メッセージ - 礼拝をやむを得ず守れなかった人のために(民数記9:1-14)

礼拝をやむを得ず守れなかった人のために(民数記9:1-14)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 民数記
執筆 : 
pastor 2013-8-26 15:10

礼拝説教メッセージ音声:礼拝をやむを得ず守れなかった人のために(民数記9:1-14):右クリックで保存

エジプト脱出の前夜、イスラエルの民は小羊の血を家のかもいと門柱に塗り、その内側で、安全に過越の小羊を食べていたが、そうでないエジプトの全ての家々では、初子が死ぬという災いが降され、それが決定打となって、イスラエルの民はエジプトを脱出する事となった。
そのちょうど一年目、主はこの過越の祭りを祝うよう命じられた。
『エジプトの国を出た次の年の正月、主はシナイの荒野でモーセに言われた、「イスラエルの人々に、過越の祭を定めの時に行わせなさい。この月の十四日の夕暮、定めの時に、それを行わなければならない。あなたがたは、そのすべての定めと、そのすべてのおきてにしたがって、それを行わなければならない」。』(民数記9:1-3)

過越の祭りは、イスラエル民族がエジプトから救い出され、神から特別な扱いを受けている者達である事を覚える、重要な祭りである。
エジプトを出てちょうど一年目の、イスラエルが自由になってから初めての、記念すべきこの過越祭を、たまたまその時、死体によって身を汚していて、皆と共に祝うことが出来なかった人達がいた。
『ところが人の死体に触れて身を汚したために、その日に過越の祭を行うことのできない人々があって、その日モーセとアロンの前にきて、その人々は彼に言った、「わたしたちは人の死体に触れて身を汚しましたが、なぜその定めの時に、イスラエルの人々と共に、主に供え物をささげることができないのですか」。』(民数記9:6-7)

彼らは記念すべきこの祭りを、皆と共に祝うことが出来なかったので、それが心惜しくてモーセに訴え出たのだ。
礼拝出来なかった事に心惜しさを覚える事は、霊的に健全な証拠である。
イスラエルの歴史を見るに、そのように健全だった期間はあまりなかったが、私達は、礼拝が出来なかった時に心惜しさを感じる霊的健全さを持っているだろうか。

『モーセは彼らに言った、「しばらく待て。主があなたがたについて、どう仰せになるかを聞こう」。』(民数記9:8)

モーセは、今までに無かったこのケースをどのように対処すべきか、自分で判断する事なく、その人達を待たせ、主に伺いに行った。
この態度は、私達も見習うべきである。
霊的な事で、何か分からない事や問題が起きた時、思いつくまま軽率に答えたり、勝手な判断で対処したりするのではなく、御言葉を開くなり祈るなり、主からの確信を得た上で対処するのが、正しいやり方である。

『イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたのうち、また、あなたがたの子孫のうち、死体に触れて身を汚した人も、遠い旅路にある人も、なお、過越の祭を主に対して行うことができるであろう。すなわち、二月の十四日の夕暮、それを行い、種入れぬパンと苦菜を添えて、それを食べなければならない。これを少しでも朝まで残しておいてはならない。またその骨は一本でも折ってはならない。過越の祭のすべての定めにしたがってこれを行わなければならない。』(民数記9:10-12)

主のこたえは、死体で身を汚している人だけでなく、遠い旅路にあった人など、諸々の事情でこの祭りを祝えなかった人達のために、ちょうど翌月の十四日に祝うように、という事だった。
それも、一切の手抜きをする事なく、全ての手順をしっかり行うように、という事である。

主は、礼拝を捧げたくても捧げられずに苦しんでいる人のためには、便宜を計り、その邪魔を全て取り除いて下さるお方である。
『わたしは/祭りを祝えず苦しめられていた者を集める。彼らはお前から遠く離れ/お前の重い恥となっていた。見よ、そのときわたしは/お前を苦しめていたすべての者を滅ぼす。わたしは足の萎えていた者を救い/追いやられていた者を集め/彼らが恥を受けていたすべての国で/彼らに誉れを与え、その名をあげさせる。』(ゼパニヤ3:18-19)

『しかし、その身は清く、旅に出てもいないのに、過越の祭を行わないときは、その人は民のうちから断たれるであろう。このような人は、定めの時に主の供え物をささげないゆえ、その罪を負わなければならない。』(民数記9:13)

特に差し迫った理由も無いのに、本来礼拝すべき時に礼拝せず、自分の都合で主を祝う事を先延ばしにする人は、主を軽んじる人である。
礼拝すべき時、主に聞き従うべき時、御心を実行すべき時があり、その「時」を軽んじていたら、取り返しがつかなくなくなってしまった、といった事柄は、聖書の至る所にあり、そういう人は、外の暗闇に追い出され、そこで泣いて歯ぎしりするものである。

主は、民が過越祭を確実に行えるよう、二重の備えを用意されたほどに、この祭りを重要なものとして位置づけられた。
傷の無い小羊をほふり、その血のしるしを自分達の所につけ、その中で、自分達のために犠牲となった小羊の肉を噛み締め、救われた事の喜びを味わう。これは、来るべきキリストを、ありありと表現している。
現代、私達キリスト者は、キリストの裂かれた肉と流された血を覚えつつ、聖餐式を行っている。
私達はそのキリストの尊い贖いを覚え、キリストのからだと血をわきまえ、救われた事の喜びを噛み締めつつ、この「祭り」を祝うべきである。

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