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メッセージ - 主が命じられた通りに(出エジプト記40:16-38)

主が命じられた通りに(出エジプト記40:16-38)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 出エジプト記
執筆 : 
pastor 2013-4-5 23:22

礼拝説教メッセージ音声:主が命じられた通りに(出エジプト記40:16-38):右クリックで保存

『モーセはそのように行った。すなわち主が彼に命じられたように行った。』(出エジプト記40:16)
出エジプト記の終わりは、主が命じられていた事を民はことごとく忠実に実行し、その結果、主の臨在の雲が幕屋に満ちた事によって締めくくられている。

今回の短い箇所からも、「主がモーセに命じられたとおりである」という表現が8度も出てくるように、出エジプト記の後半は、主が命じられたあの事、この事を、その通りに行った、という表現が続くため、あたかも、同じ内容のコピーペーストを読んでいるような感じで、見ている側としては、つまらないかもしれない。
しかし、主が言われた事を、そのままコピーペーストのように実行する事こそ、主の祝福と、栄光の臨在を招くコツである事を私達は学んだ。

『彼はまたあかしの板をとって箱に納め、さおを箱につけ、贖罪所を箱の上に置き、箱を幕屋に携え入れ、隔ての垂幕をかけて、あかしの箱を隠した。主がモーセに命じられたとおりである。』(出エジプト記40:20-21)
この「あかしの板」は英語では「the testimony」、ヘブライ語では「アイドース」、すなわち「あかし」や「証人」を意味する「アイド」の、女性形である。

律法の石板が、女性形である事は、実に興味深い。
私達はキリストに対しては、男性も女性も、全て「女」の立場である。キリストこそ唯一の主人であり花婿であり、私達教会はその妻、花嫁である。
旧約においては、神のあかしは石板に神の指によって記されたが、新約の今、神のあかしは、私達の「心」に、神の指によって刻み込まれている。
『しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。』(エレミヤ31:33)
『わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである。それは、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている。そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。』(2コリント3:2-3)
新約の私達は、神の言葉が心に刻み込まれており、そして、新約の私達自身は聖霊が宿る神の宮であり、幕屋に置かれた一つ一つの祭具のようであり、キリストの花嫁、妻である。
自らをキリストの言葉によって清めるなら、聖なる祭具としてますます聖なる事に用いられる器となって行くのである。

私達が約束の地、安息の地にどうすれば入れるか。それは、日々、主の導き通りに歩んでいく事によって、である。そうするなら、必ず入れる。
『雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。』(出エジプト40:36)
この、昼は雲の柱、夜は火の柱によって導かれていく様は、民数記9章のほうに詳しく記されている。

『幕屋を建てた日に、雲は幕屋をおおった。それはすなわち、あかしの幕屋であって、夕には、幕屋の上に、雲は火のように見えて、朝にまで及んだ。常にそうであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。雲が幕屋を離れてのぼる時は、イスラエルの人々は、ただちに道に進んだ。また雲がとどまる所に、イスラエルの人々は宿営した。
すなわち、イスラエルの人々は、主の命によって道に進み、主の命によって宿営し、幕屋の上に雲がとどまっている間は、宿営していた。幕屋の上に、日久しく雲のとどまる時は、イスラエルの人々は主の言いつけを守って、道に進まなかった。また幕屋の上に、雲のとどまる日の少ない時もあったが、彼らは、ただ主の命にしたがって宿営し、主の命にしたがって、道に進んだ。また雲は夕から朝まで、とどまることもあったが、朝になって、雲がのぼる時は、彼らは道に進んだ。また昼でも夜でも、雲がのぼる時は、彼らは道に進んだ。
ふつかでも、一か月でも、あるいはそれ以上でも、幕屋の上に、雲がとどまっている間は、イスラエルの人々は宿営していて、道に進まなかったが、それがのぼると道に進んだ。すなわち、彼らは主の命にしたがって宿営し、主の命にしたがって道に進み、モーセによって、主が命じられたとおりに、主の言いつけを守った。』(民数記9:15-23)

この、神の臨在の導きに従って進んだり留まったりする様は、現代この世界を生きる私達が、いかにして主に導かれていくべきかを示している。
主がおられる所なら、いかなる所であろうとも、いかなる働きであろうとも、そこに留まるべきであり、主の臨在がそこから無くなったならば、そこがいかなる所であろうとも、いかなる働きであろうとも、出て行くべきである。
主がおられる所へ私達がついて行くなら、誰でもやがて約束の地、安息の地に入るが、主の導きに反対し、身勝手に進む者は、やがて荒野で屍となって取り残されて行ってしまう。

この出エジプト記の終わりの時点、誰もが約束の地へと入れる可能性があったし、荒野で40年もさまよい歩く理由も、この時点では、無かった。
主の導きに従い、御言葉に従って歩むなら、必ず誰でも安息の地に入れるのだが、しかし、約束の地カナンへは、この世代では僅か二人しか入れなかった。御言葉に従って歩まなかったからである。それは、現代を生きる私達への警告であり、戒めである。

『また幕屋と祭壇の周囲に庭を設け、庭の門にとばりをかけた。このようにしてモーセはその工事を終えた。そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。』(出エジプト記40:33)
出エジプト記は、神の民がエジプトの圧政による奴隷状態であった所に始まり、神の顕現、敵の懲らしめ、奴隷状態からの脱出を経て、荒野での神の戒めの授与、そして、礼拝場所である幕屋が完成し、主の栄光の臨在が満ち溢れた所で終わる。
現代を生きる私達キリスト者も、出エジプトの民のように、はじめはサタンの圧政による奴隷状態であった所に、主イエスが現れ、彼を信じ、御言葉の通りに歩んだ結果、サタンの奴隷状態から脱出でき、礼拝場所である教会へと導かれ、戒め御言葉をいただき、キリスト者の交わりに加えられ、永遠のいのちの約束が与えられた。
そして、誰もが御国という約束の地へと入れる可能性を持っている。

『あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。』(ヘブル12:15-16)

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