メッセージ - 礼拝「もどき」の罠(民数記23:1-12)

礼拝「もどき」の罠(民数記23:1-12)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 民数記
執筆 : 
pastor 2013-10-28 19:44

礼拝説教メッセージ音声:礼拝「もどき」の罠(民数記23:1-12):右クリックで保存

『バラムはバラクに言った、「わたしのために、ここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七頭の雄羊とを整えなさい」。バラクはバラムの言ったとおりにした。そしてバラクとバラムとは、その祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。』(民数記23:1-2)

バラクは、イスラエルを呪ってほしい、という自分の願いを叶えるために、バラムを雇ったが、その動機は、占いや呪術を求めて霊能者の元に通う人そのもので、主の御心を求めて預言者に聞く人の持つべき心とは、正反対を向いている。
占いや呪術の類に行く人の動機の源は、自分の欲望にあるが、主に御心を求めて預言者に聞きに行く人の心は、本来、自分には無く、主にあるはずである。

『バラムはバラクに言った、「わたしのために、ここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七頭の雄羊とを整えなさい」。バラクはバラムの言ったとおりにした。そしてバラクとバラムとは、その祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。』(民数記23:1)
祭壇を築いて、いけにえを捧げる事は、私達には「良いこと」のように思えるが、聖書をよく調べると、彼のしている事は、御言葉に適っていない事が分かる。
いけにえを捧げるべき祭壇は、唯一であり、それ以外に祭壇を築いて捧げる事は、御言葉に沿っていないのだ。(申命記12章、ヨシュア記22章)

人は思う。
祭壇でいけにえを捧げる事は「良いこと」で、それなら、祭壇を七つも築いて捧げるなら、主はもっと喜んで下さるのではないか、と。
しかし、人が思う「良いこと」には、呪いの罠が潜んでいる。
私達は、自分の思い描く「良い」と思うことよりも、御言葉を優先させるべきである。
人がそれぞれ「良いこと」を思い浮かべ、それぞれが邁進するなら、あの、士師記の荒んだ時代に突入してしまうのだ。(士師記18:1,21:25)

私達が捧げるべき祭壇、それは、十字架以外に無い。
私達の肉由来の全ての思い、御言葉に逆らう全ての意志、嵐のように波打つ感情の全てを、十字架に釘付けにし、キリストに服従させるなら、新しいいのちの復活の領域に入り、復活のいのちのパワーが働き、キリストのものとされ、もはや、世の何者も手出しできなくなるのだ。
『神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。』(2コリント10:5-6)

『神がバラムに会われたので、バラムは神に言った、「わたしは七つの祭壇を設け、祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげました」。』(民数記23:4)

人は主張する。
主よ、私はあなたのために、あなたの好きな祭壇を、七つ造りました、私はそこで何々を捧げました、と。
しかし、祈りの場面で「私はあれをしました、これをしました」と自己主張する事は、パリサイ人の道である。
『自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。』(ルカ18:9-14)

『バラムはこの託宣を述べた。「バラクはわたしをアラムから招き寄せ、/モアブの王はわたしを東の山から招き寄せて言う、/『きてわたしのためにヤコブをのろえ、きてイスラエルをのろえ』と。神ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。主ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。』(民数記23:7-8)

バラクの思いは、イスラエルを呪って欲しい、だった。
しかし、全能なる神の御心は、イスラエルを祝福せよ、である。
主の御心が「祝福せよ」であるなら、いかに世の有力な王が大金を積んでも、いかに有能な預言者が呪おうとしても、主が、そうはさせないのだ。

祭壇をたくさん築けば良い、というものではない。
いけにえをたくさん捧げれば良い、というものではない。
大金を積めば良い、というものではない。

主が喜ばれるいけにえは、砕かれたたましい、悔いた心である。(詩篇51:17)
「主はその御言葉に聞き従う事を喜ばれるように、/燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、/聞くことは雄羊の脂肪にまさる。そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。」(1サムエル15:22-23)

御心を外した祭壇構築や、いけにえの数々、費やした金銀は、無駄以外の何者でもない。
大切なのは、砕かれた悔いた心をもって、御言葉に聞き従うことである。

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