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メッセージ - わたしはとぼしい事がありません - ジェホバ・イルエ(詩篇23:1)

わたしはとぼしい事がありません - ジェホバ・イルエ(詩篇23:1)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2017-3-5 20:01

わたしはとぼしい事がありません - ジェホバ・イルエ(詩篇23:1)
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週報/メッセージ(説教)概要

 聖書には、主のご性質をあらわす呼び名が多数登場するが、ダビデが作った詩篇23篇の中には、その中でも代表的な8つのご性質が練り込められている。前回は1節の「主はわたしの牧者(ジェホバ・ロイ)」を見たが、今回は「わたしは乏しい事がありません」という言葉に込められた2つ目の御名「ジェホバ・イルエ」の意味を探って行きたい。なお国や訳によっては「ジェホバ」が「アドナイ」または「ヤーウェ」に、「イルエ」が「エレ」または「ジレ」等になっているが、いずれも、呼び名や発音が違うだけで、意味は同じである。

この詩篇23篇1節に練り込められた御名「ジェホバ・イルエ」が登場する場面は、アブラハムがイサクを捧げる場面である(創世記22章)。彼がイサクを捧げようとしたその時、主が制止した。彼の主に対する従順が、行いによって証明されたのだ。それで主は、イサクに代わる犠牲として、角をやぶにひっかけた羊を備え、アブラハムは羊を身代わりに捧げた。そこでアブラハムは、そこをジェホバ・イルエと名付けた。
この「ジェホバ・イルエ」は「主の山には備えあり」という意味として有名だが、正しい意味は、別にある。
この言葉を分解すると「ジェホバ(主)+ラアー(見つめる)」、「ラアー」は未完成形であるので、ここの原意は「主は今なおずっと見つめ続けておられる」である。(KJV: In the mount of the LORD it shall be seen.)
主は、今なお見続けておられる。アブラハムがジェホバ・イルエと名付けたモリヤの山には、後の時代、ソロモン神殿が建って、バビロン捕囚の時に破壊されたが、主は今なお、そこを見つめ続け、待っておられる。
アブラハムの子孫達が、茨の冠を頭にひっかけたまことの小羊キリストを身代わりの犠牲として捧げるのを。

主は見続けておられ、備えて下さる。だから、わたしには乏しい事が無い、と、ダビデは信仰告白した。
主は確かに、全て必要なものを備えて下さるが、それは、人の欲するものを何でも、という意味ではない。
主が備えてくださるものは「主の最善」である。だからもし、人が欲するものの方向が、主の最善と真逆の方向なら、主は、その人のやる事なす事何もかもうまくいかなくさせる事もある。ペテロがそうだった。
ペテロはイエス様が復活された後、聖霊の息吹を吹きかけられ、「わたしもあなたがたを遣わします」と召命されたのに、漁師に戻って生活して行こうとした。しかも他の弟子達をも伴って。しかし、そうは問屋が卸さない。彼は湖に出かけて行くのだが、その夜は何もとれなかった(ヨハネ21章)。その内、仲間も疲れと苛立ちが沸き起こって来る。なんで何も獲れないのか、なんで貧しいままで、疲れてばかりいるのだ、と。
例えば株で、上がると思って買っても下がり、下がると思って売っても上がり、損失ばかりのような時は、「ジェホバ・イルエ」なる主が見つめておられる、その眼差しに気づくべきだ、というサインなのだ。
良くない事をするとすぐにバレてしまう人は、主に愛されている人であり、バレないで成功する人は、サタンから愛されている人である。どうして他の皆は成功しているのに自分だけこんなに思った通りに行かないのか、果たして呪われているのだろうか、と思うのはお門違いで、むしろ、祝福されているのだ。なぜならその人は、主から片時も離れず見つめられ、守られ、愛され、主の最善へ導かれているのだから。
主は、備えて下さるお方だ。自分の願った通り何もかもうまく行くという「備え」をされる事も、確かにあるが、やる事なす事全部うまく行かず、ことごとく失敗する、という「備え」をされる事もあるのを、忘れてはならない。
それはその人を、全能であられる主に目を向けさせ、「主の最善」だけを求めるようにさせるためである。

イエス様は言われた。子たちよ、食べるものは、無いだろう?と。イエス様は、無い事を前提に聞かれた。
それはそうだ。御旨でない所に網を投げても、主がその道に歩ませないように、主が散らすのだから。
『すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。』(ヨハネ21:6)
結局人は、自分で稼ぐ事も、また、稼いだものを自分で引き揚げる事さえ、主の主権なしに出来ないのだ。
主はペテロに教えられた。あなたは湖の魚に向かって網を投げるのではなく、人を捕らえる「福音」という網を、人の耳に投じるべきだ、と。主はペテロを、じっと見つめておられたように、私達をもじっと見つめておられる。私達に必要な「最善」を、主は備えて下さる。私達はただ、主が備えて下さる道に歩み、備えて下さるものをいただく以外には何もなく、それで「わたしは乏しい事がありません」と宣言できるのだ。
主が備えて下さる最善に頼って生きる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

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