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メッセージ - エペソ教会のメッセンジャーに対する書き送り(黙示録2:1-7)

エペソ教会のメッセンジャーに対する書き送り(黙示録2:1-7)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » 黙示録(2回目)
執筆 : 
pastor 2016-4-7 16:49

エペソ教会のメッセンジャーに対する書き送り(黙示録2:1-7)
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ヨハネはこの預言の書を「朗読」し「聞き」「心に留める」べき事を指示した。(1:3)
この預言の書は既に完成したメッセージであり、これ以上付け加えたり減らしたりしてはならない事も、主によって宣言されている。(22:18-19)
それ故、この書について、人が何か考えだした解釈の中に縛り込む事に対して、私達は警戒しなくてはならない。
特に黙示録は、今までの歴史で、異端と呼ばれる者達が「普通のキリスト教会では解き明かせなかった謎を、自分達は解き明かした」と公言し、自分達に都合の良いように解釈を付け加え、人々を恐怖で煽りたて、救いはあたかも自分達にしか無いかのように導き、また他の教会や群れはあたかも無能であるかのように人々を引き込み支配した事も多々あったからだ。

しかしながら、この手紙はギリシヤ語で生活する1世紀のアジヤの人々に対しては分かりやすく記されてはいるとしても、21世紀の現代日本に生きる私達は、そのまま読んでも理解しにくい所がある。
例えば、日本語はギリシヤ語と違って、冠詞は無いし、時制や単数複数の指定もあいまいで、当時の彼らが当然のごとく理解できていたニュアンスを、私達はそのままでは理解できないし、また、例えば「ニコライ派」という言葉にしても、当時の彼らにはすぐに思い当たった言葉であっても、21世紀の私達には、説明無しにはわからない。
このような、時代や言葉の翻訳を経る事によって、本来的な意味やニュアンスが薄れてしまったり、風化してしまった点については、21世紀を生きるアンゲロス達(牧師など伝達者達)は、それら本来的な意味やニュアンスを掘り起こし、人々に説明する必要性は、あるだろう。この預言の言葉は「減らしてはならない」とも命じられているからだ。
その程度の手助けはするにしても、この書を本当に理解させて下さる御方は、御霊である事には変わりは無いし、人間の解釈が御言葉を上回るような事は、あってはならない。

『エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を「持つ(ホ・クラトーン)」者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。』(黙示録2:1)
主はその右の手に、七つの星を「ホ・クラトーン」しているのを、ヨハネは見た。
この「ホ」は冠詞で、「クラトーン」は、ぎゅっと握りしめる事の動詞である。
動詞には普通、冠詞はつけないものだが、ヨハネがわざわざ「ぎゅっと握りしめている」動詞に冠詞を付けたのは、ここを強調したかったからだろう。

星とは教会のアンゲロス達、すなわちメッセンジャーや牧者達であり、燭台はエクレシア達(主にある集い:教会)の事である事を、主は既に解き明かして下さった。
つまり主は星たち、すなわちアンゲロス達(メッセンジャー達、働き人達や牧者たち)を、情熱の感情を持ちつつ、世の終わりに至るまでぎゅっと握って離さない事を、ヨハネは強調したかったのである。

また、ここの「歩く(ペリパテオー)」は、ゆっくりじっくり歩き回る、生きる、過ごす、といった意味のある言葉である。
つまり主は、7つの金の燭台の只中、すなわち、主にあるエクレシア達の”ただ中”で、聖徒達と共に歩み、共に生きて下さるお方だ。
その御方が、言われる。

『わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。』(黙示録2:2-3)
主は、「知って(エイドー)」おられる。このエイドー(オイダーの接続法)は、感覚的・主観的・感情的な面において「知っている」という意味である。
まことに主は、エクレシアの間を行きめぐり、聖徒達の心の奥底も、内に隠れた心や動機の機微も、労苦や忍耐の時に流した涙も、全て知っておられる。

『しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。』(黙示録2:4)
エペソ教会の牧者(アンゲロス)に対する叱責は、「初めの愛から離れてしまった」事であるが、ここの「離れる(アフィエミー)」は、無視する、見捨てる、離れる、捨て去る等の意味がある。

『そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。』(黙示録2:5)
主は、初めの愛を捨ててしまったメッセンジャー達、働き人達に「悔い改めて初めのわざを行いなさい」と言われた。
「行い(エルゴン)」をしなさい、と。
ヤコブも言う。行い(エルゴン)の無い信仰は、死体である、と。
もしそれをしないなら、燭台を、すなわちエクレシア(集会)を、あなたの所から取り上げてしまう、と。
だから主は、あなたがた・メッセンジャー達、牧者たちよ、最初の行いを為し、最初の愛を思い出しなさい、と叱責し忠告しておられる。
私達にも、もし主のメッセージを届けるべき相手、御言葉を届けるべき相手、養うべき相手がいるとするなら、すなわちアンゲロスであるなら、はじめの愛を忘れず、初めの行いをキープし続けるべきだ。

それでも、自分からそれを捨て去ってしまうとするなら、主の警告を受ける事になる。
最初の行いに戻りなさい、そうでないと、あなたの目の前にいる集会、あなたが養っている羊達は、いつまでもあなた方の前にいるとは限りませんよ、と。

『しかし、こういうことはある。あなたはニコライ宗の人々のわざ(エルゴン:行い)を憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。』(エペソ2:6)
ニコライ派とは、当時の異端である。
彼らは、偶像に供えた物を飲食し、不品行を勧める「バラムの教え」に似たもののようである。(2:14)

現代でも、キリスト者の不当な飲み食いや不品行を許容し、あるいは勧めるような、現代版の「ニコライ派」がいるが、彼らのように、神を敬っているとは言いつつもその実はそうでないような「わざ(エルゴン:行い)」は、憎むべきである。
なぜなら、主もそれを憎んでおられるからだ。

勝利者に対して約束されている報いは、次の事である。
『勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。』(黙示録2:7b)
ここで主は、エデン(楽園)にあったいのちの木への回復を約束しておられる。
だから私達も、勝利者となるために、最初の愛を捨てる事が無いように、もしも主からの叱責を受けたとしたなら、速やかに主の言葉に従順し、はじめの愛に即した行いをし続けるべきだ。
この事は、この肉体のいのちが尽きるまで続けるべき事であり、そうして、いのちの木へと至る幸いへ、あずかる事が出来るのだ。

『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。』(黙示録2:7a)
私達はこのエペソ教会の使者に言われた言葉に聞き、御霊によって訓戒を得て、主の働き人として最初の愛、最初の行いをキープし続け、その幸いにあずかる者でありたい。

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