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メッセージ - 御言葉は虚しい言葉ではなく、いのちである(申命記32:44-52)

御言葉は虚しい言葉ではなく、いのちである(申命記32:44-52)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 申命記
執筆 : 
pastor 2014-5-6 23:39

礼拝説教メッセージ音声:御言葉は虚しい言葉ではなく、いのちである(申命記32:44-52):右クリックで保存

『モーセとヌンの子ヨシュア(原文:ホシェア)は共に行って、この歌の言葉を、ことごとく民に読み聞かせた。モーセはこの言葉を、ことごとくイスラエルのすべての人に告げ終って、彼らに言った。』(申命記32:44-46a)

ヨシュアは、以前はホシェアという名前だったが、エジプトを出たばかりの40年前、彼が12人の斥候として約束の地を探りに行く際に、モーセが彼の名前をヨシュアに変えたのだ。(民数記13:16)
モーセは、信仰のチャレンジが要求される任務に就かせるにあたって、救いの拠り所は「主」にあると、明確にしたのだろう。
ホシェアは「救い」という意味であるが、ヨシュアは「主は彼の救い」という意味であり、また、ヨシュア(イエシュア)は、イエス様と同じ名前である。
私達も、救いの拠り所が「主」であると明確にされる時、強く雄々しくなれる根拠が、はっきりとされる。

『「あなたがたはわたしが、きょう、あなたがたに命じるこのすべての言葉を心におさめ、子供たちにもこの律法のすべての言葉を守り行うことを命じなければならない。この言葉はあなたがたにとって、むなしい言葉ではない。これはあなたがたのいのちである。この言葉により、あなたがたはヨルダンを渡って行って取る地で、長く命を保つことができるであろう。」』(申命記32:46-47)

主の御言葉を「難しい」「堅い」などと言って、自分の中で「むなしい」と見做したり、捨て去ってはならない。
「これはあなたがたのいのちである」からである。

もし、御言葉をつまらない、むなしい、とするなら、いのちを捨てるようなものである。
だから、もし御言葉が難しいなら、その内容が理解できるよう、祈り求めるべきである。
御言葉は、実は自分を生かすいのちそのものである事が分かる知恵を下さい、その良き「いのち」の魅力がわかるように、もっと慕い求める事が出来るように、と、祈り求めるべきである。
求めるなら、主は、必ず与えて下さる。

『この日、主はモーセに言われた、「あなたはエリコに対するモアブの地にあるアバリム山すなわちネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に与えて獲させるカナンの地を見渡せ。あなたは登って行くその山で死に、あなたの民に連なるであろう。あなたの兄弟アロンがホル山で死んでその民に連なったようになるであろう。
これはあなたがたがチンの荒野にあるメリバテ・カデシの水のほとりで、イスラエルの人々のうちでわたしにそむき、イスラエルの人々のうちでわたしを聖なるものとして敬わなかったからである。それであなたはわたしがイスラエルの人々に与える地を、目の前に見るであろう。しかし、その地に、はいることはできない。」』(申命記32:48-52)
いよいよモーセの最後の時が近づいた。
イスラエルをここまで導いて来た立役者であるモーセ自身は、その地をはるかに仰ぎ見る事は出来ても、入れないのである。
律法は、せよ・するなの集大成であり、彼はその律法の象徴的な存在であるが、律法によっては、まことの約束の地である天の御国に入れないのだ。

『いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。もしできたとすれば、儀式にたずさわる者たちは、一度きよめられた以上、もはや罪の自覚がなくなるのであるから、ささげ物をすることがやんだはずではあるまいか。しかし実際は、年ごとに、いけにえによって罪の思い出がよみがえって来るのである。なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。』(ヘブル10:1-4)

律法は、来たるべき良いことの影であり、罪のきよめも、永遠のいのちの授与も、無い。
しかし人は、キリストを信じる信仰によって、新しく造り替えられる望みが与えられた。

最初の人アダムの失敗により、罪が混じって台無しになってしまった古きこの肉の体は、イエスを信じる信仰によって、死へと明け渡され、イエスの復活と共によみがえらされ、新しい、永遠のいのちが与えられる望みが開かれたのだ。
まことの約束の地へと導くのは、モーセや律法ではない。ヨシュア(イエシュア)、すなわち、私達の主・イエス様なのだ。
『ただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。こうして、すべての祭司は立って日ごとに儀式を行い、たびたび同じようないけにえをささげるが、それらは決して罪を除き去ることはできない。しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。』(ヘブル10:10-14)

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