メッセージ - 「霊的な子供達」という矢を、矢筒に満たしている者の幸い(1歴代誌20:1-8)

「霊的な子供達」という矢を、矢筒に満たしている者の幸い(1歴代誌20:1-8)

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pastor 2017-10-6 6:42

「霊的な子供達」という矢を、矢筒に満たしている者の幸い(1歴代誌20:1-8)
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第二サムエル記では、ダビデによる、バテシェバとの姦淫とその夫ウリヤ謀殺の事件と、その姦淫と殺人の罪による悩ましい呪いがつきまとう事件が、第二サムエル記11章から19章まで延々と記されているが、歴代誌では次の数節で済ませてしまっている。

20:1 春になって、王たちが戦いに出るに及んで、ヨアブは軍勢を率いてアンモンびとの地を荒し、行ってラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまった。ヨアブはラバを撃って、これを滅ぼした。
20:2 そしてダビデは彼らの王の冠をその頭から取りはなした。その金の重さを量ってみると一タラント、またその中に宝石があった。これをダビデの頭に置いた。ダビデはまたその町のぶんどり物を非常に多く持ち出した。
20:3 また彼はそのうちの民を引き出して、これをのこぎりと、鉄のつるはしと、おのを使う仕事につかせた。ダビデはアンモンびとのすべての町々にこのように行った。そしてダビデと民とは皆エルサレムに帰った。

サムエル記でのダビデは、サウルからの苦悩や、バテ・シェバとの罪など、人間味溢れる所が豊かに記されているが、歴代誌でのダビデは、むしろ神殿建設のためにいかに努力したか、という点が強調されている。
それだから、神殿建設とは関係の無い「バテシェバとの罪」の事件は略されているが、神殿建設の発端となった「人口調査の罪」については次章で詳細に記されている。
ダビデは、バテ・シェバとの罪やウリヤ殺害の罪を預言者ナタンによって示された時、すぐに自分の罪を認め、泣き叫んで自分の罪を悲しみ赦しを乞うた。(詩篇51篇)
彼は後に、その姦淫と殺人の罪という「いのちへの冒涜」の罪ゆえに、彼自身から生まれ出る子供達によって大いに苦しめられる事となるのだが、主は彼の罪を見逃してくださった故、異邦人との戦争においては、その呪いは一切及ぶことは無かった。

20:4 この後ゲゼルでペリシテびとと戦いが起った。その時ホシャびとシベカイが巨人の子孫のひとりシパイを殺した。かれらはついに征服された。
20:5 ここにまたペリシテびとと戦いがあったが、ヤイルの子エルハナンはガテびとゴリアテの兄弟ラミを殺した。そのやりの柄は機の巻棒のようであった。
20:6 またガテに戦いがあったが、そこにひとりの背の高い人がいた。その手の指と足の指は六本ずつで、合わせて二十四本あった。彼もまた巨人から生れた者であった。
20:7 彼はイスラエルをののしったので、ダビデの兄弟シメアの子ヨナタンがこれを殺した。
20:8 これらはガテで巨人から生れた者であったが、ダビデの手とその家来たちの手に倒れた。

この箇所は、第二サムエル記では21章15-22節に相当する。時間的にも多く流れ、ダビデも年老いた時であった。

2サムエル記21:15 ペリシテびとはまたイスラエルと戦争をした。ダビデはその家来たちと共に下ってペリシテびとと戦ったが、ダビデは疲れていた。

ダビデは若い時から戦士であり、戦いが起きるなら、いつも率先して戦いに出て行こうとした。
唯一、あのバテ・シェバの事件の時を除いて。
あの時だけは、ダビデは部下達に戦闘に行かせて自分は王宮に留まり、あの事件を起こしてしまったが、それに懲りて以降、ダビデはまた率先して戦いに出るようになった。
しかし、そんなダビデも歳をとり、昔のようには行かず、戦いに疲れるようになってしまった。

21:16 時にイシビベノブはダビデを殺そうと思った。イシビベノブは巨人の子孫で、そのやりは青銅で重さ三百シケルあり、彼は新しいつるぎを帯びていた。
21:17 しかしゼルヤの子アビシャイはダビデを助けて、そのペリシテびとを撃ち殺した。そこでダビデの従者たちは彼に誓って言った、「あなたはわれわれと共に、重ねて戦争に出てはなりません。さもないと、あなたはイスラエルのともし火を消すでしょう」。

ダビデは若かりし頃、この巨人が持っていた三百シェケルの青銅の槍よりも二倍重い、六百シェケルの鉄の槍を装備したゴリヤテを打ち倒した。
しかしそのダビデも年老いて、敵を倒す事は出来なくなり、逆に危険な目に遭って、部下たちに助けられるようになってしまった。
そして部下たちからは、もう戦いに出ないで下さい、と、強く念を押されてしまった。

ダビデとしては、肉体が衰えて昔のように戦えなくなってしまった事を、情けなく寂しい思いがしたかもしれない。
しかし、ダビデにとっては、それは全然残念な事ではない。
なぜなら彼には、彼を助ける信仰の勇士達がたくさん育ってくれたからだ。

私達も、子育てできる内に、あるいは部下を育てられる内に、しっかりと育てているとするなら、歳を取っても、全く残念な事にはならない。
家庭でも会社でも、いつも自分が活躍の舞台に立ち続け、若者の活躍できる舞台や新人の自主性を取り上げて、何も引き継がない人はいるが、当面はそれで良くても、やがて力を失ってしまった時、その一族は衰え果ててしまう。
どんなに若々しく力強い活躍をしていても、肉体は日々衰えて行くものであり、新しい時代の「戦い」は、子々孫々に順次委ねて行かなくてはならないからだ。

『これらの四人はガテで巨人から生れた者であったが、ダビデの手とその家来たちの手に倒れた。』(2サムエル記21:22)
ゴリヤテのような体躯や武器を持つ巨人や、イスラエルをそしる巨人達が、合計四回出て来たが、皆、ダビデとその部下達の手によって制覇された。

ダビデは、相手がいかに大人数でも、あるいは巨人であっても、主への従順と信頼によって戦いに飛び込んで行き、勝利を勝ち取って行った。
部下たちは、そんなダビデの背中を追いかけながら戦いに行っていたため、いかに相手が大人数でも、巨人でも、進み出て戦って勝利する信仰を養っていったのだ。
全く、サウルの時代とは比べ物にならない時代になった。

サウルは、巨人の体躯や装備を見て恐れをなし、部下たちも逃げ隠れしていた。
確かに、主を知らない価値観を持った人間なら、そうなってしまうかもしれない。
しかし、主にある信仰者は、巨人さえも、獣の一匹のように主が倒して下さる事を確信し、進み出て、勝利するのだ。
ダビデは若い時から進んでそれを為し、そうして巨人の子孫どもは、ダビデの育てた部下達・信仰の子孫達によって、滅ぼされていった。

私達も今、若者や部下達がついて来れるような、立派な背中を見せてやり、信仰の勇士たちを育て上げて行きたいものである。

詩篇127:3 見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。
127:4 壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。
127:5 矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。彼は門で敵と物言うとき恥じることはない。

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