェバの泉が見えなくなってしまう、、、感情で塞がれ、それを神様が開いてくださる。

神様が目を開いてくださる場面は、聖書でいくつかある。

そういう場面、人は、何かによって目が塞がれ、祝福も見えず、滅びの道も見えないという事がある。

民数記22章においても、主が目を開かれた場面がある。

民数記22:31-32
22:31 このとき主がバラムの目を開かれたので、彼は主の使が手に抜き身のつるぎをもって、道に立ちふさがっているのを見て、頭を垂れてひれ伏した。
22:32 主の使は彼に言った、「なぜあなたは三度もろばを打ったのか。あなたが誤って道を行くので、わたしはあなたを妨げようとして出てきたのだ。

ここでも、バラムという預言者、目が覆われていた。何によってか。カネに対する欲望によって、である。
それで、主が抜き身の剣をもって目の前に立ちふさがっているというのに、当代の著名な預言者バラムは、それが見えなかった。むしろ、彼が乗っているロバが、御使いの抜き身の剣を見て、その場にうずくまって、行かないようにしたが、バラムは、「進め、進め、なんで思い通りに行かないのだ」と、そのロバを打った。
欲望。自分がこうしたい、あれを手に入れたい、という思い突っ走り、目が覆われて、結局、その先に行けば剣で両断されてしまう、というのに。けれどもロバがそれを見て留まり、彼は命拾いした。
欲望。それは目を見えなくさせ、滅びの道に歩んでいるという事も見えなくさせ、主の道とは反対方向へ突き進んで主が敵対している事も見えない。
世の中の金銀を追い求めるゆえに、主日礼拝が軽んじられる、という事がある。


主がバラムの目を開いてくださったのは何故か。それは、ロバのおかげである。
ロバの信仰がバラムを救った。情けない話であるが、欲望で目がくらむと、見えなくなってしまうのだ。
 

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